第二十一話:変わる世界
チヒロはあれからは、大人しく、歴史書なんかを紐解いていた。
木の国ハクオウの蔵書はすばらしい。俺もこの国へきた時は図書館にこもりっぱなしになる。子供のころからの馴染みの場所だ。ここで、ひとり、もしくは兄上と話しこんだものだった。
お互いが国王になり、国の重責を担う者になってからは、遠のいた懐かしい場所だったが、今は、チヒロとの勉強の場に使っていた。
こいつはどうも、自分に代わる甘露を探しているらしい。
そうと気づけば手伝ってやるのはやぶさかではない。チヒロに群がる男を減らせれば、俺の心労も減るからな。
「あの、メープルシロップの香りの木の実、人間は食べられないって言ってたよね・・・。煮ても焼いてもだめ? んーと、メープルシロップ自体は木の樹液なんだけど・・・。調べたことないの?」
「・・・ないな。物の本にも載っていないぞ。しかし妙な世界だな。虫の集めた蜜に、木の樹液か・・・。そこまでして甘露を望むか。」
「あたりまえ! 女の子は砂糖菓子で出来ているんだからね! 砂糖がないって知ったときの衝撃ったら・・・」
「まあ、お前が甘露で出来ているのは、昨日身を持って味わった。実に美味だった・・・」
溜息ついて褒めてやると、見る見る顔が赤くなった。
「な、なな・・・」
もごもご何か言っていたが、気を取り直して調べ物を始めた。横顔を眺めると、うなじまで赤かった。
「一度、樹液を取ればいいだろう」
「私もよく分かんないの。砂糖かえでの幹に傷をつけて樹液を取るってのは知っているんだけど、その後、火にかけて煮詰めるのか、それとも布で濾すのか・・・」
「どちらも試せばいい。ひとりでやるわけじゃないんだ。・・・ああ、それから、セイラン兄上が『ハチミツ』を取る為の防護服の試作を見て欲しいといっていたぞ。それから、巣のどこからどう蜜を取り出すのか教えて欲しいと言っていた。俺も知りたい。良い産業になるだろうな。駆除も出来て蜜も取れる・・・一石二鳥だ」
じーっとみつめられて、どうした?と聞けば、慌ててなんでもないと首を振る。
ほんのり紅い横顔に、胸がざわめいた。
こうしていられるのも、あと少しだと理解している自分がいた。
風の国を去った後、当初の予定通り、チヒロの言葉と称してアレクシスには親書を送っておいた。
太陽と月の巫女が、風の国以外の国を訪れて、その国々の特色を知り、己の住まう場所を決定したいと希望した、と。風の国が良い国だったので、ほかの国もどんな国なのか見てみたいと懇願され、そして、自らの伴侶となる方を見出す為に、各国を回りたい、力を貸して欲しい、と頼まれた、と。巫女に頼まれて、否やは言えないだろう?と。
・・・これを聞いた当の本人が不貞腐れていたのは、言うまでもない。
私はそんなわがままいいませんよう、と腐っていた。
風の国は、表向きは凪いでいた。
まあ、簡単に攫われるような状況になった方が悪いのさ、とその状況を作り上げた自分が、風の国を笑う。
・・・アレクシスがどんな手で巻き返してくるか、その手口を想像し、悉く返り討ちにする術を頭に思い描いていた。
しかし、どうやら、アレクシスは一国のみで対処するのを諦めたらしい、と兄上が言っていた。一番まずい方向へ、転がっていた。
そして、今朝、火の精霊と水の精霊、風の精霊が木の国を遠巻きにして騒いでいた。
木の精霊と土の精霊は盛んに警戒を告げてくる。
『ひめさま、攫われちゃう』
『隠して、隠して』
言われなくとも、出来ることならそうしたかった。
「さて、午後のお茶は庭でって決めているんだ。チヒロは先に行ってな。兄上も息抜きが必要だからな、誘ってくる」
そういって、俺は自分の手の中からこいつを手放した。
・・・この国へ強引に招待したのだから、他国がそうするのを止められない。
濃い精霊の気配が近づいてくる。濃厚な緑を身にまとい、セイラン兄上がやってきた。
「オウラン、覚悟は出来たのか?」
「足掻きたくとも足掻けないだろう、大体、まさか一致団結してくるとは思わなかった」
「それほど、どこの国も欲しいのさ」
苦く笑う。
二人連れ立って庭まで歩く。
午後のお茶のセットは迅速な侍女たちが担っている。
チヒロは手持ち無沙汰なのか、木漏れ日を浴びながらそこに立っていた。
濃い緑の中に、光を纏って、彼女はいた。
思わず見とれてしまう。視線に彼女は気づかない。
「まさに、麗しの巫女姫だな・・・。」
セイラン兄上の言葉に無言で頷いて、ふたり、じっとチヒロを見ていた。
すると、チヒロはきっと一点を見つめ、足を肩幅に開き、大きく息を吸った・・・。
「セイラン様のむっつりすけべえええええええええっ!!」
「オウランのおたんこなすうううううううううううっ!!」
世界が唐突に変わった気がしたんだ。
「は・ははっ」
「くくっ」
チヒロ、君にあえて良かった。
ほら、仮面じゃない心からの笑顔が自然と浮かぶ。
兄上も心底楽しそうに笑っている。
ああ、きみには、かなわない。