その5
「いつまで寝てるんや! はよ起きなさい!」
英美が瑛太の掛布団をはぎ取った。
ランニングシャツにトランクス姿の瑛太は、寝ぼけたまま布団を取り戻そうと手を伸ばした。
英美はその手をピシャと叩き、
「もう七瀬菫が来てる頃やで、うちらも行って挨拶しとかな」
瑛太はベッドの上で胡坐をかき、髪をクシャッとかき上げて気怠そうな目を向けた。
「なんのために?」
「決まってるやん、灯子の友達かなんか知らんけど、理煌の後見人になろうなんて、とんでもない! なんとしても阻止せな」
「どうやって? 俺らに異議を申し立てる権利はないらしいで」
「なに言うてんの! うちらは理煌の親族なんやで」
「ああ、遠~い親族やな、なにより灯子の遺言があるんやし、無理やで」
「なんのために今まで理煌を手懐けて来たと思てんの」
瑛太は呆れて大きな溜息をついた。
「いい加減気付けよ、俺ら嫌われてるやろ、ほんま、人の気持ちがわからん奴は幸せやな」
「なんてこと言うの! 親に向かって! だいたいアンタは悲観的過ぎるんや、物事を悪い風に考えて! そんなんやし何やってもうまく行かへんのや!」
瑛太は再び横になり、英美に背を向けた。
「情けない子やなぁ、そんなんやし朱莉も和哲に取られたんや」
瑛太の背中がビクリと動いた。
「ほんまにアホなんやし、アンタにしてはえらいベッピンさんゲットして上出来やと思てたのに、和哲なんかに横取りされて」
事実は違っていた。
和哲に取られたのではなく、朱莉の方が乗り換えたのだ。瑛太は紙屑のようにポイッと捨てられたのだった。
「でもまあ、罰は当たったしな」
英美の言葉に瑛太は頷いた。
自分をコケにした奴等は悲惨な死を遂げた。当然の報いだと瑛太は思っていた。
「とにかくシャンとしなさい! うち等こそが後見人に相応しいと分からせな」
英美はワイシャツを瑛太の背中に投げつけた。
「はよ着替えて! スーツは……」
床に脱ぎ捨てられたスーツを見つけた英美は拾って広げた。
「皺だらけやんか! ほんま、だらしない子やわ、誰に似たんやろ、きっとお父さんやな、何をやってもうだつの上がらん人やったわ、そやのに女作って逃げるなんて、みっともないことしでかして!」
瑛太は頭を抱えた。
また始まった、何度も何度も聞かされた愚痴、いつもキャンキャン一方的に捲し立てる母親にうんざりしていた。逃げ出した父親の気持ちがよくわかる、こんな女と一緒にいたら、頭がおかしくなる。
「今までは灯子が工面してくれたし良かったけど、それが無くなったらどうなると思てるねん! たちまち露頭に迷うねんで!」
もうやめてくれ! 瑛太は耳をふさいだ。しかし、英美のキンキン声は頭の奥にこだまする。
「わかってんのか、この状況を」
わかってるから!
「アンタはいつまでも定職に就かんとフラフラしてるし」
好きでこうしてる訳じゃない!
「先のこと、考えてるんか!」
考えたくもない! どうせ何をやってもうまく行かないんだから! 瑛太は心の中で叫んだ。
「なにグズグズしてんの!」
英美は瑛太の肩に手をかけた。
「触るな!」
瑛太はその手を乱暴に振り払った。
その瞬間!
「キャアァ!」
英美の体がフッ飛んだ。
「えっ?」
そんなに力を入れたつもりはなかった。しかし、英美は激しく壁に叩き付けられてから、床に転がった。
「母さん……?」
英美は白目をむいて吐血していた。瑛太は慌てて駆け寄り、抱き起したが、グッタリして意識はない。それどころか息をしていないのがわかった。
「……なんで?」
瑛太は愕然とし、頭の中が真っ白になった。
その頭の中に騒がしい声が流れ込んできた。
(よくやった、黙らせたじゃないか)
「えっ?」
(これでお前は自由だ)
「誰だ!」
瑛太は部屋中を見渡したが、誰もいない。
(お前が我等を引き寄せたんじゃないか)
激痛が走った。
割れるような頭の痛みに、瑛太は床に転がり、頭を抱えてのた打ち回った。
「やめろぉぉ!」
(恐れることはない、我等はお前の味方だ、お前と共にある)
その間も様々な声が頭にこだました。
(さあ、立つのだ、立って、お前を苦しめるモノを排除するんだ)
「苦しめるモノ?」
ふと瑛太の脳裏に理煌が浮かんだ。自分を裏切った母親そっくりの美しい顔、あの顔を見る度、朱莉を思い出してはらわたが煮えくり返る。
瑛太はふらつきながらも立ち上がった。
その目は憎悪に燃えていた。
つづく