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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
92/109

山河渡渉

  

  

 アストライアーはこれまでの遅れを取り戻すべく、猛烈な速度で九州東部の海岸沿いを南へ向かって疾走していた。

 川村教授の日誌に書かれていたとおり、東部の海岸は樹木が覆い茂るジャングル地帯でもなく倒木も無い。そして潮の影響で、ケミカルガーデンも陸地の奥へと引っ込んでいるため、地表は平らで安定しており、非常に走りやすかった。


 十数分後、柏木さんの提案で砂浜に入った。そこはさらに滑らかで、いままでに無い心地よい走行に切り替わった。

「おう。こりゃあいい」

 ガウロパが漏らした楽しげな声に釣られて前を見た。

 操縦席はボディから少し前へ突き出しており、透明なキャノピーで天井から床までぐるりと包まれている。その広い視界には高速で走る迫力満点のオーシャンビューが展開されていた。


「ああ。気分いいな」

 思わず俺の声も躍るっちゅうもんだ。


 左手には黒い海。右手はケミカルガーデン。その上空には子実体の巨大な屋根が山の遙か彼方まで続く景色が広がっていて、海と山の狭間を縫うように白い砂浜が続く。まるで宮崎までを先導するハイウェイにも見えた。


「やっぱり海岸沿いは走りやすいね」と麻由がつぶやき。

「ほんまや。リニアトラムやな」麻衣が応える。


 ペットにするカニの餌が確保できて、ふたりの機嫌はすこぶるよかった。代わりに自分の髪の毛を餌にされたミウは、初めのうちはひどく機嫌が悪かった。でもそうなったのはガウロパの大食漢が原因という理由に、未来組のリーダーである彼女は抗うことができず、今はおとなしく憂いのある表情で外を見つめていた。


