番外編 つ バレンタイン異聞2
バレンタインなのに、甘さなし。どうしましょ!
孤児院の子供達を慰問して、一緒になって遊んでいる母を見ていた。
鬼ごっこに興じている母と、楽しそうな子供達。
・・・は。と我に帰る。
忘れていたが今日はこいつもいた。
「ふふ。和みますね」
「・・・まあ、ね」
傍らの敵に隙を見せてなるものか。と気を取り直し、緩んでいた頬に力を入れた。
・・・どうも、母を見ていると緊張感が薄れてしまう。
それはどうやら隣の男にも同様だ。
ジュノスはジュノスで、母と一緒に駆け回るスズランを、蕩けそうな眼差しで見つめている。
シェラはシェラで誰よりも生き生きとした顔で鬼ごっこに混ざっている。
あれで一国の王子だと言うのだから、国王の苦労がしのばれる。
・・・ま、傍らで張り合っているスイランは無視だ。無視。
あれほど言ったのに、なぜお前まで駆け回っているんだ・・・!
我が弟ながら頭が痛い。
まあ、悪意が感じられない場所だからああも朗らかに遊んでいるのだろう。あれで、最近補充された近衛騎士隊の中では一番の有望株だ。
つらつらと止めどなく考える。
・・・以前から、ふたりで身分関係なく手合わせを仕掛けていた。
訓練所は王城にも、城外にもある。父やログワが手合わせをしてくれたが、それもいつもとはいかない。
始めにつけられた師は、身分に躊躇せずよく扱いてくれた。基本が一番大事なのだと教え込まれて、それを繰り返した。型はそこそこ出来ていた、と思う。
だが、それだけでは足りなかった。
スズランも生まれ、守るべき家族が増えたことも後押しした。
今、思えば、師も父もログワも、知っていたのだと思うが、あれはスイランと挑んだ、始めての探検。・・・いや、冒険だったのだ。
・・・王城内外の貴族騎士の訓練所に潜り込み、かたっ端から手合わせを願った。
こちらの身分に気がついて、懇意になろうと手をさし伸べてきた貴族騎士も沢山いた。思っていたより、顔が売れていたんだろう。
だが、奴ら、子供だと思って侮っていた。
王子に怪我をさせず、鼓舞して持ち上げておけば、覚えもめでたくなると考えたのだろう。
こっちは真剣に学びたいと願っているのに、ことさら大げさに負けて見せたり、手を抜いては、お強いと笑うのだ。
そこに、向上心はなく、売名と欲望しかなかった。
・・・だから、おべんちゃらを言う奴、する奴は準騎士に差し戻してやった。
とたんに緊張感が増して、いい訓練所になった。
非難する声も上がったが、近衛騎士の筆頭、老将軍ログワの声で消え去った。
「・・・殿下は成長しようとなさっておいでなのに、それを阻害するものが訓練所に、必要か? 強さを褒めたたえ、見所があると鼓舞することに何の意味もないとは思わんでもない。だが、王子殿下は強くなろうと通っておられるのだ。太刀筋を教えるでもなく、わざと刀を取り落して、王子に何を教えるつもりか。王子は教えを乞うておられるのだ。その意味を汲み取れぬ無能者が、王家の守護を担うなど、恐ろしくてかなわんわ!」
・・・逆に我慢強く丁寧?に(ものすごく不本意だがあえて使う)教えてくれた平民出身の兵士は、父に推薦してやった。
「・・・剣なんて持たなくても俺たちが守るから良いでしょうぉ? 剣なんて危ないじゃないですかぁ。守られている方が、楽でしょーにぃ・・・」
「・・・最近、守るものが増えたからな。自分とあと一人くらい守れるようになりたいと思っている」
そう答えたら、きょとん、とした後。
