11 平行な二人、対立の二人
翌日。
与えられた客間の、寝台から離れた窓の向こうから定刻どおりに朝は訪れた。
「うぅ……」
キリクは呻いた。浮上する意識に合わせるように、閉じた眼裏に白い光を感じる。頬に当たるリネンの感触。被ったシーツの中は、ほんのりと温かい。
(そっか。昨日は結局、コーラルさんのとこに泊まって……)
ゆっくり、瞼を押し上げる。
――と、妙齢の美女の繊細な横顔が目の前にあった。すやすやと気持ち良さそうな寝息をたてている。……同じ寝台で。
「!!」
キリクは赤いような青いような、よくわからない顔色で勢いよく半身を起こし、空色の瞳をかっ! と見開いた。ついでに口も。戸惑いのあまり、声が裏返ってしまう。
「お……師匠さまっ? え、なんで……?」
「……んー。おはよう、キリク……どうした?」
ほわわん、と寝ぼけた声が返ってくる。だめだこの人。わかってない。
キリクはひとつ盛大なため息を溢すと、さらに深呼吸も済ませてから恐る恐る、隣の女性に疑問をぶつけた。
「あのう……どうして、僕はこっちで目が覚めたんでしょう? 確か、あっちのソファーで寝たはずなんですが」
うろんな目で指さした先は、パッチワークのカバーを捲り、薄手の毛布が敷かれた長椅子。間違いない。
スイは、(ん? 何の問題もないよ?)と言わんばかりの口調でのんびりと答える。
「あぁ、うん。昨夜遅くにね。セディオに頼んで運んでもらった。流石に私じゃ、君くらいに育った子は抱き上げられない」
「抱き……いえ、ちょっと待って。セディ…? 誰です。それ」
「“それ”じゃなくて、“セディオ”。コーラルさんの本名。成りゆきで教えてもらった」
「へー……」
弟子である少年は、なんとなく生温い視線で斜め上から師を流し見た。いわゆるジト目だ。
「お師匠さま、相変わらず節操がなさすぎますよ」と、小声で抗議する。
対する師匠もむく、と上半身を捻って壁側の弟子を仰ぎ見た。右腕の肘をついて側頭部を支え、即席の高枕とする。
他意なく潤む黒紫の双眸。無造作に流した黒髪。白い、しみ一つない肌。
年齢不詳な美女は、若干憤慨したような面持ちで薄い唇をひらいた。
「人聞きの悪い」
「事実、ありのままです」
―――師弟の意見は殊これに関して、延々と平行線。
* * *
階下に降りると、既に細工師の青年は起きていた。応接間兼作業部屋で、はたと顔を合わせる。青年は、にっと微笑んだ。
「よう。よく眠れたか坊主」
「はい、おはようございます。コーラル……じゃない、セディオさん。おかげ様で。ありがとうございます」
とても礼儀正しくぺこり、と金茶色の頭を下げるキリクに、青年は器用に片眉を上げた。
ちらっと傍らの女性に視線を寄越すと「……言っちゃった。だめ?」と実に軽い調子で肩をすくめている。
ふぅ、と嘆息した青年――セディオは呟いた。
「別に、いいけど。……な、それよりお前」
す、と女性から外した視線を今度は入り口の少年に投げ掛ける。かれは律儀に答えた。
「キリクです」
「あぁうん、キリク。お前さ、彫刻できるんだって?」
「……できる、と言いますか。祖父は彫刻師だったのでそれなりに。何か、ご入り用ですか?」
「そ。見てみろよ、これ」
立ったまま、作業台ではないほうのテーブルを長い人差し指でトントン、と叩く。もう片方の手は腰にあてられ、どことなく偉そうだ。しかも様になっている。
――ん?と違和感に気づいたキリクは、まじまじと室内に差し入る朝陽のなか、自然な姿勢で佇む青年を眺めた。
(あぁなるほど、髭がない。剃ったんだ)
納得して合点が行ったキリクは、一つ頷いてテーブルに歩み寄る。その様子を笑顔で見つめていたスイは「じゃ、厨房借りるよ」と機嫌よく部屋を出ていった。
テーブルの上には一枚のぴん、と伸びた大きめの紙があった。少しざらつく手触りだが、質が劣悪と言うほどでもない。
紙は、宝飾プレートのデザイン画だった。
師であるスイが首から下げているような細い鎖。無造作にざっと流された青黒いインクの描く放物線の先には“白銀”と記されている。
平たく研磨されたエメラルドを飾るシンプルな縁も同様。
形は、おそらく緑柱石特有のエメラルド・カット。つまりおおらかな長方形。プレートとしては、やや大きいかもしれない。
鎖の対角には、丸くカットされた粒状のエメラルドが小さな銀の輪で繋がれ、垂れている。こちらは注意書に“ブリリアント・カット”と記されていた。流麗な走り書きだ。
そして、台となる銀板に――花の意匠。
八枚の花弁が規則正しく配置され、一枚おきに長い花弁と短い花弁が入れ替わっている。
走り書きには“彫金”とあった。
「僕に、この意匠を彫れと……?」
「そ。スイは、お前なら出来るって」
「……わかりました。やります」
言葉とは裏腹の、どこか不機嫌そうな声。
セディオは「ん?」と意外そうな顔をした。
「不服か? スイが言うから、任せようかと思ったんだが――いやならやめとけ。俺がする」
「いえ、違います。あの子の宿る宝石の台座になるんでしょう?ぜひ手伝いたいです。ただ……」
「ただ?」
人懐こい目許はそのまま、整った容貌を顕にした青年は、言葉の続きを促した。
少年は、視線を図案に落としたまま渋面となる。
「……師匠の名前を軽々しく呼び捨てにされると、なんだか複雑で――って、ちょっと!」
セディオは、くくく……っ! と人のわるい顔を伏せて笑っている。隠しているのかもしれないが、声も漏れているし小刻みに震えている。丸わかりだ。
「お前、すっげぇ……素直……ッ! ふ、くく……っ。ご、ごめんごめん。任せる。台座は……午後までに、用意すっから」
「……どうも」
笑いを堪える青年と、仏頂面の少年の視線が、宙に混じらず衝突する。
一方的に不穏な気配かーーと、思われたが。
美味しそうな朝食の匂いとともにカチャ、とドアが開いた。現れたスイは小首を傾げ、不思議そうな顔で上半身だけ、部屋の内側へと差し入れている。
「どうしたの?」
「いや、何も?」
「何でもありません!」
……と。
同時に答える二人に、ふふっと邪気なく微笑む魔術師に。なぜか、その場もつられて凪いだ。