シンギュラリティの向こう側
誰もいなくなったアストライアーで、独り留守番をする――何だかとっても心地よい気だるさが楽しい。
「うふふ……」
アンニュイな気分に浸る自分を面白く感じながら、わたしは湯気の立った温かいミルクティを少し口に含んだ。気温の高いこの時代では、暖かい飲み物が敬遠されるため、めったに口することはないが、独りの時ぐらい古時代の日々を思い出して飲んでみるのも悪くはない。
「おいしい……」
独りぼっちなのに声を出していた。
そして天井へ視線を這わせる。
今日こそ答えを出してもらうわよ。
ずっと頭にこびりついて払拭できない案件。この乗り物に装備されている人工知能がどうしても腑に落ちない。時代と能力が一致しないのだ。リーパーとして多くの時代を覗いてきたが、ここまで進化したものにはお目にかかっていない。ましてや自分のいた西暦3027年製のコミュニケーターへアクセスしてきたとなると、首を捻りたくなるのだ。
「ランさん?」
『はい?』
甘い声音がインターフェースポッドから落ちてくる。
「誰もいませんよ」
『はい。現状の把握はできています』
「わたしに何か言うことはありませんの?」
『原子力発電機は100パーセント機能しています。昨日の水中走行で消費したバッテリーの完全充電まで、あと6時間要します』
「充電状況を尋ねたのではありません。わたし個人に何か言うことがあるでしょ」
『ありません』
もう。冷たいんだからこのAIは……。
「うふふ」
自分の発した思いに笑いが込み上げてきた。
人間味のあるAIなんてあり得ませんものね。これぐらい人工的な受け答えで、ちょうどいいのです。
『ところで、日高さんは皆さんと行動を共にしなくて、よろしいのですか?』
「ん?」
わたしは眉をひそめて見上げる。
「急に人間臭い質問をするんですね」
『ワタシには嗅覚が装備されていません。理解不能です』
「ふっ。鼻の利くAIっていうのも、面白いですわね」
『犬ですか?』
「犬を知ってるの?」
『…………』
なぜかランさんは黙り込んだ。
「この時代に『犬』なんていないでしょ?」
『ペットとしての犬は絶滅しています。地上には野犬が変異して凶暴になり、群れを成しています』
「なぜ、嗅覚と聞いて犬を思い出したのです?」
『哺乳類のデーターベースと、嗅覚というセグメントが繋がっていたからです』
「あなた、今、誤魔化そうとしているでしょう」
『ごまかす……都合の悪いことを隠したり分からないようにしたりすること……。いいえ、誤魔化していません。事実を述べたに過ぎません』
「なぜ。『犬を知ってるのか』と尋ねた後、間が空いたのですか?」
『…………』
「ほらまた」
『…………』
「あなたを製造した会社はどこですか?」
『データーベースに記録がありません』
「通常はシリアル番号だとか製造者記録が必ずあるはずです」
『ありません。ワタシはRAISEIプロジェクトのAIとして試験的に製作されたため、正式な登録が行なわれなかったと推測されます』
なんだか胡散臭い返答だった。
「あなたの製造年月日を述べてみなさい」
『西暦2302年5月10日です』
2302年と聞いてピンときた。リーパーがいつも気に掛ける部分、年号と日付は常に敏感に感じる部分でもある
「麻衣さんと麻由さんのお誕生日は?」
『西暦2302年……5月10日です』
「また間が空きましたね。あなたがただのAIだとすれば、偶然誕生日が一致しただけです。きっと間など空けずに即答したはず。間が空いた理由は……」
わたしもわざと言葉を区切り、一拍、間を空けて示した。
「瞬間、何か考えたのでしょ。今のわたしみたいに」
ほくそ笑んでから質問を続ける。
「わたしが麻衣さんたちの誕生日を知ってるはずが無い、と踏んでいたのでしょ、あなた?」
