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番外編 と 節分の夜。

 巷では豆まきの声が聞こえてくる季節。

 大月家のリビングには、目に付く一番のところに大きく引き伸ばした写真が貼ってある。

 桜舞い散る公園で、振り返りざまに撮った一枚。

 周りが淡いピンクの中に振り返った拍子に父に向けてはにかんで笑った娘の姿。

 黒髪が風に靡き、ひるがえる。とろりと甘い月色の瞳が弧を描き、今にも笑い出しそうな。

 声が。聞こえてこないのが不思議なほど、存在感のある写真だった。

 その写真の前に小瓶に入れられた、水晶の粒。

 水色や、淡い黄色、透明なピンクのいびつな形のそれらが大事に飾られている。

 それを見て、夫婦は思うのだ。

 夢ではない。と。


 ・・・娘の失踪は突然で、事件か事故かと大騒ぎになった。

 世間の感心が日々変わるニュースに流されていった後も、探せども探せども娘の行方は知れず、神隠しのように一切の痕跡が見当たらなかった。

 行方知れずにあった場所が都会の真ん中なら誘拐を疑う。

 だが、四方を海に囲まれた島ならば・・・?

 警察は誤って海に落ちたのだと結論付け、捜査を打ち切ったのだ。

 娘は、どこか抜けているけれど、泳ぎは達者だったのに。

 言い知れぬ怒りに身を焼かれ、夫婦で泣いたあの日を忘れない。


 抜け殻のようになってしまった妻を見かねて、仕事にも手が付かなくなった頃。

 夢を見るようになった。

 それも夫婦同じ夢だ。

 真夜中に、同じ時間、同じタイミングで眼を覚ますことが続いた。

 ふたり顔を見合わせ、どちらからとも無く、確かめ合った。


 夢は、娘の夢だった。


 抜け殻のようだった妻が生き生きし始め、それが嬉しく感じられた頃、仕事にも復帰した。

 周りの人が気を使うのに申し訳なく感じながらも、夜が待ち遠しかった。

 夢の中では娘が、甘い物が無いとぼやいていた。

 なんだろうか、この脱力感。だが、やはり娘らしいと思った。

 ひとしきり笑って、それなら探せばいいじゃないかと提案した。

 娘はきょとんとした顔で、それからややあって、花のように微笑んだ。

 うんうんと頷いている娘を、夫婦ふたりで微笑ましく見つめていた。

 手を振って、消えていく姿を見ても、心は温かなままだった。

 またある夜は、娘はわたしのおくった本の内容を挙げて、参考にバターとチーズを作ったのだと誇らしく胸を張った。

 昔クリスマスに買ってやったジェンガを木から作り出したと聞いて驚きもした。

 そして・・・。

 帰りたかったと泣く娘と共に泣き、大切な人がいるから帰らないと聞いてはまた泣いた。

 親不孝でごめんなさいと泣く娘に、親から独立するのは当たり前だと聡し、幸せになれと言って、また泣いた。

 結婚式があるという。

 呼べないのが悲しいという娘に、花婿を殴れないのが悔しいと言い、花嫁姿が見たいなと言って泣く妻を慰めた。

 


 ・・・娘がいるその世界がどこなのか、分からないままだ。

 本当に娘がその世界にいるという確証も無い。

 だが、それでも私達夫婦にとって、それは紛れもない希望だった。

 娘が死んでいないと、生きていると希望を持つことが、その当時の私達には必要だったのだから。

 だから、何時娘が帰ってきてもかまわないように、妻は家の中を掃除するし、食事はいつも三人分だ。娘の部屋を清潔に保ち、晴れた日には布団を干すのだ。

 冷蔵庫には娘の好きな牛乳が必ず入っているし、お茶葉は、深蒸し緑茶なのだ。


 大月家の夜は早いのだよ。

 娘が夢の中で無理難題を投げかけてくるから、答えるほうも大変だ。

 この間は、アイスクリームの作り方で、その後はワッフルコーンの作り方だ。

 そして更なる難題を投げかけられるなんて思ってもいなかった。

 その先に何があるのかなんてわからないだろう?

 今宵の質問は、醤油に代わる調味料の作り方だった・・・。娘よ、この脱力感はなんなのだ?お前、いったいその世界で何をやっているんだ・・・?

 ・・・ともあれ、設問に対する答えは妻が持っていた。

 「あらあら、大豆が無いの?困ったわねぇ・・・」

 妻はいとも簡単に代替品を上げてみた。

 「魚醤はどうかしら?魚と塩で漬けておけばいいはずよ」

 その答えに満面の笑みを見せた娘の姿が消えていく。今宵の逢瀬も終了か。


 そして・・・。やがて驚愕の出来事がやってくるのだ。

 

 「おとーさん、おかーさん、千尋ね、その・・・ぁ、赤ちゃんできました!」

 きゃっと恥らう娘を前に、花婿を殴り倒したくなった。

 待っていろ!

 いつか必ず、この界を渡って、お前を殴りに行ってやるからな!

 と、こぶしを握りしめる私を尻目に、妻と娘は話が弾んでいるようだ。

 それはそうだ。

 娘の初産。慌てない親はいない。

 よどみなく話し込み、なにやら頷き、そして妻は言い切った。

 「あなた、あちらの世界へ参りましょう!初産につきそってあげたいの」


 妻よ・・・。どうやって行くのだ?そもそも行けるのか?

 

 あれよあれよと月日が流れる。今宵は約束の満月。

 月の光をじっと見詰めて立ち尽くす、熟年夫婦。

 しかも荷物が半端ない。家出か、夜逃げ並なのだ。ご近所さんの目がありませんようにと祈っていた。

 「さ、あなた。お仕事のほうは大丈夫よね?」

 「ああ。休暇を申し込んできた」

 あっさり受理されてかえってこちらの心が痛いくらいだ。

 「さあ、そろそろ、時間です。迎えが来るわ」

 「ああ。そうだな」

 ・・・里帰りさえ許さない心の狭いムコ殿を殴れるなら、異世界だろうが何だろうが。

 精霊の加護が駕籠だって。

 乗ってやる。


 淡く輝く月の色。

 その月を見上げて、夫婦ふたりは、光に溶ける。

 後に残るは、月の残滓。

 眩しさに眼を閉じて、光に慣れたら眼を開こう。

 きっとそこには嬉しそうな娘と、若者がいるはずだ。

 何年ぶりに娘をこの手に抱けるのかな?

 夫婦はそっと眼を開いた。




 ******************************



 ちなみに、われらの荷物。

 大豆10キロ。米麹10キロ。・・・味噌用。

 ドライイースト1キロ。・・・パン研究用。

 野菜穀物の種・・・。

 米俵一俵・・・。

 そして。

 ・・・産まれてくる赤ん坊の産着一式。

 

・・・オウラン覚悟。秒読み。

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