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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
88/109

 重複融合共振

  

  

 足元の床が無くなり、逃げ遅れたわたしと良子さんは50メートル下に広がる海岸の岩場へ真っ逆さま。でもわたしはリーパー。こんなことではめげない。でも今回は大きな負担が……。


「くっ!」

 下から吹き上げる突風に髪が暴れて落ちていく良子さんがよく見えないからだ。でもそんなに距離は開いていないはず。

「南無三!」

 良子さんを含むであろう周囲十数メートルの宙空ごと、わたしは亜空間に引き摺り込んだ。


「いた……」

 下方三メートルの位置で彼女は止まっていた。わたしは亜空間の柔らかい抵抗を泳ぐようにして移動する。時間も広がりも皆無に等しい空間なので、良子さんにはなんの意識も無い。しかしリーパーであるわたしはあたかも空間があるみたいに動ける。


 良子さんに寄り添うと、咄嗟に30秒過去の崖の上へ飛んだ。そこなら過去の良子さんと現時の良子さんが対面することはない。問題は建物が消えて、わたしたちが落下する瞬間をこの人に見せないことだ。


 後ろから押されるようないつもの感触とともに、実空間に放り出された良子さんは、わたしと手を繋いだまま、たたらを踏みつつ両足で制動をかけると、大きくきびすを返して叫んだ。


「飛んだのね?」

 わたしは静かに首肯する。


「未来?」

 と漏らしてから、崖の先に突き出た建物を見つけて、

「過去ね……」

 次の瞬間、建物の壁が大きく吹き飛び、イウを抱えたガウロパが飛び出してきた。

 スキンヘッドが蒼白になり、緊迫したようすで建物の中に叫んでいた。


「柏木どのぉぉぉ!」


 わたしは飛んで行って、その大きな尻を蹴り倒してやった。

「あぅ。ひ、姫さま。ご無事で……」

 筋肉バカは振り返って驚愕の眼差しをわたしにくれた。


「ご無事で、じゃありません。なぜ良子さんの名だけを叫ぶのです」

「あ……い、いや。姫さまは……これぐらいのことでは……いやそうではなく……」

「おい、どうでもいいけどオレを下ろしてくれ。それと早く先生を何とかしないと、過去の自分と対面しちまうぜ」


「そうだわ!」

 わたしは茫然とこちらを見つめる良子さんに飛びつくと、眉間に指をトンと当てて眠らせた。熊本でアストライアーを持ち出してきた服部さんを眠らせたのと同じ方法だ。


『きゃぁぁぁー。ゆ、床が!』

 建物が透明になり、過去の良子さんの絶叫が聞こえた。それを合図に、わたしも身体を強張らせた。あと十数秒でわたしたちは落下してこの時間流から消える。それまでの辛抱だ。


「重複存在の揺れ返しが来るぞ!」

 だしぬけにイウが叫んだ。まるでわたしの思考を読むようだった。

「何を偉そうに、わたしはパスファインダーです。重複融合振動ぐらい経験しています」

 と言い返すものの生唾を飲み込んだ。あまり気持ちのいいものではないからだ。


 重複存在とは同じ時間に同一人物が複数存在することで、感情サージが発生する危険率が非常に高くなる。訓練を積んだリーパーであっても耐え切れず、発狂してしまい自我の崩壊を起こすことがある。


 確かイウとガウロパが良子さんたちの前で重複存在をやって見せた、とか言っていたが、なんと無茶なことをしたんでしょう。

 と同時に全身が粟立った。


「来た! 重複共振だわ」


 意識や感情は時間とともに変化する脳内の活動現象であり、それが同一時間に共存することはあり得ない。つまり同じ自我を持つ生物は、一つしか存在できないという自然界の摂理として、それぞれが融合を起こそうと不思議な波動で共鳴しあう現象が重複共振、あるいは重複融合共振と呼ぶ。


 身体の中にもう一人の自分が侵入してくるかのような、何とも言えない不気味な感触が全身に走る。建物の中にいるわたしと、このわたしとが融合しようと身体を構成する細胞分子が共鳴振動を始める。この励起現象は個々の時間差と距離が近づくほどに激しくなり、最後は実体融合を起こす。言葉のとおり互いに融合して、存在を一つにして辻褄を合わせようと働くものだ。


