表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翠の子  作者: 汐の音
4章 枷と自由

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/88

50 あたたかな夜

 斜陽の(とき)

 数多(あまた)の宝石の精霊と、わずかな人の子らの住まう学術都市に、夕暮れの長い赤光(しゃっこう)があかあかと伸ばされた。

 青かった空も緑の木々も、オレンジの屋根も白いベランダも。みな、一様に茜色を帯びてしずかに輝いている。


 それは、街外れに建つスイの家も例外ではなかった。ふと、庭の中央で空気が揺らぐ。


「……来たかな」


 ささやかな菜園の側。

 (しつら)えられた木のベンチにちょこん、と腰掛けて微睡(まどろ)んでいた青年は、そっと目をひらいた。

 彼自身の名前そのままの柔らかな黒の双眸が、じっと眼前の一点へと向けられる。

 きん、と訪れた耳鳴りに、青年は反射で眉をひそめた。

 一点。

 冴えた光の粉が大きな球状を(かたど)り、上から順にほどけてゆく。蒼く散る紗幕のような光は、夕刻の茜色にも染まらぬ異質なもの。

 その硬質な輝きがすっかり消え去さると――球体のあった場所に、慕わしい女性と三名の客人たちが現れた。


 と、同時に耳鳴りも収まる。

 彼は無意識に詰めていた息を逃がした。



“ありがとうね、門の子”


「わ! ここ、お家? あんな深い層からひとっ飛び!? すごいね師匠!」

「家を出たのは朝でしたが……もう夕方ですか。セディオさん、頑張りましたよね? 僕たち」

「そうだな。ちょっとした旅から帰った気分だ。何てぇか、濃かった」



 たいそう賑やかだ。

 ふ、と微笑んだ青年は、まずはただ一人に声を掛ける。


「おかえり、スイ」

「ただいま黒真珠。ありがとう、待っててくれた?」

「……」


 にこり、と。

 最初から青年がそこにいる、とわかっていたかのような口ぶりだった。

(ぜったい、人の子とは言えない力と感応力だと思うんだけど……認めないんだよなぁ、スイ)

