第六十三話:華の行方
さて。時は今まさにチヒロがリシャールに食い尽くされて、褥に沈んでいた頃。・・・まあ、ある日の夕方である。
「・・・う・・・うっわ、やっべ、やっべえ。やばすぎる、俺たち、軽くピンチ?」
と、窓の外を垣間見たイルセラが、焦って体をべったりと壁に貼り付け言った。冷や汗に身を震わせながら、恐る恐るそーっと外を覗く。
その隣ではセルリアが早々に逃げの体制で、別の窓枠に片足をかけている。
「っちょっ・・・ちょっとまてっ!ずりいぞ、セルリア!俺だけ残していく気か、ああっ!?」
「や。無理だから。あんな切れた風情の、あのお方達を前にして、何をどうしろと?」
と、セルリアが冷静に突っ込む。
しかし、イルセラにとっては長い付き合いの分身である。大いに焦っている事が見て取れた。何とか部屋に引っ張り込んで顔をあわせて、こそこそ画策する。
「・・・どーするよ。静かに怒っているぞ、あれはもう、相当キてると俺は見た」
「見りゃー判る。あーあ、俺達の人生、終わったなー・・・」
「・・・だなー・・・」
水の国の双璧は己の人生の終焉を見たようだ。二人して顔をあわせて大きく息をついた。
ずるずると壁に背中をつけたまま、しゃがみこむ。
「・・・・・・大体、我が君も、一向に部屋から出てこねーし」
「おー・・・そだなー。なあ、セルリアー。・・・俺え、まさか、我が君が、女に溺れるとこ見られるなんて思っても見なかったわー・・・」
「あ、俺もー。女なんか、ていの良い欲望処理機くらいにしか考えていないかと、思ってたー。あのお方がねえ・・・」
淡々と、感想を述べ、空を見つめて。ふたり。
「「・・・リシャール様、初恋じゃねー?」」
同じ台詞を同じタイミングで呟いて、二人は顔を見合わせた。大きく目を見開いて、同じ顔を見つめる。それから、思慮深い顔になり、眉を寄せた。平時においては些か錆付いた感のある彼らの思考が動き出す。
「・・・ん、まあ・・・なー。・・・あの距離を走破する気力は凄いよな。しかも、自分の守護精霊とはぐれてたってんだから、驚きだ。すげえ女だよ。でも、よ、でも・・・。・・・甘露に惑わされてるだけ、じゃねえ?」
「あー・・・俺もそれは考えた。けど、それだけじゃねーだろー?」
そう言って、相手の目を見る。判ってんだろう?と言いたげな眼差しに、観念した。
ああ、お手上げだ。
巫女姫と呼ばれた娘と、少しの間、築いた、確かな絆があった。
攫われて、助けた娘が巫女姫だと気付いて、隠さねばならないと思った。
預けた先は下位神殿。高貴な姫がそんな環境に満足するはずもないだろうと思っていたが、・・・違っていた。
イルセラとセルリアは回想する。
はれた青空に、さわやかな風。真珠色の肌をした娘が、洗濯物のかごを持ち、丘の上の神殿の裏手でせっせと働く姿を。たなびく風は娘の気を引こうと必死で風を送っていた。スカートが翻り、飛ばされまいと、娘は頭に巻いたスカーフを押さえていた。
『遊ぼう、姫』『早く遊ぼう』
「はいはい。あ、子供達も来るんだよ、いい?今日はね、木の精霊君と一緒に作ったものがねー・・・あれー。イルセラさんとセルリアさんー?」
洗濯物のたなびく丘で、娘が微笑んでいた。
「おー。どうだ、うまく隠れてるー?」
「よー。神殿の居心地は、どーよ」
「え・・・と。助けてもらって、しかも匿ってもらってて、なんですけど・・・こうも頻繁にサボってて、いいんですか?聞いたところじゃ、お城の要人だそうじゃないですか・・・」
「「あ、いいのいいの。謹慎中だから!」」
娘のもっともな言葉に、はもりながら答えを返した。じっさい、王弟の威張り腐った顔を見たくないし、自分達が崩した顔を見て笑わない確証はなかった。笑ってしまえば、不敬罪で断罪されても仕方ないことだ。
二人は謹慎中なのをいいことに、頻繁に神殿に足を向けていた。
「・・・ここは、言ってしまえば俺らの実家だしー?」
「ここに来ることを見咎める奴なんか、ボンクラの中にゃいねーよ。なー」
そう言って、笑う。すると娘は、少しだけ悲しそうな顔を見せた。
