第五十八話:子ウサギと狼と、狐と狸。2
物語の構成上、やむなく人権侵害的な言葉を用いた表現をとっていますが、当方もちろん、奴隷制度は嫌いです。それに順ずる言葉も嫌いです。
また、今回、拉致監禁等、盛り込んでいます。非道な事を見たくない方は回れ右で。
『治安の悪い町』に住む強面のおじさん達は、以前は別の町で家族と共に住んでいた、ただちょっと怖い顔の(・・・)おじさんなだけだった。
一人、また一人と流れるようにこの町にやってきたおじさんたちは、みんな、自分の、妻や娘を捜していた。
自分の大切な人が攫われていなくなった日から捜して捜して、ここまで来た。
そして、彼らはこの町でクルス亭という宿屋に目をつけた。
時折、大勢の娘さんが泊まりに来て、どこかへ消えてしまう。・・・夜に。
彼らは、気付いた。ここが、人身売買の中継点である事を。
クルス亭を遠巻きにして見つめる町の男衆達と、チヒロたちは侵入方法を模索していた。
「私とファームは、正面から入れば良いでしょう?妹さんと一緒に捕まってれば、逃げる時に良いと思うの」
「姫・・・」
「私、立派なおとりになるわ!それに捕まれば、相手も隙が出来るでしょう?」
イザハヤたちの葛藤は計り知れぬものがあった。しかし、チヒロの言う事ももっともで、何より、助けなければならない少女がいるのだ。もしかすれば、他にも娘さんがいるかもしれない。だから、彼らは渋りながらも同意した。必ずこの娘達を助けると心に決めて。
その頃、件のクルス亭の中では。
一人の男が水鏡を前に汗をかいていた。水鏡に映るのは、美しい女性。
「・・・本当にあの小娘がやってくるのかしら?たかが、侍女の妹を攫った位で・・・危険とわかっているのに、本当に来ると?」
「は・・・。例の侍女にはきつく言い含めてありますから、何とか言いくるめて連れてきますよ。無理だったら、また別の手を考えます」
「・・・そう。まあ、いいわ。いいこと、必ずあの奴隷娘を我が君の元から連れ出すのよ。後は、奴隷娘がどうなろうと知ったことじゃないわ。あなたの好きになさい。そうね、場末の娼館でも紹介してやればいいわ」
意地悪く顔をゆがめて笑い出す女に、宿屋の主人は困惑げなかおを向けた。
「二の姫様、その、父上様はこの件をご存知なのですか?」
「父は知らないわ。わたくし達だけで行うのだもの」
「は・・・。では、二の姫さま、実はもうすでに巫女姫には買い手が付きまして。こちらで処分しても構いませんね?」
「あら、どこの娼館?」
「や、仮にも巫女姫だった者を場末の娼婦になど出来ません。斡旋しても持て余すだけですから・・・。さる高貴なお方様の耳に入ったようで、その方が身請けを買って出られました」
「・・・・・どこのお方よ。まさか、我が君ではありませんわね!?」
「!当たり前です!私のような下郎が、光り輝くあのお方の目や耳に入るわけがありませんでしょう!」
言外に自分とお前は下種だと、同じ穴の狢だと言っているのだが、女はその意味に気付かなかった。気を取り直したのか、ころころと笑って頷いた。
「ほほ、ほ。たしかに、お前のような下種な輩が、我が君の目にとまるはずなどなかったわ!我が君に無礼を申したわ」
「・・・では、二の姫様、巫女姫はこちらで高値で売らせてもらいます。もう二度と、日の目を見ることの叶わぬ闇へご案内しますゆえ、ご安心召されよ。それでは、成功の暁には、手配料としてお約束の金額を、後日入金してくださいますな?」
「お前、あの娘を高値で売ると申したではないか!・・・だが、まあ、良い。口止め料と思えば安いもの・・・しっかりと、頼みましたよ?」
水鏡の表面に波紋が浮かび、女の姿が消えたのを見計らい、宿屋、クルス亭の主人は忌々しげに呟いた。
