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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
93/109

 分極したイウ

  

  

 突然――。

 唐突に聞き覚えのある声が背後から渡ってきた。


「可愛い妹との会話を邪魔してわりぃな」



「なにっ!?」

 全員が振り返る。


「イウっ!!」

 声の主へあり得ない言葉を突き返した。

 そう、背後から声を掛けてきたのは紛れもなくイウだった。


「どういうこと!?」

 息を詰める現代組。いち早く反応したのはこっちのイウだ。

「うるせえ。それ以上余計なことを言うな!」

「なんだ、まだそのままか」と向こうのイウ。

「何の話です?」

 平然と反応するのは未来組だけで、現代組は朽ち果てた木のように立ち尽くしていた。


「勝手に侵入して来て、でたらめなことを言うな!」

 いきなりこっちのイウが、後ろから現れたイウに飛びついた。

「うっせぇ! ほんとのことじゃねえか! 野郎!」

 後から現れたイウも応戦。二人は取っ組み合いになった。


「それ以上、ふざけたことを言いやがると首を絞めてぶっ殺すぞ!」とこっちのイウ。

「へんっ! このままオマエを過去に飛ばしてやってもいいんだ。そうすりゃぁオメエは爆死だ。それでオレがこの世界に残るというのはどうだ。いいアイデアだろう」

 憎々しげに言い返すのは突然現れたもう一人のイウ。


 同じ顔が並ぶ現象は麻衣と麻由で慣れた俺だが、これはだいぶ雰囲気が違う。

「ば、バカ野郎。過去になんて飛ぶなよ。オマエも巻き添えで死ぬぜ」

「ふんっ、このシスコンめ! 気弱な性格が身を滅ぼすんだ」

 痩せたカマキリがバタバタと重なって暴れている、そんな光景にしか見えない二人のイウをガウロパが大きな手で引き剥がした。


「お主! 異時間同一体じゃないのか!」

「バカかオマエは。何年時間警察やってんだ。こいつとオレは時間流が違うだろ! よく見ろ、実体融合が起きてねえ。ていうことは別の次元のオレだ!」

 オレって……。

 自分だと認めてるじゃないか?


 さっぱり意味の解からない現代組は、未だに石像のまま。その前でミウが説明を付け足した。

「この場合の次元とは別の時間流のこと。つまり重複融合共振が起きません。さらに性格も厳密には異なります。似ている別人と思って差し支えありません」


「そういうこった。こいつは別ジャンクションの先から来やがったんだ」

 イウがイウを睨む。麻衣と麻由が区別がつかないのと同じ理由でこちらもまったく同じ人間に見えるが、俺たちの世界のイウは一目瞭然で見分けがつく。こっちのイウは足首にガウロパが嵌めたアンクレットがある。


