その8
「なんか臭わない?」
通路を歩きながら流風が顔をしかめた。
亀市に続いて階段を下りると、上階の時代劇風な建物とは異なり、近代的な病院の通路のように、白い壁に囲まれた道が続いていた。
「儂ではないぞ」
亀市は赤面しながら振り向いた。
「そんな臭いじゃなくて」
「腐敗臭だな、それも人間の」
霞は涼しい顔。
「投獄されている罪人かな」
亀市が言った。
「腐敗するまで放置するか?」
「一般牢とは違うこちらの独房には、重罪人が投獄されているらしいから、終身刑だろう、食事も与えられずに死ぬまで放置されるらしい、しかし、不老の妙薬を飲んでいる湖月宮の者は、そう簡単に死ねないのじゃ」
「藻らしいわ、残酷な刑だ」
霞は鼻で笑い、
「あそこだな」
前方の鉄格子に目をやった。
歩いて来た通路の所々にドアはあったが、そこだけは不自然に剥き出しの鉄格子が見えた。
腐乱死体など見たくもないので、流風は息を止め、真っ直ぐ前を向いて速足で通過しようとしたが、
「おや?」
霞が立ち止まり、流風の服を引っ張った。
反射的に振り向いた流風は、心ならずも鉄格子の中が視界に入ってしまった。
ボロボロに破れた着物、半分抜け落ちた長い髪、悪臭を放っているのは腐りかけた肉、崩れて骨が剥き出しになっている部分もあったが、かろうじて女性であることがわかった。
鉄格子の中なのに、さらに手枷足枷をはめられて、奥の壁際に吊るされていた。
濁った眼球と流風は目が合った。
その瞳孔に生の輝きが宿っていたのを見て流風はハッとした。
「死体ではないな、まだ」
霞は観察するように覗き込んだ。
流風は息を止めていたのを忘れ、呼吸してしまった為、悪臭をまともに吸い込んで咳き込んだ。
「あ、あなたたちは……誰?」
女囚の口が開いた。
その拍子に、前歯が一本抜け落ちて地面に転がった。
「藻様以外が来たのは……初めて、だ、わ……」
苦しそうな息の下から絞り出すように言った。
「どのくらいの月日が経ったんでしょ、分からないけど……肉が腐り落ちようがまだ死ねない」
もう流れる涙は残っていないが、泣いているように見えた。
「きっと骨だけになっても死ねないでしょう、骨さえも朽ち果てるまで……それにはあとどれだけの歳月が必要なんでしょう」
「お前はいったいなにをやらかしたんだ? そこまで藻の怒りを買うとは」
亀市が気の毒そうに言った。
「出会ってしまったんです、彼と……。わたしは兵士でした。外の世界へ出て次の生贄候補を捜していた時です、彼と出会い、愛し合うようになってしまった……」
女囚は辛そうに言った。こからか空気が漏れているようで、ヒューヒューと妙な音混じりの声だった。
「それが罪なの?」
流風は眉をひそめた。
「湖月宮ではおそらく前代未聞の出来事だろう」
亀市が代わりに答えた。
「わたしは湖月宮に戻らず、彼の元で暮らし、生まれた息子と三人、幸せに暮らしていました。でも、長くは続かなかった、見つかってしまい、彼と息子は目の前で殺されて、わたしだけ連れ戻されました。そして、ここで朽ち果てるまで投獄される刑に……。早く愛する人の元へ行きたい……、それだけを願う毎日なのですが、簡単には死ねない」
「なんと憐れな」
亀市は鼻を啜った。
「なぜ、一緒に殺されなかったのかしら」
「藻は残酷じゃ、死ぬより辛い目に遭わせたかったんだろう、裏切り者には容赦ない奴じゃ、ここは藻が作った都、藻に従わなければならないんじゃ。ここの女たちは一生ここで暮らす、儂はその女たちに種を授けるため、生贄として連れて来られたんだ」
「じゃあここの人たちはみんな王様の?」
「ほとんどが儂か、先代王の娘だ」
「でもなぜ、女ばかりなの?」
「湖月宮では、なぜか男児は死産か、産まれても育たないと聞いている、しかし」
亀市は女囚を見た。
「お前の息子は育っていたと……外の世界だったからか?」
「なるほど、そう言うカラクリか」
霞はなにか納得したように頷いた。
「なんのカラクリよ」
「わたしは、藻のすることに口出しするつもりはない」
「妖怪仲間だもんね」
「妬くな」
「妬いてない!」
「あなたは……妖怪なのですか?」
会話を聞いた女囚は霞に熱い視線を送った。
「なら、わたしを殺す力もあるのでは……」
「当然だ」
「では……、殺して……ください」
霞は腕組みしながら流風を横目で見た。
「どうする?」
しかし、流風には答えられない。
「出来るなら、楽にしてやってはくれまいか」
亀市が口を挟んだ。
「儂にはなんの力もない、こんな残酷な刑を目の当たりにしても、なにも出来ない情けない王じゃ、出来るなら、苦しみを早く終わらせてやってほしい」
亀市は涙ながらに訴えた。
「そう言うなら」
霞は女囚に向き直った。
「本当によいのだな」
「お願……」
また歯が抜け、今度は顎も外れたようで、言葉が続かなくなった。
「承知した」
霞は口笛を吹くように息を吐き出した。
すると薄紫の煙が、女囚の体を包み込んだ。
女囚は目を細め、口元に笑みを浮かべたように見えた。
薄紫の煙の中で、女囚の肉はボロボロと落ちて、骨だけになった。
その骸骨もハラハラと砕け、白い粉が地面に散った。
やがて骨の粉も、蒸発するように舞い、消えて無くなった。
「これでよかったか?」
「ありがとう……」
亀市は霞の手を固く握った。
その時、
「よくはありません!」
怒鳴り声に振り向くと、藻が鬼の形相で立っていた。
「霞様とて、勝手なことをされては困ります!」
「おや、怒らせてしまったようだ」
つづく