その2
「なぜかしら、涙が出ないのは……」
中陰壇の前に座り、灯子の遺影をジッと見つめながら、理煌は呟いた。
たった一人の肉親を亡くして、食事もろくに喉を通らないほど悲しいのに、涙が一粒も零れないのが不思議だった。
理煌はまだあどけなさが残る14歳の中学2年生。小柄で華奢な体つき、大きな二重の目が印象的な、可憐で綺麗な顔立ち、自分でも美少女と自覚している。
「悲しみって、後から大波が押し寄せて来るんや」
理煌を慰めるように琥珀はそっと肩に手を置いた。
琥珀は理煌と同じくらいの年頃、グレーの髪にアイスグレーの瞳でハーフっぽいハッキリした顔立ちの少女。
「琥珀もそうやったん?」
「今でも時々、大波が押し寄せる」
「波が来たら、理煌、流されてしまうかも」
「大丈夫、琥珀がついてる」
理煌は名門お嬢様学校に通う、品行方正で成績優秀な優等生、文字通りのお嬢様で、言葉遣いも標準語を意識しているが、イントネーションが微妙に関西訛り、それに自分のことを理煌と言う子供っぽい癖もまだ抜けていなかった。
その時、人の気配に理煌は振り向いた。
英美が入って来ていた。
英美は理煌の祖父、琥哲の従兄妹に当たる。
琥哲は理煌が生まれる前に亡くなっているので、当時のことは知らないが、琥哲と英美はとても仲が良かったらしく、離婚してシングルマザーになった英美を援助していたらしい。
亡くなった後も、灯子を頼って度々この家に来ていた。だが、理煌はこの図々しい親戚が好きになれなかった。
英美は不思議そうに室内を見渡し、
「誰かいるのかと思た、話し声がしたし」
琥珀の姿は消えていた。
「お祖母ちゃんと喋ってたんです」
「そ、そうか」
「あっと言う間やったなぁ、先週までは体調良さそうやったのに」
理煌はよそよそしい態度を隠しきれなかった。しかし、英美は気付いていないのか、気にしていないのか、構わず理煌の横に来て遺影に手を合わせた。
「人の命なんて呆気ないもんやなぁ、余命宣告されてた言うても、まだまだ先やと思てたのに……、もっとちゃんと話しといたらよかったわ」
理煌は自分だけでなく灯子もこの親戚を嫌っていたことを知っていた。一方的なお喋りの相手をした後、灯子はドッと疲れた様子を見せていた。
「それで、理煌はこれからどうするんや?」
「どうするって?」
「このまま、この邸で一人暮らしって訳にもいかへんやろ、まだ中学生やしな……、おばさんがここで一緒に暮らしたろか?」
なんで? アンタと暮らすなんてまっぴらゴメン! と、理煌は心の中で悪態をついた。
「そうや、瑛太も一緒の方がエエなぁ、最近この辺り、変質者がうろついてるって噂やろ、鳩や猫の惨殺死骸が発見されてるって、灯子さんも気持ち悪がってたし、男の人がいたら心強いやんか」
瑛太は英美の息子で、理煌の父親、和哲とは同い年の又従兄弟にあたる。独身で今は定職にもついていない。
英美以上に瑛太は嫌いだった。どんよりとした腐った魚の目に、いつも半笑いの口元がなんとも不気味だ。話すことと言えば愚痴ばかり、自分がどんなに不運な人間なのかを訴える、それはもう病的だった。
「心配してくれてありがとう、でも、清宮さんがちゃんとしてくれるみたい、お祖母ちゃんの遺言に添って」
「遺言?」
英美は眉間に皺を寄せた。
「そんなものがあるなんて、聞いてへんで」
「当然でしょ、お祖母ちゃんは資産家なんだから」
英美は動揺を露わにしながらも、
「そうやな、灯子さんがちゃんと決めてるんやったら、安心やな」
「もう遅いから、休みます」
「そやな、おやすみ」
英美はあっさり部屋から出て行った。
「先が思いやられるな、あんな奴に付き纏われたら」
すぐに琥珀が現れた。
「きっと清宮さんのとこへ行くわよ、遺言の内容を聞きに……、自分が理煌の後見人になると決めてるしね、柊家のお金を自由にするために」
理煌の目がキッときつくなった。
「お祖母ちゃんに度々お金せびってたみたいだし」
「そして、この家に来る目的はもう1つ、隠し金庫を探してたんやろ」
琥珀の補足に理煌は頷いた。
理煌の祖父、琥哲が突然死んだ時、遺言はなく、あるはずの資産が銀行になかった。だから、家のどこかに金庫があって、そこに現金や宝石が隠してあるのではないかと大騒ぎになった。
結局見つからず……、でも、残された者が困らない十分な預貯金はあったので、灯子はそれだけでよいと早々にあきらめた。
しかし英美はあきらめなかった。
「そもそも、金庫が見つかったところで、従兄妹に遺産分与なんかないでしょ」
「見つけてやった謝礼をよこせとでも言うつもり違うか?」
「あーあ、嫌やわぁ、遠いとは言え血縁関係があるなんて」
「もう出入り禁止にしたら?」
「そうしたいけど……、おばさんはギャアギャア喚くだけしか脳ないけど、瑛太さんの方はなんか危ない目をしてるし、怒らしたら何しでかすか」
「大丈夫、琥珀がついてるし」
「清宮さん、詳しいことはちゃんと決まってから発表するって、まだ教えてくれないけど、理煌、これからどうなるのかしら……」
理煌は不安そうに灯子の遺影を見つめた。
つづく