第六十二話:子ウサギと狼と、狐と狸。6
「その馬鹿を拘束しなさい」
王宮に現れた息を呑むほどの美貌の持ち主は、居並ぶ衛士に命令をした。たちまち拘束された男は、それでも反撃を試みる。
「ええい、離せ!俺を、俺を誰だと思っている!」
「馬鹿でしょう」
美貌の華人は吐き捨てた。
「・・・・・まったく、留守番も出来ないほどの馬鹿とは思いもしませんでした。しかも、母子揃って企み事の好きな大馬鹿ときている!ああ、そこな阿呆どもも拘束しなさい。馬鹿に乗せられたのか、乗せたのか、今は判りませんが、相応の報いをあげますから。・・・さて、愚弟。お前がしでかしたことがどれほど国を危ぶませたか、わからないなどとは言わせませんよ」
「な、なにを!あ、義兄上こそ、国の危機に巫女姫にかまけて国に帰ろうともしなかったではないか!それに、それに・・・!義兄上は、母を亡き者にした!どう、言い逃れをするおつもりだ!」
男の見苦しさは目を覆うものがあった。大きく息をついた美貌の華人は、やれやれと言いたげに首を振る。
「・・・お前の母は、太陽と月の巫女の殺害計画に一役買っていたのです。どんな言い逃れも出来ない証拠もありました。何より、彼女を亡き者としたのは首謀者である根の国の王、エルレアです。・・・まったく、こんな言葉に乗せられて、手を貸したお前達も大馬鹿なら、」
そう言って、居並ぶ元老院の要人を睥睨した。震え上がり、目を逸らす彼らに、華人は続けた。
「・・・華の刻印をたてに、巫女姫を攫ったお前は、真性の大馬鹿です」
その言葉に、その場がざわめいた。遠のきに拘束された男を見る者たち。その目が、表情が、男を責めていた。
「・・・・・巫女姫を、攫った、だと・・・?聞いておりませんぞ、殿下」
「・・・・・そういえば、先ほども、奴隷娘がもうすぐ手に入ると仰っていた・・・まさか、その、奴隷娘とは、巫女姫のことですか・・・?」
「・・・・・な、なんということを・・・!それでは、精霊の怒りももっともなこと!」
男が周りを見やると、その突き刺すような非難の眼差しに、焦るように喚き出した。
「・・・こ、刻印奴隷は刻印奴隷だ!攫って思い通りにして何が悪い!」
「・・・そう、王族にあるまじき卑怯な行いでもって、巫女姫を誘い出したのですよ。この馬鹿は。幼い少女を攫って、人質とした上、巫女姫に自ら出てくるように画策したのです。彼女は、自分がどんな目に合うか判っていながら、少女を助ける為に、動いたのです。・・・・・私は、恥ずかしかった!そのような、非道な行いをする輩に、仮にも私の義弟が・・・加担しているなどと、信じたくはなかった。・・・・・けれども、先ほどの言葉。語るに堕ちるとはこの事です」
美貌の華人の苛烈な糾弾はその場に居合わせた者たちの胸を抉った。力なくうな垂れ、遠のいていく、とりまき達。彼らもまた、己が立つ場所が約束された場所ではなく、砂上の楼閣であった事にようやく気付いたのだ。馬鹿な男に、一生を賭けてしまったのだと、悟ったのである。
「お、王よ、我らは取り返しのつかぬ事を・・・!」
「嘆くならば仕事をなさい。イルセラとセルリアの謹慎を解き、二人をここへ。それから、どんな手を使っても良いから、そこな馬鹿者から、情報を・・・巫女姫の行方を聞きだしなさい」
リシャール王の言動に、小さな笑い声が重なった。
拘束された男が、始めは低く、やがて大きな声で笑い始めた。リシャール王が眉をひそめた。
「・・・愚弟。何がおかしいのです?」
「は、ははは、ははははは!奴隷娘は、攫った当初に屋敷を抜け出して、今も行方がわからない!判らないんだ、義兄上!八方手を尽くして捜しているが、今だ、見つからない!・・・・・見つからないから、そろそろ・・・・・娼館を、捜してみようと思っていたんだ」
氷の沈黙が辺りを包んだ。
それに気付かず、いや、わかっていても、やけになっているのだろう男がなおも言い募る。
暗い瞳は闇を覗き、いやらしく歪んだ唇は、どう言葉を載せれば目の前の貴人を打ちのめせるのか、考えに考えた、声音で。まるで見てきたように話すのだ。
