第五十五話:刻印の巫女姫・3
黒い刀身の小ぶりの剣は、確かに私の手にちょうど好い大きさだった。
「えるれあ?」
呟くように囁くと、黒い刀身が淡く輝く。
・・・確かに、応答する事は出来るのだろう。声はないが。
エルレアだった刀を握り締めた私を、王様達は見ていた。
支えられ、立ち上がり、一歩を踏みしめる。・・・愚痴は、あとで。
「早急に各神殿の祭祀長に召集を。今回の件が公になる前に」
「各王直属兵士に通達。今回の件は他言無用に処す。戒厳令を」
「チヒロ、おいで」
「姫。こちらへ」
俄かに慌しくなった会場を出て、セイラン様に私室に使用していた部屋に招かれる。
先にこちらに来ていたリシャール様が水の精霊を呼び出していた。セイラン様も、木の精霊を呼び出し、色々な薬草を顕現させていた。
「胸を、診せておくれ」
セイラン様がそう言った。
この世界随一の名医、セイラン様が胸の刻印をそっとそっと撫でる。そのたびに引き攣れる痛みに顔が歪んだ。
「癒しの薬は?氷だけ?」
「癒しの水冷術を試してみるか」
「だが、やはり、痕が残る・・・」
セイラン様とリシャール様の顔に翳りが走る。
そっと・・・触れられた。刻印。
「・・・もともとは、旧時代の奴隷制度の名残なのだ」
「ね、王様の国にも、奴隷はいますか?」
口を濁し目線を外した彼らに、悟る。奴隷は今も各国に存在する。
「以前、シャラ様が、火の国では女性は一人歩きをしていれば、攫われ、売られてしまうと聞きました。攫われた彼女達も、奴隷に?」
「・・・そう、だ」
ここで、私は一息をつく。真っ直ぐに王様を見た。
「・・・この刻印を押された者は、奴隷になるんですね?・・・では、私、も・・・?」
震えが走ったけど、そんなものは後だ。自分の今後の事だもの。
奴隷、奴隷ってなんだろう?
肉体労働?働くのは好きよ。
危険汚いきついの3Kかな?
でも、労働の対価としての賃金や、それからもっと当たり前の言葉、「ご苦労様」とか「ありがとう」の言葉もかけてもらえない、搾取されるだけの人間、(それとも、人間、とすら認めてもらえないのかな)は、嫌だ。
口もきいてもらえないのかな、昔の人種差別って生活の場ですら区別されたって云うし。
話しかけても聞いてもらえない、それどころかあっちへ行けとか言われるの?
なんてことを考えて、暗くなっていたら、側にいたセイラン様とリシャール様の空気が変わった。
「そんなことはさせない」
「姫をそんな目に合わせるなど、私が許すはずがないでしょう!」
憤る二人。目が怖いデス。
あの、もしもし。
・・・ど、どんな惨い考えに思い至ったんですか・・・。
なんか、自分が思う以上に厄介な事になったってことだけは、二人のまとう雰囲気で推察する事が出来た。
五人が集まって話を詰めていく。
「神殿の祭祀長は、引き込まねば」
「各国の元老院の、お歴々も」
「・・・手っ取り早いのは、刻印奴隷すべて跡形もなく殺してしまうことなのだが・・・」
「し。姫が聞いたら、泣いてしまう。・・・だが、それが一番早い道なのは、事実・・・」
「・・・エルレア、焼き殺してやりてえ・・・」
「同感だ。剣だろうがなんだろうが、火にくべてやりたいね。チヒロにあんな痛い思いをさせておいて、それなのに、今もまだ彼女に張り付いている・・・忌々しい」
ぎりぎりと歯軋る。行き場のない憤りは、各王たちの胸の奥を焼いた。
同時刻。
嘆き悲しむイザハヤを宥めながら、私は思い知らされていた。
刻印は忌むべきもの。・・・その認知度の高さ。
嘲り、蔑視を受ける最たる証。
でも、疑問が湧いた。・・・なぜ?
望んで受けたシルシではないのに、嘲られるの?・・・なぜ?
これひとつで、全てを否定されてしまうの?・・・なぜ?
これ、を刻んだのは、私じゃない。
それは、きっと他の刻印を持つ人たちだって、そう。
攫われて、無理やり押されて、絶望がそんな簡単な事もわからなくしているのかな。
だって、誰だって、自分の主人は自分なの。他人じゃ、ない。ましてや、刻印を押して、奴隷である事を強要する奴の、言う事なんか・・・聞きたくない。
私は私だけの主人でありたい。
イザハヤの肩をぽんぽんとたたく。もはや泣き縋る、という状況ではなく、押しつぶされそうになりながら、それでも、イザハヤを抱きしめて、気の済むまで。・・・泣き濡れた金の瞳が私を捕らえてくれるまで。このまま、押しつぶされていよう。
そしてイザハヤが正気に戻ったら、相談しよう。かなり怒られる事だろうけど、でもしなくちゃいけない事だって思うのだ。
・・・刻印奴隷に会ってみたい。
私が太陽と月の巫女じゃなかったら、おとされていた世界。そこに住まう人たちの話が聞きたい。
イザハヤに散々怒られ、なだめられても、私は前言を撤回しなかった。
そしたらハビシャムさんがやってきて、一瞬痛ましい目を見せ、彼は、言った。・・・王を納得させたならば、叶いましょう、と。だから、王様達の前で言ってみた。
馬鹿正直に。
「堕ちるはずだった刻印奴隷の生活を、見てみたい。話を聞きたい」
速攻で軟禁された。
・・・なんか、ヘンな事を言ったのか・・・?
しっかりと外から鍵のかかった部屋で、ドアノブ前にそう思った。
でも、まあいい。
この世界の人たちは優しいから。だけど、それじゃ前に進めない。
だから。
「キュウちゃん、ふうちゃん、だいちゃん、りゅうちゃん、・・・みどりちゃん」
彼らを呼ぶ。彼らは人ではないから、きっと願いを聞いてくれるはず。
顕現した精霊は、いたわしげな眼差しで刻印を見た。
散々、謝ってくれたんだから、もういいんだよ、って何度言っても、あの時その場にいながら何の助けにもならなかったと言って、彼らは目を伏せるのだ。だって、無理していたって知ってるよ。あれだけの呪詛、あれほどの瘴気、生半可な気持ちじゃあそこに立つ事さえ難しかったはず。なのに、彼らはそんな事はおくびにも出さず謝ってくる。・・・特にみどりちゃんが。大きな身体で灰色の耳をぺたりと伏せた姿は。姿は・・・かわいすぎるっ。わしっ!と抱きしめて、頭を毛皮にぐりぐりさせる。・・・ああ、至福。
精霊の声が聞こえる。
心配するな。人間が姫を愚弄するならば、相応の報いを与えてやるから。
我らの姫を侮辱するなら、それ相当の覚悟がいると思い知らせてやるから。
姫を蔑むものには罰を。
姫を怖がらせるものには刑を。
この世界とて、姫のためにならぬなら・・・・・。
うっとり聞いていたら、ななななんか、最後の方、ふ、不穏・・・?
慌てて顔を上げるとみどりちゃんがぺろりと顔をひと舐めして、頬に頬をこすりつけてきた。
ぐりぐり。ふふふ、やさしいね。