その10
「綺麗やなぁ」
那由他は庭に咲き誇るバラたちに見惚れた。
珠蓮は神経をピリピリさせながら、周囲を窺っていた。
「なんや、そのへっぴり腰は」
中腰で忍び足の珠蓮を追い越して、那由他はさっさと玄関へ向かった。
「おい、どうする気だ?」
「入るんやろ」
「正面突破ってーか」
「ここにいるんやろ、真琴は」
「ここじゃありませんよ」
突然の声に、二人はビクッと立ち止まった。
背後に、凛とした姿で冴夜が立っていた。
淡い藤色の着物姿で、優雅に日傘をさしている。
「出たな! 化け物!」
珠蓮は素早く身構えた。
冴夜は軽蔑しきった眼差しを向けながら溜息をついた。
「失礼な、だから鬼は嫌いなのよ」
珠蓮は身を低くして、猛犬のように低く唸っている。
冴夜はかまわず那由他に目を向けた。
「そちらのお嬢さんは? 珍しい生き物ね」
「あたしは銀杏の妖精や」
銀杏の森の霊木から命を授かった那由他は自分を妖精と言っていた。
「妖精? フェアリー?」
那由他はニッコリ頷いたが、目は笑っていない。
「真琴をどこへやった」
珠蓮は今にも飛び掛からんばかりの臨戦態勢。
「あの猫ちゃん?」
「やっぱりお前が」
「殺してはいないわよ、あなたみたいに野蛮じゃないもの」
冴夜は眉間に皺を寄せながら、
「周蔵を殺したわね」
「あのオヤジか」
「なにも殺すことはなかった」
「襲って来たんだぜ」
「あなたのせいよ、そんなに殺気剥きじゃ、誰でも危険を感じるわ」
「それは言えてる」
那由他は思わず同意した。
「怖かったのよ、周蔵は……、今、あなたがわたしに恐怖を抱いているように」
「怖くなんか……」
「周蔵は未熟だったのね、恐怖のあまり相手の力量も図らず闇雲に攻撃するなんて、人間と同じね……、今度育てる時は、そのあたりもちゃんと教育しなきゃ」
「なにゴチャゴチャ言ってるんだ! 真琴はどこだ!」
いきり立つ珠蓮が冴夜に迫ろうとした時、
「何?!」
全身が硬直した。
そして体が急に重くなった。
体重が2倍、3倍、4倍とズンズン重くなり、足は自分の体を支え切れなくなって、ガックリと地面に倒れ込んだ。
這いつくばる珠蓮を見る冴夜の眼は赤く輝いていた。
口角の上がった口元からは二本の牙が覗いている。
その眼光が那由他に向けられた。
!!
那由他は素早く姿を消した。
地面に体が吸い付くのを堪えながら、珠蓮はそれを見ていた。
「アイツ!」
「見捨てられたようね、お利口さんだわ、彼女」
と余裕の笑みを浮かべたが、次の瞬間、その笑みが消えた。
小さな太陽が出現した。
風圧で日傘が空に舞った。
眩い光に、冴夜は袖で顔を覆った。
目を細めながら光の方を見ると、茶金色の毛皮をまとった美しい獣が牙をむいて威嚇していた。
冴夜はバラ園の奥に後退した。
獣姿の真琴は迷わず追いかけた。
しかし、バラの茎が蔓のように伸びて、真琴の足に絡みついた。
棘を食い込ませながら、真琴の足をがんじがらめにしていく。鋭い牙で食いちぎっても、次から次へと執拗に絡んでくる。
「それ以上、美しい体に傷をつけたくないんだけど」
冴夜は寂しそうに言った。
獣だった真琴の体が、人間の姿に戻った。
「このバラたちはね、妖力を吸い取るのよ」
冴夜は目を細めた。
「その力は私のモノとなる、あきらめなさい、あなたの妖力が強ければ強いほど、わたしは力を増すのよ」
力を奪われた真琴は、脱力感に襲われて膝を着いた。
冴夜は近付くと、真琴の頬に手を当てた。
「大人しくペットになってくれればいいのに……、野生の獣を飼い馴らすのは無理なのかしら」
反抗的な目を向ける真琴。
その時、
ドスッ!
背後から、流風が冴夜に体当たりした。
その手には短刀が握られていた。
それは真琴の爪。
刃先は冴夜の背中に突き刺さっていたが、柄のない刃は握る流風の手も傷つけ、血が滴っていた。
冴夜は首を後ろに回して流風を確認した。
「良い作戦だわ」
体の向きを変えると同時に、流風を弾き飛ばした。
バラの中に倒れ込んだ流風は、無数の棘で傷つき顔を歪めた。
「惜しかったわね、心臓は僅かに外れたわよ」
冴夜の背中から刃が抜け落ちた。
「でも……」
冴夜の口の端から一筋の血が零れた。
真っ赤なバラたちが萎れ、たちまち花びらが弁から外れて落ちた。
茎も干からび、もろく崩れ始めた。
真琴に絡んでいた茎も同様、力を失ってボロボロと崩れた。
それを見ながら、冴夜は寂しそうに微笑んだ。
次の瞬間、その姿が小さな蝙蝠と化した。
蝙蝠は空高く舞い上がった。
つづく