にしゃああ、と笑った。
踏みとどまった自分を褒めてやりたい。
「・・・へええ。自分が弱いって分かってて、自分とあと一人くらいって言うんですかぁ? わぁ、身の程知らずぅ・・・どんだけ、弱いかなんて骨身に染みてるでしょう?」
辛辣な真実を告げる声に怒りはわかなかった。だって本当のことだ。私は、弱い。
「知ってる。でもそれじゃダメなんだ。母上も弟も妹も守りたいと思っている。でも一人じゃ無理だから、せめて私が誰かをも守れれば、父やログワが動きやすくなるだろう?」
だから淡々と言葉を紡いだ。
傍らのスイランは頭に血が上っていたようだけど、あいつも、よく堪えたと思う。
「・・・ふううん。じゃあ、ちょおーっと厳しくしますけどぉ、気分的には死ねるって思うかもしれないけどぉ、分隊長には内緒ですよ。これ基本ね? まさか、オウジサマが、ここで真剣振ってるなんて知られたらぁ、間違いなく俺、殺されるからぁ」
そう言ってけらけらと笑った男は今、平民初の近衛騎士団の分隊長を文句たらたらでやっている。
王城で会うたび、休みが取れないぃ、と泣きついてくる、五月蝿い奴だ。
後で知ったが、剣の師の弟子だった。兄弟子、と言う奴だ。
・・・ものすごく、不本意だ。
・・・貴族騎士でも身分に頓着せず、しかも平民貴族わけ隔てなく応対している奴は、見所があるとそれとなくログワに推薦しても見た。
物静かな彼は、もくもくと剣を振っていた。
誰に対しても丁寧で、不正が嫌いで、だからか、貴族社会からは孤立しているようにも見える。
近寄りがたい雰囲気は確かにある・・・城の侍女たちには騒がれていたようだが。
流れるような型は、やはり師の型と通じるものがあった。
聞けば、彼も師を同じくしていた。
「コウラン様は何のために剣を取るのです?これは、人を殺すための武器ですよ?」
ある日、一緒に型を合わせていたら、そう問いかけられた。
「・・・道具は扱う人によって変化する」
そう答えたら、優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
その男は、今ログワの片腕となって父上の警護をしている。王城でたまに見かけると、父上の背後に控えているか、近衛騎士団の分隊長と何事かを話している。
時に喧嘩騒ぎも起こしているらしいが・・・それでいて仲がいいというのだから、土の国の不思議だ。
彼ら相手に一本取るのは難しいが、とても充実した時間だ。
何より自分の力を過信せず、客観的に見比べることが出来た。
出来なくて当たり前なのに、初めて剣を持った王子に花を持たせようと、わざと負けた奴のしたり顔は一生忘れられない。こちらを立てているつもりで、貶めているのに気付きもしない愚か者だ。
それと同じく、自分がどれだけ弱いのかを教えてくれた相手には、敬意を示した。
弱いのなら、努力すればいいのだ、と教えてくれた彼らにはいくら感謝してもし足りない。
剣の意味を問いかけてくれた貴族騎士。
守ることの意味を問いかけてきた平民兵士。
彼らに子猫と思われていてもいい。いつか彼らに追いつき追い越すのだ。
・・・考えている間に、鬼になった子供に母が捕まって、鬼ごっこ遊びは終わりとなった。
孤児院の子達に手を振って、同じ敷地に建設された平民学校に顔を出す。
母が「寺子屋」と呼んでいるそこは、簡素だがしっかりした造りで、木の香りが漂う空間だ。
教科書をぱらぱらと開く。
貴族なら一年のときに習う簡単な言葉。だがそこに集う子供たちの年齢はさまざまだった。
