ある朝のどうでもいいような話(後編)ビューティサロン川村
出発前のひと時。久しぶりに平穏な空気が流れていた。
操縦補助室のフロアーでは筋トレに励むガウロパの姿がここから筒抜けて見える。上半身を曝け出し、ムキムキの筋肉を躍らせ、その横でガウロパに指図しながら何か告げるイウの姿は、まるでトレーニングセンターのコーチみたいだ。
それにしたってガウロパの体躯は目を見張るものがある。腕から肩、そして胸を覆うぶ厚い筋肉。動かすたびに音が出るのではないかと思うほどの隆々たる姿にしばし見学。やがて自分の裸体と比較して肩をすくめた。
後部デッキから女たちのかしましい声が渡って来るのでそちらへ視線を振る。
俺のテントがある格納庫のさらに奥のスペースでは、意味不明の理由で拉致られて行ったミウの声と、強引にヘアーカットを施行する双子の姿が見え隠れする。もちろん筋トレを見学するよりこっちのほうが面白そうだ。
口の中に残った食パンを急いで飲み下し、アイスコーヒーで流し込むと、バタバタと食器を重ねてギャレーに放り込んで、後部デッキへと向かった。
「はい。じっとしてねー」
折りたたみ式の椅子にちょこんと座らされるミウへ、麻由の指示が飛び、
「ほんじゃぁいっちょやりまっせ。どない? 首は苦しない?」
続いて麻衣がビニールシートで首の周りをぐるりと覆い、長い銀の髪を掻き上げる。未開のジャングル、いや魔界のケミカルガーデンの領域内で美容院を求めるほうがどうかしている。サバイバル軍団にお似合いの光景なのだが、髪を切るにしたってその道具はいかがなもんかなと思う。
ミウは前を向いているので見えていないが、麻由が握るのは愛用のブッシュナイフ。まるで殺人犯が背後から迫る、そんな光景だ。
「お、おいおい」
後ろから咎めようと手を出す俺を麻衣がギンッと睨んできた。眉と唇に力を込めて『黙っていろ』と。どうやらマジであのナイフを使うようだ。
「ほな。ミウ、髪の毛が目に入るとあかんし、カットの邪魔やから、そのゴーグル外してくれる?」
麻衣は俺を後ろに押しやって強引に事を進めだした。
「これ外すと、周りが見えなくなります……けど……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。ウチのヘアースタイルが常に安定してるのは知ってるやろ。麻由は天才なんや」
「頼みますよ……」
ミウは渋々頭の後ろに手を回して、ゴーグルのストラップを外した。色の異なる宝石のような瞳が現れて、素面のミウはあらためて溜め息が漏れる美しさだった。
銀の流星に匹敵するロングヘアー。透き通った肌にほんのり桜色の頬。それに向かってにやりとする麻衣。あんど、麻由の後ろ手には刃渡り30センチ強のブッシュナイフ。
どう見たって猟奇的光景だ。何かヤバくないか?
