番外編 わ 竹馬の・・・。
見上げる先は、土の国の王城。
名だたる土の国の研究機関はここにある。
機械工学、技術工学は世界屈指の呼び声も高い。
最近では微生物の研究にも力を入れていて、乳製品の製品化に一役買っていた。
最高顧問は・・・土の国の王妃陛下。
そんな、土の国の最高機密がわんさかしているそこへ続く道の真ん中で。
少年二人がにらみ合い。
一人はこの土の国の第二皇子殿下。そしてもうひとり・・・。
「国に帰れ」
ありありと不機嫌を露にしてスイランが簡潔に言い切った。
濃茶の髪が風に揺れる。濃茶の瞳が真っ直ぐに前を見据え、眉間に皺を寄せて少年を睨んでいる。
苦虫を噛み潰した顔のスイランの前に立っているのは・・・風の国のジュノス。
銀色の髪の少年は、金の瞳を柔らげて、優しげに爽やかに(だが黒い)微笑むと・・・。
スイランの目の前に書類を一枚、突き出した。
朱印も鮮やかな、一枚の紙。
「・・・ここに、我が風の国の研究機関よりの推薦状があります。国王陛下も教授も認める、研究者なんです・・・私は」
・・・実力で、土の国の技術省への入省許可を取ったんですよ。試験に継ぐ試験でもぎ取った、文字通り、血と汗の結晶! その人材を、第二皇子が独断と偏見で追い返すのですか?
「く・・・」
その証を前に、スイランが固まった。
確かに推薦状だった。風の国の研究機関の刻印も鮮やかで、墨黒生々しい、それ。
他国の実力者を挙って受け入れていた土の国の王城にとって、その書状は一種異様な力を発揮する。
いわく、どこの田舎者でも、貴賎問わず受け入れるに値する人物だと国がお墨付を寄越したのだから・・・。
「素晴らしい研究機関と、それを生み出す才能を持った技術者がいるこの国は、私の憧れだったのです・・・。あ、もちろん・・・。勉学を疎かにするつもりは在りませんからね。明日より、王立への編入も適ってますから・・・ふふ。先輩と呼ばれるのは心外ですからね、ジュノ、とおよび下さいな」
義兄上さま。
「だ・・・だれが、義兄、だ!」
「おや」
スズラン・・・リンの兄上様なら、私にとっても兄だと言うだけです。
ジュノスはそう呟くと麗しい顔を綻ばせた。
・・・スイランが絶句したのは言うまでもない。
「・・・叫んでいるぞ。行かなくていいのか?」
「お気遣いなく」
王城の中庭では、微動だにしない少年が二人。
一人は土の国の第一皇子殿下、コウラン。もうひとりは・・・。
「・・・通してくれないか?」
ため息をつき、紅い瞳を真っ直ぐに向けてきた、シェラ。
「精霊巫女姫の騎士としては、敵を近づける愚行は起こしたくはないのでね」
「・・・俺もその、精霊巫女姫の騎士だと言ったら?」
懐から書類を差し出し、目の前に突きつけた。
文面に目を通したコウランの眉が徐々によって行く。終いにはひったくる様にして書類を手にすると、不備がないかを調べ始めた。
・・・が、あるはずがないのだ。
「公式文書だ。不備があるわけないだろう・・・」
「くっ!」
コウランの優美な眉がきつく撓ってシェラを捉えた。ぎらぎらと見据えるは、邪魔者。
されど、邪魔者は、豪胆に笑っていったのだ。
「よろしく、義兄上殿」
奇しくも城内と城外で二つの声が重なり合った。
「「誰が、義兄だああああっっ!!!」」
*******
楽しみだなあ、わくわく。
明日が早く来ないかなあ、どきどき。
黒い艶やかな髪の少女は同じく黒い刀身の刀を胸に、眠れずにいた。
時折ちかりと光る刀は、少女の胸元抱かれて、当たり前だが動かない(うぷぷ)。
「ああ、早く明日にならないかな・・・」
ドキドキしながらスズランは眠りにつく。
明日は学校。と浮かれる娘が眠りについて、ようやく黒の刀身が淡く輝き、その形を崩れさせる。
眠る少女の傍らに、金の髪金の瞳の、肌の浅黒い男が一人。
その瞳は優しく、健やかに眠る少女を見守っていた。
・・・そっと、手を伸ばす。
けれども触れることは叶わない。虚像の如く突き抜けてしまう自分の手に、しばし眼をやり、掌を握り締めた。
・・・望んではいけない。
これ以上を望んでは。優しい、暖かな陽だまりの中の娘達。