「下種め!巫女姫を攫ったからと言って、王がお前のような女を本当に選ぶとでも思っているのか?・・・ふん、だが、まあ、いい。思わぬ大金が手に入るんだ、手配料として黄金が、斡旋料として黄金が!くく、巫女姫、売っ払ってとんずらするぞ。一世一代の大勝負だ、負けられねえ!」
ぎらぎらとした瞳を輝かせながら、男が誰ともなくそう叫んだ時、また水鏡が輝き始めた。
「お、」
慌てた男が居住まいを正す。そして、水鏡に、今度は一人の男が浮かび上がった。
「クルス、手筈はどうだ?うまくいきそうか?」
「これはこれは、もったいないお越しありがとうございます。王弟殿下。もう間もなく、網にかかりますゆえ、もう少しお待ちください」
「ふふ、義兄上が悔しがる様を早くこの目にしたいものだ。あの美貌が嫉妬に歪むのだぞ、愉快じゃないか!」
男はなおも自分の言葉に酔った様に続けた。
「・・・国の主な貴族も、奴隷巫女姫の排斥に協力を惜しまないと確約してくれた。ここで、奴隷巫女姫を手中に収めれば。巫女の精霊の力を使い、義兄上を追い落としてやれる・・・!よいか、クルス、何としても奴隷巫女姫を手に入れるのだ。金は惜しまぬぞ!」
「は。必ず、巫女姫を捕らえてみせますとも!」
宿屋の主人はそう言って恭しく頭をたれた。胸の中には侮蔑の言葉が渦巻いていたが、それを表に出すほど馬鹿ではない。頭をたれた男の姿を満足げに見やり、王弟殿下と呼ばれた男の姿が、水鏡に消えるのを待つ。水面に浮かんだ波紋が消えたのを見計らい、悪態をつき始めた。
「・・・まったく、高貴な方こそ扱いやすいものはない!しかも、金払いはいい、馬鹿さ加減もいいときた!お得意様を失うのは痛いが、なあに、とんずらした後でまた似たような馬鹿を相手にするさ」
そう呟き、部屋を出る。薄暗いそこは、宿屋の地下倉庫だった。倉庫の奥に扉があった。
男が、食料やろうそく等の備品の棚を通り抜け、階段を上り一階部分へ出ようとした時、すすり泣く娘の声を耳にした。ちっと舌打ちをして、もうひとつの部屋を目指す。頑丈な鍵が掛けられた扉を乱暴に打ち鳴らすと、恐ろしい声で中の者を脅し始めた。
「やかましいぞ!泣くんじゃねえ!泣き顔じゃ高く売れねえだろうが!」
「・・・おねがい、ここから、出して「おうちにかえりたいよ」
「・・・お金なら、ちゃんと、払いますから・・・「家に帰して「おかあさん」
「おねがいです「おうちにかえりたいよう」
年かさの娘の声に、年端もいかぬ娘の声も混じる。皆、泣き声で家に帰して欲しいと懇願していた。
そんな哀れを誘う声にも動じる様子のない非道な男は、ふんと鼻を鳴らした。
「諦めろ、良い所、紹介してやるんだ、感謝してほしいくらいだ!それに、これ以上ぎゃあぎゃあ言うんじゃ、こっちにも考えがあるぞ!・・・華の刻印は知っているな?尊い巫女姫様の胸に押された刻印だ。・・・同じものを押してやってもいいんだぜ?」
中の娘達の息呑む声が、響いた。それきり静まり返った部屋の様子に、男が満足げに頷いた。
「・・・そう。そうだ。そうして大人しくしていりゃ、乱暴はしねえ。刻印も押されずに済むってもんだ。だが、また騒ぐなら、見せしめに誰かに押してやるからな!」
そう言って、部屋を後にした。中に囚われた娘達は、お互いを抱きしめあうと、静かに涙を流した。
薄暗い地下室に光は差さない。絶望もまた暗く、陰鬱な空気となって娘達を押しつぶしていた。
誰が、ここから出してくれるだろう。ここを出る時は、それは隷属を意味していると、娘達は自ずと理解していたのだ。
・・・通りから路地を入り、人目につかない場所に建っている宿屋の前で、娘二人が手を取り合って宿屋の扉をたたいた。
