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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
95/109

 グランドワーム再び

  

  

 息が詰まる時間が流れていた。

 アストライアーは海底を匍匐前進(ほふくぜんしん)する片足のもげたタラバ蟹のような感じで、川床をノロノロと流れに逆らって上流へと、まさに這いずっていた。

 わずかに向こう岸に近づいては行くが――。


「ランちゃん。こんなカタツムリみたいな動きで、対岸まで何分掛かるの?」

『1時間20分です』


「やっぱりガウさん。息止めてくれる?」

「……ぬにゅ?」

 ガウロパは大きく眉を吊り上げて、スキンヘッドにしわを寄せた。

「――冗談よ」

 柏木さんは半笑いだったが、俺たちは笑うに笑えなかった。このままでは本気でまずい。これは俺の過剰反応かもしれないが、何となく部屋の空気が濁ってきた気がする。


「いったんもとの岸に戻ったほうが、いいんじゃないっすか?」

 こっちの希望的観測と切なる願いさ。

 だけどまたもや柏木さんが、意味のよく伝わらない微笑みを俺に向けた。

「残念でした。もう真ん中まで来ちゃってるの。この場合、向こう岸を目指すほうが正解よ」

「でも空気が……」

 今度はお前が息を止めろ、なんて言われたらどうしよう。つまらないことを想像して言葉を途切らせた。


「あ。そうや」

 麻衣が瞳の奥を輝かせた。キラキラとした視線でランちゃんに尋ねる。

「アストライアーにアイスエアーは積んでへんの?」


『約40本積んでいます』


 アイスエアーというのは気温の高いガーデン内で体温を下げたり、カビ毒を吸わないように、補助的に酸素吸引をしたりする極低温に冷却された圧縮空気の入ったボンベのことで、甲楼園浜のケミカルガーデンで、ビッグサイズのトンボに追いかけられた時にぶっ飛ばしたやつだ。

 ちなみに値段は一本5000円もするそうだ。貧乏な連中と一緒に行動を共にすると、くだらない情報まで耳に入ってきて困ることになる。


「いいねぇ。いざとなったら、それ使おう。麻衣、グッドアイデアよ」

 柏木さんは神社の御神籤(おみくじ)で大吉を引いた参拝客みたいに晴れ晴れとした。


「ふぅぅぅ」

 操縦席で大きく深呼吸を始めたガウロパへ、ミウがビックリした顔を向ける。


「あなた。本気で息を止める気でしたの?」

 ミウは乾いた笑いを浮かべ、ガウロパは情けない顔をゆるゆると向けて小さくうなずき、イウは呆れ顔をくれた。

「本気のバカ野郎だ」

「それだけ純粋なのよ。ね?」

 柏木さんにそう言われて、ガウロパは茹でタコに変身。スキンヘッドの頭頂部まで真っ赤になった。


「緊張感が足りません!」

 すいっ、と背筋を伸ばしてミウが立ち上がる。スタイルの良さがひときわ目立つ。だが、相変わらず態度は高圧的で、カタチのいい眉毛をつり上げて、柏木さんの後ろ姿を睨んだ。

「危険が去ったわけではありません。皆さん、もっと緊張なさい!」

 後ろに眼があるのか柏木さん。前を向いたまま、後ろで怖い顔をするミウに言いのける。

「まぁまぁ日高さん。しばらく様子を見ましょうよ。そんな怖い顔しないの。美人が台無しじゃない」

「なっ!」

 秘孔を突かれたみたいに、とすんと座席に腰を落とした銀髪の少女は、むぅ、と赤い唇を突き出してアヒル口にする。そしてぷいと横を向いた。


 柏木さんと競い合えるほどの美人なのに、決して混ざらないミウ。麻衣と麻由の肩が笑いを堪えてプルプル震えるのが視界に入ったが、俺もミウと同じ心境さ。柏木さんのように涼やかな気分にはなれなかった。水の流れに堪えるのがやっとの状態で水深7メートル以上の深みで立ち往生に近い状態なのだ。笑みを浮かべる余裕はいったいどこに持ち合わせているのだろうか。


