第四十五話:刻印の姫君
結構シリアス。
流血注意。
肉親が酷い目に合うのを拒絶される方は、回れ右。
遠くに声がする。
王様達の声に重なるように、女性の声が。
時に呪詛のようで、時に子守唄のようで。怒りのような、祈りのような、強くて、弱くて、定まらない。
これは、何。
「子よ。お前も迷ったの?」
さあっと目の前が開けて、そこに佇む美しい女性がいた。
金の髪。緑の瞳。白皙の肌は艶やかで、ぷっくりとした唇、細い首、細い腰。身に纏う豪華な真っ白なドレスの、大きく開いた胸元を飾るのは、宝石ではなく、赤い赤い・・・刻印の華。その華が血を流して、胸元を一層彩っていた。
「ケガ、してる!」
慌てて自分の服を探り、仕舞いこんでいたハンカチを取り出して、女性に手渡した。女性は、慌てる私を見て、優しく微笑んでくれた。差し出したハンカチをそっとおさえて、悲しげな顔で、でも瞳に優しさを乗せて話した。
「・・・よいのよ、優しい子。この傷はもうずっと私を苛んでいるの。たとえこの血を拭っても、また新たな血が噴出すだけ・・・」
「治らないの?」
「治し方など、とうの昔に忘れてしもうたわ・・・」
「・・・あなた・・・だれ?」
「私か?私の名は・・・エルレアーナ・ロゼマリア。・・・後に続く名はもう無いの」
「エルレア?エルレアーナ?あれ?」
「・・・もう行け、帰れなくなるわ。私の狂気に染まる前にお逃げなさい、優しい子」
え、と思った瞬間、ぐんと彼女との間に距離があった。
うそ。さっきまで、すぐ側にいたのに。金の睫の震える様まで目にとまったのに!
「行け。優しい子」
ぱちりと感覚が戻った。
途端にいや増す不快感。ぐうっとせり上がる苦いもの。気力で押し込んで、ようやく回りを見ることが出来た。ああ。やっぱり、みんな、心配そうな顔でここにいてくれた。
「・・・あ・・・」
みんなが優しく、そっと手を差し伸べてくれて、判っているよ、と言う様に頷いてくれた。敷布の中に戻されて、水が差し出された。セイラン様が手を洗ったあと、口の中や、身体を診てくれた。
「どこも悪いところは無いんだが、心当たりはないかい?」
「・・・この国に、おっきな瘴気の塊があって、それが圧し掛かってきているの。みどりちゃんとは声がつながっているけど、キュウちゃん、ふうちゃんに、だいちゃんとりゅうちゃんは、それも無理みたい」
「精霊達をも、押さえつけられる瘴気・・・?では、今チヒロの守りはどうなっているの?」
「みどりちゃんの、結界が少し、・・・ね、みんなは何で平気なの?」
「・・・巫女姫に照準を合わせているのか・・・!」
一気にみんなの顔に緊張が走った。
「体調不良を訴えて国を出ることは?」
「無理だな。妨害される」
「この上は、皆でチヒロを警護するしか方法はあるまい」
「警備は万全だが、式の最中だけは、どうにもならぬ。いや・・・いっそ何かあったほうがいいのか?イザハヤ!根の国の、きな臭い輩を扇動することはできるか?いっそ、暴動でも起こさせては?」
リシャール様が至極まっとうな意見を出すも、あっさり覆され、オウランが物騒な事を言い出した。
「あのあの、物騒な方法は極力回避の方向で!あ、後ね、エルレアーナ・ロゼマリアさんって知ってる?イザハヤ。ここんとこに、お華の刻印がされた、きれいな人なんだけど、色ボケ・エルレアと名前が似ているなあって思って・・・」
「次期国王エルレアの母君ですな。悲劇の姫と名高い・・・、彼女の名をどこで耳になされたのです、姫」
答えてくれたのは、みんなのうしろにじっと佇んでいた、ハビシャムさんだった。
「え、今。夢の中で、私の狂気に染まる前に逃げよ、って・・・」
答えに、ハビシャムさんはきびきびとした仕草で王様(主にセイラン様)に礼を取るとその場を辞した。何だ?いったい。
残った王様達も一層硬い表情で、みんなと何か話し始めた。混ぜてよー。説明してよー。
だけど、みんな硬い表情を、一瞬崩して優しさを乗せて微笑むと、休みなさい、と言って部屋から出て行ってしまった。・・・後に残ったのは、イザハヤと私。
そのイザハヤも、過保護なお母さんを発揮して、やれ寒くはないか、喉は渇かないか、と世話を焼いてくれて、勢いのまま、私はベッドに縫い付けられた。
・・・うとうとと、まどろむ。私にに何かが寄って来ては離れていく。
それはなに?
