その3
「なんで、あたしが?」
真琴と華埜子を前に、流風はボソッと言った。
「そんなん知らん、こっちもビックリやわ」
真琴も愛想なく返した。
「よかったやん、また、流風ちゃんと会えて嬉しいわ」
華埜子はニコニコしながら流風を見た。笑顔を向けられることに慣れていない流風は、少し赤面して目を逸らした。
流風は綾小路家の当主、颯志に命じられて、悠輪寺の庫裡に来た。
理由は聞かされていなかったが、そこに真琴と華埜子も来ていたので、また厄介な事件に巻き込まれる予感がして、内心穏やかではなかった。
「菫さんも相変わらずやなぁ、厄介事を丸投げして、自分はさっさと旅行か?」
重賢が口にした“厄介”と言うキーワードに、流風はビクッとしたが、平静を装っていた。
「今度は何を押し付けられたん?」
華埜子が尋ねた。
「お祖母ちゃんの友達、柊灯子さんの頼み事で、セリーナの涙を探してほしいって」
「セリーナの涙って?」
「宝石らしい、こーんな大きなルビーやて」
真琴は菫がしたのにならって、親指と人差し指で丸を作って見せた。
「それは大袈裟やなぁ、確か、このくらいやろ」
重賢が笑いながら、真琴が作った輪より少し小さめの丸を作った。
「知ってんの?」
「ずいぶん前の話やけど、オークションで日本人が高額落札して、話題になったしな、それが菫さんの知り合いやったとは……」
重賢の表情が曇ったのを、真琴は見逃さなかった。
「和尚が知ってるってことは、呪いの話は本当なんか?」
「呪い?」
華埜子が小鳥のように首を傾げた。
「なんで赤いルビーがセリーナの涙と命名されたか」
真琴は芝居がかった口調で話し始めた。
「むかーし、中世のヨーロッパで、魔女狩りにあった美しい少女セリーナが、拷問され、苦しみのあまり流した血の涙が、真っ赤なルビーになったと言われる宝石なんや、無実の罪で拷問されたあげく、火あぶりで殺されたセリーナの呪いが込められてて、手にした者は不幸になると言われてる」
「そんな気色悪いもん、なんで買わはったん?」
華埜子は身震いした。
「琥哲さんは非科学的なことを信じひん人やったらしい、けど……そのすぐ後、琥哲さんは離れの火事で亡くなったらしい」
「離れ?」
「インコ好きの琥哲さんはインコ専用の離れを造って、暇さえあればそこで小鳥たちと過ごしたはったらしい、火事が起きた日もそこに居て、インコ達と共に……」
「それがセリーナの涙の呪い?」
華埜子と真琴は意見を求めるように重賢を見た。
「儂はその宝石を直に見てへんし、呪いが込められてたんかは分からん」
重賢は静かにお茶をすすった。
「琥哲さんの死後、セリーナの涙は行方不明になってしもたんやけど、柊家の不幸はそれで終わらへんかったんや」
真琴は話を続けた。
「数年後、灯子さんの一人息子が奥さんと共に事故で亡くならはったんや、車が爆発炎上、二人とも焼死」
「また焼死……」
「火あぶりを連想させるやろ、それでセリーナの涙の呪いを思い出した灯子さんは、まだこの家にあって呪いが続いてるんやったら、見つけて供養しな、また災いがふりかかるって、ずっとお屋敷中、探したはったらしいけど、発見できひんまま亡くなってしまわはった」
「灯子さんも呪いで?」
「それは違うみたい、癌やったらしい。ほんまはお祖母ちゃんと会って、直接頼むつもりやったらしいけど、容体が急変して……、苦しい息の下から、お祖母ちゃんへの手紙を弁護士さんに代筆してもらわはったんや」
「灯子さんも亡くならはったんやったら、もう」
「柊家にはまだ一人、孫の理煌さんが残ってる、息子さんの忘れ形見で、柊家直系の理煌くんを心配したはるんや」
「話はわかった、でも」
ずっと黙って聞いていた流風が口を開いた。
「その灯子さんって人は、なぜ、あなたのお祖母さんにそんな頼み事を?」
「うち、お金持ちやし」
「はあ?」
流風は眉をひそめた。
「真琴、話を端折り過ぎ」
華埜子が苦笑いした。
