危険がわんさか
「ガウさん降りるわね」
柏木さんがガウロパの肩から太い腕を伝って降りて来た。まさに象遣いがその背から降りるような光景だ。
「この池ね……。よいしょ」
残り十数センチの高さを可愛い掛け声をあげて飛び降りた。
何を目的としてここへ来たのかよく解らないが、食料確保だと麻衣は宣言していた。水辺で食糧確保と言えば魚でも釣って帰ろうって言うのなら釣り竿ぐらいは必要なはず。しかも……。
「お前ら何してんの?」
思わず後ろから声を掛けた。
麻衣と麻由は水際にしゃがんでピシャピシャと水をかけあっているだけ。
「あー。やっぱ気温が高いから水温も高いねー。でも気持ちいいわよ」
「きゃは。麻由やめてぇーや、顔にかかったやんかぁー」
それを見てイウとガウロパもポカン顔を曝すだけ。
続いて柏木さんまでもしゃがみ込むと、水しぶきを池の奥へ飛ばして遊びだすし。
「あーホント。バシャバシャしたら気持ちいいわー」
「あの……泳ぎでも始めるでござるか?」
我慢しきれなくなったガウロパが尋ね。
「なに期待してんだこのスケベゴリラ」
「お主、変なことを想像するのではない。拙者は……」
「もうやめなさい、二人とも。こんなところで泳ぐわけないでしょ。私だって命が惜しいわよ……」
なんか最後にとても怖いセリフがくっ付いてますけど。
すくっと立ち上がった麻由が言う。
「麻衣……スニッチカメラ出す?」
「すにっち?」首をかしげるのは柏木さん。
でもすぐに思い出したのか、
「ああ。あの竹トンボか。でも準備する必要ないんじゃない。ほら……来るわよ」
何が?
どこから?
柏木さんがくれた視線をたどって、俺も池の中央辺りを注視する。
「ほんとだ。来るわよ、麻衣――」
低くこもらせた声で麻由が合図みたいな言葉を告げ、
「よっしゃ……」
静かに麻衣がショットガンを構えた。
「何が来るでござる?」
巨体を伸ばして遠望するガウロパ。
何が始まるのか、まったく予測不能さ。でも柏木さんは俺たちに下がれと命じ、麻衣はゆっくりと銃の先を池の中央辺りに向けた。
「なんだぁ?」
鏡みたいに真っ平らだった水面に大きくな揺らぎが発生。
「静かにしてて……」
目線は水面に固定したままで、ぽつりと麻由。
次の刹那、にわかにその中央が盛り上がった。
続いて鉛色のうねりが音も無く広がり、
「な……なんか出てくんぜ」
イウのつぶやきに誘われて俺は一歩逃げの体勢さ。
「ほーらほら。おいでおいで……」
麻由はそれでも水遊びみたいな仕草をやめない。
うねりはやがて深く沈み。水際までバシャバシャと白い波が立ってきた。
「みんな下がるのよ!」
柏木さんの大きな声が響いた次の瞬間。爆音と共に巨大な水柱が上がった。岸から十数メートル先だ。
「どわぁぁ! 何だ、ありゃっ!」
ゴツゴツとした岩にも似た瘤が並ぶ巨大な暗緑色の化け物が、水しぶきを上げて突進して来た。大きく裂けた真っ赤な口。その奥にはぬめぬめした器官が蠢くのが見えた。
そいつが俺に向かって水面を滑るようにしてまっしぐらだ。
あ。訂正しよう。
俺に向かってではない。俺の前で水遊びをしていた麻由に向かってまっしぐらさ。
ドンッ!
「うわっ!」
すぐ前で麻衣がショットガンを発射。白煙を噴き出して飛んだ弾丸は、ヤツの脳天を貫いたが、化け物は大口を開けたまま俺たちめがけて突進。その勢いが凄まじく、そのまま陸地に転がり込んだ。
どったん、ばったんと黒い尾っぽを地面に叩きつけて暴れるその巨体は、ゆうに3メートル。
「わわわわわわわわわわわっ」
慌てふためき、俺もそいつと一緒になって横でバタバタ暴れた。
「こ、こら、修一、邪魔や!」
麻衣に蹴り飛ばされて、俺、茂みの中にふっ飛び、律儀にも同じ場所にイウも逃げ込んできた。
ドンッ! ガシャッ。 ドンッ!
