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金色の絨毯敷きつめられる頃  作者: 弍口 いく
第6章 蝉時雨

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その2

 悠輪寺ゆうりんじの境内。

 重賢じゅうけんは折り畳みチェアに座りながら、本堂周りのお堀で釣竿を手にしていた。


 つるつるに輝く頭、細い目がいつも微笑んでいるように見える柔和な顔をした老僧が持つ釣り糸の先には、キュウリがぶら下がっている。

 お堀の中、水中には影が動いていた。空中に浮かぶきゅうりの周りをクルクル回っている。


「釣れそうか?」

 後ろから突然かけられた声だったが、気配を察していた重賢は、驚くことも振り向くこともなく、

「しーーっ」


 その時、水面をなにかがピチャッと跳ねた。

 重賢は慌てて竿を上げたが、一瞬遅く、水掻きがある緑色の手が飛び出し、素早くキュウリをもぎ取って水の中に引っ込んだ。


「残念」

「お前が声かけるしや」

「反射神経衰えたからじゃねーか」

 重賢は苦笑いしながら、竿を引き寄せた。

「さすがの儂も年には勝てんわい」

 そう言いながら、ゆっくり振り向いた。


「帰ったか」

「ああ、また空振りだ」

 珠蓮じゅれんは重賢の横に並び、水面を見つめた。老いた僧と若いイケメン、対照的な二人の姿が澄んだ水面に揺れた。


「ずいぶん老けたな」

「若い頃はお前と張り合える器量やったのにな」

「それはないだろ、誰が見ても俺の方がイケてたさ」


 重賢は立ち上がると背伸びをし、曲がった腰を一瞬真っ直ぐにしてから、また元に戻った。そんな様子を見て珠蓮は寂しそうに、

「人は年を取る、俺はいつまで経ってもこの姿のまま、アイツのせいで……」

 フッと目を伏せた。


「憎しみは鬼の毒を増幅させる、思いつめたら人の心を失くしてしまうで」

「わかってる、そうならないように厳しい修行をしてきたんだ、大丈夫だよ。……でも、アイツに会って、アイツを倒すために俺が本当の鬼になってしまったら、その時は……」

「それまで儂が生きてたらな」

 重賢も寂しそうに目を伏せた。


「森へは行ったんか?」

「ああ、真琴も来てた。また変なこと言ってたんだけど……邪気が漂ってるって」

「やはりそうか」

「お前にもわかるのか?」

 重賢は首を横に振った。


「まだ、ハッキリとはわからん、けど、真琴が言うなら間違いない、なにかがうろついてるんやろう」

「あいつは鼻が利くからなぁ」

 珠蓮は空を仰いだ。

 真っ青な空に入道雲が湧いていた。


「うろつくだけならいいけど」



   *   *   *



 授業が終わり、千幸は下校の途についていた。

 春奈たちに寄り道しようと誘われたが、昨夜の悪夢で寝不足、午後の授業中も意識が飛ぶほどの睡魔に襲われていた千幸は、早く家に帰って休みたかったので断った。


「ふぁ~あ」

 油断すると出てしまう大あくび、慌てて手で口を押えた。

 

 その時、前方にラブラドール・レトリバーを散歩させている中年女性の姿が見えた。千幸の視線はその犬に釘付けになった。


 犬は歯をむき出し、顔を歪めて低く唸っている。真っ直ぐこちらを見つめる血走った犬の目に、千幸の眠気は吹っ飛んだ。

 そんな愛犬の様子に飼い主は気付いていなかった。

 次の瞬間、

 

 ラブラドールは地面を蹴って猛ダッシュ! 不意を突かれた飼い主の女性は引っ張られて倒れると同時にリードを手放した。


「キャァ!」

 悲鳴は飼い主と千幸、同時だった。


 犬は牙をむきながらジャンプして千幸に飛び掛かった。

 千幸は逃げようとしたが、足がもつれてその場に尻餅を着いた。

 反射的に顔を庇った右手の甲に生温い液体がかかった。


「キャン!」

 犬が苦しそうな悲鳴を上げた。


 千幸に到達する直前でリードを掴まれ、引き戻されたのだ。

 後ろに引っ張られ、首輪が食い込みながらも、犬は涎を垂らし、牙をむいていたが、リードを掴んだ人物が犬の頭に手を置くと、ビクッとして固まった。


「すみません!」

 飼い主の女性が青ざめながら駆け寄った。

「どうしたんロロちゃん!」

 リードを受け取り、

「ほんとすみません、こんなことする子やないんですよ、大人しい子やのに」


 そして尻餅をついたまま唖然としている千幸を心配そうに見た。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ」

