第六十九話:華の行方・7
暴力はんたーい。
昔、昔。
あるところに男の子がいました。
あるところに女の子がいました。
ふたりは出会い、恋をして、幸せに暮らします。
でも、女の子は、異世界からの召還者で、巫女姫だったのです。
巫女姫は誰もが欲しがる姫でした。
男の子は、女の子が大好きで大好きで大好きで、仕方がありません。
女の子も、男の子が大好きで大好きで大好きで、仕方がありませんでした。
ちょっとも離れたくなかった男の子は、ある日、女の子を食べてしまいました。
それは、それは、幸せそうな顔で、男の子は女の子を食べました。
そして、女の子も。
それは、それは、幸せそうな顔で、男の子に食べてもらったのです。
でも、それからが大変でした。
みんなが男の子を非難します。
みんなが非難するその只中で、男の子は叫びます。
女の子が願った事を叶えてあげたのだ、何が悪い!誰も、あの子の孤独を知ろうともしなかったのに!……と。
昔、昔のお話です。
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部屋の中では水の国の双璧が顔をあわせてうなっていた。
「…これは、ダメだ。こんな情報、下手に姫の耳に入ったら、どうにかなっちまう」
セルリアが書類をぽんと机の上に投げ出した。
「…ああ。しかし、各国王も思い切ったことを」
「…んー。百歩譲って、攫われた娘さんたちの探索の為だとしても、なあ。これでは、最早「人に非ず」と形で表したも同然だ。しかも、張本人は見せしめに額に刻印が成されている。いい情報だが、両刃だ。返す刀で姫の心まで斬ってしまう」
そう言って、セルリアが眉をひそめた。
書類には事細かく書き込みがされていた。
誘拐事件に関与した土の国の女性に、刻印を押し、転移方陣に押し込んだ事。
囮として転移した女性が、客を取らされている間に、不法に拘束されていた娘達が解放された事。
攫われた娘達が手厚い看護を受けている頃、事件に関与していた女性たちは監獄へ送られた事。
罪名は「反逆罪」
監獄ではあえて罪状を事細かく周囲に知らしめた。
王の求めた娘を辱めんと画策し、野獣の群れに投げ入れた女であると。王が求めたは、太陽と月の巫女姫。かの女達は、精霊巫女姫を辱めようとした、痴れ者である、と。
以降、女達の存在は未確認と結ばれている。監獄の中でどんな地獄が待っているかは想像に難くない。
「…馬鹿の行く末にゃー、ちょうど良いと思うけどな。姫に知られちゃーいけない」
「…あー。こんな情報、耳に入れられるはずねーだろ」
重苦しい空気を厭って窓を開く。
ふんわりと風が笑い声を運んでくる。
神殿の中庭で、一生懸命遊んでいる子供達を見た。翻る風は優しく、揺れる緑はいたわる様に彼らを見守る。風の精霊も、木の精霊も、水の精霊も、土の精霊も、火の精霊も、そこに在る存在をいとおしむように、佇んでいた。子供達と戯れる、輝きの姫。
しばし見つめる。
「…こんな風景がずーっと続くと良いよなあ。なー。イルセラ」
「…おーよ。そんで、リシャール様と、姫が笑ってくれたら、もっと幸せなんだよなー……。なあ、セルリアー。なんで、姫は我が君の気持ちを信じてくれないんだと思う?」
「んー。姫が王の求愛に戸惑うのは、普通の娘が結婚に戸惑うのとは違う感じがするよなー。しかも、手を離せないで縋っているのは自分の方だって言ってた。すがる、ね…」
「なんかなー。王が惚れてるんだって言ったらそれは違うって、全面拒否だろー?どっちかーつーと、離れられないのは王なのに、自分が離れられないんだなんて、どー言う思考回路よ?」
「王の思いが間違いだなんて、なんで、そう思った?」
セルリアが自問するように呟いた。思い返すのは儚く微笑んだチヒロの顔だった。
ヒトリハイヤ。
頭の中で声がする。
目覚めた時、ここがどこだか分からなくなる。
怖いの。どこにいるのか、わからなくなる自分が。
ヒトリハコワイ。
誰かに必要とされて、誰かにここがあなたの居場所だよと言って欲しい。
お城の奥でじっと座っているなんて、拷問以外の何物でもない。
ワタシヲヒトリニシナイデ。
頭の中で、泣いている子供は……わたし。
「おねえーちゃーん!!」
孤児院の子供達がえっちらおっちら水袋を抱えてきた。中はおそらく牛乳で、うまくいったら、チーズになっているはず。楽しみにされている、チーズケーキ。ピザに、グラタンもいいなあ…。
さあ、美味しいものを作ろう。みんながそれを食べて幸せになれるような、美味しくて、嬉しいものを。
取り出した乳清は、後でハチミツ混ぜてジュースにしよう。さわやかな味わいはきっとみんなが好きになるだろう。
取り出した白くてつるりとしたチーズを前に、にまにましていたら、イザハヤとファームが不思議そうにチーズを見ていた。
台はスポンジケーキにしよう。薄く大きく焼いたら、護衛の人の分もまかなえるはず。細長い、スティック状のチーズバーにするんだ。
焼き上がりは、改新の出来だった。
絞りたての生クリームをふんわりホイップして表面に塗って、見事な三層のケーキに仕上げた。
なるべく大きく切って、お茶も準備する。刺激の少ないお茶に、いつもの危険なお茶。
午後のお茶は、神殿の中庭がいいな!風が気持ちよく抜けて行くし、一応、守られてる者の勤めだから、目の届くところに居なくちゃね。
ティーセットに、ケーキは盆に載せて。足りないと困るので、ホットケーキも準備した。蜂蜜に、ギギの樹液に、とろーり生クリーム。完璧。
くるりと回って、おやつだよーと叫ぶつもりの声は、扉で佇む貴人の姿で喉の奥に引っ込んだ。
「いい香りだな」
と、シャラ様。
「ほう。これがチーズケーキか?チヒロ」
と、アレクシス様。
「な、ななななななぜに…?」
と、慌てる私に。
「おや。私達にご馳走してはくれないのかい?」
と、微笑むセイラン様。
「お茶はいつものが良いな。濃い目に頼む」
と、俺様なオウラン。
「さ、チヒロ」
と、盆を手に取りエスコートしてくれたリシャール様。
促されるままに中庭に出て。
促されるままに、引かれた椅子に。
ちま。と座る。
佇む五人を見て、はうっとなった。慌てて、びょん!と立ち上がり叫ぶ。
「も、戻りませんから!その、その、…し、潮時だと思ったんです。ここの子供達は私を必要としてくれるし!いつまでもお世話になりっぱなしじゃ、申し訳ないし!」
「私達にはチヒロは必要ないというのか?」
きつく、瞳を見据えられた。オウラン。囚われる。また、囚われてしまう。
茶の瞳がすっと細くなって、苛立たし気に睨んだ。
ああ、馬鹿。高鳴るな、心臓!