 足に何もついていない、もうひとりのイウがふんと鼻を鳴らした。

「この時空震は24ビット幅もあるんだ。つまり1600万以上の可能性を生んじまったんだぜ」

「それは以前に聞きました。24回の時空修正を誰かが行ったということです。まったく迷惑千万ですわ」

「そのとおりだ。この宇宙が24回折り曲げられたんだ。どういうことか解かるか、修一!」

 馴れ馴れしいヤツだがアンクレットがあるか無いかの違い以外はイウと何も変わらない。


「わ、解からない……。というか、俺の頭がキャパを超えてて理解不能だ」


「簡単に言ってやろう」

 と言って胸を反らしたのは俺たちの世界のイウ。もう一人のイウと対峙する。

「いいか、よく聞けよ」

 キョトンとする俺に向かって、恐ろしいことを言った。


「オレらが1600万人も居るということだ」

「ぬぁっ、にぃ~?」

「世界ひとつにオレたちが存在する。だからそれだけの数が存在するんだ」


 驚きにまみれて言葉を失くした俺に、向こうのイウが肯定する。

「あぁぁそうだ。双子のケツを追いかける、オマエも1600万人いるということだ」

「「ケツ?」」

 麻衣と麻由が露骨に顔を歪めた。

「一人でも手一杯やのに、ウチ、そんな大勢の修一なんかゴメンやで」

 俺だって3200万人の川村姉妹なんか相手にできん。


「ちょっと、ちょっと」

 柏木さんがあいだを遮った。

「何だか面白い展開だけどさ。私にもお話しさせてよ」

 落ち着いていらっしゃる、と言ったらほめ過ぎかな。能天気な人、がちょうどいい。


「まずあなた。別の時間流から来たイウさん?」

 アンクレットの嵌まっていないイウが頭をもたげる。

「なんだよ?」

 同じように高圧的だ。


「なんでここに現れたの?」

「ま、強いて言えば、邪魔しにだ」

「どういうこと?」


「あのな……」

 と口火を切った向こうのイウが高飛車に捲し立てた。

「このまま時空震が阻止されて、本流の未来に時間が流れるとオレは消滅する。だからオマエらを揺さぶるために、ワンチャンスを活かしに寄っただけだ」


「ワンチャンス?」


「時空震のせいで未来には戻れませんが過去には飛べるんです。ですから未来から過去への一方通行の途中で寄ったんですわ」

「途中下車ね」

 のんびり言葉を転がす柏木さんに、後から現れたイウが鼻を鳴らす。

「オレたちはリーパーだ。過去も未来もない。すべての時間域で生活ができる。だから過去への一方通行でも別になんとも思わん。ましてやオレたちの時間流が本流になれば、また元の未来に戻れるからな」


 確かに、アストライアーを時間跳躍させるために集まった過去のリーパーたちも、幾分かは未来に対して希望は持っていたが、過去に留まることへの後悔などは微塵も感じられなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。これって大変なことになるわよ」

 ここまで話が進展して、ようやく柏木さんの喋る声が真剣みを帯びてきた。


「さっきの話しだと、あなたみたいな(よこし)まな考えを持ったリーパーが1600万人もいることになるわよ?」

「全員が敵とは限りません。我々の意見に賛同する我々もいます」


 我々の意見に賛同する我々だと?

 いったい誰の話をしているんだ?


「でも、邪魔をするヤカラもいるわけでしょ?」

「もちろんです」


 端正な面持ちには似合わない深いしわを眉間に作って、柏木さんは小声に切り替えた。

「うっとぉしい……わ」

「そうです。鬱陶しいかぎりです」

 久しぶりに二人の意見が一致。

「日高さん……」

「何です?」

「何とかして」


 思わずずっこける。

 白衣を翻し科学者然とした格好で出す言葉とは思えない。


 しかし予想外にもミウはあっさりうなずくと、威厳のある声で堂々と言い放った。

「あなたの行為は時間規則に反しています。いますぐ自分の時間流で百年以上過去へ立ち去りなさい。でないとあなたの時間係数を調べて、そちらのドロイドへ情報を送ります。この意味が解かりますね」


「ドロイド?」

 暗闇で黒猫に出会ったような顔をする柏木さんへ、ミウはニヘラと笑う。

「デバッグツールです、あっ。あなたは知らなくてけっこう。こちらだけの話ですから」


 昭和のマリアさんも同じようなことを言っていたのを思い出した。浦島のアル中ジイさんがいじめていた亀によく似た何かだ。そうさ。俺には説明無しなので、『何か』としか言いようがない。


 しかし現に向こうのイウにはちゃんと通じていて、ヤツの顔色が白くなったのが見て取れた。


「ま……待て、やめろ。オレは犯罪者に戻る気はねえ!」

 ジワジワと後退りをすると、そいつはいきなり表情を反転。ニタリと口元を歪め、

「ひとまずオレの言いたいことはここまでだ。それから置き土産として面白いイベントをセッティングしてやったから……」

 みるみる青い光で身体を包みだした。時間跳躍を始める前兆だ。そいつは「楽しみに待ってろ!」と、妙な言葉を残して蒼光の向こうへと消えた。


 ふぅと安堵の息を吐く柏木さん。だけどミウは悔しげに目を閉じ、憂いのある表情を浮かべた。

「何かたくらんでいますね。今の男」

「ん……。でも、あんなの負け犬の遠吠えでしょ」

 お気楽な柏木さんは、あまり気にかけてはいないようだが、今の偽イウの登場は、俺の胸中に一つの投石をして行きやがった。何とも言えない不安が波紋となって広がったのは確かだ。