 千幸は慌てて立ち上がり、

「大丈夫です」

 泣きそうな顔をしている飼い主に、引きつった笑顔を向けた。


「ほんとすみませんでした」

 飼い主の女性は何度も頭を下げながら、犬のリードを思い切り短く握って、引きずるように連れ去った。


 見送ってから、助けてくれた人物を改めて見た。

「ありがとうございました」

「いや」

 珠蓮はぶっきらぼうに答えた。


 珠蓮がリードを掴まなければ、千幸は間違いなく噛まれていた。あの勢い、怪我で済んでいたかどうか……。


「血……」

「えっ?」

「顔」

 千幸は指差された頬に触れようとして、自分の左手から出血していることに気付いた。無意識にその手で頬に触れたのだった。

 尻餅をついた時、地面に着いた左手の掌を擦りむいたようだ。


 血を見た途端、痛みがこみ上げた。

「……た、たいしたことないです、このくらい」

 強がってみたが、痛みに青ざめていた。

「手当てしなきゃ」

「えっ?」

「こっち」

 珠蓮はさっさと歩きだした。


「あ……」

 千幸は仕方なく後に続いた。



   *   *   *



「犬に襲われるとは、災難やったなぁ」

 重賢が細い目を向けながら千幸に言った。


 怪我の手当てをする為、珠蓮は千幸を悠輪寺の庫裡に連れて来た。

 断り切れずに仕方なくついて来た千幸だったが、重賢を見て安心した。

 重賢が慣れた手つきで千幸の手に包帯を巻いている間、珠蓮は勝手に冷蔵庫から出した缶コーヒーを飲んでいた。


「ほんま、ビックリして……彼が止めてくれへんかったら、間違いなく噛まれてました……それに手当まで」

 千幸は恐縮しながら珠蓮を見た。


「見かけによらずおせっかいやろ、珠蓮は」

「珠蓮さんって言うんですか?」

「お前、名乗りもせんと連れ込んだんか」

「連れ込むって、そんな言い方ないだろ」


「ホントに助かりました」

 千幸はそわそわしながら立ち上がった。

「あたしは宮田千幸って言います、このお礼は改めて伺います」

「お礼なんか、かまへんで」

「そんな訳には……今日はありがとうございました。失礼します」

 と深く頭を下げた。


 珠蓮も立ち上がり、

「送って行く」

 出ていく二人を重賢は残念そうに見送った。


 と、すぐに珠蓮が戻った。

「送って行かへんかったんか?」

「いいって言うから」

 重賢の向かいに座り、飲みかけの缶コーヒーを手にした。


「で、なんで連れて来たんや?」

 重賢は珠蓮の顔を覗き込んだ。

「あの時の犬、尋常やなかったし」


 牙を剥き出し敵意をあらわにした犬の顔を思い浮かべた。まるで狂犬病に侵されて正気を失ったかのようだった。

 あの犬は彼女になにを感じたんだろう?


「動物は敏感やしな、最近、邪気が漂ってるようやし確かめたかったんやな」

 口元は微笑んでいるものの、目は笑っていない。


「1200年の歴史を持つこの寺は、代々、霊木大銀杏様に選ばれた高僧が守り抜いてきた霊験あらたかな寺、見た目は落ちぶれてるけど、強力な結界が張られ、清浄な空間になってるんや、人間さえもよこしまな心を持った者は近づけへん」


 突然、喋りながら珠蓮の横に現れたのは那由他なゆただった。

「なんで真琴や珠蓮が出入りできるのか、謎やけど」


「お前もだろ」

 珠蓮は真顔で突っ込んだ。

「あたしは清純無垢な妖精やん」

「どこがぁ」


「けどよかったやん、あの子は関係ないんちゃう? たまたまの災難やったんや」

 那由他の言葉に、まだ納得していない様子の珠蓮を見て、

「まだ、気になることが?」


「……」

「こう見えても、重賢の結界は鉄壁やで」

「わかってる」

「なにが気になるねん、煮え切らんなぁ」

 黙って目をつむり俯いている珠蓮を、那由他は不思議そうに見た。


「珠蓮や真琴が簡単に結界を通れるのは、よこしまな心を持ってへんしや、たとえ物の怪でも無垢なものは通れる可能性があるしなぁ」

 まだ納得できない珠蓮を見て重賢が言った。


「さっきの子もそうなん?」

「それはわからん、ただ、本人さえも自分の正体に気付いてへんかったとしたら?」

「どう言うこと?」


「真琴のような妖怪と人間のハーフは結構いるもんや、真琴みたいに妖力を開花させる者もいれば、気付かず一生を終える者もいる、その方が幸せかも知れんな」

「確かに……そんなパターンもあるのか」


「その場合、儂かて見抜けるかどうか……、それに、もう一パターンあるで」

「なになに?」

「憑依されてる場合や、庫裡に入る前に物の怪はいったん離れる、この場合、ここに来た時は普通の人間や」

「出たらまた取りつかれんの?」

「わからん、雑魚やったら、ここの空気で浄化された人間には、容易く取りつけへんけどな」

「へ~」


 重賢と那由他の会話を聞きながら、珠蓮はまだ浮かない様子で黙り込んでいた。


   つづく


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