「く、くくくく、見ものだよなあ。ねえ、義兄上?捜しに捜して見つけ出した巫女姫が、どこかの男の下で鳴いて、いたら!刻印が、成されているから、男を弾劾することもできない!刻印が成されているから!・・・・・場末の娼館に拘束されてても、不思議はないものなあ!義兄上!!」
怒りは。
凄まじいものがあった。
突如顕現した青龍が、男の体を拘束し、ねじ切らんばかりに力を込めて締め上げる。
男が目を血走らせ、喀血して気絶するまで、それは続けられた。
リシャール王の怒りが押し留められるまで、誰も誰も・・・彼に話しかけることは出来なかった。
やがて、リシャール王が疲れたように言葉を発する。
「愚弟の、言う通り・・・・・娼館を・・・・・捜索対象に、いれなさい・・・・・」
怒り、悲しみ、悔恨の念で発せられた言葉は。
現れた、イルセラとセルリアの言葉で、払拭される。
「巫女姫?あ、大丈夫。俺らが保護してるから!」
その時のリシャール王の表情は、後世までの言い伝えの中に在る。
すなわち。
氷は一瞬にして瓦解し、春の日差しの眩いばかりの笑顔、と・・・。
その日。
下級神官が管理する孤児院に、水の国の国王自ら赴いて、彼らを称えた。下級神官たちは、彼らが保護していた少女が太陽と月の巫女であることに、ようやく気付いた。
王が巫女姫を伴ない神殿に上った事で、差別意識の高い上位神官も娘を認めざるを得ない状況に陥っていた。
そして、そこに畳み掛けるようにして発せられた神殿の祭祀長の言葉である。
「国、みつるのは精霊の息吹、精霊の加護がみつるため。精霊巫女姫は、すでにして人の裁定の範囲外に在る者なり。華の刻印は、人の裁定。巫女姫には何程のものではない・・・。これを貶めるは、過ちである。間違いは正さねばならぬ。水の神殿はここに宣言する。太陽と月の巫女姫は、貶められる存在にあらず、保護し、守るべき、王のただ一人の姫である・・・」
その夜。
チヒロはリシャールに縋りつかれていた。イルセラとセルリアを見やるも、二人とも嬉しそうな顔で微笑ましげに見るだけだ。困ってしまって、チヒロが身動くと、リシャールはさせじとまたきつく、抱きしめる。その繰り返しに、いい加減チヒロが、焦りだした。
「あの、あの、り、リシャール、さま?手を・・・手を離してはいただけないでしょうか・・・。そ、その・・・は、恥ずかしい、デス・・・」
それに、チヒロの胸に顔を埋めたままフルフルと首を振り、答えるリシャール。
頭を抱えたくなった(デモできない拘束されてるから!)チヒロが、救いを求めてイルセラとセルリアをまた見つめた。その眼差しに、キレタのは、リシャールだった。顔をチヒロの胸に埋めたまま二人の将軍を睨む。
「・・・チヒロは・・・あんな軽薄な輩が好みなの・・・?それとも、助けに間に合わなかった私を、拒絶、したい、の・・・?」
「・・・は・・・?」
「・・・そもそも、イルセラとセルリアが、まじめに仕事をして、あの馬鹿の手綱をちゃんと、取っていれば・・・今回の誘拐騒動はなかった、訳ですよねえ・・・イルセラ?セルリア?なのに、あなた方ときたら、面白がって謹慎なんか喰らって・・・挙句に体よく姫を助けた勇者ですもの。姫が、あなた方に焦がれるのも、わかる、ものねえ・・・・・」
最後の方は、おどろおどろしい声だった。
イルセラとセルリアは、敏感に察知して、逃げの体制に入る。
「あははー、ご冗談を、我が君ー。我が君が下級神殿まで迎えに行った時の、巫女姫のあの嬉しそうな顔ー!あれは、そー。白馬の王子様を待つ女の子の眼差しでしたよー(青龍だったけどー)」
「そーそー。元気出して、我が君!あの馬鹿に後れを取ったとはいえ、こーして無事に保護できたんだからさー!」
そう言いながら、二人は必死にチヒロに目で合図を送る。ほら!ほら!と言わんばかりの二人に、チヒロも、え?え?と思いながらも、言葉を捜した。
(えーとえーと、軽薄な輩ってイルセラさんとセルリアさんよね?好みって、好みって・・・何?何を言ってるのさ、リシャール様ー!拒絶、拒絶って、リシャール様をー?ええー???え、と、兎に角!)