ここは、神殿が併設する孤児院だ。ここが実家と公言する双子は、所謂、親無しだった。
持ち前の頭脳と機転と剣技で、神殿の孤児の中から王に見出されたのは、もう十数年も昔の話だ。あの頃は、リシャール様も線の細い王子だった。今も細いけど。ある日、神殿からの帰還の際、孤児を二人連れ帰ったのは単なる気まぐれと当時は目されていた。彼らは知識を吸い上げ、国の要人と呼ばれる位置にまで、自力で上り詰めた。その努力は、底辺の孤児や下級貴族の息子達の規範となって、賞賛されるものだった。およそ、人と同等とみなされない、そこ、から這い上がった、努力の人。
「・・・んで、どうよ。連絡は付いたか?」
「あ、はい!風の精霊君が、声を届けてくれました!ええと、セイラン様達にちゃんと伝わったと思います。迎えに行くまで隠れてなさいって返事をもらいました!あ、でも、リシャール様が別行動だそうで、そっちは、まだ連絡が付いていません」
「ふーん。我が君も隠れるとなると気配まで隠しちゃうからなー。まあ、馬鹿の馬鹿たる証拠を集めているんだろうけど、んー、早く連絡つけねーと・・・」
「おー・・・。姫の行方も捜してるだろうからなー・・・」
「・・・う。すいません・・・みんなを振り回してしまって・・・」
「あ、あんたは悪くねーだろ!うちの馬鹿が馬鹿だったから、あんたこんなとこに居るんだから!」
「おー。そーだ。あんたは、悪くねー」
イルセラとセルリアの言葉に、娘の顔がほころぶ。それは、見ていて胸が温まる笑みで。
無意識に顔が熱くなるのが判った。ぷるぷると首を振り熱を冷ます。
イルセラとセルリアは、ばつが悪そうにお互いの顔を見た。
目で話す。
巫女姫の甘露っておそろしい・・・。微笑みひとつで、こうだ。しかも、無自覚ってどーよ。やべえ。こいつやべえ。早く、王を見っけて預けねーと、とんでもないことになる・・・!
二人は、己の淡い恋心に慌てていた。
王の、女に!やべえぞ、俺ら、ものすっごく、やべえ!
・・・件の巫女姫は、そんな二人の心情なんぞこれっぽっちも気付かない。
丘を駆け上がってくる子供達を見て、いそいそと、何かを広げていた。
「・・・・・・んだ、これ?」
イルセラの呟きに、娘は、わが意を得たりと話し始めた。
「木で作ったおもちゃです。ジェンガって言うんです!子供達の娯楽になればいいなーって思って、木の精霊に手伝ってもらって作りましたー」
「「手作り・・・?」」
「はい!これをくみ上げてタワーを作ります。こう、なるべくすっきりと!」
子供達も加わって、まず、タワーを作る。それから、娘は、子供達の目を見て説明を始めた。
「いいですかー。順番に、この組み立てたタワーから、木を一本ずつ抜き取るんです!崩さないように気をつけながら、順々に、木を抜いていって、崩しちゃった人が負け!ね。でも崩しちゃっても、悲しまないでね。また組み立てればいいんだから!さあ、一番はだれ?」
それからは、子供達の輪に入って一人一本ずつパーツを抜いていき、崩れ落ちるタワーに一喜一憂した。やがて、熱が入り始め、あと少し、というところで、崩してしまった子供がいた。
彼が彼の前の番だった子に詰め寄ったその言葉に、イルセラとセルリアは愕然とする。
「お前のせいだ!お前のせいで、崩れちゃっただろう!刻印奴隷は混ざるな!奴隷の癖に!」
「「お前・・・!!」」
イルセラとセルリアが激高した声を上げたその時。娘が動いた。
言い募った子供の前にしゃがみこみ、彼の目をじっと見た。月色の瞳に囚われ、息を呑む。
「刻印奴隷は忌むべき者ではないの。同じ人間よ。それに、彼が混ざれないなら、私も混ざれないわ。だって私も、刻印奴隷だから」
えっ・・・。と子供達の声がした。辺りが静まり返る。攻めた子供も、攻められた子供も、大きく目を見開いていた。娘は、胸元を少し開いて、華の刻印を子供たちに見せた。それから。
「・・・奴隷になりたくて押したんじゃないのよ。無理やり、押さえつけられて、押されたの。私、奴隷になんかなりたくなかった。私は、私のままでありたいと願ったわ。私の主人は私じゃなきゃ嫌だもの・・・。君の、刻印は、どこにあるの?」
