第五十七話:子ウサギと狼と、狐と狸。
「姫様!」
根の国の王城に在って、太陽と月の巫女のお側を固めていた風と火の国の侍女達が騒ぎ始めた頃。
チヒロはイザハヤを伴ない、侍女のあとに続いていた。
申し訳ありませんと、何度も何度も謝る侍女に、チヒロは、ううん、と首を振って見せた。
「・・・貴女は悪くないよ?だって、妹さんは助けなきゃいけないもの。悪いのは、妹さんを攫って貴女を脅した人たち。・・・だいじょうぶだよ。ふうちゃんに先に行って見守っていてもらってるから。何かあれば、動いてくれるって言うし・・・うん。怖い思いをしていると思うから、早く行かなくちゃ・・・。あと、ごめんね、イザハヤ?」
今のチヒロとイザハヤは、侍女服を着こんで、髪を制帽に隠し、伏せ目がちで足早に城内を抜け出そうとしていた。
・・・件の侍女がチヒロに始めて接触した時。彼女の周りにはべっていた風の精霊達がしきりにゴメンナサイ、ゴメンナサイ、とチヒロに謝っていた。
侍女は気付いていないようだが、チヒロは彼女の側にいた精霊に事情をすべて聞いていたのだ。
彼女の妹が攫われたと聞いた時は驚いた。それも、チヒロを連れてこないと妹に華の刻印を押すと脅してきたのだという。誰に相談しても、話が漏れた段階で妹に刻印がなされてしまう、と脅された彼女は、進退窮まってチヒロの元にやって来たのだ。
チヒロはすぐにイザハヤに彼女の事情を話し、協力を頼んだ。が。
「彼女の葛藤は理解できます。しかしそんな卑怯な輩の下へ、姫を連れて行くなど出来ない」
そう切り替えされてしまった。それからは、押し問答。
「貴女は、妹殿のことばかりだ。姫がその者たちに危害を加えられないと本気で思っているのですか?よしんば、その妹と交換されたとしても、その後姫がどんな目に合うか、考えもしていない!それに、助けに行ったところで、すでに刻印を押されていたら・・・貴女はどうします」
イザハヤの問いに侍女は息を飲んだ。
「さあ、答えなさい。貴女の返答次第では、ここで死ぬのは、・・・貴女だ」
「わ・・・私の胸に刻印を、同じように押してくださいまし。妹一人を、奴隷になど・・・させません!私も、私も参りますから!」
「イザハヤ!もうやめて!みどりちゃんや、だいちゃんたちも手を貸してくれるって、だから、もう、やめて」
侍女をかばうようにして、前に出たチヒロが言いつのる。そのチヒロの肩を取り、侍女は首を振った。
「いいのです。巫女姫様。彼女は私の甘い考えを砕いてくれたのです。なるほど、姫様を連れて行けば、妹は帰ってくるかもしれません。が、帰ってこないかもしれません。彼女の言う通り、もうすでに刻印がなされているかもしれませんし、殺されているかもしれません。・・・姫様、私は、卑怯でした。連れて行った姫様が、どのような扱いを受けるのか、考えなかったわけではありません。非道なことをなされるのがわかっていながら・・・それでも、姫様に縋ってしまいました・・・!精霊巫女姫ならば、何とかできるのではないか、とおもってしまったのです・・・」
泣き崩れる侍女。その姿を見下ろしながら、チヒロは胸に渦巻く感情と戦っていた。
人を攫って、脅しを掛けるような卑怯者の所へなど、行きたくない。
怖い。
でも、もっと小さい子が恐怖に震えているのだという、事実がチヒロを奮い立たせる。
助けたい。
怖い。怖い。怖い。でも、助けたいのだ。
何も判らぬまま、この世界に放り出された時、そばに居てくれた人や、精霊たちはとても優しくて、安心できた。たった一人で今も震えている子の事を考えてしまえば、助けに行く、事しか浮かばなかった。真っ直ぐにイザハヤの金の目を見た。イザハヤが怯んだような気がした。
畳み掛けるようにして、イザハヤに頼んだ。
「私一人じゃ、助けるなんて到底無理な話だわ。でも、イザハヤと一緒なら、何とかなるかもしれない。精霊たちも手を貸してくれるって言うし、お願いよ、イザハヤ。手を、貸して」
・・・渋るイザハヤを説得してここまで来れたのは幸運だった。
王様たちには手紙を置いてきたけど・・・今頃、怒ってるだろうな。
ちょっと愁傷にそう思っていたら、ゾクリと身震いがする。
こ、これ、この感じ・・・!
