第六十七話:華の行方・5
潮時かもしれない。
引き際は潔くって言うじゃないか、チヒロ。
「あの、わたし。残ります。神殿に残りたいです…!」
オウランが睨む。セイラン様が困ったような眼差しで見つめてきた。シャラ様が赤い髪をかき上げながら眉を寄せれば、アレクシス様が長いため息をついた。
そしてリシャール様は。
大輪の華がはだしで逃げ出すような微笑を、私に向けた。
……負けるもんか!
「こ、子供達のそばに居るんです。リシャール様の側じゃありません…!」
これには、リシャール様の笑顔が曇った。
オウランが、目を輝かせてリシャール様を見た。睨みあう二人。アレクシス様が前に出た。
「チヒロは、水の神殿を選ぶの?」
「ここに、います。子供達に必要とされているんです。一緒に暮らしていきたいです」
「子供達はどこの国にもいるよ?別に水の国の孤児たちだけが特別じゃない。まだまだ、チヒロの手を必要とする子供がいるかもしれないだろう?…それに、下位神殿に、それも孤児院に、太陽と月の巫女が住めるはずがないだろう?」
セイラン様がゆっくりと諭すように言った。
その言葉にきゅっと子供達がしがみ付く。
……負けるもんか!
「だ、だって!太陽と月の巫女は、どこかの国の神殿に居を構えるって前にカーシャが言ったんです!なら、ここが…下位神殿がいいの!あの地味な生活がいいの!洗濯して、掃除して、子供達と遊んで一緒に寝るの!そのほうが、断然性に合ってる!」
「「「「「…………」」」」」
な…なに、この、痛い沈黙はいったい何!?
なんか、ヘンな事、言ったか?と焦るチヒロと。
…庶民の生活がいい!と力説する太陽と月の巫女を前に、このイキモノ、どうしてくれよう。と思う各国王であった。
「チヒロは?」
「下位神殿に子供達を送っていきましたよ」
セイランの声に、リシャールが応える。悠然とした態度を崩さない二人に、シャラが割りこむ。
「貴殿の抱える双璧は、チヒロの性格を正確に掴んでいるな」
シャラの言葉に、リシャールは微笑を深くした。
「褒め言葉ありがとう」
その呟きに、アレクシスが噛み付く。
「褒めていない。陳腐な策だ。だが、陳腐なだけに効果絶大だったな」
ほう、とため息をつく。
そして、オウランが口を開いた。
「チヒロは、我らの誰かを選ぶとは今も言及していない。ここに残ると言っても、リシャール殿の手を取るといわなかったように。…チヒロは、彼女が言ったとおり、下位神殿で静かな生活を続けられると、本気で思っているのか?彼女は、庇護されるべき存在だ。守られて始めて開花する華のように。また、守らねばならない存在だ。彼女の知識、教養は、この世界に更なる発展をもたらすだろう。彼女が我らの庇護下から脱したと知れれば、小国の諍いをもたらす。それは、止めねばなるまい?」
その問いかけにセイランが同意を示す。
「チヒロの知識は、ハチミツ採取、樹液採取にも見られるように、けして、難しいものではないが、目の付け所が我らと違うからね…」
「ん。そう言えば、子供達も必死に口説いていたな。なんだあの、ちーずけーきってのは」
シャラの問いに答える者はいない。
各々がそれぞれ物思いに耽った頃、チヒロはイザハヤとファームと共に孤児院に着いていた。
彼ら彼女らのまわりには、イルセラとセルリアが、お城の騎士と共に付いて来ていた。
…道々、延々と口説かれた。
二人はリシャール様が大好きなんだってよく分かった。言ってみれば、心酔の域に達している。
積極的に王をオススメされて、ちょっと、引いた。身の程は知っている。
進められた所で、向こうが良いと言うわけないじゃないか!って言ったら、「何、この、かわいそうな子は…」って、顔で見られた。失礼な。
「…木や土の国に比べれば、水は随分と意識革命が進んでるぜ?」
…その言葉には正直はっとなった。その気持ちのまま、慌てて見てしまったセルリアの顔。
セルリアが目を細めて私を見た。瞳の中の真実を探すような、目。
いけない。咄嗟に、目線を外して話題をかえる。
「もー。イルセラさんとセルリアさんは、私に構う前に、まず、子供達に謝ってね!こんなに不安を煽るような事して、お城に忍び込むなんて危険を冒させて!怪我でもしたらどうするんですか!」
「「えー、それに関してはなー?別に俺らのせいじゃないしー?「もしかしたら」こうなるかもーって言っただけだしー?実際、王様達に連れ去られそうだったじゃない。なー?」」
その問いには、ぐっと詰まるしかなかった。しかも周りにいる人すべて(イザハヤとファームは別)がうんうんと頷いている。ああっ!子供たちまで!
