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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
87/109

 ちゃぶ台返し

  

  

 熱々の湯飲みをそっとテーブルに戻し、良子さんが艶やかな朱唇を開いた。

「ここ以外にも研究のため、どこかへ行かれるんですか?」

 とても自然な質問だった。けれど連中には厳しい質問だ。おそらくここ以外はどこも知らないはず。知っていても120万年も先の未来だ、地殻の形状など現時とは一致もしないだろう。

 案の定、老人はしどろもどろになった。わたしたちにとってはいい方向へ話が進んで行く。


「そう言えば以前もっと西へ行ったのぉ」

 アバウトな返事ですこと。


「そうじゃアリアケの海にも珍しい生物がおってな……」

 あなたたちの仲間のことでしょ。


 良子さんに連中の存在を否定する、あるいは嫌悪感を抱くようなことに気付かせればそれで成功なのだが、なかなか良い案が思いつかない。


 能天気な彼女はただの世間話を続け、

「有明……? そう。じゃぁ。八代の研究所には行かれました?」

 あたり前のように尋ねる良子さんに、老人は詰まりながらも言葉を返した。


「あぁ行ったぞ。綺麗な設備じゃッたな」

「でしょ。あそこは最新ですからね」


 そして良子さんは、さりげなく切り出す。

「向こうで『服部』という男に会いましたでしょ。あそこの主任ですから……たぶん会ってるはずですよね?」


 老人はちょとのあいだ考え込み、

「会った……な。たぶんじゃが、と、とにかく忙しくてな。急ぎの用があって……すぐにトンボ返りじゃった。記者会見を忘れておったんじゃ……」

「そう。残念ですわ。今度行った時に、ぜひ柏木から聴いた、と言ってください。主任自ら所内を案内させますから」

「えっ!?」

 服部さんって……あの、服部さん?

 わたしの胸中に大きな波紋が広がった。ごく普通の会話なので、危うく聞き逃すところだった。


「服部はわたしの家来ですから何でも言うことを聞きますものね? 日高さん?」

 わたしに向かって片目をつむる良子さんの瞳がとても怪しく光った。


 確かに服部さんは良子さんの家来ではあるが、あの人は熊本研究所の職員のはず。なにしろ柏木さんの命令でアストライアーを政府の倉庫から盗み出し、その後、盗み出す前の時間域へアリバイを作るためにわたしが送った人なので忘れるはずがない。服部さんは八代研究所の職員ではなく熊本の職員だ。


 もしかして良子さん、カマをかけている?