「理煌さんはまだ14やし、4等身以内の親戚はいないらしくて、お祖母ちゃんに後見人を引受けてもらいたいらしい。柊家は資産家で、理煌さんは一人で相当な財産を相続することになるやろ、するとどこからともなく親戚が現れるもんや、それも遠~い親戚がな、そんな亡者から理煌さんを守るのに、お祖母ちゃんは適任なんや、うちの祖父母は現役で稼いでるし、柊家のお金に興味はないやろ」
得意げな真琴の言葉に、流風は、
「何気に金持ち自慢してない?」
「お祖母ちゃんとしては、引き受けてあげたいけど、呪いの宝石は勘弁してって……、柊家の財産を相続するってことは、行方不明とはいえセリーナの涙も相続することになるし、その後見人になったら、七瀬家にも呪いがかかるかも知れんって心配してるんや、そやし、呪い云々がクリアになってから返事するって、あたしに宝石探しを押し付けたんや」
「その上、綾小路家まで巻き込むなんて……」
「妖怪退治の専門家やろ」
呪いは妖怪じゃないでしょ、と流風は心の中で突っ込んだ。
「嫌な予感はするけど、行くしかないなぁ、セリーナの涙を探しに」
真琴は大きな溜息をついた。
* * *
「エエ隠れ処やん」
那由他は質素な小屋内を見渡した。
こじんまりした山小屋で、那由他と霞、老婆が囲炉裏を囲んで座っていた。
「人間が入って来れん場所ゆえ落ち着くだろ、貉婆はどこでも穴を掘って、現世と幽世の隙間に、こんな隠れ家を作ってくれるのだ」
そこは人間界と並行して存在する妖怪たちの空間、遥か昔から存在するが、人間は気付いていない。
霞は20歳前後に見える美しい女性だが、この一帯の主である白い大蛇の化身。ついこの間、1200年の眠りから覚めたばかりである。
「でも、この間、流風が来たん違うの?」
「あの時は婆が招いたんや、あの娘、只者ではないと感じたしな、でなければ簡単には入って来れへん、まぁ、稀に御馳走が、基、無邪気な子供が迷い込むけどな」
ニッと笑った貉婆の前歯は2本抜けている。
「あたしも御馳走に?」
那由他が意地悪く言った。
「アホな、あの霊木大銀杏から命を授かったお前様を襲うなんて、雑魚妖怪の婆にそんな力はないわ」
「お前を呼んだのは、あの鬼もどきの所在を知りたいからだ」
霞の語気は厳しかった。
「鬼もどき? 珠蓮のこと?」
「わたしが目覚めたからには、勝手に山を荒らされては黙っておれんのでな」
霞は立ち上がり、出口に向かった。
那由他も続いた。
小屋を出ると空気が変わり、現世の山中に戻った。
そして、霞の足元には、立派な角を湛えた大きな牡鹿が横たわっていた。
内臓をえぐられた腹部から流れ出た血が、地面を染めていた。
「これは長だった」
霞は憐れみに満ちた目で見下ろした。
「これだけではない、最近、目に余るのでな」
「でも、蓮違うで、蓮はベジタリアンやもん」
「なんだ? そのベジ……」
「肉は食べへんで」
「なんと、鬼のくせに、まことか?」
「まことや、人間の心を保つために、厳しい修行を積んだしや」
「ふ~ん」
霞は疑いの目を向けた。
「では、他にも鬼がうろついてると言うのか?」
「そんなん知らん」
「まあよい、一応ことわりは入れたぞ、犯人を見つけたら、迷わず成敗するからな」
「どうぞ、ご自由に」
那由他はもう一度、牡鹿の死体を確認した。
「確かに、邪悪な臭いがプンプンするけど……、これは鬼の臭い違うと思う」
「そうか? では」
「人間や」
霞は眉間に深い皺を寄せた。
「まさか、人がこの長を倒したと?」
「元、人間と言った方が正確かな……」
「どう言うことだ?」
「過ぎた憎悪は魑魅魍魎を引き寄せ取り込んでしまう、やがて憑代となった人間は化物になる」
「そんなモノが生まれたと?」
「ほっといたら、増強して手に負えへんようになるかもな」
「霞様の手に負えない敵などおらぬわ」
貉婆が自慢げに言った。
「そのとおり」
霞は美しい黒髪をかき上げた。
「婆、そのけしからん奴が、今どこにいるかわかるか?」
「臭いを追ってみましょ」
つづく