第五十四話:刻印の巫女姫・2
エルレアの微笑みは、どこかエルレアーナさんを思わせた。
「奴隷の名誉回復って・・・エルレアーナさんのこと?」
チヒロがそう尋ねると、エルレアは笑った。
「・・・そうだ。母のことでもある。貴殿らは考えた事があったか?小国とはいえ、一国の王女が囚われ、刻印をおされることを。・・・俺の父はそれでも母の名誉を回復するのに必死だったそうだが、そんな父を尻目に、この国の貴族どもは、母を嘲り、辱め、罵った。・・・誰が、好んで刻印を押されようか。誰が奴隷に望んでなろうか!だれが・・・それは、戦を起こした国であろう?戦を認めた王であり、貴族であろう?だから、私はその償いを国に求めたのだ。そしてそれは、奴隷制度を野放しにしている他国・・・すなわち貴殿らの国にも当てはまる」
王達は静かに聞き入っていた。
「これから、巫女姫は嘲られ、貶められる。権利主張も出来ないまま、攫われ、殺されても、貴殿らには何の手出しも出来ない。・・・手を拱いて見ているか?」
肩や腰に回された腕に力がこもった。王様の纏う空気が凍った。
「・・・旧時代の遺物とは言え、早急に奴隷制度を潰してやる。奴隷階級の者たちの権利回復も」
シャラ様の言葉にエルレアは首を振った。
「それでは、だめだ。俺は華の刻印を良いものへと認識を変えて行きたいんだ。だから、彼女だった。・・・チヒロでなければならなかった」
「良いものへと認識を変化させる為、だと・・・?」
「そうだ。稀なる巫女姫の胸に咲く華。忌まわしい刻印だとて、様変わりするだろう?事実、兵士らの心境の変化は劇的だった」
ああ、確かに。チヒロはそう思った。
実際蔑みの目で見られて、身がすくむ思いを味わったのだ。傅かれるのも嫌だが、蔑まれ、忌むべき者を見る目で見られると、人の目が怖いと感じる。でも、それがこの先ずっと、続くのだ。
知らず震えが走った。思わず、胸元を握り締めた。
そんなチヒロを痛ましい者を見る目でエルレアが見た。
「・・・認識が変われば、それは忌まわしいものではなく、尊いものになろう。巫女姫の胸に咲く華と同等のシルシが、略奪奴隷たちの名誉回復になる。・・・一度押された刻印は、一生ついてまわるのだ。ならば、それを良いモノとせねば、押された彼らも報われぬ・・・」
「・・・認識か。確かにな。だが、それでお前がチヒロにしたことの償いにはならない」
淡々と、怒りを滲ませてセイランが言った。
「・・・この国は、もう終わりだ。王族は俺が最後の一人で、貴族も大概俺が粛正した。この国と民は、五王国の傘下に下る。好きに分断してくれて構わないぞ。・・・ああ、民を奴隷扱いにしないように、見張っていてもらえるとありがたい・・・」
「・・・ふん。それぐらいで巫女姫になした行いがちゃらになると?」
「思わんさ。だが、先の騒動で貴国の不穏分子たちは一掃する事が出来ただろう?・・・まあ、それが何の罪滅ぼしになる事もないがな。特に、巫女姫殿には」
「・・・そうです。貴方は、チヒロのこれからをも奪った。彼女は、これ以後いわれのない中傷に晒されてしまうでしょう。もちろん、全力で守りますよ?ですが、貴方のした事は、許せる範囲を超えています」
「・・・甘んじて受け入れるさ。時が間に合うなら、な」
「何を・・・」
「エルレア、さま?何を・・・」
ルテインが呻くようにエルレアを見た。そのルテインを見て、エルレアは自嘲するように笑った。
「・・・もう、いいのだ。ルテイン。もう、俺は、知っている」
エルレアの吹っ切ったような眼差しにルテインが驚愕の眼差しをおくった。
「・・・俺は、死人だな?死んでいるんだ、そうだな?母上が無くなられたその時に死んでいた」
「・・・エルレア様!そ、そんなことは!」
「ないのか?では、何故、俺に闇の術が使えるのだ?何故、闇は、俺に従う?」
・・・ずっと、不思議だったのだ、とエルレアの声が響く。ルテインは、返す言葉を捜していた。
「お前の下法で生きながらえている事にも気付いた。・・・俺は他人の命で生きながらえていたのだな?」
「エルレア、さま・・・。わたしは・・・」
ルテインが、がっくりとうな垂れた。
死人?
死人って、死?
「・・・だって、エルレア、生きてるじゃない・・・」
動いて、話して、つかまれた腕だって痛いくらいだった。それなのに。なのに。
ああ。
エルレアーナさんの声が聞こえる。
私の愛しい子。
私の愛しい子。
・・・私の愛しい坊や、どこにいるの?
「ルテイン、聞こえるか?母はずっと俺を捜していたんだ」
だから。
この場所から。
この、呪詛、渦巻くこの国から。・・・解放してくれ。
「・・・逃げるのか!チヒロにだけ、呪詛を背負わせて、貴様は逃げるのか!」
オウランがやり切れなさに叫んだ。セイランが抑える。
「・・・まったく、忌々しい男だ。勝手に渦中に叩き込んで、勝手に自分だけ退場するのか!」
アレクシスが怒りをあらわにした。リシャールが頷く。シャラが睨む。
そんな彼らを前に、エルレアは、翳りある笑みを見せた。
「・・・貴殿らの怒りはもっともだ。俺も巫女姫に償いがしたい。・・・だから、俺は彼女を守る闇になろうと思う。このまま、自我持つままに、業火に焼かれよう。そして、彼女を守る、剣となろう」
ゆらりと立つ姿が、黒い闇に包まれる。ルテインが慌てて駆け寄るも、弾かれた。悲痛な声が発せられた。
螺旋を描き黒い綱がエルレアを縛る。
・・・そこから黒い炎が立ち昇った。
「止めて!やめて!エルレア!」
チヒロの叫びに、エルレアは、一瞬驚き・・・そして、笑った。
「優しいな、姫。こんな俺に、まだそんな言葉を掛けてくれるのか?・・・心配するな、おまえを守る為に、出来る最大の罰を受けるだけだ。・・・母も、少しは、待っていてくれるだろう。こんな頼りない姫を一人放り出してきたと知れたら、俺が母に叱られるではないか」
悲しみを出さず、そんな言葉で隠して、エルレアは笑う。
いっそ、さわやかな、と言える笑顔で。
「エルレア!」
「・・・いいな。おまえの声は、本当に心地よい・・・」
そうして。
エルレアは、一振りの刀になった・・・。