「へい、毎度!・・・・・おや、ファームじゃないか」
宿屋の主人の目が妖しく光る。獲物を見つめる野獣の目で。件の侍女を見たあと、おもむろに、隣に佇む小柄な娘を見た。清楚な侍女服に身を包み、制帽にきっちりと髪を包ませ、傍から見てはそこらに転がる娘に過ぎない。・・・が。
宿屋の主人は上機嫌で頷いた。扉を開放し、娘達に中へ入るように体をずらす。
「ようこそ。クルス亭へ、どうぞ、お入りください」
「・・・約束は、守ってくださいますか?」
俗に、鈴の転がるような可憐な声と評するが、まさにそんな声だった。
クルスの見の内をぶるりと撫で上げる美声。
目の前に、稀なる巫女姫と評される、本来ならば城の奥深く隠される姫がいるのだ。
慎重にことは薦めねばならない。
目の前に居る娘が大金に化けるのだから。
クルスは口元を歪ませて笑った。肉食獣の笑みで。
「・・・約束は守ってやりまさあ。巫女様が大人しく鎖に繋がれてくれるのなら、ね」
「・・・では、彼女の妹さんを出してください。彼女の無事を確認したいの」
「おっと、それはいけねえ。連れてきたら兵士に囲まれてたなんてのは、ごめんです。巫女様が中に入ってくれなきゃ・・・て、ちょっ・・・、まっ・・・まった!」
「ごめんね、ファーム、お役に立てなかったわ」
「いいえ、いいえ、姫様!ここまでご一緒くださっただけで、私も本望ですわ!・・・それに・・・もうあの子は売られてしまったのでしょう。ほんの少しの時間すら、与えてくれないのですもの!もうここに居ないんですわ!」
くるりと踵を返し、歩き出した二人。
歩きながら顔を逸らし、わざとらしくファームに謝ってみせたチヒロに、ファームが答えを返し、さめざめと泣く。それを見たクルスが慌てたように声を荒げた。
「・・・つ、連れてくる!娘を連れてくるから、そこ動くんじゃねえぞ!」
ばたばたと宿屋の中に走りこんだ男をそーっと見てから、チヒロは合図を送った。
イザハヤと灰色狼が、風のように駆け抜けて、あっという間に屋敷の中に、姿、気配が消えた。
彼らが、監禁された娘達の居場所を掴んでくれるはずだ。最悪、捕まっても、精霊とイザハヤが力になってくれる、とチヒロは思っていた。
まさか、あんな仕掛けがなされているなどとは、気付かなかった。
まだ、誰も。精霊ですら。
男は確かにファームの妹を連れてきた。
喜び合う二人を見て、自分が少女と交換になるのだから、用済みの二人を帰して欲しいと言ったら、男が渋った。
帰した二人がここの事をばらしてしまわないか、心配なのだろう。だけどこのまま二人を置いておいて、いいはずがない。と、悩むチヒロを横目に、ファームが言った。
「では、妹だけ逃がしてください。もとより、私、姫様をおいて帰る気はありませんでした。それに、妹はこんなに幼いのですから、ここがどこかなんて判る筈ありませんわ」
その一言で、宿屋の主人は納得した。
馬車を呼ぼうと言う男を尻目に、チヒロは少女の目線に合わせてしゃがみこんだ。
「えらかったね。ねえ、精霊さんがご褒美に背中に乗せてあげるって言ってるの。赤い鳥の背中、乗ってみない?ちょっと熱いけど、お空の上は気持ちいいよ」
そう言って、鳳凰を顕現させた。
背中に少女を乗せて、羽ばたくキュウちゃんを見送り、くるりと男に向き直ると。・・・男は、腰を抜かしていた。驚愕の眼差しで、チヒロを見、呟く。
「せ、精霊巫女姫さま・・・!」
男は、ようやく目の前の小娘がどういう存在であるのか気付いたようだ。けれども、だからと言って、計画を取りやめる気はなさそうだった。
巫女姫を売る。そして大金を手に入れる。それしか、考えが及ばないのだ。
・・・それに。たとえ捕らえられても。