その時、ミウが叫んだ。
「なんてこと!」
ガバッと振り返り、
「そんなナイフで髪の毛を切るなんて!」
麻由が握ったナイフは背に隠されていた。
「なんでナイフだって分かったの?」
麻由が驚くのも無理はない。そう。二人とも忘れている。ミウは超視力抑制ゴーグルを外すと、まだ知らぬ時の先を視ることができるのだ。
麻衣は舌打ちと共に笑顔に戻し、ゴーグルを返した。
「大丈夫やって」
ミウは急いで椅子から立ち上がると、銀の髪を翻して唾を飛ばす。
「なんて野蛮な。そんな危ないものでヘアーカットなんて、で、で、で、できません!」
俺も二人のあいだに割り込んでミウの掩護をする。
「言われて当然だぞ。他にもっと安全な方法は無いのかよ」
「なにゆうてんの。レザーカットっていう方法は昔からあるデ」
「あれは刃渡りの小さい剃刀だからいいんです。それって樹木を切るものでしょ?」
「樹木だけとはちがうよ……」
言葉を濁す麻由だが、俺はその先を知っている。糸状菌の伐採をしたり、ブラックビーストを相手にしたり。たまにはチンピラのモヒカン刈りもできる。用途はいろいろだ。
すぐに麻衣の矛先がこちらに移った。
「麻由のナイフ捌きは天下一や。それはあんたも知ってるやろ?」
「いや、そうだけどさ……」
切れ味抜群なのは承知しているが、なにもここで使うことは無いと思うのだが。
「麻由の腕は認めるけど……自動のヘアーカッターとか無いのかよ」
麻衣は小鼻をピクピクさせ、こともなげに言う。
「自動なぁ。あれってお子様専用やろ。ウチらみたいなレディ向けのカットは専門店へ行かなあかん……でも専門店って高いしなぁ」
「相変わらず貧乏臭いな」
「そうや。ウチら貧乏や。ほっといてぇーや」
開き直りやがった。
「だから、いつもこれで切ってるの」
麻由は鋭く研がれた切っ先を俺に突き出し、俺は体を反らして刃先から逃げた。
「お、おい。向こうにむけろ。危ないだろう。そうだ、ハサミとかないのか? 道具箱探してみろよ」
「アストライアーには危険物は積み込まないようになってんねん」
遅れて柏木さんも様子を見に現れたが、口は出さずに黙視。何か言いたげにニコニコしていた。
「ハサミのどこが危険物なんだよ」
「走行中の振動で飛んで来たらたいへんやんか」
「バ……バカなことを……」
呆れて声が出ない。何という屁理屈をこねやがる。なら言い返すぞ。
俺は食堂のある方向を指差し、
「あそこの壁に掛かったショットガンと20連射のライフルはなんだよ。俺が寝てる格納庫の隅に積み上げてある弾丸の詰め合わせセットは? 一個師団が使う量ぐらいあるぞ。それにお前らが腰に差す金属のコレは! ブラックビーストをも切り裂く超合金の、ナ、イ、フと呼ばれるもんだろ!」
「一個師団は大袈裟や……」
麻衣は笑っていなし、そして平然と言いのける。
「これは危険物やない。身を守るものや」
「くっ……」
言葉を失った。ミウも同じ心境のようで、ただただ可愛い口をぱくぱくさせていた。
ここで深呼吸。酸欠寸前だ。
勝手な理屈をこねて、そこまでしてミウのヘアーカットを強行する理由は何だ。
「ハサミで切ったことが無いから」とは麻由。
「せや。麻由はレザーカットの達人や……」
麻衣はその後、だからチンピラの頭をそり落としたのだとぬけぬけと言いやがった。
「あれがレザーカットだと? 俺は抜刀術を披露されたかと思ったぞ」
「う、ぷぷぷぷぅぅ」
柏木さんが両手で口を押さえて堪えていたが、込み上げてくる笑いに耐え切れず身体をよじった。
「あはははははは。やっぱあんたたちおもしろいねぇ。漫才みたいになってるよ」
いやいや。本気で言ってるんすけど。
「とりあえず……。前髪が危険なら横髪を切ってあげる。ね?」
「ここんとこ、こう切って、ここをこうしたら、ほら可愛いでしょ。きっと似合うと思うけどなぁ」
麻衣が持つ大型の鏡に映るミウへ、カットの説明を始めた。
この鏡だって割れたら危険物だろ。と言いたかったがひとまず引き下がる。
「ま……まぁ悪くはないですね」
徐々にミウが口説かれていく。麻衣の関西弁だとついつい反論したくなるが、麻由の口調だと何となくその気になる。
「でもレザーカットは髪が痛むって言うし……ましてやナイフって、切るというより引きちぎるっていう感じが拭えません」
「ミウ。これはそこらのブッシュナイフと違うのよ。さっきも言ったけど、日本刀と同じ作り方で世界一の刀鍛冶が丹精込めて作ってくれた。超一級品のナイフなのよ。見ててね、切れ味のお披露目をしてあげるわ」
麻衣が一枚の紙を取り出し、ミウから少し離れた場所でヒラヒラと摘まむ。それに合わせて麻由もゆっくりと対面すると、腰のナイフに手を添えた。
俺は固唾を飲んで見守る。何をやろうとするのか、それは麻由得意の居合い抜きのハズだ。
対峙するガンマンの早撃ち勝負のような緊張感が走り、ミウの周りの空気だけが凍りついた。結果の予想は大方つく。柏木さんも知っているらしく、腕を組んで嫣然とたたずむ姿は何かを期待して微動だにしない。ミウだけがポカン顔。
「いくで……」
小さな声で合図する麻衣。
たかが髪の毛を切るだけで、ここまで大げさなことをやる必要があるのか?