合計三発のスラッグ弾をぶち込まれて、やっと怪物は大人しくなった。
茂みの中から恐々顔をもたげる、俺とイウ。
二人で顔を見合わせてからゆるゆると視線を怪物に戻して訊いた。
「何すか、それ?」
麻衣相手に敬語になる俺って情けないよな。
防御壁となったガウロパの後ろからニコニコ顔の柏木さんが出てきて説明する。
「ヘテロプネウステス科(Heteropneustidae)の変異体よ」
そんな簡単に言わないでください。
「鯰やんか」
「こ、こんなでかいのはナマズとは言わねぇで怪物って言うんだ」
「そんなに怒らんでもええやんか」
「そうよ、絶品なんだから。あたしたち子供頃からこれ食べてたのよ」
「な……っ」
イウは、どうやら言い返す言葉が無くなったようだ。俺も何度同じ目に遭ったことか。
「ガーデンから外れたジャングルの沼地に行けばだいたいこれが獲れるのよ」
「じゃ、じゃあ、先生もこれ食ったことあるのか?」
「おいしいわよー」
「拙者に料理の方法を教えてくださらないか?」
「私は食べる専門よー。料理の仕方は麻衣たちに聞いて」
「会話と獲物の対比がなんかおかしいっすよ」
思わず割って入る。どう見たって怪獣だ。釣りあげた魚を前にして談笑するような感じは絶対的におかしい。
俺は息せき切って訴える。
「今の見たっしょ。水辺で麻由がぴちゃぴちゃしただけなんですよ。なんで飛び掛かってきたんすか?」
「性質が荒いからね。縄張りに侵入したと思ったんでしょ」
淡々とするのは柏木さんで、イウも俺と一緒になって唾を飛ばす。
「気性が荒すぎるだろ。ヤバ系の人間でも、もうちょっと何か言葉を掛けてくるぜ。水辺に近づいただけでいきなり襲ってくるのかよ」
「まあ、ええやんか。これでしばらくたんぱく質の心配せんでええんやから」
ブッシュナイフの先端で宙を切りながら麻衣があいだに入る。
「あ、危ないな。そんなもん振り回す……な……よ」
咎める俺にもう一度ナイフの先を見せて黙らせてから麻衣はガウロパに命じた。
「ガウさん。血抜きするから、ロープでそこらへんに吊ってくれへん? 帰りに捌いて持って帰るからね」
「おいおい、こんなでかいもの誰が捌くんだよ」
「うそ。こんなん誰でもできるやろ? あんたしたことないの?」
「あるか! 肉屋のオヤジさんだってビビるぜ」
「そうなの?」
無垢な丸い瞳で麻由から首をかしげられて、俺とイウ、そしてガウロパが固まる。
「自分で食べる物を捌く……ってあたりまえやろ?」
「だよねー」横から麻由が口を挟めば、まるで俺が間違っているみたいになる。
「あんたも食べたやろ、バードオブプレイの甘辛煮。あれかって麻由と二人で捌いたやつやん」
俺も共犯なの?
「バードオブプレイのお肉は食べられる場所が決まってるのよ。肉食だから他の部位は臭みがあるのよ」
「し……知るかよ……」
女ターザンらめ。料理家みたいなこと言いやがって。
この狂った地球で生きて行く術をこいつらはマスターしたのだ。俺とか村上みたいに、海中都市でヘラヘラして政府に飼われるペットと化した人種とは根本的に違うということだ。
二人はエラの奥にブッシュナイフを躊躇せずに入れていく。
「おぇぇぇ。もうすぐ昼飯だというのに……」
食欲が急激に失せていく悪寒を覚えた。
「ほぉ。正しい血抜きの方法でござるな」
尖った顎を指の腹でこすりつつ、ガウロパが眩しそうに作業を見てつぶやいた。
「ガウさんもできるの?」
ガウロパは大きく首肯する。
「戦国時代では、できて当たり前。できぬやつは飢え死じゃ」
「しかしこんなでかいナマズ……地獄から来たとしか思えねえな」
「――体長3メートル50センチ。テロプネウステス科の変異生物、レッドキャットの成体ね」
よくそう淡々と見ていられますね。
何か言い返そうとしたがやめた。この人の大好きな生物は大ムカデだったことを思い出した。角ばった頭だけで雑巾ぐらいの大きさがあるヤツさ。
「ふぅ。こんなもんやろ」
手際よく血抜きの作業を終えた麻衣が背中を伸ばした。
「ほなおっちゃん。ナマズの頭が水に浸かる位置に尻尾から吊るしてくれる?」
「おまかせくだされ」
ガウロパは勇んで腰を上げ、ナマズの腹をロープでぐるぐる巻きにすると頭を下にして樹に吊るす作業に入った。
ったく……。
俺は思う。グロテスクな姿をした生物を眺めて弁当を食うのか?