「上は十五から五歳くらいまで居るよー」
ニコニコと母が笑う。その母に意識を集中させていた子供たちの目が、頼りなく揺れる。
伺う目線に、私たちは何者だと問いかける色があった。
「みんな、今日は新しい先生を連れてきました!」
ニコニコ顔の母の言葉に、子供たちだけではなく私たちも固まった。
「ええとね、ジュノス君は年長さん達をお願いね。ある程度の読み書きは出来るから、今日は簡単な計算方法を分かりやすく教えてあげてね。コウランは年中さんね、まだまだ言葉が怪しいからお手本になる言葉を黒板に書いて教えてあげて。スイランはジュノス君の、シェラ君はコウランのサポートに回って。分かんない子を見つけたら丁寧に教えてあげるのよ?」
ニコニコと四人を見渡し、それからやさしく目を細めた。
「この子達は真っ白なの。でも教えれば必ず理解してくれるわ。理解に個人差があるのは仕方がないけど、気長に教えてあげてね?」
それから、とリンの方を向いて、母は微笑んだ。
「リンはかあさまと一緒ね? 調理場でおいしい物をつくりましょ」
今日の給食、楽しみにしててねーと言いおいて、母と妹は去っていった。
・・・なんなんだ、あのバイタリティは・・・。
遠い目をしていたらしい私に、おずおずと声がかけられた。
「・・・あの。あたらしい、せんせい・・・?」
ああ、そうだ。まずはここからだ。
「こんにちは。私は、コウラン。どこまで進んでいるか、教えてくれないか?」
「よろしくね、私は、スイラン。分からないところを教えてあげるよ」
あの母と付き合ってきたんだ。順応性は、高い。
「・・・こんにちは。私は、ジュノス。どのあたりまで学んだのか、教えてくれませんか?」
「よろしくな。俺はシェラ。どんどん質問してくれ!」
あっけに取られていたジュノスとシェラも、頭を切り替えて子供たちに微笑んで見せた。
その笑顔に、次の風と火は侮れないと、思うのだ。
・・・授業は思っていたよりも大変だった。
分かりきっていることを分からない相手に教えることが、こんなに大変だとは思わなかった。
小さい子にも分かりやすい言葉を選んでも、基礎学力がない相手に分かるように教えるには技術が必要だった。
学院の先生はどうやって教えてくれただろうか? と考えて、思い出しながら教えてみた。
「・・・まずは言葉を覚えさせることが重要だな」
「そうだな」
「読んで聞かせて、読ませるか」
「そうだな」
いつの間にか、シェラと頭をつき合わせて対策を練っていた。
見れば対岸にいるジュノスとスイランも同じだ。
簡単な計算と言うことで、図を黒板に書いたジュノスと、その隣に計算式を書き出しているスイランがいた。
単純な言葉と、簡単な計算の繰り返しでも、勉強をしたことのない子には新鮮なんだろう。生き生きとした表情が印象的だった。
「・・・これから、学院の教授に頭が上がらないと思う」
分からないことを、丁寧に教えてくれる先生は、偉大だ。
「教えると言うことは、それを理解していないと出来ませんからね。しかし勉強になりました。国に帰りましたら、学生に教授をさせることを検討します」
授業の一環に組み込むのも良いかもしれませんねぇ・・・ジュノスは真剣な眼差しで呟いた。
「分からない相手に教えるってことは、忍耐と論理的考えのできる奴じゃなきゃ無理だもんな。・・・でもこれ、いいな。教えてる方は手ごたえを感じるし、子供たちは知識が増える」
テラコヤの生徒にも、学院の生徒にも良いことずくめか?