 これに関しては未だにその結果が確認されていない。動物実験では融合したと同時に時空震を起し完全消滅したとか、数分で命が切れたとか、まだ噂の段階ではっきりしていないが、身を持って試そうとする(やから)は、結果の悲惨さから誰も名乗りを上げない。


 今の状況は時間も距離もかなり近い。はっきり言ってあまりよくない。30秒しか時間が離れていない同一人物が、たった十数メートルの距離で重複存在をするのはとても危険な状態なのだが、幸い向こうのわたしたちはまもなく崖の下へ落下する。したがって実体融合は起き得ないので、その点は問題ない。


『きゃぁぁぁあぁぁ』

 過去の良子さんの悲鳴が聞こえた。そしてイウの声。

「よし、オマエらが落下した」

 そんな解説は余計なお世話だ。ちょっと前の光景なんだから、わたしの脳裏に鮮明に焼き付いている。


 ガウロパとイウが、わたしの隣で崖下へと落下していく過去の『わたしと良子さん』をじっと目で追っていた。

 彼らにとってはそれが結果であり、事実だからである。しかし落下していく姿を淡々と無感情に見届けられるのも気味が悪いものだ。


 なんとも言えない異様な悪寒が走って身震いがした。自分が死に直面する光景である。わたしはそちらに背を向けて見ないように努めた。


「いま、オマエらが亜空間に入った」

 終わった。


 ホッとする。これで時間は正しく流れたのである。しかしまだ耐えなければいけないことがある。ここが一番気持ち悪い。


 わたしは硬く目をつむった。過去のわたしが消えて、今のわたしがこの時間の流れに残った瞬間に起きる引き込み現象。融合しようとした片割れが亜空間に飛び込んだ勢いに引き摺られるのだ。


 髪の毛が逆立ち、暴れる強風に巻き込まれたみたいに、ざわーっと崖下に向かって全身が引っ張られた。そして意識の中の思考までも渦巻き、激しくめまいが起きる。

 やはり時間差30秒というのは隣接し過ぎていたかも……せめて1時間、いや10分でも差があると飛躍的に楽になるのに……。

 思考まで引き込まれそうになったわたしをガウロパが頑丈な腕で包んでくれた。こういう時はほんとうに頼もしい。


 ザザザッ


 意識を失くして地表でうずくまる良子さんが、崖に向かって地面の上を滑っていく。慌ててイウが飛んで行って押さえた。


 最後の重複共振の不快な感覚に襲われてガウロパの腕にしがみ付いた。そして硬く目をつむり耐える。意識が無い良子さんがうらやましい。たぶん彼女は何も覚えていないだろう。


「でっかい空間ごと飛んだんだな、オマエ。引き込み現象のことを考えて無かったろ?」

 イウの嫌みたらしい口調が聞こえてきて、カチンときた。


 嫌なヤツ。わざと言ってるんだわ。


「落ちていく良子さんの位置が解からなかったんです。仕方が無い結果です」

 目をつむったまま言い返す。

(ふっ……辺りの空間丸ごとは……恐れ入ったぜ)

 鼻で笑うイウの姿が瞼を固く閉じるにも関わらずはっきり見えた。コミュニケーターを使って伝えてきたのに違いない。


 大嫌い! バカ……死ねばいいのに、もう!



 やがて身体を揺すぶられる不快な感触が徐々に収まっていった。鉄骨より丈夫かも知れないガウロパの腕から力を緩めて、わたしは肌で様子を感じようと顔を上げる。瞼はつむったまま。

