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第七十二話;蜜の姫 2

 蜜の姫と叫んだ女の人はあっという間に拘束されて、広間からいなくなった。


 でも、身を震わせるほどの憎悪の感情は私の心に爪を立てていた。

 茶色の髪を振り乱し、濃い赤茶の瞳は、怒りと憎しみに塗れ、私を射抜いていた。

 そして、額に赤く咲いた…贖罪の華。

 「あの人と、私、どこかであった…?」

 覚えはない。でもあれ程の憎悪。ぶつける相手は私を私だと認識していた。

 覚えはない。でも私に隠そうと画策するみんなを見ていれば、自ずと分かるのだ。

 あの人は、私を知っていて、私を憎んでいるのだと。

 みんな、イザハヤやファームまで、私に隠し事をする。

 真綿で包んで。大切にされているのは分かる。けれど、時折その真綿が私を苦しめる。

 あの後、軽くキスをしてくれたオウランはさっさとみんなといってしまった。

 寂しい。

 やっと気持ちが重なった感じがして、やっとこの地に足を付いた気がしたのに。

 ふわふわと頼りなく彷徨っていた自分が、ようやくこの地に受け入れてもらえた気がしたのに。

 彼の不在が私をこんなにも頼りなくしてしまう。

 早く、戻ってこないかな。

 ひとりはいやだから。

 早く、オウランの眼差しに射抜かれたい。

 そのオウランは、ここは安全だけど、万が一の事が在ると困るから、と渋々、ほんっとーに渋々と差し出した細い剣。刀身は黒く、磨きぬかれたその刃。

 「えるれあ」の刀。

 淡く光るその刀を胸に抱き、考えに耽っていた。私の側にはイザハヤとみどりちゃんにだいちゃん。

 「あのひと誰だったのかな。なんで、あんなに私を憎むの?イザハヤはあのひと、知ってる?あのひと、わたしを娼婦だって…言ったの。ほ、他の人から見たら、やっぱり、そう見える?王様の求めに抗えないでいるのって、やっぱり、わたし、娼、婦、なのかな…?」

 「ひめっ!」

 イザハヤが咎めるような声で静止をかけた。胸に抱いた剣が、輝きを強める。

 みどりちゃんが、身体を押し付けて、くうん、と鳴いた。だいちゃんが身をくねらせて腕にからむ。

 慰めてくれるのね。ありがとう。

 だけど、だけど…。

 「イザハヤはあの人を知ってるでしょう?」

 確信は揺るがない。だって、イザハヤが眼を逸らすから。

 「教えて。でないと、あの人のまん前に出て行って聞いてくるわ」

 「ひめっ」



 「…まったく、チヒロは強情だね」

 やれやれと言いたげな声は、誰あろうオウランのものだった。扉に凭れかかる様にして、王様達がそこにいた。いつの間に?

 「あんな女の戯言などに、気を回す必要はないよ」

 とシャラ様が言えば。みんなが、頷く。

 優しげな瞳で、また真綿で包むのだ。やがて真綿といえども窒息するのに。

 柔やわと締め付けられて、息が出来なくなるのに。

 「…わ、わたしを、憎んでるようだったわ。私、何か、あの人にしたの?なんで、あんな、眼、で」

 「…お前を攫ったからだ」

 「オウラン!」

 セイラン様がいさめる声を出した。戸惑いに瞳が揺れる。


 攫った?わたしを。


 誰が?彼女が。


 …どうして?


 揺れる眼差しのまま、オウランの瞳を覗き込んだ。きっと顔色は蒼白になっているはず。

 その私を見て、ぎりと、奥歯を噛みしめて、オウランが続けた。


 「あれは、土の国の女だ。俺に懸想していた、取るに足りん女だ。だが、お前を攫い、水の国の王弟に投げ出した…王の女に…巫女姫に、手を出した馬鹿な女だ。だから罰を与えた。お前も見ただろう?あの女の額のシルシを。あれを押して奴隷階級に引き落としたんだ。お前を恨むのではなく、俺を恨むべきなのだ。だが、やはり、馬鹿は馬鹿だな。憎むべき相手を取り違えたままでいる」

 「不安にさせてしまったね。チヒロ。だが、もう心配は要らないよ?あの女も、検挙された女達も、すべて、始末をつけてきたから」

 セイラン様がさらりと告げる。物騒な話も、どこか、人事のようで。


 始末?始末をつけたって、誰の?


