第四十六話:刻印の姫君・2
娘の胸に咲く華は、当時、奴隷に見せしめの為に押されたものだった。
大概の奴隷は、祖国を滅ぼされ、無理やり連行され、その上での刻印のため、たいそう暴れ、その印は見るも無残なものだったらしい。
だが娘に施されたその刻印は、文字通り、華となった。
可憐にして、清楚な、胸に咲いた華。王が、娘のために新たに作らせた焼きごてだった、と揶揄されるほどに。
ある日、正妃が娘を貶めようとして、胸の大きく開いたドレスを、娘の元に贈った。略奪奴隷なら、奴隷らしくせよ、その身にふさわしいこのドレスを着て、夜会に出席せよ、との嘲笑の手紙と共に。
それを見た王は激怒し、手紙を破り捨てた。
けれど、娘は。
正妃の贈り物に身を包み、ある夜、夜会に出たのだ。
それは、可憐で、清楚な、犯しがたい美貌の姫君だった。
そう、胸に咲く刻印の華が、娘を彩る最高の宝石のようで。
娘を嘲ろうと待っていた正妃たちを打ちのめすほど、娘は、一分のすきもなく、美しかったのである。
その場で王は娘に正式に婚姻を申し込んだ。・・・奴隷階級に落とされた亡国の姫に、正式な申し出を断る術はなかったが。
その日を境に、正妃の元に集う者たちは減っていき、やがて、正妃が息を引き取った頃、エルレアーナ第二王妃は、第一子をもうける。
エルレア第二王子殿下である。
子をもうけても、エルレアーナの声は戻らなかった。エルレアの声に耳を傾け、儚く笑んでも、王にその心を明け渡す事はなかったのだ。
その仕打ちは、やがて王を蝕んでいく。自然エルレアーナとエルレアを遠ざけ、心の空白を埋めるように侵略に侵略を重ね、暴虐の王と呼ばれるようになっていく。
そして、悲劇は起こった。
予てより侵略を繰り返していた王に、ではなく、その王妃に、剣が向けられたのだ。
その刃を、甘んじて身に受けた王妃は、華のように微笑んで、黄泉へと旅立った。その腕に、まだ五つだったエルレアがしっかりと抱かれていた。彼女は死してようやく、自由となったのだ。
涙が出る。
あ、わたしだ。そう思って、ほっとした。
えぐえぐと泣いていたら、イザハヤが心配そうに水を持ってきてくれた。
ありがとう、と言って、水を飲む。ようやく、ひとごこちつけた気がする。
長い旅を終えた気分だった。
そこへ、王様達が連れ立ってやって来た。
「チヒロ、具合はどうだ」
「はい。なんとか大丈夫。ちょっと気持ち悪さに慣れてきました」
「無理はするなよ。式典で、そばに居れないその時だけ、無理をしろ」
阿呆な事をまじめにオウランが言う。ちょっと笑うことが出来た。
「午後は式典の練習だそうだが、どうする?」
「行きます。じゃなきゃ、何のためにここに来たのか、わからないから」
午後からの練習は、もちろんエルレアも一緒だった。
気力を振り絞って対峙する。余裕綽々のその顔がにくい!