「ええと、ええと、リシャール様は好きです。拒絶なんてしませんよー!そ・・・それから、」
そう。軽薄かどうか判らないけど、イルセラさんとセルリアさんも好き、と続けようとして、間近でリシャール様にみつめられて、声が出なくなった。
深い水の色の瞳が、大きく見開かれて、それから優しげにすうっと、細まったかと思ったら・・・、そのまま、水色の髪がさらさらと落ちてきて。
深い口づけが始まった。
慌てて外そうと逃げを打つも、行く手を遮られて、唇が深く合わさる。
頭も腰もがっしりと支えられて、逃げられない。逃がしてくれない。
羞恥に頬があつくなる。丁寧に舌を絡められ、唾液も吐息も吸い取られ舌の根元まで探られては・・・もう、いけない。
息が苦しい。意識が遠くなる。・・・ああ。
「・・・行け。明日、夕刻まで、誰もここに立ち入るな」
「「御意」」
・・・遠くで、リシャール様の何かを耐えるような声が聞こえて、イルセラとセルリアのいやに真面目な声が答えたような気がした。
背中に柔らかな感触。
素肌に直に感じる固い胸。
胸に口づけが降り、背が浮かぶ。
時折、囁くように名を呼ばれ、乞われる様に名を呼ばれ・・・切なくなった。
心配で、心配で、心配だったのだと、その声音が言っている。まるで迷い子のような、声。
「・・・ここに、います・・・ここに、・・・」
答える声は自然口に上った。それに、虚を失ったような顔で、リシャールがチヒロを見つめ・・・眉を寄せた。呻くように呟く。
「・・・すまない、すまない、チヒロ・・・。義弟のせいで、貴女にこんな不安を与えてしまった・・・怖かっただろう?夜の道を走ったのだと聞いて、私は・・・私は・・・なのに、貴女を確かめずにはいられないのだ。・・・あなたが、いないと聞いて・・・娼、館に拘束されているのかも、と聞いてから、私の身の内に炎があるのだ。あなたを焼き尽くし、貴女と共に逝きたいと願う炎が」
ああ。と吐息が頬を掠める。何という熱。何という思い。
チヒロはリシャールを見つめたまま、頷いた。
瞬間、掻き抱かれ、貪るようにその身を翻弄された。
乞われるままに声を。王の望みのままに。
涙はすべて吸い取られ、喜びの声も擦れ行く。
王の渇きを癒していく。王の心を満たしていく。
朝が明けてもその部屋には宵闇が満ち、昼を跨いでも朝は来ない。
泣き過ぎてまぶたが開かなくなった頃、リシャールが半身を起こした。
宵の光に照らされた、神と見紛うその美貌に、満足の笑みを見て、ようやくチヒロは眠りに付いた。
その寝顔に、惚れ惚れとするリシャールがいる事に、気付くものは誰もいない。
・・・そう、当のチヒロとて。
子ウサギを美味しく食べたのはリシャール狼でした。