「・・・イ、イザハヤ・・・王様達、怒ってるかな・・・?」
「・・・それは・・・」
「お・・・怒ってるよね・・・・」
「は・・・」
どうしよう、と涙目になったチヒロだが、気を取り直したように、イザハヤと侍女・・・ファームに縋った。
「妹さん助けたら、一緒に謝ってね!」
・・・・・ソレハ、ワタシタチニシネト・・・?
どこか遠いところを見つめるふたりだった。
チヒロの置手紙を呼んだ王たちは。
低く、静かに笑っていた。・・・背筋が凍るほどの。
「下種な輩はどこまでも下種になれるのですね・・・。少女を人質にしておびきだすなんて・・・同じ人間という種類なのか、甚だ疑いたくなる」
「・・・人だろうよ。人を奴隷と蔑むのも人ならば、こうして助けに走るのも人」
「だが、人の皮をかぶった野獣に他ならない。さて、下種の顔を拝みに行こうか?」
「・・・私は思うところがありますので、別行動で」
リシャールが思慮深げにそう呟けば、オウランも頷いた。
「・・・そうだな。俺も別行動を取る。土の精霊が騒いでいるようだ」
「チヒロにはイザハヤが付いているから、そう慌てる事はないと思うが・・・手紙だけで出て行かれては、我らの立つ瀬がない・・・」
「ふふ。無事に帰るのが前提だが、さて、帰ったらどうしてあげようかな・・・?」
くすくすと笑いあう。その同時刻にチヒロの背中を悪寒が走っていた・・・。
子ウサギは震える。
狼は舌なめずりをする。
狸と狐たちは画策する。
さて、罠にはまるのは?
根の国城下に在って、最も治安の悪いと評判の町の一角。
治安は悪いが、そこに住まう者は気の良い輩だった。
だから、目の前をお譲ちゃんが歩いていると、心配して声を掛けてしまう。
強面の男に声を掛けられた娘が恐怖して泣いても、安全な場所まで引き返すまで、睨むようにしてそれは行われる。そんな、「治安が悪い」町に、のこのこと娘さんがやってきた。
それも、三人も。
みんなそろいのお城の侍女服を着込んだ、いかにも育ちの良いお嬢ちゃんだ。「治安の悪い町」に住む心配性の男達は挙って怖い顔を更に怖くして見せた。
「帰れ、帰れ!ここはあんたらみたいなお嬢ちゃんがくるところじゃねえぞ!」
凄めば、お嬢ちゃんは泣いて引き帰す、はずだった。三人の中の一人、金の瞳が鋭い娘さんが口を開く。
「この先に、クルス亭という宿屋があると聞いてきたのですが・・・」
クルス亭の名前を聞いた男達の気配が変わった。
「嬢ちゃん、クルス亭は良くない噂が五万とあるところだ。近寄るんじゃねえ!ああ、ほら、帰った帰った!」
『・・・イザハヤ、このおじさんたち悪い人じゃないんだって(とてもそんなふうには見えないけど)話して、味方についてもらえって!みどりちゃんが』
娘さん三人組は、こしょこしょ話し合う。イザハヤが男達を見た。イザハヤの眼光にビビりもせず、男達は金の瞳の威圧的な侍女を見た。
「クルス亭が良くない所と教えてくれてありがとう。・・・だが、私達は行かねばならない。・・・彼女の妹が、そこに囚われているんだ」
ざわり、と空気が変わる。男達のもたらす怒りの波動だった。
「・・・・・話せ、嬢ちゃん。話によっちゃあ、町の男衆上げて手を貸すぞ」
男達が苦いものを飲んだような顔で言った。
「クルス亭のおやじめ!今度こそ尻尾捕まえてやるぞ!いいか、みんな!今度こそ、あいつをとっ捕まえて、この町を、『治安の良い町』に変えてやろうぜ!」
強面のおじさんが叫ぶと、周りにいた強面のおじさんが「うおおおおお」と同意の声を上げる。
その渦中で。
・・・極道の出入りってこんなかんじかな・・・?
と、ぼけた事を考えていたチヒロであった。