その9
青空に黒煙がモクモクと上がっていた。
門前には野次馬が集まりつつあったが、消防はまだ到着していなかった。
庭へ逃れた真琴、流風、霞は炎に包まれた柊邸を見ていた。
その横に突然、那由他と華埜子が現れた。
「ゴホッゴホッ、死ぬかと思た」
真琴は心配そうに背中を摩り、
「ありがと、那由他」
「お安い御用や」
「あの理煌って子は?」
華埜子だけを救出した那由他に、真琴は怪訝そうに尋ねた。
「大丈夫、どうやら理煌は、流風のお仲間みたい」
とても嬉しそうな那由他を見て、流風は眉をひそめた。
「理煌さん!」
華埜子の叫びにそちらを見ると、炎の邸から琥珀の肩を借りて出て来る理煌の姿があった。
理煌は華埜子の声に気付くと、ハッと顔を上げた。
「大丈夫?!」
駆け寄った華埜子に驚きの目を向けた。
「あなたこそ……どうやって逃げたの?」
あの火の海、出入口は他になかったはずだ。炎に包まれたと思っていた。理煌は助けられず、見殺しにしてしまったと思っていたが……。
華埜子の無事な姿を見て安堵した理煌の目に、心ならずも涙が浮かんだ。
「良かった……」
「那由ちゃんに助けてもろたんや」
那由他はやけに馴れ馴れしい笑みを向けたが、理煌は銀髪の見慣れない少女に、胡散臭そうな視線を返した。
「誰?」
「お前は、仁炎か?」
続いて現れた霞に、唐突に言われても訳がわからないし、理煌にとっては怪しげな人物に違いはない。
「誰?」
「間違いないやろ、炎の操り方を見て確信したわ」
「あの火事は、こやつの仕業か?」
「そう、普通の火じゃないし、回りが速かったんや」
「化け物も、始末したのか?」
「そう」
那由他と霞は理煌をよそに話をした。
「なんの話し?」
自分の話をしているようなので、理煌は説明を求めたが、その時、けたたましいサイレンが接近した。
「あたしら、消えた方がエエな」
「わたしを送れ、貉婆は先に帰ってしまったようだ」
「しゃーないなぁ」
と言いながら、二人の姿は忽然と消えた。
「え……」
瞬きを繰り返す理煌を見て、
「大丈夫、すぐ慣れるし」
華埜子は苦笑いした。
その後、何台もの消防車が終結したが、火の勢いは止まらず、柊邸は全焼した。
* * *
「たまには近場でゆっくりするのも、イイものね」
デッキの手すりにもたれ、琵琶湖の静かな湖面を眺めながら菫が言った。
真琴たちが大変な事件に巻き込まれているとも知らず、菫は夫の掬真と琵琶湖クルーズを楽しんでいた。穏やかな湖面には流れる雲が映っており、遠くに比叡山が一望できた。
「菫は知ってたんやな、柊家の不幸は呪いのせいなんかじゃないって」
「ええ、わたしは琥哲さんが落札した時、セリーナの涙を見せてもらってるのよ、それはもう素晴らしいルビーだったわ、もし、呪われた宝石だったら、気付かないはずないわ」
「そうやな」
「呪いどころか、お守りになるようなパワーを感じたわ、なのになぜ、琥哲さんがあんな死に方をしたのか不思議だった」
菫は辛そうに目を伏せ、
「その訳がようやくわかったわ」
ハンドバッグから灯子の手紙を出した。
「まさか、彼女が放火したなんて……琥哲さんが中にいるとは知らずに」
手紙をクシャッと握りしめた。
「わたしには理解できない、仕事とインコに嫉妬するなんて……、確かにあの頃の琥哲さんは多忙で、灯子さんは寂しかったのかも知れない、だからと言って、仕事場である離れと、そこにいるインコを燃やしてしまえば、琥哲さんの愛を取り戻せるとでも思っていたのかしら……、それ以前に、琥哲さんは灯子さんを愛していたのよ、それを信じられなかったなんて」
手紙を握りしめた手に涙の雫が落ちた。
掬真はその手に、そっと自分の手をかぶせた。
「きっと灯子さんは、自分に自信がなかったんや、お前と違て女優の夢も叶わへんかったし、家庭に入っても良き妻、良き母親でいられるか、不安やったんやろう」
「そのあげく、愛する人を自分の手で殺してしまって、苦しんだのでしょうね」
「そやし呪いのせいにしたかったんやな、自分の過ちも、呪いがそうさせたんやと思いたかった」
「呪いなんてなかったのに……」
「わかってて、なんで真琴たちを送り込んだんや?」
「颯志さんがね、流風には友達が必要だって言うもんだから」
「アイツの差し金か」
「その子も負の感情に押しつぶされちゃいそうなんですって」
掬真は腕組みしながら溜息をついた。
「真琴が適任とは思えへんけどな」
「だからノッコちゃんも誘ったのよ」
「正解やな」
菫はおもむろに手紙を破りはじめた。
細かい屑になるまで何度も何度も破り、それを宙に放り投げた。
微風に乗り、紙吹雪が空に舞い上がった。
「あの子たち、どうしてるかしら? セリーナの涙は見つけられたかしらね」
菫は少女のように悪戯っぽく微笑んだ。
つづく