表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翠の子  作者: 汐の音
1章 原石を、宝石に
9/88

8 取扱いにご注意を

 そういえば、あの子は女の子のイメージだったな――――


 スイは、“コーラル細工師個人工房”の表札をちらりと横目で窺いながら、緑色の玄関扉を押し入った。


「ただい…」

「うっわーーーー!! お願い、頼む、それだけはぁあーーーあぁっ!!!」

「……」

「……」


 師弟はぎょっとして、素早く顔を見合わせた。

 聞こえた悲鳴、というか嘆願。大の男があられもなく上げる類いのものではない。


「やばい。遅かったか…」

「……お師匠さま? 笑ってますよ、顔」


 「んん?」と廊下をすたすたと歩みつつ、黒髪の女性は年齢の割に無邪気な光を黒紫の瞳に乗せている。

 きらきらと、楽しげな――でもきっと、こんな色彩(いろ)の宝石は何処(どこ)にもない。


 年齢不詳美女、スイはふふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。歩みは緩めない。突き当たりをスッと右に曲がる。


「だって、かれ。妙に余裕だし、一々(いちいち)構ってくるんだもの。ちょっと崩れた二枚目半とか、激烈に見てみたいなぁって」

「…お師匠さま、けっこう根にもってたんですね…」

「いやいや、この年齢(とし)になると女性扱いしてもらえるのは光栄なことなんだよ、キリク? それに――」


 カチャッ


 勝手知らぬ他人の家。しかし、ここなら完璧とばかりに悠々と、スイは応接間兼仕事場の扉を(ひら)いた。



 青年が、窓に面した作業台に突っ伏している。

 なおも近づき、その大きな背中越しに覗き込むと手元の緑柱石(エメラルド)と、散乱する粉砕された道具類が見えた。


 (うわぁ……)


 さすがに、キリクの顔が同情に歪む。かれ自身、祖父譲りの彫刻の心得があるので、職人として道具にはそれなりの愛着を持っている。


 折れる。

 これは、心を抉られる……!



 ――が、スイの顔は涼しかった。且つ、機嫌よく唇をひらく。


「嫌いじゃないよ? 好きかも。こういう感じのひと」

「……そういう大盤振る舞い、僕はよく分かりませんが、まちがいの元だと思います」

「そう? だめ?」

「だめです」


 師弟は小声でやり取りしつつ、とりあえず青年が立ち直って、自分達に気がつくのを待った。




   *   *   *




「ちくしょう……いくら“精霊付き”だからって。なんなんだ、この職人殺しめ……」


 青年は、卓上の原石に向かって()だぶつぶつと呟いている。自棄(やけ)とも見える勢いで、土産の焼き菓子を口に放り込んだ。

 キリクも行儀よくそれを手に取り、かじる。


 香草入りのクッキーは小麦とバターの配分が絶妙で、さくっと音をたてて口の中でほろほろになる。細かく刻まれた名前の知らない香草(ハーブ)は、爽やかな風味がした。


 コポポポ……と、目の前でスイがお茶を淹れた。


 傷心の青年は「どうも」と、差し出された茶器を受け取る。ふぅ、と吹くとそのまま静かに口許に当て、束の間くゆる湯気に、ふ、と目許を和ませた。


 こうして見ると、下町にそぐわない空気がある。ひそめられた凛々しい眉、遠くを見るような碧眼。何よりふとした仕草の、無駄のなさ。


 (厄介だよなぁ……お師匠さまの好みは、よくわかんないや)


 みずからが与り知らぬことに、あまり首を突っ込まないほうがいい。

 キリクはそう判断し、口をつぐんだ。


 コト、と茶器を置いた青年は、テーブルの傍らに立ってポットを傾けるスイを仰ぎ見る。


「おねーさん。何か、心当たりある? 俺、“精霊付き”は初めてじゃないけどさ。こいつ、なんか違う気がする」


 こいつ、と顎で指し示した途端。

 原石はまるで意思を持ったようにちかっ! と金を帯びる翠の光を閃かせた。

 スイは嘆息する。


「だめだねぇ。貴方、細工師としては腕が良さそうだけど男のひととしては、てんでだめ。ご覧なさい、すっかり拗ねてしまった」

「……えっ?!」


 カチャン!


「お師匠さま、それって? ……あ、ごめんなさい」


 驚きの余り、手にした茶器を勢いよく卓に置いた拍子に、キリクはお茶を少々溢してしまった。

 師である女性は「めっ」という眼差しを軽く弟子に流すと、困ったように瞑目し、左手を頬に添えてゆっくりと首を傾げた。


「その子、女の子だよ。鉱山で見つけたとき、そんな印象だった。ごめんね?言うの忘れてて」

「……え。ちょっと待て。まさかこいつ、あんたらが直接、切り出し……ぅわッ!」


 再びチカチカと閃く原石(いし)に気圧され、押し黙る青年。

 スイは、やれやれ……と、軽い調子で語り始めた。


「そう、他とは違う。その子はまだ何の枷も填められていない―――(まった)き、自由な精霊()だよ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