第二十六話:風雲急
流血注意。
国営の温泉保養施設を広めるに当たって、姫の存在は欠かせない物だった。
大体、姫の気を引く為なら何でもしてやろうと思う輩が多かった。
・・・こいつもな。
「なぜ、貴殿がここにいる。たしかに、他国に影響力のある医師を派遣して欲しいと頼んだが・・・。」
「私以上に、名の通った名医はおるまい?」
「・・・・悔しいが、確かに。」
憮然と呟く。ハクオウ国のセイラン王を前にして、苦虫かみ締めてる俺の姿は妙なんだろう。だが、笑顔で隠せない黒い物が滲み出ているセイラン王も、妙だ。こいつがこんなに感情を曝け出しているのを見るのは初めてだった。
「喰ったね?」
「・・・つまみ食いだと貴殿も言ったな。確かにすばらしく美味だった。そして、すばらしい増幅力だった。キスひとつでこれだ」
多分俺の周りを囲んでいる精霊の加護は格段に強くなっているのだろう。他王の目はごまかせまい。
「・・・では、最後までは喰ってない?」
「・・・拒まれた! 心外だが、兄のような存在だと言われたぞ」
「なるほど。」
そうしてようやく黒い気配が和らいだ。
「で・・・。あれは?」
「オウランと・・・姫。」
「奴は何故?」
「さあ、ね。それよりも、姫の持つあの小さい鳥はなんだい。君が授けたのか?」
「まさか。火の精霊のお遊びだ。だが、護衛になるので黙認している。・・・名前はキュウちゃんだそうだ。」
「キュウちゃん・・・。」
オウランと言い合っていた姫はセイランの戒めの言葉を受けてしばし固まり、気を取り直して温泉へ行ってしまった。・・・また、女湯を貸切にしなければなるまい。
「・・・なかなか盛況だね。」
そこには、各国の要人が護衛とともに右往左往していた。
皆、シャザクスの興した新しい事業に興味があるのだ。
なかにはきな臭い奴もいるので、姫の警護は万全にする必要が在った。
「足元をすくわれないようにしなければいけないな。姫を狙っているのは、もはや我々だけとは限らないのだから。」
「ああ。承知している。」
他国からの牽制も軽くいなせる自信があった。
それがおごりだと知れるまであと、わずか。
・・・火の精霊が騒ぎ立て、姫が、浴室からいなくなったのに気づいたとき、すでに小一時間がたっていた。
あらゆることに対処していたが、まさか自国の、それも姫と呼ばれる貴人が関わっているとは、俺も気がつかなかった。だからこそ、それは、大きな怒りとなって俺の心を覆った。
怒りを隠さずに立つ俺の、隣に進み出た男達。
「手伝おう。」
セイラン殿とオウラン殿も、怒っていた。
静かな、怒りだった。
「姫の髪、一筋でも損なっていたら・・・。どうしてあげようか」
セイラン王は掌の中で、緑をもてあそんでいた。
「僕の物に、手を出した事・・・後悔させてあげる」
オウラン王は暗い笑みで口元を飾り、眼だけが静かな怒りを浮かべていた。
「身を持って味わってもらおう」
もはや、俺の怒りを止める者はいない。
なぜ。と問う声があった。
なぜ。
なぜ。
なぜ、彼は私から離れたのか。彼は私の物なのに。
なぜ、彼の隣にあんな小娘がいるのか。彼の隣は私の物なのに。
父は私の願いを聞いてはくれなかった。あの小娘が、巫女だというだけで。
母は、諦めよといった。私のほうが何倍もきれいなのに。
なぜ。諦めなければならない?
なぜ。巫女ごときの存在に私が身を引かなければならない?
私はもうずっと、あの方の隣に在るべくして、努力をしてきたのに。
なぜ。なぜ。なぜ・・・。
闇の中で、声が響いた。
では、娘がいなくなればよい。と・・・。
採石場をいくつも持っている父は、そのルートを記した地下地図を持っていた。
もう使われなくなったルートも、現在掘っているルートも、温泉が湧き出し、活気に溢れるようになったルートも、そしてそこに通じる採石堀りの職人しかわからない、特別なルートも・・・。
頭の隅でささやく言葉。それは、私の声だったのか・・・?
頭の中でささやく声。巫女姫を退けよう。私がいるべき場所へ戻る為に。
ゆっくり立ち上がり、歩き始めた私のなかに、声がする。哀れな操り人形を嘲る声がする。
・・・使われなくなったルートに潜み、時を待った。
やがて現われた小娘は、思った以上に幼かった。
小さな火の精霊と戯れる姿は、かわいらしい。しかしそのかわいらしい風情さえ、彼の気を引いたモノだと思えば、煩わしいと思えた。
かねて準備しておいた香を焚く。
薄絹一枚の娘が昏倒した。たちまち火の精霊の気が膨れ上がる。熱風を何とかやり過ごし、傍らに控える者に目線をやった。
男は、唇を湾曲させ笑みを形造ると何事かを呟いた・・・。
後に残るは、これからの夢に思いはせる、おろかな女、ひとり。
「ようこそ、我が君。」
女はそういって微笑んだ。なるほど、美姫の誉れ高い姫の笑み。
だが、何の感慨も浮かばなかった。手に入れたいのは、一人だけ。
彼女を知った今、彼女以外はいらないのだから。
「聞きたい事がある。姫はどこだ?全部話せ。」
「まあ、シャラ様、何をおっしゃって・・・」
最後まで話すことは出来なかった。おろかな女は、激痛に膝を突く。その艶やかな髪を鷲掴み、顔を上げさせた。炎の浮かぶ苛烈な眼が女を見下していた。
「姫はどこだ?」
血の気の引いた顔で力なく首を振る。その姫の下にごとりと何かが投げ込まれた。びちゃり、と足を濡らす、生臭い香り。
「こいつは知らなかった。」
投げ込まれたのは、壮年の男の・・・首。女の父親の首だった。オウランが自分の刀を振るって鞘に収めた。
「早く言ったほうが身のためだよ。女。セイラン兄上が本気を出せば、今死んでおけば良かった、と思える目にあうぞ。」
女の眼が驚愕に見開かれた。ひ・と声が上りかけ、シャラが髪をひっぱり、それを阻んだ。
「最後だ。姫はどこだ?」
女は、話さなかった。
・・・正確には、全部自分の考えの下行われた誘拐劇だと、「思い込まされて」いた為、「話せなかった」のだ。
セイランが首を振る。
「あらゆる薬を仕込んでみたけど、黒幕の姿すら思い出せないように強い暗示がかけられている。これは、何か力が働いていると考えられる。」
「・・・水と風は?」
オウランの言葉にセイランは首を振った。
「違う。もっと、暗くて禍々しい・・・。そう、たとえば、闇の・・・。」
「まさか、闇がうごいた、と?」
シャラが警戒の声を上げた。
「・・・水と、風にも協力を仰がねばなるまい」
セイランの、重々しい声が静かに響いた。