「ん。まあ、いいきっかけになったでしょー?」
そう言って、セルリアが笑った。
「「ここに残るって言ってくれたんだしー?」」
そう言って、イルセラとセルリアがいたずらっ子の笑みを見せた。その笑顔に怯んだのは、チヒロだけ。後は歓声に包まれる。そう。子供達の嬉しそうな歓声だった。
「おねえちゃん、ここにいるのね?そばにいるのね?」
「「そうさ!姫はここに残る!」」
小さな子供の声にイルセラとセルリアが満面の笑みで応える。
そしてまた喧騒が大きくなる。
それを、どこか切り離されたところで見ているチヒロがいた。胸がざわめくのだ。
ここに残ってそれで良いのかと自問する声が在る。
ここに残らなきゃいけないんだと言い聞かせる声が在る。
どちらも本当でどちらもうそ。
そして、そんなチヒロを、イルセラとセルリアが無言で見ていた。
その夜は、孤児院で休む事になった。お城の名だたる騎士様たちが総出で警護についてくれた。
物々しいそれに、複雑な思いでいると、イルセラとセルリアが笑って言った。
「今後はもう少し考えて警備するから、今日は勘弁なー」
「そーそー。姫は難しい事考えないで、そー言う時は、ご苦労様って言ってくれりゃ良いんだよ」
「おー。笑ってみ?疲れなんか、吹っ飛ぶぞ。あ、でも、笑顔の安売りは、なしな。俺が王に殺されるー」
その言葉に、ほっとして淡い微笑を返したら、二人が黙ってしまった。
なんか、二人で「おちつけーおちつけー」って言い合っている。
そうして、二人が目をあわせ、一人が話し始めた。(どっちだかわからん!)
「なー、姫。昼間言ったことは全部本当だぜ?俺達は、我が君と姫のために全力を尽くす。なあ、我が君は姫の事が本当に好きなんだよ。ずっと側にいた俺らだからわかる。チヒロ、あんたはリシャール様の初恋だ」
「…うそだよ、そんなの。本当にそんな事が分かるの?リシャール様が私を好きなんて、気のせいよ。そうでないなら……」
甘露のせい。
語尾はかすれて自分の耳にしか届かなかった。きつく目を瞑る。泣きそうだ。
「なあ、なんでそんな事を言う?リシャール様の手を取ってくれただろう?その手を離さないで欲しいんだ。俺達が望むのはそれだけだ」
繋いだ手を離さないで。
ずっとその手を離さないで。
そばに、いて。
「そう願っているのは、私のほうだよ。王様じゃ、ない」
彼らの思いに返す物が何一つなくて、何も返せなくて困ってしまった、あの時。
だって、今私が持っているものは、全部与えてもらったもので、与えてくれたのは王様で。
そんな彼らに返せるものなんか、たった一つしかなかった。
自分しか、なかったんだ。
ああ、なのに。
それが彼らをもっと縛り付ける呪縛になるなんて、知らなかった。
この身に隠された甘露が彼らを縛る。私を縛る。
互いに縛って離れられなくなるなんて、知らなかった。
でも、だからこそ、離れようと思った。
もう後戻りが出来なくなる前に。
…酷なことを告白してしまう前に。
彼らが、甘露に惑わされているならば、私は彼らから離れて生きる。
求められると、嬉しくて身体の心から震えるの。歓喜が襲うの。
それが例え、甘露のせいでも良いって思える自分がいるの。
誰かに、必要とされたかった。
誰かに、見つめて欲しかった。
誰かの、側にいたかった。
だけど、それが幻想だって分かった今。
あなたがくれた痛みも、蕩ける思いも、甘美な気持ちも、全部抱えて、私は残る。
あなたを遠くから見ているから。
だから、偉大な王様になってね。素敵な王妃様を迎えて、歴史に名を残すような、王様に。
だって、あなたならなれるもの。
わたしは、ダメ。
だって、私はきっと望んでしまう。最後の最後で望んでしまう。とてもとても、酷な事を。
言わずにいられないの。今もそう。
かなえて欲しくて、でも、かなえてはいけないって知っているのに。
「わたしをたべて」
いつ、どこに飛ばされるか分からない恐怖。分からないでしょう?
私の足はこの地を踏みしめて立っているのに、不安定なこの感覚。
生きて飛ばされてここに来たのよ。死んだらまたどこかへ飛ばされちゃうんじゃないの?
なんて不安定な、私。存在すら危ぶまれる。
私は、本当にここに、居るの?
私の心はここにいたいと泣いたのに。
また気持ちを無視して飛ばされるかも知れないという、恐怖。
震えるの。
怖くて、怖くて、たまらないの。
また一人になるかもしれないんだってことが。
だから、たべてほしい。
私をあなたにしてほしい。
そう言いたいの。
でも…そう言ったらあなた、困るでしょう?
ねえ。オウラン。