首をひねりたくなる俺の前で、麻由の顎がわずかに動いた。
それに同期して麻衣が手を離す。ふわりと宙に浮かんだ白い紙が身をしならせ落下を始めたと同時に、空を切る鋭い音がして、銀白色の一閃が横に薙いで通った。
ほんの刹那の時が経って、細胞分裂の映像を見るかのように、一枚の紙が二枚になって床に落ちた。
「すげぇ。切った瞬間がまったく見えなかった」
相変わらずあいつの腕は大したもんだ。生唾ゴックンものである。この技を自分の頭の上で披露されたあのチンピラのお兄さん。度肝を抜かれたのは当然だろうな。胸中察しますよ。ほんと。
パチパチパチ、と柏木さんは絶賛の拍手。
「すごい……ですわ」
はらりと揺らぐ紙切れを拾い上げてまじまじと見るミウ。
「シャープな切り口……見事です」
嘆息を漏らすのは誰もが同じ。切れる音すらしなかった。
「な? 麻由の腕と、この研ぎ澄まされたナイフのコンビネーションは神業に近いんや」
鼻の頭を擦りつつ、高揚した表情で麻由の肩を抱き寄せる麻衣と、手のひらでくるりと銀白色の刃物を回転させて、鞘にすとんと仕舞い込んだ麻由は、にこやかに微笑む。それら一連の仕草を唖然として見つめたミウは、小さな喉を上下に動かした。
「き……切れ味は認めますが……」
ミウも必死さ。なかなか引き下がらない。
「ほな、ウチの髪の毛触ってよ。ぜんぜん傷んでないやろ」
ぐいっと自分の癖っ毛を突き出す麻衣。
ミウはふわふわの毛を摘まんで観察するが、たしかに傷んでいる様子は無く、柔らかそう。
「ね。あたしたちずっとこれ一本でやってるの。ようは普段の手入れの問題よ」
お前ら、美容院の回し者か――。
にしても、どうしてしつこくヘアーカットにこだわるんだろ?