刻印奴隷を売ること自体、違法ではないのだ。
なぜなら、刻印奴隷は、別称を「物言う家畜」と呼ばれ、彼らを売り買いする事は、家畜のそれと同等と取られていたのだ。
「・・・だ、大丈夫だ。大丈夫。精霊巫女姫と言えど、刻印奴隷なんだから、お、俺が捕まるはずがねえんだ、大丈夫・・・」
男は、誰に言い訳するでもなく、自分に言い聞かせるようにして呟き続けた。
・・・そんな男のあとに続くのは勇気が入った。
大丈夫なんて台詞、こっちがかけてもらいたいわ。内心そう呟きながらチヒロは、震える足を叱咤して前へ進む。無謀な事と知っての行い。でも。一人じゃない事がうれしかった。
そっと、繋いだ手を握り締める、と、握り返してくれる。ファームと目で話し合い、微笑みあった。ファームの顔が、青い。きっと私も、青い顔をしているのだろう・・・。
でも、イザハヤがみどりちゃんが、町のおじさんたちがいる。だから、きっと、大丈夫。そう思っていた。
・・・案内された部屋は、酷く狭くて、暗かった。
男が扉を開け、その身をずらし、入り口を示す。ファームと一緒に入ろうとしたら。
「だめだ。ここは、姫様の部屋だ。お前は別の部屋に案内してやる」
そう言って男が、チヒロの肩を乱暴に押した。とっさに反応する事が出来ずに、男の押した勢いのまま、その部屋に投げ込まれた。
その時。
部屋が青く光を放ち、目の前が、真っ青に染まった・・・。
「ひめさま!」
異変に気付いたファームがチヒロを呼ぶ。
だが、答える声はなく、光が収まった後の部屋にはチヒロの姿が無くなっていた。
「ひめさま!ひめさま!どこへ、・・・どこにやったのですか、あなた!」
ファームが叫び、男に食って掛かった。続いて男の笑い声が響いた。
「やったぞ!これで、大金が手に入る!ああ、お前の買い手も捜してやるから心配するな!」
「ひめ、さま・・・」
ファームが絶望に泣き崩れた頃。
怒りに満ちた眼差しが、男を射抜いていた。
チヒロという人質が居ないのだ。
何の遠慮がいる?
・・・彼らは、合図の為の爆薬を、男めがけて投げつけた。同時にその場を駆け出し、ファームを抱え、物陰に隠れ爆風を遮る。ファームが泣き濡れた目で、金の瞳を見上げた。わなわなと震える。
「イ、イザハヤ、様・・・、ひ、姫、さま、が・・・」
「ああ。わかっている」
「も、うし、わけありませ・・・・」
「いい。謝るべきは姫様に。・・・それに、私とて、お役に立てなんだ。さ、他に捕まっている者も見つけた。助けるぞ」
淡々と呟く。自省の念にかられていても、今、なすことをしようと、立ち上がった。
「お・・・」
町の男衆がクルス亭のならず者(従業員)を倒した頃、ずるずると何かを引きずりながら、灰色狼がこちらへ歩いてくるのが見えた。
灰色狼は、いかにも不味かった!と言わんばかりにぺっ!と男の襟首を口から放し、ゆっくりと威圧的に男の胸倉にのしかかった。
ぐるると唸る。
気絶していたのか、あちこちに大きなやけどを負った男が息苦しさに目を覚ますと、目の前に大きな狼。男は縮み上がると、また幸せな気絶をしたのである。
それから暫くたって、恐る恐るという感じで大勢の娘さんが宿屋の地下室から出てきた。
「おお」
「随分捕まっていたみたいだな、いったいどこにこんな数の娘さんたちを押し込んでいたんだ?」
・・・イザハヤに連れられてこわごわ出てきた娘さんたちを、満面の笑みで迎えた強面のおじさん達。その顔を見て、彼女達が泣き出したのは言うまでもない。
こうして、長年「治安の悪い町」の頭痛の種だった、人攫い宿「クルス亭」の最後の人攫い事件が終わりを告げた。
だが。
そこに居なければならない巫女姫の姿は、ないままだった。