その2
白い漆喰の塀がずっと続いていた。
どこが終わりなのか確認できないうちに、流風は立派な門から中へ招き入れられた。
綾小路流風は少し癖のあるショートヘアー、キリッとした眉に二重の目が綺麗だが、感情が見えない貼り付けたような無表情だった。
後ろで重厚な門扉が閉じた音を聞きながら、視界に広がる庭園の美しさに目を奪われた。
ちょっとした観光地さながらの日本庭園、築山から流れ出す小さな滝は池に続き、お決まりの錦鯉が悠々と泳いでいた。今は緑の葉が青々と茂っていたが、秋には燃える紅葉になるのだろうと流風は深秋の風景を想像した。
「初めてなんやね、ここは」
先を行く瑞羽が振り向きもせずに言った。
綾小路瑞羽は、現在の当主、颯志の孫にあたる。
切れ長の目が知性を感じさせる20歳の女子大生だが、引き締まった身体は訓練の賜物、妖怪ハンターとしても一流だ。
流風は突然、東京の分家から京都の本家へ呼び寄せられ、初めてここへ来た。
通された大広間は、50畳はあろうかと言う大袈裟なもので、その上座に、大和絵が描かれた豪華な屏風を背にして、颯志がデンと胡坐をかいていた。
「お前が流風か」
颯志は白く長い髭を蓄えた仙人を思わせる老人で、左右には側近らしい中年男性が神妙な面持ちで控えていた。
時代劇で見る上様へのお目通りシーンを彷彿させて、流風は滑稽に感じた。
「噂通りのベッピンさんやなぁ」
颯志は正面に正座した流風を、伸びた眉毛に覆い隠されそうになっている目で、観察するようにジロジロ見た。
「腕前も噂通りやとエエけどな」
流風は眼だけを上げて颯志を真っ直ぐ見つめた。
颯志は流風の視線を受け止めた後、後方に座っている瑞羽に目を向け、
「あとは任せる、雫様にも挨拶をな」
「はい」
再び流風に視線を戻すと、
「今日からの瑞羽が教育係や、よーく師事するようにな」
一瞬、眉をひそめた流風の表情を見逃さず、
「今さら教わることなんか無いと思てるやろうけど、何を学び取るかはお前次第や」
颯志は白い髭を撫でながら目を細めた。
当主との対面を終えた流風は、雫が待つ祭場へ向かった。
「なぜ、呼ばれたんですか?」
流風は無表情で瑞羽に尋ねた。
「その無愛想、なんとかしななぁ」
瑞羽は溜息交じりに言った。
「そんな調子やったら生活しにくいで、京都の人間はいけずやさかい、嫌われるとやりにくいで」
「京都で生活?」
「たぶん東京へは帰してもらえへんで」
「えっ?」
流風は出発の時、そんな風には聞いていなかった。
「当初の予定では、用が済んだら帰らせるつもりやったんや、けど、気が変わったようやな、祖父ちゃん、あんたに一目惚れや」
眉をひそめた流風を見て、瑞羽は笑みを漏らした。
「変な意味違うで、あんたに特別な才能を感じたんやろ」
あの短い対面で、颯志は自分の中に何を見たのだろう? と流風は思った。
祭場は母屋とは別棟で、ご神体である銅鏡が、平安時代から祭られている小さいが神殿のような建物だった。
祭壇はきらびやかに荘厳されており、ご神体が大切に祭られている。
その前に、背中が丸くなった小柄な老女が白装束を身にまとい着座していた。
「今、鏡を見ることが出来るのは雫おばあちゃんだけなんや」
雫の後方に瑞羽と流風は並んで正座した。
「見る、て言うのは鏡に映し出された未来を読み取るってことや」
「予知能力?」
「それは違うで」
雫が年に似合わぬ可愛らしい声を発した。
「うち自身に能力なんかあらへん、ただ、鏡に映し出されたモノを見て、皆に伝えてるだけや」
「けど他の者には見えへんで、雫おばあちゃんは正確に見て、予見し、的中させてきたんや、それで一族の者がどんだけ助かったか」
「そやけど困ったもんやな、うちもじきに100歳、いつまで見られるか分からへんのに、後を継いでくれる者が現れへんとは……」
「こればっかりは生まれつきやしな、修行を重ねたら見えるようになるもん違うねん」
「試してみるか?」
雫はゆっくり振り返った。
深いしわに刻まれた目尻が下がり、柔和な顔つきの女性だった。
雫は流風に鏡を手渡した。
ずっしり重い青銅の鏡には、何やら花模様らしき装飾が施されている。とても古いモノなのはわかったが、
「表を見てみ」
ひっくり返すと、それはフラットな鉄板みたいなもので、鏡と言っても現代のミラーのようには映らない。
流風は何か見えるのか? と目を細めた。
「なにが見える?」
流風の表情を見て、雫は少し期待したが、
「なにも……」
流風は鏡から視線を外し、雫を見て首を横に振った。
「それは残念」
雫は小さな肩をさらにしぼめた。
「ほな、本題に入ろか」
雫は流風から鏡を受け取り、祭壇に戻した。
「お前が見えたんや」
「あたし?」
「お前が後を継ぐものかと期待したんやけど、違ごたんやな」
雫は残念そうに目を伏せた。
「雫おばあちゃん、見間違えたん!」
瑞羽が驚きの声をあげた。
「アホなこと言いな」
雫は即否定した。
「鏡は確かなモノを映し出す、けど、うちが解釈を間違えることもあるんや。人間は真実を見せられても、自分の都合の良いように見てしまうことがある、うちもまだまだ修行が足らんなぁ」
雫は合掌して、詫びるように頭を下げた。
「ほな、なんでお前を見たんか、お前を呼び寄せんならんことが起きるしやろなぁ」
「何が起きるん?」
瑞羽は聞いたが、それには答えず、
「お前でないとアカンのや」
雫は再び鏡を手に取って見つめた。
「永い眠りから覚めた物の怪」
「物の怪?」
瑞羽と流風は視線を交わした。
「お前でないと鎮められへん」
雫の体がゆら~りと船をこぎ出した。
なぜ、自分なのか? 流風は聞こうとしたが、
雫の体が大きく傾いた。
なにが始まったのかと流風は目を凝らした。
雫の体は倒れる寸前、ビクッとしてまた元に戻った。
……が、
す~す~と、大きな寝息が聞こえてきた。
そしてガックリ倒れそうになったところ、どこからか現れた黒装束の男性が素早く支えた。ヒョイと雫を抱き上げると、そのまま音も立てずに退室した。
何が起きたか把握できず唖然としている流風に、瑞羽が、
「いつものことや、用が済んだらいきなり寝はるねん、なんせ年やし、喋ると疲れるらしいわ」
大丈夫ならいいけど、と流風は思った。
具合が悪くなって倒れたのかと心配したが……、それにしても見事な寝落ちだ。
「永い眠りから覚めた物の怪か……」
瑞羽は腕組みした。
「この間な、左京の山奥で遺跡が発見されたらしい、そこ臭いと思わへん?」
山奥というワードに流風は悪寒が走った。
山奥で吸血鬼に遭遇したのはついこの間、鬼もどきと半妖の化け猫、どれも奇妙な出会いだった。
(まさかね……)
再会するとは思わないが……。
「なんかタイミングバッチリやん、それにな、その場所、面白い人たちが絡んでるねん」
瑞羽は悪戯っぽく笑った。
つづく




