その1
星が輝きを増す朔の夜。
闇に包まれた山奥、枝葉を揺らす音だけが響いていた。
2つの影が木々の間を高速で移動していた。追う者と追われる者、どちらも人間とは思えない身のこなしで、木々の間を駆け抜け、枝から枝へと飛び移って行く。
追手の目は、闇の中でもしっかりと自分をロックオンしている。
珠蓮は信じられなかった。
いくら特殊な訓練を受けていても、鬼の妖力を持つ自分と同じ速度で、この暗闇を動ける人間がいるなんて……、それも見たところ、まだ14~5歳と言ったとこだろう。
(逃げ切れるか?)
珠蓮は自問した。
(逃げ切らなければならない)
戦いは避けたい。
自分は敵ではないことを知らせたかったが、今は聞く耳など持っていないだろう。
珠蓮のほうも、マシーンのような正確さで飛来する針剣を避けるのに精一杯だった。
次の瞬間、
針剣が珠蓮の右ふくらはぎにヒットした。
(しまった!)
と思った時は枝を踏み外し、地面に落ちていた。
追手も素早く着地し、続く動作でとどめを刺すべく珠蓮に迫った。
「待て! 俺は敵じゃない!」
珠蓮の叫びはむなしく、突き出された短刀の切っ先は真っ直ぐ心臓を狙っていた。
だが、珠蓮もここで死ぬ訳にはいかない。
並みの鬼なら、スピードに目がついて行かず、一撃を食らっていただろう。
しかし珠蓮は違う、鬼に噛まれてから500年余、本来なら鬼と化してしまうところ、厳しい修行を重ねて、鬼の妖力を持ちながらも人間の姿、噛まれた当時の若い姿と、理性を保っている、
珠蓮は右腕だけを鬼化させ、鋭い獣の爪で彼女の刃を弾いた。
手加減する余裕はなく、全力で弾き飛ばしてしまった。
小柄な少女の身体はひとたまりもなく飛ばされた。
運悪く、着地する地面はなかった。
そこは崖。
枝が折れる音。
続いて、水に落ちる音。
悲鳴は聞こえなかった。
珠蓮は少女が落ちた崖の上から川を見下ろした。
と言っても、闇の中、下は何も見えない。水の流れる音だけが聞こえた。
かなりの高さがあるようだ。
(たいした奴だ、声の一つもあげないなんて)
水音に耳を澄ませた。
(生きてろよ)
珠蓮はふくらはぎに刺さった針剣を抜いた。
(とんだ寄り道になっちまった、急がないと臭いはどんどん消えていく)
珠蓮は闇の中を見つめた。
つづく