「ミウ。いい加減に機嫌なおせよ」

 俺が問いけけても顔どころか視線すらもくれず、声だけで反応した。

「別にもう気にしてません。わたしの髪の毛が何かの役にたてたんですから、それで結構です」

 俺はと思う。どうせヘアーカットでゴミとなった部分だし、カニの餌にされたって、どうってことは無いと……。

 ま、次に餌が無くなったときは俺の頭を差し出すこととした。



 あらためてキャノピーの外へ視線を戻した。どんより垂れ下がる灰色の雲と黒い海、そしてはるか先まで伸びる白い砂のハイウエイが続いていた。


『高鍋を通過しました。20分ほどで宮崎の手前、第三河川に到着します』

 天井から心地よいランちゃんの甘い声が響き、俺の隣で首をかしげるイウ。


「なんだ第三って?」

 もちろん俺が答えられるはずがない。


「来たわね」

「第三はまだエエねんよ」

「そ、問題は第四なのよね」

 変異体三バカ女子どもだけは理解するようで、しきりに囁き合っていた。


「あの人たちは、川村教授の日誌を読んでますからね」

 ポツリと漏らしたのはミウで、俺はその滑らかな白い顔を覗き込む。

「お前は読んでないのか?」

「ええ。わたしは興味ございませんから」

「あっそ……」

 こんなふうに割り切れたら人生楽だろうけど、靴の中に入った小石みたいな疑問はさっさと取り去ったほうが楽だ。

「第三とかって、川の区分っすか?」

「一級河川とか二級河川のことを言ってるのなら、もうそんな古い言葉は使わないわ。地上の川なんてほとんどカビ毒が流れていて利用価値はないからね」

 と説明する柏木さんに続いて、麻衣が続く。

「お父さんが通るときに、苦労した川に番号を付けたんよ」

 ようするに橋なんか朽ち果てて渡れないからだと言う意味合いだろう。


「そう言えばここに来るまで川に出遭わなかったよな」

「ガーデン内では糸状菌の下になるから気付かへんねん」

 俺の疑問に、ガウロパも操縦席から口を挟む。

「拙者は何度か渡ったのを確認しておる。延岡を出てすぐにも渡ったでござろう?」

 知らんよ。俺は。


「そう。これまでのところは浅いから何の問題もないの……」

 妙なところで柏木さんが言葉を区切った。


「嫌な予感がするけど。またあの阿蘇の大断裂みたいな感じっすか?」

「大丈夫よ。あんなすごいことは、まぁないって。たかが川渡りに怖がることはないわ」

「第三河川は『一ツ瀬川』と昔呼ばれていたところなの」と麻由が言い。

「河口は幅が広いけど、山寄りのコースを取れば、300メートルぐらいだって。水深も1メートルほどよ」

 またもや、平然と説明したのは柏木さん。

 ちょっと待て。

「1メートルって?」

 眉間にシワを寄せつつ尋ねる俺に、柏木さんは半笑いだ。

「ランちゃんにとって1メートルは水たまりよ。でもね、楽しみなのは『大淀川』の第四河川なの」

 1メートルと聞いて胸を撫で下ろす俺の前で、柏木さんは悪戯っぽく目を光らせた後、意味ありげな笑みをさんざん見せてこうおっしゃった。


「あそこは水深3メートルよー」


「「なっ!」」

 ミウと同時に俺も絶句。


「水没しませんか?」

「しないわよ。4メートルまではいけるからね」

 鼻の下まで浸かった自分を想像してしまった。


「ギリギリですわ!」

 強張った顔で口先を尖らせるミウへ、黙っていた麻衣が力の抜けた吐息をする。

「あのなぁ……ミウ……」

「なんですの?」

「あんたカナヅチなん?」

「し……失礼な!」

「ほな、なんでビクビクしてんの?」


「あなたたちと関わってから、怖いことばかりが続くんです。誰でもビクビクしますわ」

 麻衣は浮かべていた笑みを絶やすことなく、そのままそっくり俺へと注ぎながら、

「イザとなったらそこのヘタレが助けに来てくれるって」

「おい。いい加減なことを言うな」

「なにゆうてんねん。いざというときにパワーを出せるんが本物や。あんたはそういうオトコやろ?」

 変なところでおだてやがって……。


「甲楼園でチンピラ狩りをしたとき、あんた麻由を助けようと思って飛び込んできたやろ。ホンマは感動してんデ。危険や思っても飛び込んでくるアホがこの世の中にまだおったんやって」


「ほっとけ!」


 ミウも冷たい空気を放ちつつ対応する。

「励ましていただいてありがとうございます。ですが、わたしはカナヅチではありません」


「日高さんさぁ……」

 溜め息混じりなのは柏木さん。


「あなた頭いいんだからよく考えなさいよ」

 座席の背もたれに肘を掛けて、ぐいっと半身を捻った。


「はぁ?」とはミウ。

「アストライアーは、潜水艦みたいなことはできないけど、カビ毒の侵入を防ぐことができる密閉車両なのよ。空気も漏れない室内に水が浸入するワケないでしょ」


「まぁ。そう……ですが」

 納得したのかミウは沈黙した。




 少時も経った頃――。

 アストライアーは相も変わらず海岸線に沿って疾走中。時折り水しぶきを跳ね上げてすっ飛ばして行く豪快な走りを披露していた。

 ところが快調な気分は別の思考を巡らせる余裕を与えてくるもので、さっき柏木さんが漏らした言葉が無性に気になって落ち着かない。


「もし川を渡ってる途中でエンジンが止まったらどうなるんすか?」

 急に何を言い出すんだという顔をした麻衣が、前の席でぎぎぎと体を旋回させた。


「あんたが泳いで、外から押したらエエねん!」

「バカか。こんなでかいボディが動くかよ」

 麻衣は呆れたふうな顔を俺にくれ、

「冗談の通じへん男は嫌われるで……」

「お前のは冗談の範疇を越えてんだよ」

「そお? あたしは『泳いで押す』って、面白いと思ったけどな」とは麻由。

 関西女子のくだらんギャグにはついていけんわ。


「あなたは真面目に受け取りすぎるんです」

「…………」

 ミウ。お前にだけは言われたくない。


 肩をすくめて黙り込む俺の頭上から、タイミングを狙っていたのか、ランちゃんのアナウンスが入った。

『第三河川周辺に到着しました』


 ガウロパが太い首を伸ばしてキャノピーの向こうを指差した。

「修一どの。あれをご覧くだされ。この規模ならどうってことないでござるぞ」


 熊本を出てから見た中では最大級の河川敷が広がっていたが、中央付近に淀んだ水の流れが見える程度で、甲楼園浜の横を流れる川とそれほど変わらなかった。ただ一部異なる光景があった。大昔に掛けられたであろう橋の朽ち果てた残骸が点在する荒涼とした景色だった。