一人は、鮮やかな輝きと共に鮮烈な印象を与えた娘。魂が滅んでも尚側にいたいと願った。
地獄の業火に焼かれようとも、その苦痛すら至上の幸福に感じられた。
この苦痛があるからこそ、側に在れるのだ。誰にも何にも囚われず、心のままに在れるのだ。
時は優しく、騒がしく過ぎてゆく。
穏やかな時もあれば、苦痛に顔をゆがめる時もあった。
心から笑えた時。
初めて生きたい、と願った。
死してそれに気付くとは何と愚かなのだろう。
それでも、ここにいたい。
ここで、この場所で、愛しい娘の行く末を・・・見守っていくのだ、と思っていた。
巫女姫の守り刀。それは穏やかな甘い監獄。
娘の子供達は見ていて可愛い。生まれたときから見ているのだ。気分はすでに・・・父親なみ。
俺が危ぶむほどのマザコンに成長している、コウランとスイラン。こいつらの行く末が心配でたまらない。
早いとこ、目覚めさせてくれる鮮烈な印象の女が現れてくれるといい。
鮮やかな女がいいな。・・・コウランの隣に立って、共に論調出来るような。
芯の通った女がいいな。・・・スイランの勢いに付いて行く、理に叶った行動力のある女。
そして・・・。
(コウ)
(スイ)
(リン)
娘の呼ぶ、慈しみの言葉が好きだった。その歌うようなフレーズも。
だから、彼女に(エルレア)と呼ばれるのが好きだった。
名を呼んで欲しい。あの唇で、あの声で。
黒髪の、月色の。慈しみの娘。その鮮やかな唇に、頬の危うさに。
細い首、細い手足、その柔い腰。柔らかな身体。芳しい香り。
甘いミルクの香り、豊潤の花の香り。
・・・その娘が胸に抱く娘もまたいつか、目が離せなくなるほどの、美しい女になるのだろう。
愛しいと、瞳が言っている。
けれどもそれに気付くものはいない。
宵闇に隠されて、朝日が昇れば消えてしまう、泡沫の夢。
闇に身をゆだね、闇に身をやつしたこの身が受ける、これが罰。
沢山の命を喰らい尽くした俺の、罰。
ああ、だがなんと甘く狂おしい罰なのだろう。
そして今宵も何事もなければ、闇を数えて過ごす一夜のはずだった。
・・・手折ろうと目論む者が多すぎるな。
エルレアは自分のことは棚に上げて呟いた。ゆらりと視線をめぐらせる。
土の国の精鋭も甘く見られたものだ。忍び込む事を許す彼らと思うのか?
だが、どれだけの障壁を、妨害を潜り抜けてやってきても・・・最後に守るのはこの俺だ。
健やかな眠りを我が姫に捧げよう。
愚か者には鉄槌を与えよう。
片鱗すら、見せてなどやらない。吐息すら届かないよう慎重に闇を広げた。
企んだ者達には黒く染め上げた恐怖を与えよう。
しばし眠る娘を見つめて、エルレアはそっと闇に溶けて行った。
*******
同じ頃、城外。墨色の空の下、月明かりに照らされて。
スイランとシェラが、ばしばしばしと目線を戦わせていた。
「・・・大体なんで貴様がここにいるんだ?」
「実力」
ぐああ、むかつくっ!事実なだけに言い返せないっ!と、頭を抱えて唸るスイランと・・・静かに城を見上げるシェラ。
「・・・俺は純粋に心配だったからここへ来た。あんな小さい子、攫われちゃ可哀想だ」
「俺たちがいるだろう」
「俺がこの手で守ると決めたんだ。それに・・・自分の花嫁は自分で守るものだろう?後からやってきたロリコン親父になんか渡さない」
「・・・ふん。まぁ、手はあったほうが良いか・・・。本当に・・・ロリコンが多すぎる!」
そう呟き様に、スイランがぽいと何かを草むらに放り投げた。
ぼふん!と音を立てて割れたそれの中から粉が舞い上がった。
げほんげほんと咳き込む音や助けてと呻き声があちこちで聞こえはじめる。
「・・・すごいな、それ・・・」
「ふふん。かあさま考案の煙玉だ!「ニンジャ」という部族が使っていた道具で、中に辛い粉を入れておいた!吸えば器官が爛れ、眼に入れば悶絶するというスグレモノだ!」
「おお」
「ちなみにこっちは、かあさま曰く「さくらもち」の葉っぱの粉だ!吸えば笑いが止まらなくなる!」
そう言ってはまた草むらに放り投げ・・・げほげほ、ひいひい、げーらげーら。と後に続いた。
「・・・楽しそうだな。人体実験・・・」
「まだあるぞ。人体にどういう作用をもたらせるか判らない劇薬紛いの弾が!ちなみにこれを詰めたのは父上だ!!!」