 そこへ再び落としてきたランちゃんの報告。

『長距離ソナーで巨大物体を検知しました』


 ミウがそれ見たことかと顔を上げる。

「さっきの男、しつこいですわね。まだ何か細工を仕掛けてあったんですわ」

「今度は何よ!?」

 またもや全員に緊張が走った。お気楽女子陣も焦る時は焦る。


『5キロ上流で、全長100メートルの環状物体が2つです』


「100メートルの環状物体?」

 ミウが甲高い声をあげた。

「と……言ったら」

 何度目かの息を飲む俺の前席から、なんと歓喜の叫び声が。


「「グランドワームよー!」」

「「「きゃぁぁぁぁぁー」」」


 恐怖に怯えた声ではない。街でアイドルを見つけた女子高生のような歓声。その発生源は、もちろん柏木さんと双子の姉妹。つまり変異体三バカ女子どもだ。

 後部座席では肩を落として長い溜め息を吐くミウと、露骨に嫌な顔を向け合う俺とイウ。座席の列を挟んでそれぞれに反応は二分された。


「あの、でかミミズでござるか!」

 操縦席でロボットアームを操作する手を止めることなく、ガウロパはひそめた眉を俺たちに見せた。


「反応がおせえぇな、オメエは」とはイウ。

「いや、マニピュレーターを止めるわけにはいかないので……」


 そこへランちゃんの甘い声が怖い報告をする。

『巨大な高波が押し寄せて来ます。直撃まであと20秒』


「上流で何やってんだ、あいつら!」

 イウが思わず叫ぶものの、ミミズのやることだ。誰も理解できるはずがない。


「きっと、さっきの電流に刺激されて、地上に顔を出したのよ」

「じゃ、それもヤツらは計算していたのか?」

「かもね」

「ちょっ、ちょっと!」

 イウと柏木さんをミウが強く制する。

「そんなことより、怒涛の大波を喰らったら、今度こそアストライアーが海まで押し流されますわ」

 ミウの心配は絶対的に正しい、この状況下で100メートルもあるミミズが暴れて拵えた津波のような濁流がここに押し寄せたら、水面を浮かぶ笹船よりもはかなげだろう。


「それも二匹だぜ」震え声でつぶやくイウ。

 浮かぶことができないアストライアーは、海まで流されたら永久に海底に沈む。そう考えた途端落ち着かない気分に陥った。


『波が到着します。ショックに備えてください』

 ランちゃんが艶っぽく、かつ無感情に伝えてきた。こういう緊迫シーンではとてもマッチしない声音だ、という無味無臭の思考が脳裏を通り過ぎて行く。


「ガウさん、しがみつくのよ! 頑張って」

 柏木さんが激を飛ばす。河床に喰らいつくぐらいしか手立ては無いのか?。

 水棲生物は海が時化(しけ)たの時、どうやって海底で自分の身を守るのだろう。陸上生物の俺たちには理解の及ぶところではない。


 俺の横でミウが硬く目をつむっていた。カタチのいい眉をひそめてコンマ何秒後、目を見開き叫んだ。

「ガウロパ! ロボットアームの先端を川底に突き刺しなさい!」

 ミウの指示を受け、即座に反応して、はんむっ! と気合を入れたガウロパは両手を座席の下部へ向かって突き立てた。もちろん手の先には何も無いが、外のロボットアームがそれと同じ動きをするのだ。それも数十トンのパワーを持っている。川底にイカリをぶち込んだのと同じだ。


「日高さん、いいアイデアね。じゃあ私の一案も聞いて! ランちゃん。ボディの先端を川の底に着けて、後部を持ち上げるの。水流の圧力を利用して底に貼りつくのよ」

 アストライアーは瞬時に前傾姿勢になり、俺たちは前につんのめりそうなったが、シートベルトに締め付けられた体は座席から転がり落ちることは無かった。


 あとは流体圧に加わる波のパワーに、ボディが耐えられるかだけの問題だ。圧力計はとっくに限界値に達しており真っ赤に染まっていた。それは俺の不安度が恐怖に切り替わって久しい。背筋に嫌な汗が流れ、息も絶え絶え。キャノピーが割れて流れ込む怒涛の中で溺れていくのか、潰れた側壁に挟まれて圧死していくのか。いいことなんかこれっぽちも思い浮かばない。