鏡合わせに映ったみたいに左右対照の位置に立ち、交互に異なる口調で説得されると、どうしていも逃げ切れなくなる。
すっと鼻から息を抜くミウ。
「では、実験的に少しだけなら……」
ほら、ミウも落ちた。双子の心理作戦だ。この手で俺はいつもただ働きになるんだ。
邪魔をして怪我でもされたらまずいので、俺は食堂に戻って、夏休みの宿題でもやることにした。
「そこそこにしておけよ……」
食堂に退散しようとする俺をミウは恨めしそうな目で訴えてきたので、慰め半分で伝えてやる。
「信じてやれって、刃物を持たせたら右に出る者がいないのは本当なんだ。これは俺も保証する」
と言って、大袈裟に微笑んでやった。
ミウは小さく肩を落として決心した。超視力抑制ゴーグルを外すと、隣で笑顔をこぼす柏木さんに預けた。
「さてと……」
ヘアーカットが終わるまで出発は無い。その間に俺は前々から考えていた計画を実行することにした。
食堂のテーブルに戻り、宿題のタブレットを出す。もちろんやる気が起きたのではない。そう。ランちゃんをうまく騙して、夏休みの宿題の中でも最も嫌いな数学と物理を解かそうと企んでいるのさ。
「それはそうと……麻衣たちは、宿題をやってるのかな?」
『数学2ページを残して、すべて終わってるわよ』
吃驚して天井を見上げてしまった。俺の独りゴチをきっちりとランちゃんが聴いていたようだが、ちょっと聞き流せない内容だった。
「マジかよ? もう終わってるも同然じゃないか」
『二人は計画的にコツコツと仕事をこなすタイプなの。研究室に籠って無駄に時間を潰しているわけじゃないわ』
誰かと比較するようなものの言いだが、それより何でこいつは俺と接するときだけ口調を変えるんだろ。聞きようによっては俺より立場が上みたいじゃないか。
まぁ、深く考えるのはやめよう。こっちも宿題を進めようではないか。
「ランちゃん?」
『なぁに?』
「ひとつ面白い遊びをしないか?」
『いいわよ』
俺だけに向けるこの口調は、柏木さんやミウ相手とは明らかに異なる。理由は分からないが常にそうだ。
「ま、いっか……え~とだな。問題解き遊びだ」
なんちゅう遊びだ。そんなものあるもんか――今、適当に思いついたんだよ。
『そんなので、修一が楽しいのならやりましょ』
「そんなの……って」
なんか腑に落ちない返事だが。気にしないことにしよう。しょせん相手は人工知能さ。
まずは第一問は、っと。
「え~と。なになに……。ある物体を斜め上方向へ投げ出したところ、1秒後に物体の運動が水平になったという。投げ出された初速が12.5メートル毎秒であるとして、水平到達距離はどれだけか? また、鉛直方向の加速度、gイコール10メートル毎秒毎秒とする……だ。どうだ面白いだろ?」
面白いわけねえだろ。俺にはさっぱりだ。何なんだ『毎秒毎秒』って、これって誤植かな?
教科書に誤植があったら、それはそれでまずいだろうけど。にしたって、わざわざモノを投げておいて、その距離を計算で出すって……なんだそりゃ。そんなもん、巻尺で測れば事足りるだろ?
第一問目から噴き上げてくる疑問を抑えつつ、とりあえずランちゃんの様子を見た。
『斜め上方に投げられた物体の運動は、二つの方向に分解して考えると、非常に簡素になるでしょ。水平方向をx、鉛直方向をyとするとね……』
ふむふむ。なんだか柏木さんに勉強を見てもらってるみたいで心地よいぞ。
『初速をv 水平と初速度の方向との角度をθ(シータ)とすると、時間t後のxは初速度掛けるtコサインθ、yは初速度掛けるtサインθマイナス、二分の一gtの二乗、さらに外気温30℃、風力3メートルが真横から吹く場合で、湿度80パーセントの抵抗を吟味すると……』
「ちょ、ちょっとランちゃん……」
