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第七十三話;蜜の姫 3

 乱暴に自分からチヒロを引き剥がす。

 床にうずくまったままの女を冷めた眼で見おろした。

 床に引き落とされた女は、動じる事もなく、また、嘆く事もなく、居住まいを正し。

 長い髪に手をいれ、さらりと、後ろに流して。

 露になる白いうなじに、さらさらと、舞い落ちる宵闇の髪。

 月色の瞳はとろりとして、ただ一人、己だけを映し出していた。

 真っ直ぐに射抜いたその瞳。

 その顔に、常のチヒロの柔らかな笑みはなく、艶然とした大人の色香が漂っていた。

 微笑みにかたちどられた唇。赤く艶やかに染まり、口づけを待ちわび。

 真珠の頬はほの赤く染まり、見る者の手を添えられるのを待っているかのよう。

 豊潤な香りが辺りに漂い、女の危うさを現していた。

 

 眼が射抜く。


 「…チヒロはどこだ」

 低く、呻くように問われた言葉に、女が艶やかに微笑む。鈴のなるような声で答えた。

 「ここに。御前に座してございます、我が君」

 「戯言をっ!」

 激高するオウランを諌め、セイランが険呑な眼差しでチヒロを射抜いた。

 常にはない。いつもの兄上の、柔らかくチヒロを見る目ではなかった。

 甘さなど欠片もない怜悧な眼差しで、兄上が重ねて問う。

 「入れ物だけに興味は無いんだ。ましてや、まがい物に何の価値もない。チヒロの心はどこかと聞いているのだ」

 その問いに、女は、艶然と微笑み、両の手を胸に添えた。弧を描く赤い口元。

 それが、これほど腹立たしい。

 「ここに。ここにおりますわ。我が君」

 「貴様!」

 オウランが激高のあまり、チヒロを打つかと思われたが、アレクシスが止めに入った。

 「オウラン殿。打ってもチヒロの身体が傷つくだけだ」

 「くっ…」

 その間に、シャラがイザハヤに命を出す。

 リシャールが動く。

 慌しく入り込んだ騎士達が、戸惑いながらも巫女姫を…女を拘束した。

 「チヒロから眼を離すな。このまま部屋に入れておけ」




 離れたところからチヒロを垣間見る。

 拘束されるも、自由な自室で、チヒロは腕を伸ばしその腕の感触を確かめるように自分に触れていた。

 自分の髪に自分の頬に、腕に、胸に、腰に。そして一通り自分を確かめると、髪を一房すくい上げ、さらさらとした手触りを楽しみ始めた。

 イザハヤは苦虫を噛んでいた。チヒロではない女を、チヒロと呼ぶのは嫌だった。

 「…私はあなたをなんと呼べばよろしいのですか?」

 「チヒロ」

 「違う。あなたは姫ではないでしょう?なんと呼べばいいのですか?」

 「でも、私の名はないの。思い出せないのよ。黒い太陽の巫女だったのを覚えているわ。もう何代前になるのかしらね…」

 感慨深く、思いを馳せて、女は外を見た。眼に映るものに、当時の面影はない。物も、人も。けれども、揺るがぬ輝きで圧倒される存在は、過去と変わらず、そこにある。

 惹かれてやまない、光の王。

 ただ一人と決めた、けれど叶わなかった。…我が君。我が君。

 かの人は私をなんと呼んだのだった?…思い出せない。もどかしい思いに囚われる。

 「…チヒロ様はどこに?」

 「…この子はね。怖くて寂しくて仕方がなかったの。王の求めに戸惑って、自己嫌悪に陥って、だから楽に、入り込めた。ひとりはいやって泣いていたから」

 「…チヒロ様はどこに?」

 「ここに、いるわ。ここに…眠っているの。真綿で首を絞められる思いはもう、味わいたくないんですって。だから代わってあげたの。歴代の巫女姫と同じように、私の狂気に染まっていくこの子が哀れだった。だから、この子の願いを彼らに、教えて差し上げようと思って。この子が飲み込んでしまった思いを、我が君の元に曝け出して、裁定を仰ぐの。今代こそ、我が君に願いをかなえてもらいたいの。そうすれば、私も、叶わなかった事を今度こそ叶えられるから。だからこの子の身体に入ったの。そうすればずっと一緒にいられるのよ。…そのために、ずうっとこの世界を漂っていたのだから」

