一周年、みなさまに感謝をこめて
原案TOR様。感想で盛り上がっていたネタを元に、書いてみました。
土の国の王城で、チヒロは駆けていた。
裾がもつれるがかまわず走る。
通り過ぎる城の者が、何事かと振り返るがかまわなかった。
目指すは研究室と銘打った、調理室。
ごーりごりごり、と音がする。
辺りに漂うは、かいだ記憶のない香り。つんととがった鼻に付く香りや、眼がしみるような香りや、吸い込んだら最後、涙がとまらない香りだったりする。
巫女姫にお伺いを立てても「えへ、ないしょ」と言われて煙に巻かれる始末。
頼みのオウランは王妃のすることに眉は寄せても、基本、止める事はしない。彼女が行う事は、土の国の、ひいてはこの世界の為になる事だと、信じているのだ。
大体はじめのインパクトが凄まじかった。なんていっても、殺人蟻の巣との格闘だ。
生半可な事では動じないようになっていた。
だが、妖しげな木の実や果実を摘んできては、研究室と銘打ったその部屋にこもって何事かをしている王妃陛下の様子に、臣下は戸惑った。
だってどうしたって、美味なるものの香りじゃないのだ・・・。
土の国の王妃が作り出すものはすべてがこの世のモノとは思えない美味なるものだ・・・が。
これは違うと断言できる。
万にひとつの間違いだって、あるかもしれないじゃないか。
しかも当の本人が、泣きながら部屋から飛び出してきたり。
涙とくしゃみが収まらなかったり。
慌てて出て来たかと思ったら、そのまま卒倒するのだ。尋常じゃない。
美味探求が身上の、王妃兼巫女姫が何を作っているのかは、臣下にとって重要な検案事項だった。
・・・特に、王妃陛下を排斥しようと思っている貴族連中にとっては。
「まだ、わからなかったのか?」
土の国の公爵家の当主は、見事な中年太りの腹を揺らした。
オウランが幼い時は、王位継承にほど近い地位にあったものの、オウランの明晰ぶりに名を挙げること出来なかった男だ。
彼は長じて娘をもうけたが、この娘を王妃にすえるべく、幼い頃より教育してきた。
・・・王妃の父と言う地位を使って政治に介入するつもりだったのだ。
だが、オウランには素気無くされるは、娘が色を誇示して迫ってもあっけなくふられるわ。王を追いかけているうちにみごと婚期を逃すわ、散々だったのだ。
「子供子供した女が好みだったのですね。では私に靡かないのも道理」
そう言いきった女はぎらつく眼差しで巫女姫を睨んだ。壇上で輝かんばかりのあの娘。
本来ならあの場所でみなの賛辞を得ているのはわたくしだったのに!
ぽっと出の巫女姫に場を追いやられて、女は父親に攻め寄った。
男もまさか、華の刻印がなされた娘を王城に迎えるなどと思ってもいなかったのだ。
しかも、失脚を狙っても、巫女姫はあちこちで名を上げ、五王国の王とも懇意にして彼らと対等に話し、その知識もあって次第に、万全の地位を築き上げていったのだ。
気位の高い、鼻持ちならない女が、相手になるはずもない。
「あの小娘が何を作っているのか、ですか。あの香り、あの様子を見れば・・・毒でしょう」
毎回室内でなにかの調合をしては、涙を流しているそうじゃないか。
しかしその熱意は衰える事はなく、毎日気を入れなおして調合に掛かっているとか。
「我らをとうとう邪魔に感じたか」
「懐妊の兆しもない今ならまだ追い落とせるのに!」
そう呟いたのはナハイ男爵。頷いたのはルイシ侯爵。
「追い詰められた王妃がどのような手で来るのか、静観してはいられないぞ」
「そうだ。足元をすくわれたらかなわない」
そう言って結束を固めた彼らの元に驚愕の事実がもたらされる。
「公爵!巫女姫が再三通っている場所が判明致しました!」
子飼の兵士が転がり込んできた。その顔色の悪さに、貴族達は浮き足立った。
「どこだ!あの女はどこにいつも行っていたんだ!」
「・・・そ・・・それが」
「「「どこだ!」」」
貴族が詰め寄った。
「リイカ山の・・・魔女の下に」
驚愕の事実に誰もが息を呑んだ。
*******
・・・リイカ山の山奥に住むは、悪しき伝説の魔女。
獣を従え、空を翔け、天気を読んでは嵐を起こす。
彼女が手にする植物は、すべてが毒性高い毒になる。一口吸えば悶絶し、二口舐めれば視力を失い、三口くらえば死に至る。
彼女が扱えば、いかな薬草も毒に変わる。
彼女が現れれば、その土地は死に絶える。毒を撒き散らす不穏な女。
・・・それが、リイカ山の魔女である。
が。
「誇大広告反対!ジャ○に言いつけちゃうぞー!!!」
黒髪の娘はそう言って憤慨した。
