7 食べ歩きと仮の宿
『――宿? うちに泊まってきなよ。その方がなにかと便利だろ?』
契約を交わし、「宿を取らないといけないので……」と去ろうとした師弟を、細工師の青年は当然のように引き留めた。ご丁寧に、黒髪のおっとりとした魔術師の肩にぽん、と大きな手をかけて。
師弟は今、下町に程近い市にいる。
生活雑貨はもちろん、食料、小物、書籍、安価なアクセサリー、あやしげな薬……とにかくごちゃ混ぜだ。
ひとの量も多い。
旅人、地元民、流浪の旅芸人――……ここまで雑多だと顔を隠す意味もないかと、師弟は楽にフードを下ろしている。
隠れたいわけではないが、素顔を晒していると経験上、何かと絡まれやすいと知っているための習慣だった。
左右に並ぶ店は、地面に直に布を敷いて商品を並べたものから、簡易の店舗を拵え、布で日除けを成したものまで千差万別。
だが、それぞれに味わいがあって、つい目移りしてしまう。
「あ、キリクそれ美味しそう。一口ちょうだい」
「え? あ、はい。どうぞ」
雑踏の中で、師弟は仲良く遅めの昼食を折半している。路銀の問題ではなく、一人分の量が多いのだ。
少年は、かなり重みのある串焼き肉を師匠の女性の口許に差し出した。食べながら歩くのは困難な程の人いきれなので、通りの端に寄っている。
スイは、長い髪が串焼き肉に付かないよう丁寧に耳に掛けなおすと、はむ、と遠慮なくかじった。
「……」
しばらく、味わっての咀嚼。
――こうなると、この女性は絶対に喋らない。出会った翌日には知ることになった、彼女の癖のひとつだ。
熟知の域に達した少年は長い沈黙を意にも介さず、みずからも熱々の肉汁と塩だれが垂れる串焼き肉を、がぶりと一塊の半分、頬張る。
ごくん。
隣で、嚥下の気配がした。
「けっこう、辛かった……塩だけじゃない……?
わ、何これ香辛料?? かっらい!」
「ほーへふえ。はひうふい、はいはふ?」
「キリク……言いたいことはわかる。でも、食べてる間は喋っちゃだめ。あと、リスみたいだよ。可愛いね」
くすくすくす、と。
あとからじわっと来た辛さのため、若干の苦笑を湛えたスイは、弟子に文句を言われる前に――と、すぐ隣の露店で果実水を注文し始めた。
師弟のやり取りを何となく見ていた壮年の店主は破顔している。
「仲いいねぇ! 姉さんの子どもにゃ見えないな、甥っ子か?」
「ふふっ。まぁそんなとこ。ねぇおじさん、それって白桃水? いいね。それにする」
「おうよ。じゃ、おまけだ。甥っ子にやってくれ」
代金を支払った帰り、スイの右手には大きめの白桃水、左手には小さめの薄荷水のコップが握られていた。
「はい、キリクの分。おじさんがくれたんだよ。食べ終わったらお礼言いに行こうね」
「あ、はい。ありがとうございます…」
一応食べ盛りだ。串焼き肉は、時間をかけてただの串になった。少年は薄荷水を受けとり、こくこくと喉を鳴らして飲んでいる。
師匠もまた、こくのある甘さの白桃水に口をつけた。
ふぅ……と、どちらからともなく吐息が漏れる。満腹だ。
「さて、当面の必要物資や着替えも買えたし、コーラルさんのところに戻ろうか」
「お師匠さま。あの……本当にあそこに泊まるんですか? 僕は、そこの宿でもいいと思いますけど」
キリクが指差す先には、何件か安価そうな宿が立ち並んでいる。
「う~ん…」と、スイも腕を組んで一応思案した。――が、目を瞑ると、ふるふるっと軽く首を横に振る。つややかな黒髪が、光を弾いて微かに揺れた。
「ごめんね、確かに細工師の側にいたほうが便利なんだ。“あの子”は、普通じゃない。私の予想が正しければ……かれ、けっこう酷い目に遭ってると思うよ。今ごろ悲鳴をあげてるかも」
そんなに……? と訝しげに眉をひそめるキリクに。「行けばわかるよ」と微笑むスイ。
彼女は、ひょいっと少年の手から空のコップを奪うと、先の店主の元まですたすたと歩いて行った。
慌てて、金茶の髪をふわふわと靡かせた少年があとに続く。
時刻は午後の三時を回ったところ。
師弟は手土産の菓子など買い込み、雑踏をするりと抜けて細工師の家へと足早に戻った。
お気づきかも知れませんが、時刻はファンタジーらしからぬ分かりやすさを重視しております。
(ご容赦くださいませ)