 「貴女は何を望むのです?」

 イザハヤが低く言葉を紡ぐ。

 女はそれに、華やかな微笑で応えた。

 「我が君を」


 

 「あの奴隷女を連れていた男は、どこの国との繋がりも認められなかったそうだが、偶然というには出来すぎだ。チヒロに遺恨を残すものがチヒロの近くに来れた事、何かあるはず」

 オウランが言った。セイランが続ける。

 「…ああ。男の夢に巫女姫が現われたそうだ。水の国の神殿へ行け。祈りをささげよ。とね…」

 「夢、か。忌々しい。チヒロはいったい何に囚われた?」

 せっかく、思いが重なったのに。もう、すり抜けてしまうのか。捕らえたと思ったきずなが、こんなにももろいなんて。苛立たしい気持ちを持て余し、壁にあたるしか出来ない己がまた苛立ちを募らせる。アレクシスがイザハヤを伴ない現れたとき、藁にも縋る、という言葉の意味が分かった気がした。

 「イザハヤ、あの女は何か話したか?」

 シャラが問う。それに答えて、イザハヤが話し始めた。

 「は。歴代の巫女姫に影響を与えた存在であると申しました。自身の名は覚えていないが、黒い太陽の巫女であったようです。姫の望みを叶える事が、引いては自己の願いを叶える事だと申しました。願うは、「我が君」と、申しております」

 「…望みは、オウラン、か」

 セイランの呟きに、各国王の眼差しが集まる。

 居心地悪げにふんと鼻を鳴らし、オウランは自問する。

 あんな眼差しの女に出会ったことはない。夢にも、現実にも。

 我が君と声に乗せ、華やかに微笑んだチヒロを思う。

 ぞっとした。

 はにかんだ微笑が好きなのだ。恥じらいを乗せた眼差しに惹かれるのだ。

 どこか危うい脆さを、支えてやりたくて、力になりたくて、胸がざわめくのだ。

 だが、あの女の眼差しにはそれがない。

 あるのはただ、妄執。

 どこの国の巫女姫か知らないが、俺とチヒロを裂こうだなんて。ふん。と鼻で笑った。

 「ま、執着の度合いは負けないね。かならず、チヒロを取り戻すさ」

 



 まわるのだ。

 因果は巡り、絡まりあう。

 泣いているのは、誰?泣いているのは…俺か?

 夢の中で、オウランはもどかしさに身を捩った。

 温かい。

 温かく、滑るは…血。

 この世で最もいとおしい、愛する者の…血。

 見ている事しか出来なかった。止める事などできなかった。

 首筋に当てられたのは…。それは、何。

 「よせ!チヒロ!」

 夢にうなされ、目覚める日がこようとは。

 そして、目覚めた己の腹の上に、薄絹いちまいの、チヒロを見出す日がこようとは。

 想像だにしていなかった。



 …昔。昔。

 巫女姫だった女の子は、男の子に出会いました。

 女の子は男の子が大好きで大好きで大好きでした。

 男の子も女の子が大好きで大好きで大好きで、ふたりは結婚を誓い合いました。

 でも、男の子のご先祖が、昔、巫女姫を食べてしまった男の子だったから、周りのおせっかいな人たちが反対します。

 大事な大事な巫女姫を、また食べられてはいけないと、誰もが、彼らを引き離そうと画策します。

 やがて、巫女姫だった女の子は、寂しさの余り、ある日、男の子に迫りました。

 あなたとひとつになりたい。と。

 だから、どうかわたしを食べてください。と。

 男の子の答えは、誰も知りません。

 伝わっていないのです。 

 

 

まーたしかに、夜這いすることはあっても、ちいちゃんに襲われる日がくるなんて、思ってもいなかっただろーなー…。

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