刻印奴隷と蔑まれた子供に尋ねると、子供はおずおずと胸をさらした。その傷を痛ましげな顔でなぞり、娘が子供を抱き寄せた。
「・・・いたかったね。怖かったね。良く、我慢したね、えらいね、君」
それから、攻めた子供も抱き寄せた。二人の子供を抱きしめる。
「この子は、奴隷になりたくてなったんじゃないのよ、もう、酷いこと言わない?仲間はずれは悲しいよ。熱くて痛くて怖い事を我慢したこの子は、すごい子なんだよ。ちゃんと見てあげて。刻印なんかに惑わされちゃダメ」
それから、子供達が泣きながら、仲直りをするのはさほど時間はかからなかった。
そうしてまた、遊び始める。みんな一緒に。
今度はおにごっこ。色鬼。手ごろな大きさの薪を使った「かんけり」。遊びは尽きない。
疲れたら、おやつだと言って、小さな茶色の物体が出てくる。
「・・・なんだ、これ・・・」
「クッキーです。神殿の側に牧場があるでしょー?そこの肉牛のお乳分けてもらって、バター作りました!・・・で作ったんですけど、まあ、味は保障しますから、食べてみて!」
一口食べたら、余りの甘露におどろいた。
我先に群がる子供達と、年甲斐もなく格闘するイルセラとセルリアを見て、爆笑していた娘がいた。
・・・・・・楽しかった。楽しかったのだ。
「・・・なんつーか、逞しいよなー。孤児院ライフ満喫してたー。様子見に行くといっつも泥にまみれて、餓鬼どもと遊んでいるか、畑仕事か、洗濯してたー・・・」
「・・・おー。なんか、餓鬼どもが、懐いてた。あの、懐かねー奴らが。まあ、餌付けしてたけどな。なんだっけ、ほっとけーき、に、くっきー、だっけ・・・美味かったー・・・」
感慨深く呟く。
子供達と戯れる少女は、生気に満ち溢れ、どこまでも輝ける少女だった。生き生きとした瞳は、現状を打破する事が難しい、唾棄すべきものを背負わされたとは思えぬほど明るく前を向いていた。
はあ、とため息をついて、立ち上がった。
居住まいを正したその姿は、いつものだれた姿ではなく、有事において、双璧と謳われた・・・・・姿。お互いをお互いの目が射抜く。気合は、十分。
「・・・さあて、いくか。イルセラ、覚悟は良いか?我が君のために、巫女姫をとりに行くぞ」
「・・・おうさ。セルリア。我が君が唯一欲しがった姫君だ。とりに行かずにどうするよ」
互いに互いを奮い立たせて、水の国の双璧は前へ歩き出した。
水の国の王宮は静まり返っていた。
転移法陣を使い中庭に現われた貴人達を、遠巻きにする事しか出来なかった。
足元から忍び寄る、恐るべき威風。
堂々としたその佇まいに、人は知らず息を呑む。
足はすくんだかのようにそこに縫い付けられ、身動く事、叶わぬ。
「・・・やれやれ、遠巻きに見られるだけじゃ、話にならないな」
「リシャール殿の気配はあるが、遠いね。・・・ん。チヒロの気配も、ある・・・?良かった・・・」
セイランが苦笑している側で、アレクシスが風を読む。チヒロの気配を感じ取り、安堵の微笑を浮かべた。
「ああ、リシャール殿の事だ。早々に王弟殿下とやらを押さえたようだね。だが、この目にしないと安心できない。チヒロの無事を確認したいな・・・」
「そうだな。この目にしないと・・・。安心できん」
オウランの言葉にシャラが同意を示した。
あたりを睥睨する。目線の先の水の国の者は、咄嗟にひれ伏してしまう。
と、人波が分かたれ、二人のすらりとした美人が歩み出た。
王の威厳に負けない飄々とした佇まいに、各王の顔が綻ぶ。ようやく、話のわかる奴が出てきたとばかりの様相に、周りの者も、自国の将軍を改めて見直した。
王の前に進み出て、ひざまずき、顔を上げる。
「・・・ようこそ。水の国へ。王の傍らを勤めさせていただいております、イルセラ・リエナです」
「・・・ようこそ。水の国へ。王の傍らを勤めさせていただいております、セルリア・リエナです」
「「水の国は、皆様を歓迎いたしますぞ」」
水の国リシャール王の有する双璧と、各国の王が相対した瞬間であった。
チヒロの無事ね。・・・ある意味無事じゃなかったもんな!
さて、これより水の国編です。