目の前で子供のように怒っている娘を前にして村の長老は困ってしまった。
だが、気を取り直して進言する。
「巫女様、間違いではないのです!リイカ山に住むは魔女!しかもこの魔女が村にやってきてから、病が蔓延し、作物も枯れはてる始末!きっとこの魔女が毒を流したに・・・」
「・・・じ○ろってなに」
「あ、だめだめ、こう言う時は、○ゃろってなんじゃろー?って言うのよ!」
・・・巫女姫聞いちゃいねぇ。
村長無視して、一生懸命傍らの・・・声だけ聞けば少女に話しかけていた。
その少女は泥に塗れていた。
黒いローブに身を隠し、頭からつま先までどっぷりと泥に塗れているのだ。黒いローブは茶色にごわごわになっていた。
転んだくらいでここまで汚れる事はない。
明らかに泥水を浴びせられたのだ。頭から。
・・・城にいる技術者さんの伝で探し当てた、薬草全般に詳しいと言う老人の話が始まりだった。
リイカ山の山中にその老人を訪ねて行った時、その老人はもう亡くなっていて、彼女だけが残されていた。付近の村人からは魔女のレッテルを貼られ、それでも日々、老人に教えられたとおり、山の中で薬草を積み、独学で薬学を学んでいた彼女。
何度か足を運び、彼女の知識の豊富さに目を輝かせた。
いろんなことに応用できると思ったのだ。
「・・・彼女は薬草を調べていただけよ。そもそも、病に効くという薬を持ってきてくれたのに、泥を浴びせて追い払うなんて許さないわ。大体、病だって、消毒して小まめにうがい手洗いして、排泄物の処理を徹底すれば蔓延しないのよ。村長さん、聞くけど、排泄物はどう処理してるの?」
「そ、それは。その・・・」
黒髪の艶やかな娘は、頬を真っ赤にして怒っていた。月色の瞳がきらきらと怒りに燃えている。
巫女姫が数人の護衛と共にやってきたとき、まだ彼ら村人達は彼女が巫女姫であると言う事に気付いていなかった。髪を包むようにすっぽりと帽子を被った娘は、魔女である娘の仲間で、同じ魔女だとすら思っていた。
彼らは、目の前の魔女を追い払う事しか考えていなかったのだ。
まさか、一緒にいるのが、城から出ることのないはずの巫女姫だなんて思ってもいなかった。
伝説の姫巫女が、リイカの魔女に手を差し伸べるなんて、思ってもいなかったのだ・・・。
巫女姫は村長を見上げた。
「川は上流から飲料水の水汲み、次いで畑へ、食器洗い、洗濯と言う風に区切って取水する場所を取り決める。飲料水は必ず一度煮ること!・・・それから排泄物は深く穴を掘ってそこに、おがくずなんかと埋設しておくように、と、通達してもらったはずなの。
それでも病が蔓延するってことは、媒介する虫がいるのよ。蚊帳は? 形状を書類に現して配布したわよね?網目の詰まった布をかけて、子供や老人を守るのよ」
村長の顔色が一気に青くなった。これは書面を無視されたな。と思い至ってチヒロはため息をついた。
「・・・織物を織れる技術者さんはいる?」
「機織りはおりますが・・・、目の詰まった布と言うのは?」
「んと。大きい布を織るの。うんと大きい奴。虫が通れないサイズの目の詰まった通気性の良い布でね。それを天井からこう吊るして、その中で眠るのよ。大きいのが間に合わない時は、人一人分くらいかな。天蓋つきのベット。あれのカーテンを、薄い、風通しの良い布にすれば良いのよ」
「虫が病を媒介するのですか?その・・・魔女の毒ではなく?」
村長の目が原因はこの娘ではないのかと言っている。
それを見てチヒロは、諭すように話し始めた。・・・迷信ほど恐ろしいものはない。
「・・・全部が全部虫じゃないとは思うのだけど、この病に罹った方を診るとね、虫刺されがたくさんあったの。もちろん害獣も心配しているから、生肉を取り扱う時は慎重に火を通してくださいね? ・・・村長さん。あなたが村の人たちに対して責任を持って行動していると信じています。でもね、彼女を痛めつけてそれで無くなる病なんかないの。あなたがするべきは、正しい対処方法を知って、それを実行する事よ。それにね、どんな良薬だって量を誤れば毒になるの。わたしはね、いろんな薬のことを彼女に聞きにきたの。こんな勉強熱心な薬師さん、王都にだっていないのよ?」
その言葉に目を白黒させた男達が、泥に塗れた娘を遠巻きに見ていた。
いつも追い払っていた娘。
今日だって何かを言いかけて、懐を探った娘に向けて泥水を浴びせかけた。
悲しそうな水色の瞳に、胸のどこかが疼いたが、これは魔女だと言い聞かせて目をそらした。
この娘が、王都の薬師よりも優れていると、巫女姫は言うのか?
まさか!
