その8
本来なら理煌の炎に呑まれていただろう羅刹姫は、炎から逃れていた。那由他の手に包まれた虹色の珠の霊力に護られたのだ。
虹色の珠は那由他の手を離れて人間の形に変形した。法衣を着た僧侶のようだが、半透明に透けてハッキリしない。
しかし、その面差しは紛れもなく悠輪だった。
悠輪は羅刹姫の傍らに膝をついた。
妖艶な美貌は失われ、干からびたミイラのようになっていた羅刹姫は、悠輪の視線から逃れるように顔を背けた。
「とどめを……、生かしておけばまた悪事を働くよ」
(もうなにもなさらないでしょう、心願は成就されたのだから)
「な……なんのことだ?」
(知っていましたよ、いつも遠巻きに拙僧を見守る女性の存在を……)
「まさか……」
(気付いていましたよ、哀し気な、でも優しい眼差しの女の人が、母親なのではないかと)
「さぞ恨んでただろうね」
(恨む? あなたがいなければ拙僧は存在しなかった、感謝していますよ)
羅刹姫の目に涙が溜まった。
(しかし、母上は拙僧と同じ場所へは来れません。あなたは永い時をかけて犯した悪業を浄めなければなりませんから)
悠輪は優しく羅刹姫の手を取った。
(でもいつか、あなたが再び人に転生した時、またあなたの子に生まれたい)
涙の粒が、干からびた頬に転がった。
それが地面に零れ落ちると同時に、羅刹姫の体は砂のように崩れた。
悠輪の手から、砂が起これ落ちた。
それも微風にさらわれ、跡形もなく消えた。
真っ二つに割れて倒れた大銀杏は炭になっていた。
理煌が危惧したとおり、彼女が発射した炎の勢いはとどまるところを知らず全てを焼き尽くした。
銀杏の森は焦土と化した。
しかし、邪悪なモノの本体は、炎の中でドロドロに溶解して崩れ落ちながらも、再生して新たな身体が湧きあがる。
本体から分離して空中に逃れた妖怪たちも、他の6人が応戦して粉砕しているが、次から次へと限りなく湧いてくる。
黎子はいったい、どれだけの妖怪を取り込んだ? 額に汗しながら流風は心の中でぼやいた。
真琴と結音はともかく、五人の転生者たちは息を切らしながら、攻撃しても攻撃しても、果てしなく湧き出てくる邪悪なモノを見下ろした。
体力の限界を感じ、絶望的な眼差しで……。
羅刹姫の最期を看取った那由他は、胸の奥が疼いていた。
彼女の素性は知っていたものの、1200年の間に重ねた悪逆非道、卑劣な悪党ぶりを見続け、もう人間の心など残っているとは思わなかった。
しかし、羅刹姫が零した涙は、人間のモノだった。
(盲目の愛は、道を間違う)
悠輪が無念の表情を浮かべた。
(拙僧は、やるべきことを全うしなければ)
悠輪はフワリと空中に舞い上がった。
(よく来てくれたね、慈空)
悠輪は未空に接近した。
「誰!」
突然、目の前に現れた半透明の人型を、妖怪の欠片かと思った未空は、警戒して身構えたが……。
ぼんやりした顔に見覚えがあった。
吸い込まれるような優しい瞳を見た瞬間、意識がフッと遠のいた。
「え……」
全身から力が抜けて、未空はゆっくり落下した。
未空の異変にいち早く気付いた流風は、駆け付けて手を伸ばしたが、あえなく空を掴んだ。
未空は不自然にゆっくり地面に到達し、横たわった。
(君が智風か)
今度は流風の前に立つ悠輪。
先程より姿がハッキリしている。
悠輪と瞳が合った瞬間、流風の身体からも力が抜けた。
意識が遠のいて、目を開けてられない。
流風もゆっくり落下した。
炎の翼から火の玉弾を発射して、邪悪なモノの本体を攻撃し続けていた理煌の目の端に、落下していく流風の姿が入った。
「やられたの?!」
(いいや、大丈夫だよ)
目の前に悠輪が現れた。
「誰……」
と言ったが、記憶の中にある顔だと気付いた。
(相変わらず凄まじい能力だね、仁炎)
穏やかな微笑み、澱みなく澄んだ瞳は前世の記憶を呼び覚ました。
「悠り……ん……」
と同時に、全身から力をすべて奪い取られたように脱力し、理煌もゆっくり落下した。
「どうなってるや!」
三人があっと言う間に落下していくのを澄は愕然と見ていた。
こんな時に、邪悪なモノとの戦いの真っ最中に三人が脱落する。それは敗北を意味すると焦ったが、なにが起きたのかはわからない。あの人は……。
と困惑している澄の前に悠輪が来た。
もう半透明ではなくハッキリとした僧侶の姿、端正な顔立ちの美しい青年だった。なぜかこみ上げる懐かしさに、澄はしばし状況を忘れて、ほっこりした気分になった。
「あんたは……」
(妙水だね、ありがとう、みんなが来てくれたから解放された)
もの柔らかに細めた目から覗いた瞳を見た瞬間、澄の身体からも力がスーッと抜けた。
「な、なんで……」
澄は悠輪に能力を吸い取られたと感じた。でも、なぜ、俺の能力を奪い取るんだ? 戦いは終わってないのに、まだ戦わなきゃいけないのに……。と思いながら、澄はあえなく落下した。
「澄くん!」
真琴の背中から、華埜子が叫んだ。
落下した四人は気を失って地面に横たわっていた。
しかし、あの高さから落ちたわりには、衝撃は受けていないようで、ほんのり光を放つバリアに包まれ、本体から分離した妖怪たちから護られていた。
「悠輪は味方なんやろ、なんでみんなを落としたん?」
華埜子は悠輪の意図が解らずに戸惑った。
(気絶しているだけで、命に別状はない)
「けど、なんで!」
食いつく華埜子に悠輪は優しい笑みを向けた。
(1200年前は出来なかったけど、今なら出来る。みんなの能力を合わせれば、今度こそ邪悪なモノを完全に消滅させるられる)
「あの時、失敗したのはあたしが生きて戻りたいと思てしもて、その邪念が他の四人の心を乱したからやろ、あたしのせいで……」
(君じゃない、君は転生者だけど、地恵じゃないないんだから、君が責任を感じることはないんだよ)
「でも……」
(地恵のせいだとも思ってはいないよ、拙僧も含めて、みんな若かった、未熟だったんだ。だからもう遠い昔の因縁から解放されていいんだよ、もう、忘れても)
そう言った悠輪の瞳はとても穏やかで、華埜子の心のつかえを取り除いてくれた。
と同時に、身体から力が抜けた。
(だからもう、みんなは休んでいいんだ、あとは拙僧に任せて)
悠輪の声が遠のいていく。
一緒に戦うために来たんや、今度こそ揺るがない決意で、最後まで戦うって……。そう言いたかった華埜子だが、もう声は出なかった。
華埜子は真琴の背中で、グッタリと目を閉じた。
悠輪は真琴を見やって、
(みんなを頼むよ)
それから、邪悪なモノに凛とした目を向けた。
つづく