 俺の思考はそこで無理やり中断させられた。どどどっ、という腹に響く低い衝撃が襲い、室内が激しくシェイクされた。口を開けていたら舌を切りそうな、ひどく小刻みな衝撃に加えて、空中ブランコに吊り下げられ大きく振られた、みたいな猛烈な揺れが同時に到達した。


「あわわわあぁぁぁぁぁぁ!」

 唾をいっぱい跳ばして、俺の口が上下に震動する。


 顎が痛くなり、ついでにシートベルトがギシギシと軋みながら肩に食い込んできた。

 ベルトに沿って激痛が走るが、そんなこと気にもならない。今は、顔を真っ赤にしたガウロパのパワーだけが頼りだ。


『水量が激減します。グラップラーをいち早く川底から抜いて、脱出することを推奨します』


 ランちゃんが前傾姿勢になっていたボディを水平に戻した。キャノピーの上を水が渦を巻いて流れ落ちていく。

「空だ!」

 激流が起こした大波が引き、キャノピーの上部が空中に曝されており、どんよりとした曇り空が見えた。

 それを見た途端、今まで重く圧し掛かっていた圧迫感が瞬間に払拭された。希望という言葉が一閃を引いて過ぎったのだ。

「助かった!」

 と想起するのはまだ早い。操縦席が大騒ぎだった。

「ぐおぉぉぉ!」

 歯を喰いしばり、タコ入道が唸っている。


「ガウロパ、ロボットアームを川底から抜くのですよ」

 強張った声でミウが叫ぶが、やっぱりガウロパは真っ赤に(りき)んで顔を歪めるだけ。


「ぬおぉぉぉぉぉぉぉっ! 右側の腕が川の底に突き刺さったまま、ぬ、抜けぬぞ! 柏木どのぉぉぉ。またフィードバックが上がってござらぬかぁぁぁぁぁぁ!」

「最低値よ。抜けないの? ガウさん?」

「ぬけぇぇぇぇぇぇぬぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 500キロの岩を持ち上げるガウロパの力を持ってしても、硬く川底に突き刺さったロボットアームが抜けないようだ。


「マジかよー。勘弁してくれ!」

 悲鳴のようなイウの声。

 一難去って、また一難。気づくとミウが俺の腕にしがみついていた。何かにすがりたくなる気持ちはよく分かる。ガウロパの動きを見ていると、こちらまで釣られて力が入る。俺も腕に力を強く込めてそれに応えた。


「くそぉぉぉぉっ! こんっのぉぉぉぉぉぉぉ」

 スキンヘッドから玉粒の汗が滴り落ちていた。


「しょうがない。ガウさん、グラップラーを破棄するわ」

 ガウロパは力強く深呼吸して、そして叫んだ。

「ダメだ! そうなると両方の先が無くなる!」

「そんなこと言ってる場合じゃないわ! 今は向こう岸にたどり着くことが先決よ」

 この決断力には本気で胸がすく。いつも抜けたことばかりする柏木さんが、立派なリーダーとして認められるゆえんでもある。


 柏木さんはガウロパに視線をやり叫ぶ。

「いい? 先端を抜き去るからね。準備してよ」

「了解!」

 操縦席横に設置されたマニピュレーター操作パネル。そこに目立つ赤い大きなレバーがある。レバーというより手で握って引き抜くグリップだ。それを柏木さんが力いっぱい引いた。


 ドンッ、という音と噴煙がアームの先端で放出され。間髪入れずに、ガウロパの右手が空中に飛び上がった。

「抜けたでござる」

「今よ! ランちゃん走って!」

 弾けるように急発進するアストライアー。ビンビンに張ったゴムの片側を手放したような、猛烈な勢いで対岸に向かう。ジェット噴流さながらの水しぶきを後部に噴き上げて驀進する衝撃は凄まじいものだった。体中の関節という関節が外れ、骨という骨が砕けそうな激震の中、ランちゃんはアストライアーを突進させ続けた。


『第二波が来ます』


 大波の去った川は、水深7メートルから一気に1メートルという子供の背丈ほどになっており、キャノピーの外には空が広がっていた。だけど上流から山のような次の波が押し寄せてくるのが見えた。そしてその向こう、はるか彼方に褐色をした不気味にぬた打ち回る大きな環状動物の姿が目視できた。