そう言って、懐から取り出した、おどろおどろしい髑髏マークのついたそれ。
明らかに殺す気満々の、やばさだ。
むしろ生きて帰れるはずがない。
「・・・これを作っている後ろ姿を思い返すと今でも背筋が寒くなる。そりゃ、もう頭にきてたからなあ、父上・・・。大体リンに求婚してきた馬鹿って奴がさ。小国の、王になれたのが不思議なくらいの色ボケでさ・・・」
「・・・そんな奴が狙っているのか、リンを?」
怒りで拳が震える。
ぎりぎりと握りしめた拳を目にして、スイランが言った。
「・・・ああ。母上と結婚したばかりの頃は父上も若かったから、侮られて。母上を攫おうと色々画策されたって話だ。・・・セイラン様やリシャール様がそんな時手を差し伸べてくれて、母上の窮地を救ってくれたらしいんだ。尊敬に値する行為だよ。五王国の一つとして、そこまで真摯に巫女姫に振舞うなんて、男だよな!俺、誠実で勇猛なあの方達のようになるのを目指しているんだ!!!」
「セイラン様といえば、木の国の国王陛下か。あの善王!!そして、リシャール様といえば・・・麗雅の君と誉れ高い、水の国の・・・?」
「ああ。母上の一大事にはいち早く駆けつけてくれて、ものすごく頼りになるんだ!」
・・・まあ、その後、父上は、天敵に出会ったみたいな顔をしていたけど・・・。
それから必ず、母上が神殿に篭りきりになるか、決まって高熱出して寝込むか、なんだよな・・・。三日滞在して行かれた時は、三日間、母上に会えなかったっけ・・・。あ、そう言えば、セイラン様とリシャール様にも会えなかったなぁ。・・・え、べ、別に、寂しくなんかなかったぞ!
・・・父上とセイラン様、リシャール様が揃い踏みした所は、圧巻だった。
幼心にも覚えている。
緊張感に溢れていて、国の施政者って静謐な精神の奥底に図り知れない何かを抱いている者なのだな、って思わせられたっけ・・・。
あれを見て、あんな風になりたいと、兄上と話し込んだ。
そのことを話すと、父上は絶句する。
ログワは泣きながら走っていくし、母上は・・・なぜか、真っ赤になってやっぱり絶句する。
その後、父上のわがままが炸裂するんだ。
多分国賓二人の相手をしていたから、父上も疲れているんだろうけど。
母上を独り占めにして、添い寝すら許してくれなくて・・・え。今は一人で寝てるさ!!!当たり前だろッ!昔だ、昔!
・・・あ。そう言えば。
劇薬詰めた必殺の煙玉って。
セイラン様とリシャール様が帰った後、急に数が増えたなぁ・・・。
や。気のせいだろう、俺。
スイランは気を取り直して国王自ら手がけた煙玉を高く掲げた。
月明かりに浮かぶおどろおどろしい髑髏マーク。
しんと高まり行く緊張感。
す、と息を吸い込んで、スイランは声に「力」をこめて発した。
「三つ数えるうちに投降しなければこれを投下する!!!」
・・・それ・・・。
死んで来いって言ってるよな・・・。
慌てて草むらから飛び出して来る者達が、土の国の衛兵に捕えられていくのをシェラは淡々と見ていた。
どうやら、件の馬鹿王の子飼は、王に順ずる気はないらしい。
拷問にかけるでもなくあっさりと白状する者どもに、シェラはその国の滅亡の足音を聞いた気がした。
「ふふ。馬鹿者にはそれ相応の報いを、ね」
そう言って微笑んだコウラン、スイラン両皇子の麗しい顔に寒気を覚えたのは、・・・内緒にしておく。
*****
そして新しい朝日が昇る。
最初の朝日を受けて、黒い刀身がきらりと輝いた。
眠るスズランの傍らで。
もうじき目覚める娘には、本当の姿を現せない。
冷たく堅い、刀の自分。
それでも、守ると決めたのだ。
あの娘の宝を、慈しみを、愛そのものを。
触れ合わせてくれた、当たり前の幸せの数々。
過去、間違えなければ手に入ったそれ。
けれど間違えたからこそ、ここにいる。今がある。
あの娘が託してくれた、愛しい者の、健やかを願い、エルレアは今日もスズランの腕の中。
えー・・・。
「だまされてるぞおおおおっっ!!!」
いたいけな子供を煙に巻いちゃあ、ダメデスよ・・・。
後妻ならぬ後夫狙ってますナ・・・。オウラン・・・。絶句してる場合じゃないよ。