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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
94/109

 追い込まれる

  

  

 気の弱い者どうしの牽制など無視して、柏木さんは容赦なくアストライアーを進めた。

「ランちゃん行っていいわよ」

「え?」

 イウと同時に顔を見合わせて黙り込む。そして二人揃ってキャノピーに当たる水しぶきを睨んだ。


「気の合うお二人だこと……」

 ミウの嫌味など、馬の耳に入るわけがない。


 目に見えて水量がグンと上がる。見る間にキャノピーの真ん中辺りまで泥水に浸かった。

 圧力計の赤い扇はぐるっと回って時計の45分の位置まで跳ね上がるが、怖くてそれ以上見られなくて床へ視線を落とした。

 俺の不安度、650ポイントだ。のこり350か……。いやまだ350もある。


 数分後、不気味な動きが伝わって来た。車体の後部が頻繁に横流れを起こしている。それをランちゃんが絶妙な操作でコントロールするモーター音の変化が床から伝わり、なんだか尻が落ち着かない。


 頑張ってくれ、ランちゃん。

 俺には祈るしかできない。想像を越えた水流の力強さに圧倒された。

 誰かがさっき言っていた。泳いで渡れだと? そんなことすれば確実に濁流に呑まれて海まで運ばれる。もちろん溺死体となってな。


 シートベルトに掴まる手のひらが汗でぐっしょり濡れていた。でもそこから手を放すだけでも、どこかのバランスが崩れて、アストライアーが流されてしまうのではないかと不安になり、俺はじっと静かに耐えていた。


『水没します』

 ランちゃんの怖いひとコトと同時に室内が暗くなった。キャノピーの上部まで完全に泥水に浸かったのだ。外は泥色の世界に変わった。それから十数秒後、さらに深みに沈む。


 室内が暗闇に満ちた。自動的に照明が点いてキャノピーの内側をギラギラと反射させた。

 窓を開けることすらできない密閉された空間だと思うだけで、さらなる圧迫感が押し寄せてきて、瞼に力が入る。


 怖ぇぇぇよぉ~。




 数分後――。

 ボディの側壁を渦巻く濁流の音が騒がしくなったような気がして、薄っすらと目を開けてみる。だが怖くて顔は上げられない。逃げ場を失った密室に脅迫的な気配を覚え、急激に息苦しくなった。


 生きたまま棺おけに詰め込まれて、泥の中に沈められる光景を想像してくれ。気が狂いそうだろ。イウも床を睨んだままじっとしたままだし、ミウだってそうだ、眉間にシワを寄せてじっと目をつむっていた。


「ぁーぅっ!」

 喉の奥から飛び出しそうになった悲鳴を噛み殺した。アストライアーが大きく横すべりを起こしたのだ。

 たちどころに進行方向は修正され、もとの体勢に戻るが、暴れる心臓の鼓動に堪え切れず、そっと顔を上げてみる。平気でキョロキョロするのは前の三バカ女子だけだ。ガウロパも力強く唇を噛み、強張った視線で計器類を睨んでいた。薄氷を踏むような姿勢制御は人間ではできない。時間警察のガウロパだってなす術無しだ。


 圧力計の赤い扇形がついに時計の55分の位置を越えていて、赤く塗りつぶした円になっていた。

 圧力限界になった途端、アストライアーがぺしゃんこになることはないだろうが、でもやっぱり、指示計が上限に達するというのは気分のいいものではない。



『警告!!』

 いきなり赤ランプが灯り、緊迫度を上塗りするような怖い台詞が天井から降ってきた。

『上流で高電圧の静電誘導を検知しました』

「静電誘導!?」

 柏木さんも緊張気味に立ちあがり。

「雷ですね」

 ミウは平然を装って強気の口調。でも下向いたまんまだし。


「スコールの時間にはまだ早いで」

 前から麻衣が反論。ランちゃんが口早に報告。


『大気の静電誘導とは別のものです。集中点が狭すぎます』


「人為的ってこと?」もう一度、柏木さんが訊く。


『さらに高電圧になります。2千900万ボルテージの陽電圧検出。約10メートル距離間の絶縁限界値に達します』


 何を言いたいのかよく解らない。電気ビリビリの範疇を超えた、てなことをランちゃんは説明してくれたようだ。

「どういう意味だろ?」

 俺の独り言なのにミウが隣から告げる。

「空気放電は1ミリの距離で約3000Vなのです。つまり10メートルの距離を放電する電圧に達していたと言いたいんですわ」


 何でもよく知ってる奴だな。


 もちろん柏木さんは理解しており、俺には意味不明の質問をランちゃんにする。

「大気電位とのリラティブ値(relative)なの?」

『いいえ。アブソリュート(absolute)で、まもなく3000万を超えます』


「ランちゃん。サージに注意して! 落雷するわ」


 何のことだかさっぱりだが、たいへんなことには違いない。

「俺たち感電するんすか?」

「大地に流れるから大丈夫……それより」

 柏木さんは上流と思われる方角へ、不安に揺らぐ瞳を向けて言葉を止めた。


「それより?」

 言葉の先が気になる。なんすか? 『それより』の先!