 もちろん渡れるような橋は残っていない。真っ直ぐ進んで自力で横断する以外に道は無い。


 麻由がほっそりとした顎を河原の情景へ突き出して言う。

「ほら、あんなのランちゃんなら楽勝じゃない」

「何が起こるか、わからんのが人生だ」

 見た目はどうってことなさそうだったが、あれだけ大騒ぎをした手前、何となく引っ込みが付かない。とりあえず捨て台詞だけは残し、柏木さんはそんな俺に透き通った微笑みをくれると、天井へ命じた。


「ランちゃん、遠慮いらないからね。全速力で突っ切ってちょうだい!」

 優しげな表情とは裏腹に、とても嫌なことを言う人だ。


 ぐぉぉぉっ、と加速による重力に圧され、座席に体が張り付くとてつもない速度に怖くなった俺は、急いでシートベルトをロックした。


 川の手前からフルスピードになったアストライアーは、泥沼みたいな河川敷を水上スキーさながら表面を派手にバウンドして突進して行く。そして猛烈な水しぶきと川床の泥を両サイドから捲き上げ、中央を流れる水の上をいとも簡単に飛び越えると、再び向こう岸の泥の上をツーバウンドして、対岸へたどり着いた。そして何事も無かったように土手を駆け上がった。


 しばし放心状態。

「…………」

 少ししてやっと口を開く。


「相変わらずダイナミックなヤツだ。中に乗ってる俺たちの存在を完全に無視してるよな」

 俺は肩のところで首をグルグル回して、凝り固まった筋肉をほぐし、イウは「首を捻挫しそうだ」と漏らし、俺と視線を交差。同時に苦笑いを浮かべた。


「モタモタして泥の中に沈んでしまうより、勢いで突っ切るのが正解なのよ」

 涼しい顔で柏木さんが言うものの、キャノピーの表面はとても清々しいとは言えない状態になっていた。


「前が見えなくなったでござる」

 首を伸ばして指差すガウロパの言うとおり、泥にまみれて遠くまでよく見えない。

 だけど柏木さんは相変わらず平気の平左だ。

「教授の日誌によると、次の第四河川で洗ったみたいよ」

「あと何キロぐらいですの?」

「10キロか20キロもいけば着くんじゃない」

 アバウトな……。




 半時ほど走って、再びアストライアーが停車した。


『第四河川。大淀川手前150メートルです』


「今度はでかいぞ……」

 さすがに言葉を失くした。幅500メートルはあって、濁った水が轟々と流れていた。

「こ、これは……」

 固まるミウ。だけでなく未来組が全員が硬直していた。


 イウはドロだらけのキャノピーの隙間から外を覗き見て言う。

「この激流で教授はのんびり洗車をしたのかよ?」

「水圧で押し流されそうですわ」ミウがつぶやく。


「心配ないって。もっと上流の狭いところを渡るんやもん」

「来たことないクセによくそう能天気に答えられるよな」

 間に入って俺は嫌味を漏らし、もう一人の能天気先生の声を片耳から聞いた。


「ランちゃん。教授が渡ったところから私たちも渡るからね。そこへ向かってちょうだい」


『上流へ8キロほど行くと支流があります。教授はそこから向こう岸へ渡りました』

「いいわね。そこ行ってちょうだい」

 この人には何の不安も無いのだろうか。まるでお勧めのパン屋さんにでも寄るかのようだ。




 アストライアーは向きを南から西に変え、河川敷に沿ってガンガン進むこと、十数分で停車。

 固唾を飲んでキャノピーの外を凝視する。川幅は言うとおり狭くなったが、その分水かさが増えている。


「なんか深くなってません?」

 俺もミウと同意見だ。


「あんたも『ヘタレ病』かいな」

「そんな病気、()です」ぽつりとミウ。

「人を病原菌みたいに言うな、って、俺はヘタレではない!」

「誰もあんたやってゆうてないやん」

「ぐっ……」

 墓穴を掘ったか。


 まんまと嵌った俺に麻衣は薄ら笑いを返し、柏木さんは楽しげに、

「ランちゃん水深は?」


『当時は渇水期でしたので約3メートルでしたが、現在は2メートルほど増水しています』


「5メートルも潜れば水没しますわ」

 心配するミウに柏木さんは悪戯っぽい視線を振り、そのまま俺へと向けた。

「知ってる? 鉄でできた巨大タンカーも海に浮かぶのよ」