 シルシって、シルシ?刻印のこと?


 押して、奴隷階級におとした…あの、ひとを?ああ、セイラン様は、女達って言った。他の、ひとも?


 私を攫ったから?わたしを攫って、それで、罰に、刻印、を…?


 刻印は痛いの。


 すごく、痛くて、熱かった。でも、奴隷制度が廃止になるから、だから、刻印奴隷だったおじさんと、丘の上で笑いあったの。


 もうこんな思いをする人がいなくなるんだよ、良かったねって。


 痛い思いは嫌だものねって。


 なのに。

 

 あなたたちが、ソレ、をするなんて。


 なのに、みんなの眼差しが、優しいの。


 見つめる瞳は優しくて、仕草だって声だって、優しさに溢れている。


 指先まで愛しさに溢れていて。


 ああ、だから。


 やさしくやさしく包みこまれて…息が出来なくなる。


 優しさに包まれて、呼吸すら、あやしい。


 「チヒロ?」


 声は、だれの?オウランの?セイラン様の?アレクシス様?シャラ様?リシャール、さ、ま?

 

 「…い・いや・いや。いや。いや・い、やあああああああああああああああっ!!!」


 ああ。気が遠くなる。


 心の奥で誰かが呟く。


 眠りなさいって。


 全て忘れて、眠りなさいって。

 そう、そんなにも悲しいなら、眠ればいいのよって。

 そうすれば、独りになるって怯えることもなくなるよ、って。

 そうすれば、いつか、捨てられるかもしれない事に怯えることもなくなるでしょう?って。

 そして、そして……。


 その身体をよこしなさいって。


 ダレカガソウイッタ。



 「チヒロ!おい、チヒロ!」

 糸の切れた操り人形のように、意識を失ったチヒロの身体が冷たくて、恐ろしくなった。

 眦からは止めどなく涙が零れ落ち、吐く息さえも、弱い。あまりに弱くて、怖くなる。

 だから。

 身を揺すられて目覚めた彼女が、俺の顔を見て華のように微笑んだのに、ほっとした。

 肩に入った力が、抜けていくのが分かった。周りにいた者たちの緊張も緩むのが分かった。

 酷な告白だったのは理解できる。優しいこいつは、俺達がしでかしたことを嘆くだろうとも思っていた。

 だが、あの女たちが、こいつにした仕打ちを許す事など出来なかった。

 かけた言葉には相応の報いを。向けた悪意には相応の償いを。

 俺達に、後悔はない。


 …床に伏したままの彼女の手を取って、立たせようとしたら、チヒロの奴が俺の首筋に両手を回し、抱きついてきた。咄嗟の出来事に、動揺する。

 抱きしめた事はあれども、こいつから抱きついてきた事などなかった(…うう)から。

 だが、素直に嬉しかったから、すかさず抱きしめ返す。

 柔らかいからだ。芳しい香り。

 頬を合わせ、瞳を合わせ、微笑み交わす。ねだるような赤い唇につられて、重ねようとした時。

 「我が君」

 その言葉に、冷水を浴びせられた。


 皆の眦がきつくなる。

 睨むようにチヒロを見る日がこようとは。

 「…貴様、誰だ。チヒロじゃ、ないな」

 シャラ殿がきつい眼差しでチヒロを見た。アレクシス殿も目線がいたい。

 「あなた、どなたです」

 リシャール殿が剣呑な眼差しで射抜いた。

 「何者だ?」

 兄上が更に物騒なものを思わせる声で呟いた。

 我らの視線にさらされたまま、今だ俺の首に腕を回したままのチヒロが、艶然と微笑んだ。

 「我が君」

 そう言って、チヒロの顔で、チヒロの声で、鈴が鳴るように小さく微笑んだ女が。

 チヒロの腕で、チヒロの柔らかな身体で、俺に抱きついたままの女が。

 …チヒロであるはずが、なかった。

 


 

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