その11
冴夜が去った本豪邸はたちまち廃屋と化した。
美しさを誇っていたバラたちは無残に枯れ果て、邸も屋根が抜け落ちて、今にも倒壊しそうになっていた。
「あの吸血鬼、凄い妖力を持ってたんだな」
体が元に戻り、立てるようになった珠蓮はあばら家を見上げた。
「ほんま、えらい奴と出くわしてしもたわ」
真琴は乱れた髪を櫛でとかしていた。
「とにかく無事でよかった、怪我は?」
真琴の指に血が滲んでいるのを見つける。それは流風に渡すため剥がした、小指の爪からだった。
「大丈夫やこのくらい」
と言いながら、流風の姿を捜した。
「あれ?」
最後に流風が立っていた場所には、血痕だけが残っていた。
「あの子やったら、逃げたで」
例によって突然現れた那由他が言った。
「お前ぇ~!」
珠蓮はパンチを繰り出したが、虚しく空振りに終わり、勢い余ってよろめいた。
「来てたん?」
「コイツ、吸血鬼に睨まれただけで、俺を見捨てて逃げたんだぜ!」
「勝ち目のない戦いは、せーへんのや」
「賢明やな」
珠蓮は返す言葉なく、頬を膨らませた。
「でも、あの子、なんで逃げたん?」
「さあ」
那由他は首を傾げたが、珠蓮は腕組みしながら偉そうに、
「そりゃ逃げるさ、真琴と俺の正体を目の当たりにしたんだからな」
「蓮は這いつくばってただけやん」
「う……」
「協力してくれたのに」
真琴は流風に渡したため爪のない小指を見た。
「ま……いいか、またすぐ会うんやし」
「えっ?」
真琴の発言に珠蓮は眉をひそめた。
「そんな気がする」
「出たぁ~、真琴の不吉な予感は当たるからな」
「不吉って、なんで?」
「アイツ、俺を殺そうとしたんだぜ」
「そうなん?」
真琴は朔の夜の出来事を知らない。
「それより、はよ帰ろ、菫お祖母様が心配してるし」
那由他が言った。
* * *
流風はトボトボと山道を下っていた。
ふと、冴夜の言葉を思い出した。
(ここには亡き夫の思い出がいっぱい詰まっているのよ、だから離れられなくて)
その邸は朽ち果てた。
壊したのは自分……。
(なぜ、あたしを殺さなかったの? すぐに始末しておけば、邸を失うことはなかったのに……)
* * *
冴夜は日傘を差しながら林道の端を優雅に歩いていた。
ふと立ち止まり、山を見上げた。
(形見一つ持ってこれなかったわ)
寂しそうに溜息をついた。
(でも、良かったのかも知れない、やっと自由になれたんだから……)
その時、後ろから来た車が冴夜の横に停止し、
「どうしたんですか? こんなところで」
窓を下ろして30歳くらいの男性が声をかけた。
冴夜は妖艶な笑みを男に向けた。
その美しさに男が心奪われた次の瞬間、男の眼から生気が消えた。
男は車から降りると、冴夜の方に回ってきた。そして後部座席のドアを開け、
「どうぞ奥様」
冴夜を促した。
「ありがと」
微笑んだ冴夜の口元から、二本の牙が煌めいた。
第1章 氷室 おしまい
第1章 氷室 最後まで読んでいただきありがとうございます。
第2章へと続きます、また新たなキャラが登場しますので、これからもよろしくお願いします。