第六十六話:華の行方・4
月の光に包まれて、目を瞑る。
目を開けたら「もと」に戻っていればいいのに。
光る人の夢は。
夢なのに妙に現実感のある、手ごたえのある夢で。でも、やっぱり顔は見えない。
ちぇ。と思うとふふと笑う気配がした。
お父さんとお母さんは、今日も私を捜していた。ごめんなさい。親不孝だね。
還りたいか、との声に、むかむかしてきっと顔を上げる。
「なんで、もっと早く声を掛けてくれなかったの!」
そしたらもっと早く帰れた。
こんなふうに悩んだりする事もなく、さっさと帰って、お父さんとお母さんに心配かけて!って怒られて、ごめんなさいって謝って、また日常に戻れたのに。
こんな、理不尽だ。
やっと納得して、この世界にも慣れてきて、できることをしようと頑張ったのに。
差し伸べられた腕は、余りに美しい人たちのもので、どうして、私にその手をよこすのか、分からなくて示した拒絶は弱くて。あげくに胸のうちを言い当てられて、混乱した。
痛い思いも甘く蕩ける思いも散々味わって、奴隷なのか巫女なのか、今だ宙ぶらりんで、いつ、お前なんか要らないって言われるか分からない、放り出されても仕方のない状態で。
不安で、不安でたまらなかった。
いつ見放されるのだろう。
いつ不要な者とみなされるのだろう。
頭に浮かぶのは、蔑んだまなざしで上から目線で見下ろした女たち。
「巫女姫様の甘露は素晴らしい呪縛ですわねえ」
「本当に。我が君をここまで惑わすその甘露。私にも少し分けて欲しいですわ」
「ほほ。巫女姫様のかわいらしい仕草も、その甘美な味わいには霞んでしまうのでしょうね」
…私を見て欲しかった。
…私を欲して欲しかった。
この身の内の甘露以外に、何の価値もないのだなんて、知りたくなんかなかった。
「何故、泣く」
「光の人。泣くのはね、好きになった人にほんとは望まれていないんだって分かったからよ。あげられるのがこの身体だけってことが、くやしくてかなしいの」
「…異なことを言う。お前は王の為に残るのだろう?」
「…そう。そうね。でも王様のためじゃないの。自分の為なの。甘露を望まれてるだけでも、いいって思っちゃったんだよ。離れたく、ないの……」
涙がこぼれる。
「声は?今宵はよすのか?」
「んんん。送って。…………お母さん、お父さん、チヒロだよ。心配かけてごめんね。チヒロ、頑張っているよ。あのね、この間、牛乳からチーズとバターと生クリーム作ったんだ。おとーさんが昔買ってくれた本に載ってた通りにしたら、上手に出来たよ。おかーさんが作るパイやケーキやクッキーには敵わないけど、みんなが美味しいって言ってくれたの。大騒ぎになってね……」
涙を拭いて、勤めて明るい声を出す。
いつものように。
いつもの、明るい、前向きな、チヒロのように。
ぱかっと、眼が覚めた。
「……あれ……?」
夢の記憶はあまりに儚く、チヒロの意識には残らなかった。
侍女サンに身支度をされていたら、扉がノックされた。
聞きなれた声と聞きなれない声。でも。はっとした。
「イザハヤ!ファーム?」
「「姫様!」」
イザハヤとファームが一足送れて水の国にやってきた。
再会を喜びあってたら、城内が騒がしくなってきた。そこ、ここで叫び声が上る。
あれ?
みどりちゃんを呼んでみる。灰色狼は、私の側でくるりと丸くなった。みどりちゃんが、この態度って事は、そう危険でもないって事よね?
