その9
「恩知らずには、まだまだ相応の罰を与えて苦しめようと思っていたのに、わたしの楽しみを奪いましたね」
お淑やかで可憐だった藻の顔は、殺気立った般若に変わっていた。
「儂が頼んだんじゃ、じゅうぶん苦しんだ、もう良いではないか」
亀市が間に入ったが、
「王よ、いつからわたしに意見できるようになったのだ」
藻の視線がこちらへ向いただけで、亀市は縮み上がった。
「それに、誰の許しを得て、ここへ入ったんだ?」
亀市はコソコソと霞の後ろに隠れた。
「霞様にはもう帰っていただこう、あなたは2千年前とは違う、変わってしまわれたようだ」
「ああ言っておるが、どうする?」
霞は流風に視線を流した。
「拉致された人たちを連れて帰らなきゃならないでしょ」
「と、言うことだ」
「なぜそのような人間の言いなりになっているのです、霞様ともあろう方が」
「言いなりではない、協力してやってるだけだ」
「なぜ? 妖怪の誇りはどこへいったんです、人間とつるむなんて」
「人間は面白いからな」
「面白い? 美味しいの間違いじゃ、特に産まれたばかりの赤子は」
不気味な笑みを浮かべながら藻は舌なめずりした。
藻の陰惨な顔を見て、亀市は全身が凍り付いた。
「お前が、食べていたと……? ここで産まれた子を」
「お前はわたしの食料を生産するための道具だ」
亀市はワナワナと震えながら膝をついた。
「食料を自分で作るなんて、お前もうまく考えたものだな」
霞は少し羨ましそうだった。
「人間も牛や豚を養殖しているでしょ? それと同じですわ、人間なんてしょせん下等な生き物、なぜ、あなたのような力のある妖怪が、下等な人間の味方をするのですか!」
藻の眼が異様な光を放った。
次の瞬間、
周囲の白い壁から緑色の剣が飛び出した。
的は流風。
狭い通路に逃げ場はない。
流風の眼も煌めいた。
吹き出した突風が竜巻となり、流風の体を覆った。
剣は風のバリアに弾かれて、折れ飛んだ。
「なに!?」
藻の顔が驚きと屈辱で歪んだ。
「お前も人間ではないのか!」
「流風は人だ、ただ、特別なだけ」
「妙な能力をそなえているのか、それなら尚のこと、ここから出す訳にはいかない」
藻の体が緑色に発光した。
床から植物の蔓が生えて埋め尽くした。と同時に、流風、亀市の足に絡みつき、動きを封じた。
藻自身の体からも植物が生え、全身を覆い、顔だけが異様に葉っぱの中に浮かんで見えた。
「そんな能力を持つ人間がいたら、我らの脅威になる、そうは思いませんか?」
流風は風の刃を繰り出して蔓を切り離そうとしたが、切っても切っても限なく伸びてくるので、追いつかず、胸のあたりまでがんじがらめになっていた。
「わたしを敵に回すのか?」
流風が攻撃されているのを見ながら、霞は藻に視線を突き刺した。
「人間に入れ込んでどうするのです、人間は平気で裏切りますよ、いくら親しく、信じていても、簡単に裏切る生き物です」
「わかっている」
霞はフッと寂しそうに目を伏せた。
瞼の裏には智風の姿が浮かんでいた。
“心配するな、必ず戻るから”
と言ったのに、戻らなかった。
「人は弱い、そう言う生き物だ」
「ではなぜ?」
「それでも」
霞は顔をあげ、流風を見た。
霞の足元から紫の毒液が広まり、床を這うように進むと、それに触れた蔓が枯れはじめた。
霞の毒に触れた蔓が次々枯れたので、流風と亀市は解放された。
「下がっておれ、お前の手に負える相手ではない」
霞の言葉に、流風は反論したげに口を開いたが、言葉にはならなかった。
藻の放つ強烈な妖気は周囲を飲み込む勢いで、流風も自分の非力さを認めざるおえなかった。
藻の体を覆う葉は爆発的に増殖し、狭い通路を埋め尽くした。
次の瞬間、
巨大化した藻の体は天井を突き破った。
同時に霞も白い大蛇の姿に戻った。
その後ろに守られていた流風と亀市は、瓦礫の直撃を免れた。
増殖した藻の体は、その上に建つ宮殿の屋根の上まで飛び出した。
* * *
「ここやな」
真琴と澄は大きな扉の前に立っていた。
赤ん坊を連れ出すという秧と萌と別れて、拉致された人たちを救出すべく奥へ進んでいた二人は、突き当りの扉に辿り着いた。
「見張りは?」
「侵入者は想定してないん違うか」
真琴は頑丈そうな扉を力ずくで開けようと手をかけた、その時、
轟音と共に地面が大きく揺れた。
壁から天井にかけて亀裂が走り、通路は崩壊しそうになりながら、かろうじて堪えていた。
「なんだ!」
「どうなってる!」
パニックの喚き声は扉の中から、天井が歪んだことによってズレた扉の隙間から聞こえた。
「はよ出な、崩れるで!」
澄は隙間から中に呼びかけた。
「出られるぞ!」
五人の拉致被害者が出てきた。
「こっち、こっち!」
澄が手招きしたが、その間にも壁が崩れ始めていた。
「やばいかも」
大きな塊も次々落ちてくる。
青ざめながら天井を見上げるみんな。
「息を止めて!」
その叫びは秧だった。大きな鎌を持って戻って来ていた。
その威力を体験している真琴と澄は身構えた。
次の瞬間、秧が振り下ろした鎌から滝のように水が噴出し、みんなを呑み込んだ。
つづく