「魔女ではない、と・・・?では、さっき何を取り出そうとしたんだ?その懐の中のもの・・・見せてみろ!」
毒に決まっている。毒しか作れない魔女なんだから!そう憤る村人達の前で。
娘は、懐をごそごそさせると、袋を取り出した。
ローブに隠れた口元が、ほわり、と微笑んだ。良かった。と呟いている。
「・・・泥、かぶってない。・・・赤いのは熱さまし、青いのは痛み止め。黄色は滋養強壮、緑は・・・」
村長たちの目が大きく見開かれた。それに気づかず、娘はなおもひとつひとつ、説明を続けた。
村長はじめ、村の男達が呆けた顔で娘を見ていると、チヒロが焦れたような声を上げた。
「・・・ね、何か言う事があるでしょう?」
巫女姫の声に、ようやく強張る顔を娘に向けることが出来た。
追い払っても追い払っても、ここに足を向けてくれたこの娘は。
誤解して追い払っていた我らに。
薬を持ってきてくれたのだ!
「「「「「す・・・すまなかった!」」」」」
頭を下げる男達を前に、薬師の娘はきょとんとし、それからチヒロはにっこりと微笑んだ。
*******
・・・山の中で忘れられた小屋で、微笑んだ彼女は可愛らしかった。
黒いローブで顔を隠しているのがもったいないくらいだ。
水色の髪も、水色の瞳も綺麗。立ち姿も麗しいのに・・・悲しいかな、彼女の装いは、野暮な真っ黒魔女スーツ。
服は?と聞いても、持ってない、とそっけなかった。多分、老人が着ていた服なんだと思う。
質素で倹しい生活だったのだろう。でもそれを恥じる事はなくむしろ、楽しんでいるようだ。
質素な小屋は良い香りのする、清潔な空間だった。
出されたお茶は甘酸っぱい、色といい香りといいまるでローズヒップティーだ。
美味しすぎる!お城でさえお目にかかれない美味なお茶にチヒロは蕩けそうだった。はふ、と息をついて彼女を見た。
・・・原因不明の熱病が土の国を襲った時、患者の身体には、虫さされの痕があった。
チヒロの機転で蚊帳が製造されてから患者が減ったので、虫が媒介する事実が分かりかけていた。
だから、毎日草木を集めては、蚊取り線香もしくは、忌避剤を作れないかと工夫していたチヒロだったが(・・・それで虫じゃなく自分が卒倒していたのだ・・・)
スパイスやハーブに望みを繋いでいたチヒロにとって、彼女の知識は喉から手が出るほど欲しいものだった。高名な薬師の消息を聞いたときは、一も二もなくリイカ山へ登った。お目当ての老人はいなかったが、彼女がいてくれた。甘味の研究にも、薬草全般に詳しい彼女の知識が欲しかった。
薄い水色の瞳が揺れている。
チヒロは瞳に力を込めて水色の少女を見つめた。
「・・・あなたの知識は素晴らしいわ。薬草の効能、調合の仕方、どれもためになる。このお茶だって驚くほど美味しいわ。薬だって毒だって、量の問題でしょう? 知ると知らないでは大違いだわ。あなたの力を貸して欲しいの。あなたの知識を広めたいの。そうすれば病に倒れる子供も少なくなる」
力を貸して欲しいの。お願いよ、一緒に来て。
巫女姫の言葉に、水色の少女は淡く微笑んで頷いた。
「・・・ずっと、ここで、生きてきました」
誰か、ひとりでいい。私を必要だと言ってくれる人が欲しかった。
「あなたは・・・私を必要だと言うのですね」
チヒロが差しのべた手を、水色の少女がぎゅっと握りしめた。
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土の国の王城は、技術者も研究者も一流で、その知識には計り知れない価値がある。
人が基本で、人材を尊ぶそれは、チヒロの一言から始まった。
「私の国の昔の偉い人が言ったの! 人は城、人は石垣。人は堀。人、つまり人材一番ってね!」
だが、今回稀なる巫女姫が連れ帰ったのは稀代の魔女だ・・・ちょっと違う。
・・・彼女が扱う植物は、全てが恐ろしい毒となる。
彼女が調合する「薬草」は、厳重に管理される。近寄れるものは精霊の加護があつい者だけ。
あまりの厳重ぶりに囁かれる戯言は。
リイカ山の魔女殿を、怒らせてはいけない。稀代の毒に蝕まれたくなかったら、彼女と目を合わせてはいけない。
リイカ山の魔女殿が、心酔する巫女姫を侮辱すれば・・・明日の朝日は拝めまい。
そんな言葉がまことしやかに伝わっているなどと、思いもしないチヒロは今日も城内を駆けまわる。
「アルフィリアー! シナモンの香りの草見っけたーっ!!!」
「チヒロさま・・・それ、男性の天敵です・・・勃起不全を引き起こしますよ。別名、男殺し」
アルフィリアが水色の目をすっと細めて囁いた。
大体どこで見つけたんですか。山中深く切り立った険しい場所でなければ採取難しい珍品中の珍品ですよ。精霊巫女姫ってのは、精霊だけじゃなく、薬草にも好かれてるんですかー?
なんじゃそりゃ。なことを言いあいながら、今日も研究室で二人顔を突きつけ研究に勤しむ。
その言葉にぞっと背中を震わせた、男子職員がいたのも知らず。
・・・二人が目指すものは、いまだ形にすらなっていない。