その3
雫はいつも優しかった。
流風を東京の分家から京都の本家へ呼びよせたのは雫だった。
理由は、鏡に映ったから……。
平安時代から綾小路家には未来を映す銅鏡が家宝として大切に護られている。鏡の予見によって綾小路家は何度も危機を乗り越え、1200年以上も繁栄し続けている。しかし、誰もが鏡に映るモノを見れる訳ではない。鏡に選ばれた者だけ、現在、それは雫だけだった。
御年100歳になる雫は綾小路家の最長老、小柄な老女は、鏡に映ったモノを正確に見て予見し、妖怪と戦う綾小路家のハンターたちを救ってきた。ゆえ、彼女の言葉は絶対だ。
本家の当主さえも逆らえない女帝、鏡の予見を笠に着て、権力をほしいままにしてきた鬼婆のように恐ろしい女、と言う噂を耳にしていた流風だったが、それは間違いだった。
第一印象は、温厚な優しい笑顔のおばあちゃん、威張ったところなどカケラもない。本性を隠しているのかと警戒したが、そうではなかった。誰に聞いても昔からおっとりした女性だった言う。怒ったところなど見たことないと……。
新しい生活に馴染めないでいる流風に、細やかな気遣いをしてくれた。
鏡は流風を映してなにを予見したのだろう? と、はじめは不可解だった。聞いても雫は微笑むばかりで詳細を語らなかった。
が……今ならわかる。自分がこの地へ赴かなければならなかった理由が……。
雫はこうなることをすべて見通していたのだろう。そして、これから起こることも……。そのヒントが、この文献の中に記されているのか?
雫に渡されたのは1200年前に書かれた古い文献、そんな古文を簡単に読めるはずもなく……。流風は読み解く手がかりを探す為に図書館へ来た。
そしてもう一点、雫は気になることを言っていた。
(用心しいや、この文献、いつかは解らんけど誰かが触った形跡があるんや、厳重に保管してあって、うちと颯志しか手に出来ひんもんやのに、アンタが忍び込む前に見た者がいるんや、綾小路の中に)
* * *
最初は図書館へ来るつもりなどなかった。
那由他なら読めるだろう思ったからだ。霞の時も、古い文献をスラスラ読んで、分かりやすく解説までしてくれた。だてに1200年も生きてはいない、知識の蓄えはあるようだ。
頼るのは本意ではないが、手っ取り早く知りたかったから土曜日なのが幸い、午前中の授業が終わってすぐ悠輪寺へ行った。
……が、那由他はいなかった。
重賢和尚も、
「どこ行ったんかは知らん、さっき珠蓮に呼ばれてるとか言うて、プイっと消えてもーた」
鬼の珠蓮に呼び出された、と言うことは、妖怪がらみの事件に遭遇しているに違いない。下手に呼んで関わり合うのも面倒なので無理に捜すのをやめた。
そして、庫裡にも関わり合いたくないモノがいた。
人狼の少女が額に護符を貼られ、封印された状態で横たわっている。こちらはどうやら真琴と霞が絡んでいるらしい。
流風はとっとと退散することにした。こちらも大問題にぶち当たっているのだ、これ以上は抱えきれない。
那由他が戻ったら連絡をもらえるようにお願いして、流風はそそくさと悠輪寺を後にした。
で、どうしよう……、連絡があるまでただ待っているか? いつ戻るかわからないし……。流風は思案したあげく、やはり自分でも一応、努力してみようと図書館に赴いたのだ。
来てはみたものの、なにをどうやって調べればいいのか、どの本を選べばいいのかさえ分からない流風は、途方にくれながら本棚の間をウロウロしていた。
その時、急に空気が変わった。
いつの間にか真っ白な霧が立ち込めていた。
霧? ここは室内、霧なんか発生するわけない!
この感じは……流風には覚えがあった。
空間が歪み、異世界へ迷い込んだような感覚、そうだ、貉婆の小屋に行った時と同じだった。
つづく