『水平到達距離は初速度の二乗サイン2θ分の鉛直方向加速度マイナス、抵抗分、アークタンジェントマイナス……』
「あ、あのね。高校の物理では湿度とか風の抵抗は考えなくていいんだ。アークタンジェントって何んだよ?」
『……xタンジェントθマイナス。初速をv0(ブイゼロ)とすると、2v0二乗コサイン二乗θ分のg掛ける……』
「も、もういい。やめよう、ランちゃん。ちっとも面白くない。やめだ」
『ごめんね。だって修一が面白いって言うから……』
「悪かったよ。もう少し別の面白いことしよう。な? ランちゃん」
『いいわよ』
焦った。まさか湿度とか、風力とか入れてくるとは思わなかった。こいつは実践物理で来やがるから、タチ悪いな。
「次の遊びだ。え~っと。電球に50Ω(オーム)の抵抗値を直列に繋ぎ、3ボルトの直流電圧を与えたとき、電流がコンマ5アンペアー流れたとして、電球の抵抗値はいくらでしょう……何だこの問題? そんなこと知るかよ。電気はびりびり痺れればそれでいいんだ。抵抗値って何だ? 何かの足しになんのか?」
『静電容量と接続コードの材質、および気温や湿度で計算値が異なるけど、それでも続ける? あと、電流を流す時間でも電球内の温度が変化して、抵抗値も一緒に変化するのよ。マイクロ秒で行く? それともミリ秒、どれぐらいがいいの?』
「せ……静電容量? マイクロ秒? え? え?」
『推論すると、修一はワタシを使って夏休みの宿題を済まそうとしているわね。麻衣から聴いたわ。インチキには手を貸すなって……ダメよ修一。宿題は自分でやりなさい』
「なっ……」
まさか機械に叱られるとは思わなかった。
計画失敗を悟った俺は、溜め息混じりに物理のタブレットを閉じた。そこへガウロパの筋トレに飽きたイウがやって来て言う。
「おい、修一! まだ出発しねえのかよ。鹿児島着くのが、えらい遅れてるんだろう。どうすんだよ!」
「知るかよ! なんで俺に言うんだよ。ったく、どいつもこいつも……。文句あんなら、あいつらに言えよ」
荒んだね。機械に叱られて、続けて今度はイウだろ。紙ヤスリで頬を擦られたように心がヒリヒリするぜ。
俺は後部デッキで営業を始めたビューティサロン『川村』を顎でしゃくり、イウは目を細めて中を窺う。
「あいつら、なに始めたんだ?」
首をかしげながらイウが向かう先から、絶賛する声が聞こえてきた。
「麻由は天才ね。ヘアーコーディネーターの素質あるわ。今度私のもやってもらおうかな」
柏木さんがあげた感嘆のセリフに続いて、
「えへっ。うまいもんでしょ。あたしこのナイフだとなんだって切れるんだ」
「ほぉぉ。いいじゃないか。ミウの個性が生きてるぜ」
めったに褒めることをしないイウの声まで伝わってきた。
ヘアーカットは成功したみたいだ。
すぐに戻ってきたイウが、操縦席へ赴く途中で俺に伝えた。
「修一。拝んで来いよ。なかなかのできだったぞ」
そこまで言われたら、ここでじっとしてはいられない。もう一度、後部デッキへ移動する。
入ってみると、麻衣が持つ鏡の前でまんざらでもない様子のミウがいた。
目を細めてしきりに首を左右にかしげる姿を目の当たりにした途端、俺は愕然とした。
「あ――っ!」
分極した未来で出会ったミウかと見紛いそうになった。
担任となった柏木さんに連れられて、静々と教室に入ってきたミウと全く同じ髪型なのだ。前髪を眉毛の上で綺麗に切り揃え、耳の下、顎辺りでバッサリと段をつけて、後ろはそのままストレート。
「どう? よく似合ってるやろ」
麻衣が自慢げに指さすが、俺は声が出ない。正体不明の不安が胸の中で爆発した。
「……?」
妙な間会いに気付いたミウが怪訝な顔を向ける。でも俺は無言のまま睨みつけるだけだった。
おかしい。分極未来は柏木さんの機転で消滅したんじゃなかったのか。それともやっぱり未来はあのようになるのだろうか?