『高圧放電によるサージ確認。岩盤の崩壊音を探知。岩石流出、激突の危険を察知!』

 次々と並べられた報告や警告の(たぐい)は、嫌でも俺の肝っ玉を縮めてくれる。柏木さんが朱唇の端を噛む姿を横目で捕捉して俺はさらに凝固する。


「まずいぜ!」

 イウは真っ青な顔をして棒立ちになり、ミウは指が白めくまで前の座席の背もたれを握り締めていた。

 そして決定的な恐怖の言葉をランちゃんが平然と綴ってくれた。

『破片は大小数個に砕けていますが、ひとつはとても巨大です。約25トンと推測します』


「ぐげぇぇぇ! に、にじゅぅぅごっトン」

 頓狂な悲鳴に近い声を上げてしまった。


「これがヤツの言っていたイベントでござるか!」

 ガウロパに続いてイウも叫ぶ。

「オレたちが川を渡り出すのを見計らって、仲間か別の時間流のヤツラが、陽電子砲か何かで上流の岩盤を爆破したんだ」


「もしかして、阿蘇の亀裂を回避する通路を崩したのも、この連中かな?」

「かも知れない」

 イウの言葉を聞いて、俺は強く拳を握った。


 あの絶壁の通路もアストライアーが上に載った途端、崩れるように細工してあったのだ。これぐらいのことはたやすいだろう。


「くそっ、嫌らしいところを突いてきやがるぜ。ヤツらこっちが自由に動けないのを知ってやがるな」

 イウが憎々しげに言葉を吐いた。


「ど……どうするでござる?」

 ガウロパも焦り気味に後ろの俺たちへ体をよじった。アストライアーごとの時空移動はこの三人だけでは不可能だ。

「どうって……」

 言葉を詰まらせるミウの前で、柏木さんの態度は冷静で。

「ランちゃん! 水の流れにボディの向きを合わせて、衝突面積を減らしなさい」

 能天気のようだが、実際は意外と落ち着いているのか、その声は揺るぎないものだった。


 アストライアーの進行方向が川の上流へと向く。圧力計の上部にあった長細く揺れていた赤い帯が先端部分に集まり、船首に圧力が集中したことを示すと、すぐに柏木さんは次の命令を出した。

「ガウさん。両方のマニピュレーター作動。岩石がキャノピーを直撃しないようにロボットアームで、流れてきたのを受け取るのよ」


 なんと、岩をキャッチするだと!

 ロボットアームを操作することは、ガウロパにとっては簡単なことだが、濁流に流されてくる大きな岩をキャッチできるのか?


「了解でござる!」

 きびきびした動きで、ガウロパは両手にマニピュレーターの操作グローブをはめた。


「ランちゃん。キャノピーの正面ソナーデータを三番のインスペクタに映して」

 柏木さんの決然とした指令を聞いて、俺は身を強張らせ息を押し殺した。


 すぐにガウロパの目の真ん前にある大型のディスプレイに赤い点が数個現れた。

「いい? そのレーダーのセンターがあなたの前にあるキャノピーの表面です。そこへ向かってくる赤いのが岩石よ。左右にブレてる小さいのは無視しなさい。当たったところで、かすり傷程度です。ボディは頑強に設計されていますが、キャノピーはとても弱い材質でできています。だから真正面に向かってくるヤツは死んでも阻止しなさい。直撃すればキャノピーが破壊される恐れがあります」


 どこ行ったんだ、いつもの無邪気な柏木さんは? これがこの人の真の姿なのか?

 毅然とした態度。自信あふれる言葉口調。双子の視線が柏木さんを熱く指して動かない。


 ミウの視線は、柏木さんと厳命に従って動くガウロパとを行き来し、最終的にガウロパの手の動きへと固着された。しかもとても優しい眼差しだった

 こんなに緊迫した状況なのに、柏木さんだけでなくガウロパもミウも自信に満ちた態度を維持できるなんて、修羅場を何度もくぐってこないと、こうはいかないだろう。俺なら慌てふためいてパニックになる。


 言葉を失くして完璧に俺は押し黙った。


「そろそろよ」

 柏木さんの気丈な呼吸音で我に返る。

 ガウロパは黙ってインペスペクタ画面を睨んでいた。大きな赤点がレーダーのセンターすぐ間際に迫っていた。


 キャノピーの正面は暗闇のまま、濁流に流されたゴミやら小石やらが渦を巻き、猛烈な勢いで左右に分かれて流れ去っていく。この速度ででかい岩が突っ込んできたら、いくら硬質ガラスだと言ってもひとたまりも無い。


 いくつかの小片の岩が側壁に衝突する音がガンガンと異様に響き渡るが気にもならない。俺が神経を集中させる場所は一点。泥色(どろいろ)の水が渦巻くキャノピーの真正面だ。