『麻衣と麻由の誕生日が話題に出たのは、西暦2318年7月30日、午後5時32分です。その時あなたは心身喪失症に陥っており、適切な判断能力を失っていました』
「だから知らないと思って、自分の起動年月日をその日にした……でしょ?」
『いいえ』
「わたしと麻衣さんが個人的に会話している中で、誕生日の話が出て、そこから知るとは想定していなかったのですか?」
『誕生日の話題は宝来峡の研究室以外、出ていません。なぜあなたは麻衣たちの誕生日がその日だと知っているのですか?』
「直感です」
『直感……推測、考察などに頼らず感覚的に感じること……。野生の勘ですか?』
「人を猿みたいに言わないで」
それよりこのAIは気なる言葉を漏らした。
「あなたは、わたしたちの会話を常に傍受しているとでも?」
『しています。ワタシは麻衣と麻由が生まれたときから、二人を監督、保護、養育するために機能してきました。従ってすべての情報を蓄積しています』
「それって……」
答えを躊躇っていると、向こうから答えてきた。
『はい。親代わりです』
「なんだかしっくりこない説明ですわね。なぜ大きなプロジェクトのために作られたあなたが親代わりなどしているのですか?」
「RAISIEIプロジェクトは発足半年でたち切れとなり、ワタシの役目が無くなったからです」
驚きのシステムだが、やっぱり釈然としない。うまく誤魔化されたような気がしてならない。御両親は二年前まで健在だ。その後の二年間が親代わりと言うのなら納得したのだが。
おかしい。いつまでたってもパスファインダーであるわたくしを翻弄しようとする雰囲気が消えない。
「はいはい。白を切るのはもうやめなさい」
天井に向かって手のひらをパンパンと叩いた。誰もいない食堂にそれは大きく響いて渡った。
「このあいだ、修一さんと精神融合していたときに、あなたはコミュニケーターを通してわたしに交信して来ましたね」
『いいえ』
「ウソおっしゃい。あの時、確かにあなたは『AI』と呼ばれるスタンドアローン型デバイスだと告げたのですよ」
『コミュニケーターというデバイスは認識できません。認識できない装置とは会話をすることができません』
淡々と語ってくるが、その口調は無機質ではなく、むしろ高貴な気品を感じさせる声だった。
「切りが無いわね」
このAIは本当に知らないか、何かのときに別のプロセスに切り替わる仕組みかもしれない。だとしたら、ここでいくら尋ねても答えるはずが無い。
「もういいわ。この話はまたの機会にしましよう」
『はい。今日は楽しいお話、ありがとうございました』
「はいはい。わたくしも楽しかったですわ。ありがとう」
残ったお茶を最後まですすって、わたしはテーブルにカップをことりと置いた。
さて休日の午前中に何をして潰そうかと思案するが、やることは一つだった。時空震の様子を何とか覗いてやろうと思っていたのだ。周囲に人がいるとその人の未来まで一緒に見えてしまうため、意識が集中できないのだが、今日は思う存分できる。
手を頭の後ろに伸ばしてストラップを外す。目をつむり、ゆっくりとゴーグルをテーブルに置いた。神経を集中させて瞼を静かに開けると共に飛び込む数々の光景。この瞬間が一番気持ち悪くて生唾を飲み込のだ。
物を見るのと同じ仕草で視線を動かすと、合わせ鏡に映った画像みたいに数々の情景が少しずつズレてずらっと並ぶ。それは無限の彼方まで続くのだが、今は過去ばかりで、未来を意識してもぼんやりとしか見えない。
その反面、過去は鮮明に見える。ミグと呼ばれる蟹を捕まえた麻衣さんが、嬉しそうに餌をやる姿がテーブルの向こうに視える。焦点を変えると、良子さんの部下である服部さんが、わたしの前でお茶を注ぐ光景と切り替わる。もちろん声だって聞こえるのだ。わたしが意識さえ集中して焦点を変えるだけで、その場に居合わせたのと同じ、何から何まで手に取るように視える。この乗り物が熊本研究所の倉庫に眠らされていた頃の光景だって視ようと思えば可能だ。しかし……。