「・・・どうかな。うまくいかなかったら、学院の生徒にとって、自信喪失になるんじゃねえ? それに、そもそも貴族学院の生徒だよ? 下位神殿をばかにしてる奴らも多い。・・・来るかな?」
スイランの言葉にコウランは頷いた。
「来るさ。必修科目なら、ね。貴族と平民の垣根を取り払うには良い環境かもしれない」
テラコヤの子供たちに如何に知識を与えるか、どう接するかで採点する方法がいいだろう。
真摯に振るまい、丁寧に授業をする生徒は、協調性に富み、能力値も高いだろう。
反対に。
「居丈高なら減点! 侮蔑の言葉を吐いたら減点!」
背後から声が上がって、驚いた。
振り返れば入り口に母とスズランが立っていた。
二人の手には大きなかご。
甘い香りが鼻をくすぐった。
「母上・・・聞いていたんですか?」
「ん!」
笑顔の母に向かって、コウランは呟いた。
*******
「今日は良く頑張りました! みんな偉かったね! あ、給食当番さん、お食事を運んでください」
母の声に、当番の者が慌しく立ち上がる。子供たちも行儀良くテーブルについた。
・・・やがて、スープが入った大きな缶と、かごに入ったパンが運ばれてきた。
「ささ、先生諸君も腰掛けなさい。今、お給仕してくれるから、今日はここでお昼にしようね!」
簡素な食事だった。パンと具沢山のミルクスープだけ。
・・・貴族学院の給食なら、ここに副菜が必ず付く。果物もだ。でも彼らは目を輝かせて、ありつけるだけ嬉しいと言うのだ。
パンはお代わり自由で、余ったら貰って帰れる。それが嬉しいと笑うのだ。
食べ終わった子供たちは下位神殿の求人を確認しに行く。慌しく席を立つ子達に、母とスズランが何かを順々に手渡していた。
自分より小さい子達が働かなくてはいけない事実に愕然とする。余ったパンをポケットに突っ込んでいく彼らを見ていると、如何に自分が恵まれているのかに気付かされる。
「・・・予算を、もぎ取りましょう。母上。それから学院に働きかけて、学生の研修をここで行いたいです。学生には内緒で、適正を見るのです」
柔軟に対応が出来るか、子供たちにやさしく接することが出来るか。
教育を貴族だけの特権にしておく意味は、ない。
*********
私の顔を覗き込んで、ほっとしたように母が笑った。
「うん。そうさせてくれると嬉しいな。やっぱり、コウとスイを連れて来てよかった」
・・・この間の会議で、貴族の古狸に散々嫌味を言われたというのは本当だったのだな・・・。
心配かけまいと明るく振舞っているけど、あれで母は傷ついていたのだろう。
やろうとしていることを他国の王子に見せたのも、他国から横槍が入る前に手の内を見せたと言うことか。
・・・平民に文字を教え、教育を授けると言うことは、それほどに他国の情勢に響くことなのだ。
「・・・母上」
父と母が行く道はいまだに険しい。それでも前を向いて進んでくれるのは、後に続く私たちに道を示すためなのだろう。
「うるさい狸を黙らせましょうね。なに、スイが本気になれば、相手の弱みの十や二十すぐ、掴んでくれますよ」
「おお! そうさ、母上。俺たちに任せておきな。それを元に兄上がえげつない手段考えてくれるからさ!」
「・・・コラコラ、キミタチー」
誰に似たの。何で似るの、そこ!
くすくすとスズランが微笑んで、嬉しくなった。三人で顔を合わせて笑いあう。それを困った顔で見つめる母。
背後で楽しそうに見つめている男二人。
ああ、仕方がないな。
良い奴だと分かってしまった。
たとえ演技だとしても、子供に向けたあの笑顔は嘘ではないだろう。
嘘だとしてもへまを見せなかったのだから、演じる気概があると言うことだ。
それなら、良い。
スズランが選んで、そいつがスズランを泣かせなければ、それで良い。
「・・・ねえ、母上。リン。さっき子供たちになにを配っていたの?」
「あ、俺もそれ気になってた!」
「あのね、にいさま。ちょこれいとよ。レンのお菓子を作ったの。それを配ってたのよ?」
「お菓子!!!」
「リンがつくったのですか?」
「リンが作ったのか?」
そこに反応するのか。お前たち。ああ、もう仕方ないな。
・・・今日の慰労だ、特別だぞ。
「・・・リン、ジュノスとシェラの分もあるんだろうな?」
悔しいけど、少しだけ認めてやってもいいかもしれない・・・と、お兄ちゃんは思ったようです。