 困り眉の黒真珠は、やんわりと言い募る。


「そりゃ、昨日のきみからお願いされてたもの。相談事、あるんだろう?」

「えぇ。でもまぁ、とりあえず入って。すぐ夕食にするから、一緒に食べよう? 話はその時にするよ」


 待たせたことは一切悪びれず、さらに誘うという荒業(あらわざ)じみたおおらかさは、さすが元・(おさ)紫水晶(アメシスト)と言うべきか。

 黒真珠は破顔した。


「わかった。じゃあ、ご相伴(しょうばん)に預かるとして……きみたち?」

「?」


 ベンチから立ち上がった黒真珠は、ゆっくりと歩む。

 やがてスイ以外の三名の前で立ち止まると、ごく自然な仕草で礼をとった。まるで、ここが由緒ある王宮の一角であるように。

 艶のある黒銀の髪が、さらりと揺れる。


「人の子の細工師と魔術師見習い、それに新たな翠の子――改めて、ようこそ学術都市へ。無事の帰還ならびに三体の力の司(グレートエレメンタル)の加護、おめでとう」

「! お、おう……」

「はい、ありがとうございます」

「うん! 仲良くしてね、黒真珠さん。これからは遠慮なくエメルダって呼んで!」


 面食らったような青年と、一瞬の驚きのあと、くすぐったそうに笑みこぼして挨拶を返す少年と少女。

 家主である魔術師は、その様をにこにこと見守り――


「ふふっ。さ、皆。入って入って」


 機嫌よく、一行を家の中へと招いた。




   *   *   *




「で? 相談って?」


 急きょ(こしら)えられた香草と腸詰め肉のパスタスープにスプーンを入れつつ、黒真珠は訊ねた。なんとなく予想はつくけれど。


 案の定、スイは申し訳なさそうに眉を下げた。


「あのね。人界まで買い物に行きたいんだ。いろいろと嵩張りそうだから一緒に来てほしい。それと、当面は」


 ちらりと黒紫の視線がセディオに流される。


「寝台の数が足りなくて」

「あぁ」


 迂闊にも『なるほど』と、続きそうになった言葉を、黒真珠はスプーンで(すく)ったスープと一緒に喉の奥へと流し込んだ。

 人の子の食事は摂る必要はないが、料理した者の心や使われた食材の命そのものが味わい深い。

 スイの手料理は、黒真珠の好むところだった。


 なお、小豆色の髪の青年は何度か反論を試みていたが、魔術師の女性によって(ことごと)く遮られた。


「実際、良くないと思う。いつもエメルダの寝台にお邪魔するのは申し訳ないし」

「大歓迎よ? スイ、ふわっとしてるし、いい匂いだし」

「エメルダ、『師匠』だよ。……って、きみ昨夜(ゆうべ)はお師匠さまと寝たの?」


 (カブ)の甘煮を口にした少女は、それをコク、と嚥下して満足そうに頷いた。


「すごく、よく眠れたわ」

「そう……」


 キリクは学術都市に来る前、自分も似た目に遭っていたことを思い出した。つい、赤面する。


「なんでお前が赤くなるんだよ」


 セディオはしかめ面だ。

 スイは、くすくすと笑っている。



 ――――なるほど。

 四名の間に、親密に張り巡らされた力関係(パワーバランス)に気づいた黒真珠は、ほんの少し意地悪そうに口の端をあげた。


「スイ、うちにおいでよ。僕の寝台大きいから」

「却下だろ。何いってんだこいつ」

「セディオ、『こいつ』じゃない。黒真珠だよ。……って、ごめんね。お誘いは有り難いんだけど」


 どうどう、と右隣に座る青年の肩を片手で押さえつつ、スイは小首を傾げてさらっと告げた。


「たぶん。今後、私がすすんで添い寝をするとしたら、相手はここにいる細工師どのだと思うんだ」


「!!」

「うわぁ。師匠。それ、宣言しちゃうの?!」

「そうじゃないかなと思った。頑張ったねえ、スイ。あの力の司(グレートエレメンタル)たち、全員説き伏せたの?」


 予想通りの反応だったのか、黒真珠はまったく動じない。なかなかの強者(つわもの)ぶりだ。

 スイは濃密だった一日を振り返るように、何度も頷いた。


「それはもう……。今回に限って言えば、石探しはおまけのようなものだ。サラマンディアなんか、祝福がてらセディオに口づけしちゃうし」

「えっ」


 絵面を想像してか、黒真珠は固まった。

 一転、慌てた形相の青年がスイの手をパシッと掴む。


「待てスイ。どうしてそう、あんたは誤解を招くような言い(ぐさ)を」

「ふふ、すまない。これが、いわゆる人の子の『焼きもち』って奴なのかなと。厄介だよねこれ。でも、悪くない。嫌いじゃないよ、こういう面倒な気持ち」

「めんどう……っ!??」

「フ……フフフっ!」


 呆気にとられる細工師と、二人の様が可笑しくてならないと身を二つに折って笑う、黒真珠の精霊。一同の視線は自然と後者に集まった。


「なるほど。たしかに――今のきみは人の子らしいや。それに、とっても幸せそうだ。きみが、その姿になって……初めて『良かった』と思える。他の皆にとっても救いだろうね。せめてもの」


 黒真珠はセディオに身体を向け、すっと姿勢を正した。


「ありがとう人の子の若き細工師。僕も、きみをセディオと呼んでいい?」

「あぁ、もちろん……」


 しばらく、きょとんとしていた青年は、ふと何かに気づいたかのように唇の片側を上げた。

 それは、ひどく不敵に映るが不思議と嫌味がない。好青年じみたものより、ずっと彼らしい笑みだった。


「いいですよ。黒真珠さん。『さん』でいいでしょう? どうせ、あなたも()()()()()()()()()()()()()()()()()

「おや」


 ぱち、と涼しげな瞳を瞬いた黒真珠の外見は、せいぜい二十代前半。だが、たしかに、自分がいつ生を受けたのかは記憶にない。

 精霊の青年は困ったように苦笑した。


「まぁ……そうかもね。でも、普通に『黒真珠』でいいよ。きみ、妙に迫力あるから。敬語とか尊称を使われると落ち着かない」

「わかります。やたらと柄が悪いんですよね。素材の持ち腐れっていうか」

「黙れ、くそガキ」

「はいはい」


 しれっと間に入るキリクは既に食べ終えたようで、食後の紅茶の準備に取り掛かっている。

 スイは微笑を湛えたまま「手伝うよ」と席を立ち、自らの食器を洗い場に運び始めた。



 談笑、からかい、軽口の応酬――

 夜が更けて月が昇り、どこからか梟の声が響くなか。魔術師の家の灯りは小さくとも温かく、ほのぼのと異界の街の片隅を彩った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