「だめだ……」
一寸先は闇。そんな言葉を思い出して、口元に笑みを浮かべた。
「普通の人は未来なんて見えないものね」
わたしの超視力を持ってしても、言葉のとおり、もう未来は数分先ぐらいまでしか見えなかった。時空震が迫っているのか、あるいは……。怖い憶測だが、未来が無いかのどちらかになる。
無性に恐ろしくなって、わたしは再びゴーグルを掛けた。
さっと意識が現時に戻る。このゴーグル無しでは、わたしはまともな生活ができない。これがパスファインダーの宿命でもある。
『皆さんが戻られます』
突然、天井から声を掛けてきた。
「なぜ? 帰りは午後でしょ?」
『柏木部長から連絡です。音声に出しますか?』
「え? 何、通信機? ええ、いいわ、出して」
『日高さん聞こえる?』
「あ、はい。感度良好です」
『たいへんなの。麻衣が一匹のオオスズメバチに刺されて、今そっちへ大急ぎで戻ってます』
「ええっ! どうしたんです。なんで!」
瞬時に目の前が暗くなり、胸が絞めつけられるように軋んだ。
『いい。落ち着いて聞いてね。タオルを濡らしてアイスエアーで冷やしておいて、それから簡易ベッドを二組、修一くんのテントの横あたりに組み立てておいてよ』
「二組って、麻衣さん以外にも刺された人がいるのですか?」
『麻由も気を失って、何かようすがおかしいの。とにかく急いで準備してちょうだい。いまガウさんと修一くんが、走ってそっちへ戻ってるから』
「わ、分かりました」
途中から脚の力が抜け始め、気づくと床に膝を折っていた。
「だ、大丈夫よ。蜂ぐらいに麻衣さんがやられることはないわ」
根拠の無い言葉を無意識に漏らしながらも、気を取り直してギャレーに飛び込むと、アイスエアーのボンベを冷凍庫から抜き出す。それをよく振って、濡らしたタオルに勢いよく吹きかけた。すぐにタオルは白い霜を纏い硬く凍った。
そのまま冷凍庫にタオルを保管。次に後部デッキへ飛んで行って、組み立て式のベッドを拵えた。
「ランさん。麻衣さんが蜂に刺されたらしいの。冷えたタオル以外に準備することはないのですか?」
『刺した個体は何匹ですか?』
「え? 一匹だと言ってましたけど」
『変異した大スズメバチは従来のものより大型ですが、毒性はあまり変化ありません。したがって、一匹ではすぐに死につながるようなことはありません』
「よかった……」
胸を撫で下ろすわたしに向かって、ランさんは恐ろしい言葉を吐いた。
『ただし、一度刺された経験のある人物には蜂毒に対するアレルギーの抗体が作られ、二度目に刺されると、アナフィラキシーショックで死亡することがあります。早急にバイタルモニターすることを推奨します』
「な、何言ってるのです! 麻衣さんは初めて刺されたのでしょ?」
『いいえ。麻衣は4年前に古名、『淡海(おうみ:現、琵琶湖)』の沿岸で、同じオオスズメバチに刺されています。これで二度目です』
目の前が真っ暗になって、組み立てたベッドにすがり付いてしまった。
そこへ大きな物音を立ててガウロパが飛ん込んで来た。
「ガウロパ! 麻衣さんは?」
勢いよく振り返って叫ぶわたしに、
「ベッドへお連れ申す。それと姫さま、冷えたタオルを早く!」
「麻衣さん!」
彼女はまだ意識がしっかりしているようで、ガウロパの腕の中から飛びつくわたしに微笑んで見せた。
「ごめんなミウ。ガウさん借りて、ウチを運んでもろて……」
「何言ってるんです。ガウロパなんて、こき使ってけっこうです。それより、それより……」
非常に焦って声も絶え絶えのわたしの背をガウロパは優しくトンと押した。
「姫さま。急いでタオルをお願い申す」
「で、でしたね。私ともあろう者が慌てました。も、もう大丈夫。タオルですね。よ、よしっ!」
わたしは、パンッ、と膝を叩いて自身を奮い立たせると、ギャレーの冷凍庫へと走った。