「もう終わった。目を開けても大丈夫だ」

「黙りなさい! ただでさえ不快なんです。実況中継はいりません」

「そうか? オレは経過を知ったほうが早く収まるから好きだけどな……っと」

 イウは自分の手で急いで口を押さえた。重複存在は禁じ手なので、罰則は無いが暗黙の禁止行為なのだ。


「あなた、何度経験してますの?」

 口を押さえていた手を外して、わたしの前で振る。

「このあいだの一度だけ」

「ウソおっしゃい」


 捨て台詞を吐きながら、わたしは良子さんを目覚めさせようと歩み寄った。

 あいつ、何度も経験しているに違いないわ。嫌味なヤツ。


「どうしたの日高さん。何んで怒ってるの?」

 覚醒した良子さんがぽかんとした表情でわたしを見ていた。


「い、いえ。すみません。このバカがくだらないことを言うものですから……えぇ?」

 良子さんの目がみるみる潤み出してきて、わたしはちょっと後退りする。


「た……立てますか?」


 差し伸べたわたしの手にすがって立ち上がると、いきなり抱きついてきた。

「ありがとうね、日高さん。私、てっきり死んだと思ったわよ」

 涙声でそう言うものの、すぐに朗らかになってくる。この切り換えの素早いところがこの人の長所でもある。


「あんな高いところから落ちたのよ……すごいねぇリーパーって、崖から落ちても平気なのね。だったらさ、核爆発にも耐えれるんじゃない?」

 何処まで話が飛躍するんだろう。半ば呆れてしまう。

「わたしはシェルターじゃありませんから」


「どこも異常はござらぬか、柏木どの?」

「大丈夫。怪我ひとつないわ」

 えっへんっ!

 私の大きな咳払いにスキンヘッドは小さくなった。


「わたしも無事のようですわ! ガ、ウ、ロ、パ、さん!」


 憤怒の混ざるわたしの言葉を聞いて、良子さんはまたまたキョトンとした。

 その可愛らしい面立ちを見て、ひとまず安堵する。

 何事も無くてよかった……。


 良子さんは憂いを帯びた目に戻ると、小さく息を吐いた。

「でも最後にあの老人が言った言葉が気になるわ」


「この時代の政府と交渉したグループがいるという話ですか?」


「そう、やりそうな奴をあたし知ってるのよ……」

 不安げに瞳の奥を震わす良子さんをわたしは奮い立たせる。


「今心配しても時間の無駄です。とにかく先へ進みましょう。今回は良子さんのおかげで上手く事が進みました。あなたの勘の良さには驚きましたわ」

「あったりまえよぉー。私をダレだと思ってるのよ。科学者、柏木良子よ。あなたたちの言いたいことなんか、お見通しだったわよ」

 と強気で言い返してくる良子さんが握りしめる物に目を転じて、わたしは呆れた。

「おやまぁ……」

 せっかく盛り上がった意気込みが、みるみる萎んでいった。


 勘がいいと言ったのは撤回しようかしら。やっぱりこの人どこか抜けてる。

「あなたが科学者ですか? さてどうだか……」

「なによー。変なこと言わないでよ」

「大事そうにまだ持ってますわよ。何です……それ?」

「え?」

 きゅっと口を握られたビニール袋には砂利が詰まっていた。さっきまでは『ホウライエソ』が泳いでいたはずなのに――。


「何なのよぉぉ。ホウライエソが小石に変わってるわよぉ!」

「科学者でもキツネには化かされるんですわね」

「え……?」

 目を点にした良子さんは、ビニール袋に入った砂利とわたしの呆れ顔を交互に見比べていた。


「なるほど……」

 新たな事実を発見して一人納得する。

 砂利が消えずに残ったところを考えると、この時代の物体(砂利)が最初からそこに詰まっていたことになる。


「じゃぁ、あの魚は映像だったの? あ~あ。残念ー」

 心の底から無念を申告する柏木さんへ首肯する。

「そのようです」

 連中はかなり進んだホログラム技術を持つようだ。


「ちょっといい?」

 疑問符がいつまで経っても消えない良子さん、流麗な麻由を歪めて訊く。

「記憶が消えないのはどうして? あの人たちの歴史は消えたのでしょ? だったら私の記憶からこのことが消えてもいいはずなのに、まだ覚えてるワ」


 いいところに気が付いたので、わたしは補足する。


「前に説明した通り時間項は結果が起きるまでは消えません」

「つまりあの人たちも時間項だと言うの?」


「そうです。この一連の流れがあって、我々はゼロタイムを迎えるのです」


 良子さんは大きくうなずき。

「そっかー。ゴールはそこなのね……」

 再び丸い目が見開(みひら)かれた。

「じゃぁ……スタート地点は?」


「知りません! そんなことをここで議論するのは時間の無駄です!」

「だって……気になるんだもん」


 これだから科学者と共に行動するのは嫌になるのです。何でも理屈を優先してそれが通らないと動こうともしない。


「ほらっ、行きますよ! 良子さん!」

 まるで引率の教師の気分だった。

  

  

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