「イベントって何だろ?」

 ポツリとつぶやく麻由に麻衣が答える。

「わからんへん。でも、ウチらにとっては、いっこも楽しくないハズや」

 部屋がしんと静まり返った。アストライアーの装置が放つ小さな音だけが耳に沁みた。


 最初に口を開いたのはガウロパだ。どしどしと重々しく操縦席から降りると、

「それよりも姫さま。こんな調子で次から次へと邪魔が入ると、我々の行動が取り難くなるでござるぞ」

 大きな腰を折ってミウに進言する。そして首をかしげて命令を待った。

「…………」

 顎に指をやり、考えにふけるミウの前で黙って見守るガウロパ。そこへイウがついと割って入った。

「ふははは。この間抜け野郎が!」

 イウはガウロパをひどく嘲笑した。

「何をするにもミウの言葉を待つしか能がねえのか!」

 鼻で笑い、見下した態度できつい言葉を並べたくった。


「オマエ、時間警察ではあまり成績のいいほうじゃないな」

 ずけずけした物言いをするイウに、ガウロパが鋭い眼光で反撃する。

「た、確かによくはない……。なれど姫のガーディアンに昇格できたのは拙者の実力じゃ」

「それは体格の問題だろ。頭脳は関係ねぇんだ。きっと体力さえあれば、猿でも合格したんだぜ」

「し、しかし……拙者はパスファインダー様を御守りするのが役目」

「なに言ってやがる。今の偽者ですら見極められなかったくせに、よくガーディアンだなんて言えるな!」

「い……いや……」


「もうやめなさい!」

 ミウは小さな体を二人の間に差し込んで引き剥がした。鋭い視線でイウを黙らせると、巨体の男を背にかばった。

「この人は、れっきとした時間警察の隊員です」

 押し黙るイウにそう言い切ると、長い銀髪を大きくなびかせて振り返り、じっとガウロパの目を見つめた。


「九条院ガウロパ!」

「はっ?」

 なんだかすげぇ名前だった。


 ミウは眉毛をきりっとさせる。切れ長の目に力を込めて尊大に言い切る。

「わたしのガーディアンが務まるのは、あなただけです。そしてあなた以外に考えられません。それを誇りに思いなさい! わたしも誇りにしています」

「ははっ!」

 ガウロパが大きな胸を反らして直立不動の姿勢を取り、イウは俺の隣の席に戻ってニタリと笑う。

「へへ。それでいい。二人は最高のコンビだ。これでこの合わせ鏡みたいに折り重なった時間流のオマエらに、その絆が伝わっただろう」


「どういう意味?」

 尋ねる柏木さんに、イウは意外と優しく言葉を積んでいく。

「未来から邪魔しに来るオレたちも、自分が本流になれるかどうかなんて、正直分からねえで手を出してくるんだ。それに対抗する仲間も数百万組みはいるだろう。それらが力を合わせれば相当な抵抗ができるわけだが、逆にバラバラに動いていたら、たいしたことができない。しかし今の絆が何処まで伝わったかは知らないが、少しは浸透したはずだ。ミウは感情サージを時間の流れに向けたのではなく、折り重なる別の時間的な次元へ放出したのさ」


「あ……」

 ミウが薄桃色の顔を素早くもたげた。

「そうですわ。その方法がありましたわね……」

 目を細めてわずかに淡い微笑みを浮かべた。

「絆を深めるために……。あなた、わたしたちをわざと煽りましたね」

「へっ」と、みたび鼻を鳴らしたイウは、ぷいと背を向けた。


 なんだかこいつ。初めて会ったときよりずいぶん頼もしく思えてきた。

 胸がすく爽快感と入れ替るようにして、疑念も湧き上がる。さきほど時間を飛んだイウがチラッと漏らした「可愛い妹って?」と言った言葉だ。


 小声で漏らした俺の独白(どくはく)が聞こえたのだろう、イウがきつい視線で睨んだ。

「ちょっとこっち来い!」

 誰にも気づかれない小さなアクションを起こすと、ぐいっ、と俺の腕の付け根を掴み、部屋の隅に引き寄せられた。


「修一。男の約束だ。ヤツから聞いたその言葉、呑み込め!」

「な、なんでだよ?」

「なんでも、だっ!」


 イウの異様な高ぶりに、俺は首を絞められたような顔になった。憶測が事実に押し迫る気分に(さいな)まれる。

「まさか生き別れた妹って……」

 自分の口から出た言葉の重要性に(おのの)き、さらに声を潜めた。


 ミウの兄貴がこの男……。


 イウはギンッと片目で俺を睨んだきり、動かなくなった。

 どうして今まで気づかなかったのか。ミウも幼少期に兄貴と生き別れている。そしてこいつも同じことを言っていたのだ。


「よく見てみろよ」

 イウは極小の声で告げると眼帯を上にズラして見せた。

「ミウと同じ色……」

 開いて見せた両眼が薄めの瑠璃色(るりいろ)とオレンジ色。

 前回見せられたときは、眼帯がフェイクだったという事実に驚いてしまい、よく観察できなかったのだが今回は違う。


「あぁそうだ。会った時からオレには分かっていたが、あいつは他人の顔をしやがった。たぶん時空震の壁に衝突したショックによる記憶剥離が原因だと思うが、オレにとっては都合がいい。パスファインダーの兄貴が時間犯罪者だなんて笑えねえだろ? だからコクることはできない。それよりも今は時空修正を成功させるほうが重要だ。ここでミウが動揺したら失敗に終わる。オレの言ってる意味、分かるな?」