「イザハヤ、なんか騒がしいみたいだけど…」
「は。なんというか、賊と言うより子供の肝試しなのでしょう。城内を子供達が走り回っておりました」
「え。肝試し…?」
「ええ。姫様。小さい子供やすばしこい子供達が何かを探しているようでしたわ」
と、ファームがにこやかに続けた。ふうん。お城の人の子供達かな。
「警備の兵士も、子供なだけに乱暴できず、捕まえるのに一苦労のようでした」
ほんのひと時一緒に暮らした子供達を思い出す。
…孤児院の子達は元気かな。今日もいたずらしてるかな。神官さんたちの大目玉を食らって泣いていないといいけど。
ああ。おやつに、チーズケーキを焼くって約束したのに。
そうだ。ジェンガももっと作る約束だったんだ。冬の間のいい娯楽になるだろうって、神官さんの仕事にしようかって話になっていた。間伐材は沢山あるし、他国へ売ったらいい収入になるかもしれないって……。
身支度を整え、イザハヤやファーム、侍女サンたちに手を取られて歩く。長い廊下の先に、貴賓室。
扉が開かれ、なみいる貴人が微笑んだ。
「おはよう、チヒロ」
「おはようございます。あれ、どうしたんですか…?」
室内は異様な雰囲気だった。
「ああ。賊が進入したらしいよ。可愛らしい賊だがね。でも、水の国の警備が、ここまで、ずさんだったとはね。だから早速、チヒロを移動させようと提案したところなんだ」
にーっこり。笑った顔に黒い物が垣間見えたよ。オウラン!
同意するようにうなずかないで、セイラン様!アレクシス様!シャラ様!
リシャール様を恐る恐る見れば、憂いを秘めた眼差しで見詰められた。
なんて言葉に表していいのか!困ります。リシャール様。み、見ないでー!
その時。
制止の声を振り切って、誰かが部屋に駆け込んだ。
次から次へと駆け込んでくる、小さな子供達の姿の中に、見知った顔を見つけ出して、思わず叫んだ。
「あ、あなたたち…!」
「「「「「お……」」」」」
「「「「「おねえちゃーん!!!!」」」」」
思いっきり抱きつかれてよろめいた私を、慌ててオウランが支えてくれた。
泣きじゃくる子供達を前に、さすがの毒舌魔王様も、言葉にならないようだった。
ひとしきり泣いた後、子供達は弾丸のように話し始めた。
いわく。
捜したんだ。また悪い人に連れて行かれたのかと思ったんだよ。
神官様に聞いても、院長先生に聞いてもいつ戻ってくるのかわかんなくて。
王様と一緒にお城に行ったはずなのに、お姉ちゃんは、刻印奴隷だから酷い目に合ってるんじゃないかって!イルセラが!
王様が連れて行ったのに!セルリアがどうかなーっわかんないって言ったんだよ!
おねえちゃんはキチョウナジョウホウを隠しているからジンモンされるかもって、おどかしたんだ!
別のお城の騎士さまは、シンコクな顔で、お姉ちゃんがいなくなるかもしれないって言ったんだ!
お城にいろいろな国のオウサマが来て、お姉ちゃんを連れて行っちゃうって、言ったんだ!
お姉ちゃん、行かないよね?神殿に戻ってくるよね?
オウサマが連れて行くとき、すぐに戻すって言ったもんね?
ちーずけーき焼いてくれるって言ったじゃないかあ!
泣きそうな気持ちで、子供達を精一杯抱きしめていたら。背後でぎりりと歯軋りがした。
呻くような、声。
「やられた」とセイラン様。
「餓鬼を使うなんて」とシャラ様。
「城の騎士、総出でですか……」とアレクシス様。
そして。
「こんな手を使ってまで、引き止めたいのか、貴殿」
と、オウラン。
そして、彼らの目線の先で、麗しく微笑む、リシャール様。眼差しは柔らかく、されど激しく、私を捕らえて放さなかった。
影でほっと息をついている、イルセラとセルリアに、お城の騎士様方。
子供達を追い掛け回し、首尾よく部屋になだれ込ませた手腕にはくしゅー。
さ。子供達のつぶらな瞳にどこまで対抗できるかな。真っ黒な方々。
あと、短編もアップしました