「げぇ。絡まってやがる」

 二匹のミミズが大きく絡まり、空中に身体をもたげていた。連中にとっては水溜り程度なのだろうが、竜巻みたいに川の水を引き摺って空をうねると、そのまま水の中にダイブする。ショックで流れは爆流となって、猛然とこちらへ押し寄せてきた。まるで大津波だ。


「ランちゃん来るわよ! 急いで!」

 ぶわぁぁっと、水面が持ち上がり、それにアストライアーが呑まれて一瞬で水中に沈む。波にさらわれて、ボディが一回転した。本物のビックリハウスさ。床と天井が逆転した。

 俺たちは声もでない。こんな命を賭けた遊園地のアトラクションは、他に類を見ないだろう。


 何度か頭の上で星が回っていた。天井と床が交互に入れ替わったのを、3回までは数えられたが、あとは何が何だか分からなくなって、気づけば頭の上でお星様が回っていた。


「痛たたたた」

 俺の右隣に座ったイウが床に落ちて、腰を摩りつつ立ちあがった。

「床じゃない!」

 冷静に見ると床ではない。右側壁が下になっていた。横倒しになったのだ。座席が横になり俺の体重が引っ張られてとんでもなく苦しい体勢だった。

 左隣に座るミウは俺の上にいた。ミニスカートの裾を必死で押さえて、綺麗な脚をばたばたさせて、シートベルトに縛り付けられた姿勢はかなり苦しげだ。


「ひっくり返ったまま、止まったんだ」

 意外とのんびりした俺の感想が漏れた。


 前席の一番上に位置する柏木さんが、シートベルトに掴まったまま歓声をあげた。

「キャノピー見て! 水が完全に無いわ!」

「ちょ、ちょっと待つでござる」

 ガウロパが横倒しになったアストライアーの姿勢を正常な状態に戻そうとマニピュレーターを操作。しばらくしてボディがギシギシと軋みつつ、起きあがった。


 数秒後、大きく重々しい音を上げて天井が頭の上に、床が足元に戻り、ようやく安穏とした空気に戻った。


「岸辺に打ち上げられたんだわ!」

 アストライアーは最後に受けた高波に押し出され、対岸の土手に転がっていたのだ。まるで海岸に打ち上げられた流木のようだ。


『濁流による危機は回避されました』

 何事も無かったみたいに言うランちゃんだが、俺たちはぐったりだ。泥の中にポツンと残されたアストライアーの車内はゴミ箱の中と変わらぬ散らかりようさ。


 激しく車体が回転したため、またまた食器やら道具やらがロッカーの扉を押し開けて外に飛び出しており、見るに忍びない惨状だった。

 具材をぶちまけ、足の踏み場が無くなった奥のほうで、ごそり、と音を出して何かが動いた。

「おーい。お前らのペットが逃げ出してんぞ」

 動いたのはミグだった。飼育箱がひっくり返り、自由の身となったカニが散歩に出かけようと動きだしたところだ。


「「んー……」」

 麻衣たちも面倒臭そうに、喉の奥をこもらせて返事。いつも元気一杯の柏木さんでさえ、息が絶えそうにつぶやく。


「とにかく安全な場所に移動して」


 キャノピーの向こうで褐色の巨大生物が、水と泥に混じってキャットファイトを続ける光景を尻目に、アストライアーは大淀川を後にした。


 疲れた……。強い疲労感が全身を包んで立っていられない。

 たかが川渡り、されど川渡り。大きな川は怖い。

 貴重な教訓を得た気分だ。



 ひと息吐いて、柏木さんは言う。

「もしかしたら、グランドワームを暴れさせるのが目的で連中は地面に電撃ショックを与えのかもよ。だって5キロ上流って言ったら、私たちが渡っていた辺りよ。運よく下流へ流されたからよかったけど、そうでなければちょうど、ど真ん中よ」

 イウの片目がきらりと光る。

「だとしたら、変異体動物の生態に詳しいことになる。あんなバケモンのいる場所を知るリーパーはいねえぜ」

「じゃあ。現時の人間も手を貸してるんだわ」


 新たなる懸案事項が増えてしまったのだが、それよりも俺は目先の事実に懸念する。

 今日の晩飯にありつけるのだろうか。


 シェイクされた室内を見渡して、俺は溜め息を一つ落とした。

  

  

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