広間の一段高くなったここで、中央を進んでくるエルレアを待つ。傍らには、根の国・オルデイアの王冠の台座が鎮座している。明日の本番にはここに王冠が乗っているはず。
エルレアがここまで歩み、口上を述べる。そして、私の前に跪き、私が王冠を持ち、エルレアの頭上にのせ、終了となる。あらかじめ教えられていた手順をなぞりながら、淡々と進めた。
この時とばかり、じっと顔を見つめた。エルレアーナさんのような儚さは微塵も感じられず、当たり前だが、男性で、王様になる予定の人。あの夢が本当なら、小さい頃に母と死に別れたんだろう。
・・・少し、悲しくなった。
今私自身が家族と生き別れの状態だから、なお胸が痛い。
「・・・どうした。巫女殿。俺に惚れたか?」
それなら話が早いんだがな、と、訳のわからん事を呟く奴に、そっと息を吐きながら、聞いてみた。
「エルレアは、この国に満ちている瘴気に気付いてる?こんな濃い瘴気、ずっと浴びていたら、弱い人はすぐ壊れちゃうよ」
「・・・お前が臥せっていたのは、瘴気にあてられてか?では、何故、まだこの国にいる?何故、逃げぬ」
「逃げたら、追うのでしょ。それに・・・言葉を、受け取ったから。渡さなきゃならないの」
「・・・異なことを言う・・・何を、誰に伝えると言うのだ」
「あなたに。お母さんの言葉を」
「戯言を」
「戯言で良いわ。でも、伝えるね。・・・『私の愛しい子』そして『わたしの狂気に呑まれる前に、お逃げなさい』・・・以上!伝えたわよ」
ぱっと離れて距離をとる。離れたこの間が、私とエルレアの距離。
始めの言葉はエルレアに向けられていた言葉。次は、私が受け取った言葉だけど、でもこの国にいる人たち全てに通じる言葉だと思うんだ。
エルレアーナさんは、国王を呪っていたけど、この国全てを否定する事に躊躇いがあった。
エルレアがいたから。
だから、夢であった私にあんな事を言ったんじゃないかな。
エルレアが目を見開いて、絶句している。
「王様を、最後まで受け入れる事が出来なかったのは、肉親すべてを殺されて、その遺体を無残に扱われた為、みたいよ。・・・でも、エルレアの事は大好きだった。この王宮に入った瞬間、エルレアーナさんの声が響いてた。私の愛しい子、って。離れがたくて、寂しくて、いとおしい。そんな感情がぐるぐるして、気絶しちゃったのよ、わたし」
そう。根の国に来たエルレアーナは最初から、壊れていた。
始まりのあの時、壊れたんだ。
目の前に投げ出された、血に濡れた、自国の兵士の遺体・・・最愛の恋人の無残な姿を見て。
愛しい人を殺され、殺したその人を目にして、彼女は壊れた。
・・・でも、それは、エルレアは知らなくていい。お父さんをお母さんが憎んでいたなんて、知らなくていい。
・・・戻ってきてくれないかな。
何を企んでいるのか、いまいち判らないけど、あんまり良い事じゃないってことだけはわかる。だけど、まだ、今なら。
「ねえ、まだ、大丈夫だよ・・・?」
私の声に、エルレアは目を合わせ、それからそっと、話し出した。
「・・・いまさら、遅い。俺の手はもう十分血に塗れている」
「ねえ、戻ろうよ?」
「どこへ?俺はもう、選んだんだ。この国を手にする事、この世界で頂上に立つ事を誓った。願いはすべて叶えて来た。あとは、ひとつだけ・・・」
じっと見つめられて、私は焦れた。胸の中、いろんな感情がもつれ合って、渦巻いている。
声が届かないのが、悲しい。
思いが伝わらないのが悔しい。
「エルレア!」
「お前に名を呼ばれるのは、心地よいな。俺が王と呼ばれるようになっても、お前だけは俺をそう呼べよ、巫女姫殿」
「エルレア!」
エルレアが去り、立ち尽くす私に近づいて、慰めてくれたのは、セイラン様たちだった。
無言で労わってくれて、余計に凹んだ。
ああ。
「私、役立たずだねえ・・・」
「・・・チヒロ。全てを助けようとするのは、やはり無理なのだよ。闇に堕ち、闇の中でもがいていたあの男に、もう少し早く手を差し伸べてやれれば、或いは、叶った願いかも知れぬが、最早、あの男、闇と同化しつつあるようだ・・・。ハビシャムが情報を集めてきたが、いずれもきな臭い、血生臭いものだ」
セイラン様の言葉にハビシャムが一歩前に出た。
「かねて、繋ぎに使っておりました屋敷に異変がありました。また王宮に出入りしていた人間ことごとく、失踪しています。また、各国の貴族の中で加担しておりました者どもも、全て、根の国に入国の後、行方がわからなくなっております。また、服役中の犯罪者なども、恩赦の名目で出獄させられた後、皆姿をけしております」
「・・・ひとが、きえているの・・・?」
なぜか、ぶるりと身体が震えた。
ああ、時間がない。
戴冠式は、もう明日。