 俺は熱い唾を飲み込みながらうなずいた。そんな重要なことを気軽に口にできるわけがない。


「あぁ~っ!」

 後ろで繰りひろげられていた不審な行動を麻由に見つけられた。

 案の定、麻由は悪戯っぽい声を上げる。

「また男どうしで何か相談してるわよ、良子さん」

「ほんとだぁ。やっぱりあなたたちって、似たものどうしなのね。お兄さんと弟みたいに見えるわ」


 柏木さんの放った間の抜けた冗談だが、違う意味で俺の鼓動を跳ね上げた。

「それでは修一さんが気の毒です。イウは犯罪者なんですよ」

 そう告げるミウの赤い唇の動きを俺は目で追っていた。おそらく彼女はなにも気付いていない。離れ離れになった兄貴がこんな身近にいる事実。それを犯罪者として扱わなければいけない自分の立場。

 ……そんな無茶苦茶な。

 俺は自然と唇の内側を固く噛んでいた。



 鼻から息を抜き自分の席に着く。半身を捻って訝し気に俺を見つめる麻衣と目が合った。

「またくだらんこと考えてるんやろ。ミウ、しばらく近づかんほうがええで」

 麻衣は胡散臭そうな視線で俺を一瞥し、ぷいっと前を向くと、麻由と肩を寄せ合って「スケベ、スケベ」と囃し立てた。

「うるさい! 俺はイウに……」

「イウに何やねん?」

 再びぐりんと身体をひねって、尖った唇を突き出す麻衣。

「ぐっ!」

 言葉に詰まった。何を言い出そうとしたんだ俺は――。


「しゅ、宿題を教えてもらおうと思って……」

「アホか。これから渡渉しようって時に、なにゆうてんねん」

「トショウって?」

 俺は麻衣の前でバカみたいにポカンとし、隣でミウが小さな子供に説明するみたいに言う。

「歩いて川を渡ることです」

 そして少し言い足す。

「ま、この場合乗り物に助けられていますけど……」


「未来人のクセに何でも知ってるんだな」

「はぁ? これは未来も過去もありません。常識というモノですわ」

 さい(左様)ですか。


 右隣に座るイウの耳元で、ヤツにだけ聞こえるような小声で伝える。

「上から目線のとこ、そっくりだな」

 イウは苦笑いみたいなものを浮かべて俺を睨むその目の中で、嬉しげに揺らぐ光を見逃さなかった。





「とにかく。宿題なんか後回しにしなさい」

 そんな話してないって、とは言えず、黙って肩をすくめて見せる俺に、柏木さんは嫣然と微笑むと天井へ向かって尋ねた。


「ランちゃん準備はいい?」


 アストライアーは大淀川の流れのまん前で停車していた。

 右手に本流から分かれた支流の流れが見える。それはうねうねと山並みを縫って、ジャングルの奥へと消え、その正面、覆い茂る樹木の絨毯を裾野に広く敷き詰めた山脈が曇天に届きそうな勢いでそびえ立っている。その雄大な景色を舞台にして白い川原が悠然と構える光景は圧巻だった。


『エアーダクト密閉に支障はありません。いつでも出発できます』


 中央には轟々とカフェオレ色の泥水が流れ、そのパワフルな水量は、これから渡ろうとする者すべての肝を冷やす迫力がある。見慣れた甲楼園浜がそこらの公園の一角に見えるほど、広大な大自然の中を蛇行して流れる雄々しい姿を目の当たりにして、全員が息を詰めていた。


「じゃぁ、ゆっくりと入ってみようか」

 はんなりと天井のインターフェースドームへ命じる柏木さんの声に従って、アストライアーは岩石が積み上がった川原を乗り越え、流れに突入して行った。


「ランちゃん、静かにお願いね」

『わかりました。現在、水深63センチ。水流による圧力は限界値の10のマイナス4乗以下です』


「いいわよ。水深3メートルまで進んで。流されることも考慮したコースを取ってね。私たちは経験がありませんから。すべてあなたに一任します」


 俺たちの命を人工知能に任せるほど不安なことは無いのだが、今となっては微塵も感じない。だいたいこの中で最もまともなのがランちゃんだということも判明している。



 ゆっくりと流れの中に入って行くと、すぐにゴウゴウたる音と振動が足元から伝わって来た。これからその中に沈んで行くアストライアーの姿を想像して、いやおうなく緊張してくる。