こんなのはぜっていにハイキングとは言わん。だからミウは来なかったのだ。あいつは未来を視ていたんだ。
だがイウは否定。
「時空震が近すぎて超視力で未来はもう見えないぜ」
「じゃあ留守番するって言ったのは?」
「たんなる女の勘だろうな。コピー姉ちゃんのはしゃぎっぷりを見てたら分かるだろ」
納得の意見だった。俺の場合は拒否できない状況があったからだ。
ギシギシと音を立ててロープで吊り上げられていく巨大ナマズを、苦々しい気分で眺める俺とイウの横で、
「襲ってこないかなー」
嬉々として見上げた柏木さんが漏らしたセリフがリフレインした。
襲ってこないかなー。
なんですとー!
その言葉が信じられないんですけど。まだこれで終わったのではないと?
もう俺の喉はカラカラさ。イウも喉を引きつらせて、まるで命乞いをするかのように言う。
「せ、先生……もうやめてくれよ。まだなんか出てくんの!?」
「そ。そうっすよ。3メートル超えのナマズを襲うってこの上に何がいるんすか?」
総毛だつ俺たちの前で柏木さんは美麗な笑顔を披露。
「10メートルを超える大ウナギ(Anguilla marmorata)なの」
「ウナギって肉食だっけ?」
「ここらのはね。変異してるから」
「何でも変異、変異って。これだから暗黒時代って呼ばれるんだ」
イウは吐き捨てるように言い返した。コイツは俺たちに気遣ってしばらくその言葉を使うことを自重していたが、この光景を見てつい漏れたのだと思う。俺だってそう呼びたいさ。
どうなっちまったんだよ、地球!
だいぶ経って柏木さんが立ち上がった。
「来ないみたいね」
胸をなでおろしたのはイウと俺さ。
麻衣も麻由も無念そうに、銃の先を下ろした。
「あたしウナギのほう食べてみたかったな」
ぽろっともらした麻由のセリフに変異体三バカオンナたちが色めきだした。
「池はここだけじゃないわ」
「ほんまや。次行こ。つぎ」
「レッツゴぉー」
「ハシゴ酒じゃねえってんだ……」と漏らしたイウが気の毒だった。
連なる樹木の下を数百メートルも進んだ頃。
「修一、じっとして。動いたらあかん!」
突然、後ろにいた麻由が緊迫した声を上げた。口調が変化したところをみると、よほどのことだと思う。
振り返った俺の鼻先十数センチ先を銀白色の一閃が鋭く薙いだ。
息を飲む俺の足下へ重みのある音を立てて黒と黄色のシマ模様の物体が落ちた。
「スズメバチじゃ!」
「あかーん! みんな下がって!」
先頭を行く麻衣が、手を広げて俺たちの前進を阻み、最後尾から柏木さんの悲鳴に近い声があがる。
「オオスズメバチ(大雀蜂:Vespa mandarinia)の巣が近くにあるわ。みんなゆっくりと下がって!!」
時を同じにして、低い羽音が広がる。まるで黒い靄みたいな壁が出現した。
一匹が俺の腕に向かって飛んできたので、ヘッドクーラーを振り回してそれを払う。運よく命中したらしく、結構な手答えが返ってきた。
「修一! 背中っ!」
麻由がライフルのグリップで俺の背を強く叩いた。地面に転がったそいつはけっこうな大きさで、親指より大きな胴体は黄色と黒の横縞模様。両脇から羽が付いていて、尻からキラリと鋭い毒針が覗いていた。
「急いで! でもゆっくりと刺激しないように下がって」
真顔で叫ぶ柏木さん。立ち向かおうとするガウロパの背中を後ろから引っ張る。
「力では絶対無理だから! ガウさん下がるのよ!」
ガウロパは素直に従うと柏木さんを背に隠して、飛び交うスズメバチを睨みながら数歩下がった。
数歩下がるだけで攻撃数がぐんと減る。柏木さんが言うように連中は自分の巣を守るだけのようだ。
それでもまだ俺の顔の周りや麻衣の周囲を旋回しており、鉤爪みたいな口で威嚇してくる金属的な音が非常に耳障りだ。
「くそっ!」
俺は麻衣の肩に飛びついたヤツを手の甲で払い落とした。
「修一。素手では危険よ」
大阪弁が消えた麻衣に、
「でもよ。そうも言ってられないって」
まだブンブンと肩の周りを舞うやつを追い払おうと手を振る。
「どいて!」
強張った口調で叫ぶ麻衣。
ドンッ!
ショットガンを一発撃つ。
ガシャッ
フォアアームをスライドさせて、次の弾を充填と同時に、側面から白い煙を引き摺って空薬莢が飛び出す。
ドンッ
噴煙とともに、蜂の群れに大穴が開いた。
麻衣は再びフォアアームをスライド。
「急いで下がって!」
散弾で蹴散らせる範囲より蜂の飛び交うエリアのほうが広くて巨大トンボのようにはいかない。その数は半端ない大群だった。