血が澱むのだ。愚か者の呪詛が。怒りが。妬みが。幾重にも混ざり合い、捩れあって更なる澱みを創り出す。
では、はじまりは?
そう、すべての始まりは、あの時。あの男の目にとまってしまったばっかりに・・・。
あのおとこ?
あの、金の髪、金の瞳の暴君。根の国の王・・・せいりあす。
だあれ?
あれが、あの男が、わが国を奪って奪って奪いつくし、死のうと握りしめた私の手から剣を奪い、愛しい父母を、弟を、最愛のあの方までも奪いつくし、汚泥に沈め、地上より我らを見下ろし、我とわが身の純潔を奪い去った。にくい。にくいあの男。
怒号が聞こえた。
「えるれあーな!にげなさい」
「ねえさま!ねえさま!」
「えるれあーな!」
その瞬間。私は、エルレアーナの中にいた。
怒号が飛び交い、剣が打ち合わされる音がそこここに響く。
逃げよと言われ、弟の手を取り走り出す。しかし、行く手をさえぎる敵の兵の姿。握り締めた剣を振り上げ、せめて弟だけでも助けたいと、奮戦した。しかし弟をかばった隙に放たれた矢がわき腹をかすめ、守っていたはずの弟の喉を射抜いた。赤く吹き上がる飛沫。刹那にかわされた眼差し。
「・・・い・・・いやあああああああ!!!」
崩れ落ちる弟の身体を抱きしめ、血に染まった顔を撫でた。
みれば、王の間は敵兵で埋り、右も左も行く術はなかった。
と、敵兵が道を開け、進み出た男が一人。何かを引きずり、近づいてくる。弟の遺骸を抱きしめ、剣を向けた。殺すなら殺せ。そう思っていた「私」の前に投げ出された骸。
「なぜ、これが傷を負っている!無傷で捕えろといったはずだぞ!」
男が何かを怒鳴っていた。怯んだ敵兵が何人か切って捨てられるが、それすら、目に入らない。
まるでモノのように捨てられた「それ」は・・・「私」の愛しい・・・。
「・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!」
声が出ない。
ああ、私も逝こう。みんなとともに。
そうだ。剣を。喉に、胸に、突き立てれば叶う。
今まさに、突き立てんとした私の刃を、男が素手で止めた。自分の掌が傷つくのも厭わず、剣を握りしめ、力ずくで取り上げた。その顔が、苦痛に歪んだ。
だが、思い切ったように私の耳元に顔を寄せ囁いた。
「望みは、お前だけだ。お前の父がもう少し利口なら、この国が滅ぶ事もなかっただろうに」
では。この国が血に濡れたのは、呪詛に包まれたのは、悲鳴と怒号に包まれたのは。
・・・・・ワタシノセイ?
目の前が暗く、黒く。
色はなく。香りもせず。
そして、声も・・・失っていた。
まるで屍のような私を、それでも男は国へ連れて帰った。
花々の出迎え。歓声。喜びの声。声。声。・・・ワタシノアイスルヒトタチハモウイナイ。
口々の賞賛。誉れ。・・・ワタシノアイスルクニハモウナイ。
そして・・・侮蔑の目。・・・ノゾンデキタワケデハナイノニ。
萎れても、女の美貌はいや増した。儚さは、犯しがたい美になり、触れれば消えてしまいそうな儚さに、如何な男とて華を散らせる事は出来ずにいた。
女の住まう館に毎夜訪れては、一言も話さずただじっとしている。そんな日が何日も何日も続いた。
焦れたのは、男ではなく。女でもない。
焦れたのは、男の正妃だった。
ある日、女の元に毒が贈られた。女は、甘んじてそれを飲んだ。
怒ったのは、男。
「あれは、俺のものだ。俺のものに手を出すことは、如何な正妃と言えども、許されぬ!」
「・・・では、獲物の証拠を!証拠をみせてくださいまし!寵愛の姫と呼ばれ、匿われているあの娘に、消えぬ印を!寵妃でないなら、隷属の証を!」
正妃の叫びは、正妃の腹心の貴族達にも届き、男は決断を迫られた。
煌々と赤く輝く暖炉にくべられた金属が、きいきいと鳴き声を上げる。
「許せ。今の俺に、あれらを抑える力はまだないのだ。だが必ず、お前の名誉を回復してみせる」
男は儚げに佇む娘に、そう侘びると、暖炉の中から赤く燃え立つ焼きゴテを、引きずり出し。
床に娘を引き倒し、その胸の中央に・・・押し当てた。
女は、声を上げる事はなかった。
ただ、諾々とされるがままに、受け止めて、意識を失った。
・・・その胸に、隷属の証を残して。