『水深2メートルです。圧力上昇中。現在の限界値はコンマ3パーセントです』


 まだ99コンマ7あるな。十倍して997の余裕だ。1000から減算して、俺の不安度はまだ3ポイントだ。意味は無いが頭の中で計算して自嘲する。


 柏木さんがガウロパに次の命令をした。

「ガウさん、動圧(Dynamic Pressure)のインスペクタを広げてくれる?」

 命じられたガウロパはキャノピーの手前、右上の宙に浮かぶ閉じられたディスプレイを指で弾き広げる。


「なるほど。まだ限界値の1パーセントにも達してござらん」

 画面の中央に円形のインジケータがあり、時計方向に細かい文字が振られていた。その指示針は時計の1分の位置にも満たない赤い色が出ていた。たぶん圧力が上がるほどに、赤色の扇が開いていくのだと思われる。その圧力計の上には、中心部が赤で、両端へ向かってオレンジ、黄色、そして緑へと変化するグラデーションの帯がユラユラしていた。


「「あの色の帯びはなに?」」

 俺と同じ疑問を双子も持っていた。同時に尋ねて柏木さんが指を差して説明する。


「今から渡る川の流線がアストライアーのボディにどのように圧力を掛けているか、その大きさを色で表してしてるのよ」

 ガウロパが自慢げに続ける。

「横に伸びる帯はアストライアーを表し、黄色やオレンジの色が付いてる部分が横っ腹から受けてる水圧でござる。川の流れに対して、真横に向くとまともに水流を喰らうので、ラン助どのは流れに対して少し上流へ向いて進んでおる。このグラフを見ると、食堂から後部デッキ辺りが赤色に近いので、流れの圧力を最も受けているというわけじゃな」

 未来人のくせに未だに武士言葉を引き摺った巨漢を(ほう)けた目でしばし見遣る。


『圧力限界値35パーセント』

「え? もう?」

 そうさっきまでコンマ3だったのに……。

 俺の不安度に変換すると、たったの数十秒で、3ポイントから350まで跳ね上がった。この数値が1000に達した時、それは不安ではなく恐怖に変わる。


 赤からオレンジの揺らめきが徐々に広がってくる帯と動圧計を恐ろしげに見つめた。

 急激に上がった不安度だけど操縦室では何事もない。でもインジケーターを見ただけで圧迫感を強く覚ええ、側面からぶつかってくる轟音で体を強張らせる。もう三分の二は水に浸かったのだ。


『水深3メートルに達しました。圧力限界値45パーセントです』


 柏木さんがバッと音を出して、白衣の裾を払って立ち上がった。その音に俺はビックリして顔を上げた。水に囲まれたからだろうか、室内の音が妙にこもって耳に強く響く。横から俺よりかは落ち着いているようだが、ミウの吐息もはっきりと聞き取れる。


「どう? 最深部はまだ先?」

 俺たちは身を硬くしてランちゃんの回答を待った。喉の奥に心臓が移動して来たのかと錯覚しそうな鼓動の高鳴りを感じながら、俺は両手でシートベルトをぎゅっと握り締めた。


『ソナー探査の結果。最深部は約5メートル30センチです』

「キャノピーまで沈むわね」


 俺は息を詰めてガウロパの前に広がるキャノピーを見つめる。カラカラに乾いた喉の奥が震えていた。

 ここならまだアストライアーは水没していない。ガウロパの足下で濁流が激しく渦を巻いている程度で、横から突入してくる流れを弾き飛ばすガラス面の向こうには曇天の空が見える。


 しかしあと2メートル以上も沈むとなると、確実にキャノピーの上面を越えて水没する。

 もう一度、熱い唾を飲み込んだ。続いて(まばた)きよりも長く目をつむる。


「エアーダクト閉鎖!」

 柏木さんの毅然とした声に続いて、どこからか響く大きな音。


『――密閉しました』とランちゃん。


「酸素はどれぐらいもつ?」

『1時間半から2時間です』


「通過予定時間は?」

『約15分です』


 柏木さんは勢いよく俺へと振り返り、

「ほらね。余裕でしょ」

 天使のような微笑みを注ぐが、なんだか俺ひとりが怖がっていたみたいじゃないすか。

 横を見るとイウも口に力を込めて目をつむっていた。


 こいつも相当ビビッている。

 ニタリとする俺に、イウは鼻息ひとつで否定しやがった。

 腹が立ったので言い返す。

「へんっ。俺だってべつに怖くないさ」

「オレもだ!」

  

  

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