逸らすんだ。目を、逸らさないと。
離れられなくなる。
「…何が不安なのですか、姫」
リシャール様に、そう真っ直ぐ切り込まれてしまった。焦って顔を合わせてしまった。慌てて逸らす。
「なにも…不安なんか、」
ありませんと、続けようとして、遮られた。
「眼を、逸らしてはいけないよ。チヒロ。ちゃんと我らをご覧。我らを納得させたいなら、相応の意思を示さねば。何故、離れようとする?」
アレクシス様が静かに問いかける。
「まあ、大方こいつらが無茶を強いたからなんだろうけど、それならそれで、ちゃんと声に出して言わないとな、チヒロ」
シャラ様が赤い髪を揺らしながら言った。
「身体を重ねるのが苦痛なの?」
リシャール様が囁くように悲しむように、声に乗せた。
「ちがっ…違います。く、苦痛じゃ、ありません、む、むしろ、私、わ、わたし…」
顔が赤くなったのが分かる。熱い。すごく熱い。
ああ、でも本当に潮時だ。こんな私に愛想尽かしてもらうにはちょうどいい話題かもしれない。誰だって恋人が節操なしなんていやだろうから。ぐっと拳をにぎり締める。
告白するぞ。引かれても、かまうもんか!すうっと息を吸った。
「…ヘ、ヘンなんです。頭が、ボーっとなってしまって。こんな、イ、イケナイ事だって分かっているのに、拒めなくて。縋ってしまうんです。私は馬鹿だから、みんなが私の甘露に惑わされているなんて知らなくて、ただ手を、離さないでいてくれるのが嬉しかったんです。でも、ずうっと一緒にいたら、違うって分かっていても、ただ、私の中の甘露のせいだって知っていても、…かまわないって、それでもいいって、そう思ってしまう自分がいる事に気が付いたんです。でも、いつか、呪縛は解けるでしょう?いつか、いらないって言われてしまうなら!だから、私、今のうちに、離れておこうってそう思って……」
「…離れようと思った、と?」
囁きは、セイラン様のものだった。それにこくんと肯定の頷きを返す。
落ちた前髪をかき上げながら、セイラン様の眼が私を真っ直ぐに射抜いた。軽く細めた眼差しが、獲物を捕らえたハンターみたいで、怖い。
な、な、なんか、地雷踏んだ!?
「…どうやら、チヒロに理解させるには、身体に刻み付けるだけじゃ、足りないらしい……」
低く呟く台詞が、物騒です。セイラン様。
「甘露に惑わされているなどと、いったい誰がそのような事をあなたに吹き込んだのです」
リシャール様まで、眼、眼が怖いよおおっ!
じ、地雷?これって、どんな種類の地雷!?
泣きたくなって周りを見たら、オウランにきつい一瞥を貰って、腰が抜けそうになった。
取り成すように微笑んでくれたアレクシス様が、さりげなく手を引いて彼らから引き離してくれた。
「根の国で何を吹き込まれたの?チヒロ。あの国に赴いてからだね、我らから離れようとしたのは、あの時とで二回目だね。エルレアかな、それとも?」
「…みんなが、王様が私にかまうのは甘露のせいだって言ったんです。惑わされているだけだ。いつか、眼が覚めるのよって。その時、わたし始めて気がついたんです……」
孔雀のように居丈高で、美しい女達。
王の目に止まろうと必死で、だからこそ側にいた私に優しげな顔で、笑いながら、どこをどう突付けばいいか分かった風で、悪意をぶつけてきた。
言いたいことを言われて、反論しようにも反論できなかった。
だって、本当にそうだから。
「だって、私、何も持ってない。この身に流れる甘露以外に、なにも…!」
泣きそうだ。
でも、ちゃんと話そう。そう思っていたら、ガツンとあたまの天辺で音がした。星が散る。
「…い、いたィ…」
じんじんする。両手で思わず頭を抱えて涙目で顔を上げたら。眼が合ってしまった。
「…ひィ…」
鬼のような形相の、オウラン、と。
蛇に睨まれたカエル…。頭からぺろりだね。
冒頭にも書きましたが、暴力反対です。