「浮力ですか……。しかし水の圧力にこのボディが耐えられるのですか?」

 と言ってからミウは、ああ、と納得して黙り込んだ。巨大ミミズに巻きつかれてもこのボディはびくともしなかったのだ。


 そして安堵の息を吐く。

「浮くのですか? よかった」

「浮かないわよ」

「どっちなんです!!」


 どうもミウをからかって楽しんでいる様子だ。

 そして当たり前のことを言う。

「水の中を進めばいいの」

「それだとまるでカバじゃないですか!」

 俺たちの時代ではカバは絶滅している。図鑑ぐらいでしか見ることはできない。


「あははは。カバはいいわね。日高さんってギャグのセンスいいわよ」

「冗談なんか言ってません。いいですか、良子さん! しっかりしてください。カビ毒が入らないように空気が侵入しない構造っていうことは、ボディが密閉されているということです。でしたら、わたしたち窒息するでしょ? 空気生成装置でも装備してるんですの?」


 ミウは真剣な表情で訴えるが、柏木さんはするりとかわす。

「そんなもの無いわよ。エアークリーナーに決まってるでしょ。両極イオンクリーナーで、外部から取り入れた空気を浄化してるの」

「じゃ。そこから水が入ってきますわ」

「もちろん川を渡るときは密閉するわよ。心配性ね、日高さんは」

 心配性とか、神経質とかの問題ではないような気がするのだが。


「となるとやっぱり密閉状態に……。空気は何分もつのです?」

「もう。何をそんなに怖がってるのよ。こんなに広いんだから2時間以上はもつわ。それにこっちは川を渡るだけだから、すぐに向こう岸に着くわよ。所要時間30分てとこね」


 ミウは鼻から深く息を吸いながら、唇に指を当てて数秒考え込むと、操縦席のスキンヘッドオヤジに命じた。

「ガウロパ!」

「ははっ!」


「あなた。30分間、息を止めなさい」


「ひ……姫さま?」

 とんでもない命令を受けて、ガウロパは目を丸々させた。


「人の倍は空気を消費しそうな体格をしています。我慢しなさい」

「ひ、姫ぇぇぇ」

「それが嫌なら、イウを連れて、あなたたちは泳いで渡りなさい。そうすれば酸素の量が二人分減りますわ」

 ちっともギャグのセンスがいいとは思えない。


 柏木さんが肩の力を抜いた。

「ミウ……。前言撤回するわ。もちっと麻衣たちを見習いなさいよ。関西の笑いはそんなにエグくないわよ」

 すかさず麻由が付け足す。

「そう言うときはね。とんでもない質問と、相手が切り返せる余裕を持った例えにするのよ」

「どんな?」とミウ。顔が真剣だ。


「ガウロパ! アストライアーを頭に載せて泳ぎなさい、ってどぉ?」

 麻由はミウの声真似で伝え、半笑いの麻衣は後ろから回した手のひらを頭上でパッと広げて返す。、

「乗降口を開けたら大銀杏(おおいちょう)でござる……って、そんな大きなちょんまげは、載らんでござるぞ! って、これぐらいノリ突っ込みで返せたら、満点やんか」


「きゃははは」

「あはははは」


 くだらん――。

 関西女子にはついて行けん。


 麻由と柏木さんは腹を抱えて大笑い。ガウロパは苦笑いを返し、イウは呆れ口調で答える。

「おい、そんな関西人講義なんかしてねえでよ。もっと上流へ行けば水かさは減るだろ?」

「それがね。幅は狭まるけど、もっと深くなるみたい。教授もその辺は調べてるわ。それに山岳地帯まで入れば、両岸が絶壁になるんだって」


「ちっ、ここがベストポジションというわけか」


 舌打ちするイウへ、好戦的に構えたのはミウ。

「仕方ありませんね。やはりあなたとガウロパには、泳いで渡ってもらいましょう」

「今のは本気で言ったな、このヤロウ」

「当然です。私には冗談を言える天性を持ち合わせてないみたいですからね」

 とその時だった。ほんの短い時間、部屋の空気が揺らいだ。

 妙な雰囲気は全員に浸透し、そこへ聞き慣れた声が響く。


「おいっ! いつまでくだらん会話を兄妹(きょうだい)でしてんだ!」

  

  

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