「来るわ!」


 それはいきなり襲った。

 忽然と姿を現した巨大な岩石がキャノピーの正面を大きく覆い、続いてガウロパが踏ん張る。


「ぐおぉぉ!」

 どんという衝撃音で、アストライアーが激しく揺れた。


「ぐももももももぉぉぉー」

 コメカミに血管を浮かべてガウロパが固まっていた。みるみる顔が赤く染まっていく。

 俺は目を見張った。キャノピー全体を覆う巨岩。それをガウロパは右マニピュレーターのグラップラーでがっちりと受け取り、左マニピュレータの軸が横から介添えしていた。


 左マニピュレーターはブラックビーストにアクチュエーターを壊されて以来、グラップラー部分が動かないので、このあいだから軸だけだが、パワーを発揮するにはそれだけでも問題無い。


『秒速15メートルで、河口へ押し流されています』

 あくまでもランちゃんは淡々としていた。


「ぬをぉぉぉぉぉぉぉっ!」

『早急に岩石を放出しなければ、非常に困難な状態に陥ります』


「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉーっ」


『河口へ向かって700メートル押し流されました。海まであと7千100メートルです』

 でっかい岩にぶち当たる濁流は相当な圧力がある。耐え切れずアストライアーは大きく流されて行った。


「むんっ! ぐががががががががががががっ」


『河口まで、あと6千200メートル』


「がぁぁぁぐぅぅぅうぅぅわぁぁぁぁぁ」

 さっきからガウロパが顔を真っ赤にして唸る意味がわからない。

「ガウロパどうしたのです? は、早く岩を向こうへなやりなさい」

 焦ったミウが座席の背もたれを掴んで、ぐいっと立ち上がった。


「どうしたのよ。ガウさん!」

 柏木さんも異様な雰囲気に気づいた。


『あと4千200メートル』

「あっ!」

 何かに気が付いた柏木さんが操縦席へ飛びつく。


『残り3千500メートル。河口から先、海底に落ちると、二度と戻ることはできません』


「何してるのガウさん。フィードバックが大き過ぎるじゃない。こ、これって、ミグ(変異体の蟹)を獲るときに操作したままの設定値よ」

 と言うが早いか、操縦席のパネルをパチパチと操作する。その途端。

「むんっ」

 と鼻息を吹き上げたガウロパが、キャノピーに迫る巨岩を払いのけた。と同時にソナーデータから赤い点が消えた。


「呆れた馬鹿力ね。この人……」

 柏木さんが半笑いの目をして、ミウに振り返った。


「ど、どうしたのです?」


 ぱたぱたと近寄るミウへ、

「フィードバックの設定値が繊細レベルになってんのよ」

 何を言おうとしたのか俺には瞬間には伝わってこなかったが、柏木さんの説明によると、マニピュレーターの操作グローブは小さな力で巨大物を操作する『粗大』という設定値から、豆粒を摘まむ事もできる『繊細』という設定値まで8段階に切り替えられるらしい。つまり、阿蘇山火口で見つけた変異体のカニを摘み上げる作業は繊細さが必要だったのだ。


「今の設定値から換算すると……」

 途中で息を飲んだ柏木さんの目が見開かれた。 

「こ……この人500キロのモノを持ち上げていたことになるわ」


 イウの吐息が浸透。

「呆れた間抜け野郎だな」

 続いてミウが溜め息とも言葉とも言えない声を漏らした。

「バ……カ」


「ま。無事だったんだろガウロパ? 怪我は無いんだろ?」

「別にどもござらん」

 俺の問い掛けに、あっけらかんと言うスキンヘッドへ、再び柏木さんがつぶやく。

「500キロを持ち上げて、どうもないって……」

 口元では薄く苦笑いを浮かべているが、内心では絶賛しているに違いない目の輝きを放ちつつ天井へ尋ねる。


「ランちゃん、どう? 海まで出ちゃった?」


『いいえ。河口まで2千700メートルで止まっていますが、先ほどの位置から5千100メートル流されました』


「水深は?」

『現在7メートル45センチです』


 それを聞いた途端、また息苦しくなったのは、俺の気のせい?


『水流圧が激しくて移動できません。現在位置を維持するのが精一杯です』


 水圧計の赤い扇形が一周回って完全な円を形作っていた。これで百パーセント、限界に達したということだ。

「ガウさん。ロボットアームで川底にしがみ付くことはできる?」

「おまかせくだされ」

 むんと息を詰め、ガウロパはロボットアームを操作して川底を鷲掴みにする。


「さっ、ラン助どの。ここは拙者が押さえておるから、お主は前に進めばよい。交互にやっていけばうまくいくのではないか?」


『了解しました。3メートル進むごとにロボットアームの操作を要求します』


「オーケーでござる」

 オーケーって……。

 ったくガウロパの和洋折衷な言葉には、うんざりするよな。

  

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