ミウは頬に垂れる髪先から手を離して、強張った俺の顔を覗き込んだ。
「どうなさいました? このヘアースタイルではだめですか?」
「…………」
無反応の俺。いやなんて答えていいのか迷った。あの時のミウと同じだと言えば未来を知らせることになる。それだけはリーパーにしてはならいと、イウに釘を刺されている。
「こらっ、修一くん。女の子にその態度は最低よ」
怖い目で睨んでくる柏木さんの声で我に返った。
「あっ! ち、違う。あんまり可愛いんで、ドキドキしてたんだ。本当だミウ。すげぇ似合ってる。いい。その髪型はお前のためにあるようなもんだ」
ようやく花が咲くように頬を色付け、ミウが微笑んだ。
「ふふっ。そんなに褒められると、今度はなんだか照れますわね」
複雑な気分だった。ミウにはとても似合った髪型なのだが、何かの暗示が込められたようで素直に喜べない。
「まあ成功したんやからそれでええやん」
「ね。掃除しようっか」
二人は妙に淡々としていた。
「あ。お手伝いします」
手を出そうとするミウへ、
「かまへんかまへん。こここはウチらがするから。ミウはゆっくりしてて」
こちらに視線を振ろうともせずに、二人は散らばった髪の毛をかき集め始めた。さらに互いに見つめ合ってニタリとしては、大きめの採取ボックスに収める動作がなんだかとても、いや、超激に不自然だ。
こいつら何かたくらんでいる。
二人から散々弄ばれている俺には、この手の動きに敏感なのさ。
掃除が終わり、いそいそと研究室へ消えて行く双子を懐疑の目で見つめていたら、俺の肩に柏木さんの手がポンと載った。
「さ。出発するわよ」
続けて後ろのミウにも声を掛ける。
「日高さんもね」
柏木さんは白衣を払って背筋を伸ばすと、天井へ命じる。
「ランちゃん出発してくれる? 宮崎に向けてゴーっよ!」
静かな加速を床に感じて少し踏ん張る。
「計画より遅れてるから、ちょっと急いでね」
『了解しました』
ぐぉぉぉぉーっと、急加速するアストライアー。
「ちょ、ちょっと」
一気に押し寄せる慣性力に耐え切れず、俺は壁に押し付けられ、そのまま床へと転んだ。
「きゃぁぁ」後ろから柏木さんとミウの悲鳴も上がる。
柏木さんは立つことができず、膝を折りペタンと左右に広げた姿勢で座り込むと、そのままズルズルと床をすべって行くし、ミウはそのまま尻餅を突いて、ゴロゴロと二回転ほど転がって、後部の外壁に当たって止まった。ミニスカート姿が無残だった。俺的にはいいものを拝ませてもらったけどな。
「ちょっと良子さん。加速の指示は席に着いてからにしてください! これで二度目ですよ!」
「ご、ごめん日高さん……ちょっと急ぎすぎたかな?」
「痛たたた。ほんとに柏木さん」
科学者、柏木良子。裏を返せばただのおっちょこちょい。
「もう、良子さん。動くなら動くって、ゆってぇぇな」
研究室から麻衣と麻由がつり上げた目をして出てきた。麻衣の手にはミウの銀髪の切り屑、麻由の手にはペットのカニの飼育ケース。それを見たミウがすぐに反応した。
「まさか、その髪の毛。カニの餌にしてるんじゃ……」
「そうよ。この子、これが大好物なの」
あっけらかんと答える麻由に、
「いやぁぁ。やめてください」飛びつくミウ。
麻衣が餌箱(切った髪の毛満載)を高々と持ち上げて、奪われまいと逃げ回る。
「ええやんか。ミグの餌が無いんや。かまへんやん」
「だめです。わが身が犠牲になってる気がします」
「ねえねえ。みじん切りにすればミウの毛には見えなくなるわ」
「ほんまやな。なんかと煮込んでみよか?」
「きゃぁー、やめてください!」
タマネギかよ。
ほどなくして室内の騒動とは関係なく、アストライアーは延岡の海岸を宮崎の方向へとキャノピーの先を旋回させた。それはこれから迎えるであろう困難など微塵も感じられない爽快な再出発だった。