 その作戦……ワタシも乗るわ。


「ええ。ですね。でもあの人、このあいだ仕事中に寝ていましたよ」


 ちょっとドキマギして答えるわたしに、

「うふふ。そんなのしょっちゅうよ」

 と言って笑うと、ごく自然に湯飲みを持ち上げ、熱いお茶へ息を吹き掛けた良子さんは薄っすらとその縁に唇を添えた。


 何とか話を切り抜けた、と老人が肩の力を緩めたのだが、それは良子さんが攻撃を始めるきっかけにすぎなかった。このあとわたしは彼女を見直すこととなる。


「ところで……深海魚とヒューマノイドに関する、とおっしゃられましたが、具体的に水槽の魚類はどういう目的で飼われてるんですか?」

 ゆっくりと話題を変えた。この時もとても自然だった。


「それにホウライエソだけを飼われているようですが……」

 部屋をぐるりと囲う水槽を視線で巡らせてから尋ねる。


 すごい、すべての中身を調べていたんだ……だからあんなに熱心に水槽を観察していたのか。

 そう――連中は研究なんかするはずがない。ここにあるのは舞台に並べられたハリボテの小道具みたいなものだ。


 老人の返答があまりに遅いため、良子さんは同じ質問を繰り返した。

「目的無く育てるって、変ですよね? 博士?」

 さすがにまずいと思ったのだろう。長いヒゲを指に絡ませまがら平然を装って答える。

「――そうじゃのぉ。いろいろじゃ。人類に効き目のある新薬を試したり、食料にしたり」


 それを聞いて柏木さんの切れ長の目がキラリと煌めいた。彼女の専門分野に付け焼き刃の知識で対抗できるはずが無い。


「人類の新薬なのに試験を魚で行うって、あまり聞かない方法ですね。何のお薬ですか?」

 突っ込んだ質問に、老人はきつい視線で睨みつけた。

「なんでもよかろう! 教えるわけにはいかぬ。研究者の秘密じゃ。当然じゃろ!」


 良子さんは動じることもなく、反撃を開始する。

「あなた方は本当に研究者なの? あまり興味なさそうなのはなぜです?」

 わたしは良子さんを称賛の眼差しで見つめてしまった。こんな毅然とした態度が取れる人なんだ。いつもの一本抜けた、あなたは何処へ行ったの?


「………………」

 後ろから片目の奥で睨みつけるイウの視線がヒシヒシと伝わって来た。良子さんの一挙手一投足がわたしたちの未来に繋がるのだ。かといって彼女に影響を与えては逆効果になる、ということもイウはちゃんとわきまえていた。ガウロパと一緒になって背後から祈る胸中で、じっと良子さんの行動を見守っている。


「あなたには関係なかろう!」

 大きな声で老人が(わめ)いた。

 だが揺るがぬ態度で良子さんが胸を張る。そして、すっとぼけた言葉を並べ始めた。


「あらま。八代でお会いになった服部は幽霊かしら」

「な、何を?」

 慌てたのは老人だ。

「ごめんなさい。すっかり忘れてました。彼はずっと熊本研究所の主任だったわ。あなた転勤の話を聞きました?」

 と、真横に座るわたしに振ってくるので、

「あ……いやですわ。わたしも熊本研究所の服部氏の話でした。転勤の話しなんか聞いてません」

 すまして言ってやった。

「そうよねえー。八代には同名の職員もいないし。博士の会った服部はきっと幽霊ですわ。おお怖い」


「オマエら……」

 ギリッと歯噛みの音がした。気付くと連中は総立ちになっていた。相当ダメージが大きかったのだろう。必死になって言い訳を考える姿が痛々しかった、でも良子さんは力を抜かずたたみかける。

「テーブルに載ってる科学雑誌。私は見たこともない出版社のものですけど?」

「ろ……ローカルの田舎出版じゃからなぁ」

「実はね。私ってちょっと有名でしてね……だいたいの雑誌には私の記事が載ってるんですよ」

 冊子に手を出そうとした良子さんよりも先に、幽霊男がそれを取り上げ脇に挟んだ。見せないつもりらしい。

 その雑誌、記事の内容まではレプリケートできていない。おそらく白紙なんだ。


「どうして? 私が見てはまずいの?」

「そ、そんなことはない」

 追及する視線から逃れようと目を泳がしたそのわずかな隙を突いて、良子さんが自分のコメカミを意味ありげに指で突っついてわたしに見せた。

「なに……? ああ、なるほど」

 たぶんコミュニケーターを操作しろと言いたいようだ。わたしがいつもやる仕草を真似ており、続いてわずかな声で囁いてきた。

「最大出力ってできる?」

 わたしは黙って首肯する。

「そうか!」

 目の前が開けた――。


 修一さんに精神波を送る装置を持つということは、思考波を利用した通信装置もあるかも。あるいは我々と同で、体内にインプラントしているかもしれない。生態系が異なる生物どうしで思考波が通じるわけは無いが、なんらかの刺激にはなるはず。それを利用しようと良子さんは考えたのかもしれない。


 勘がいいのか悪いのか、よく解からない人だが、わたしは伝えられたままの行動を取ることにした。自分のコメカミに人差し指を当てて、むんっと意気込んで目をつむる。全神経を集中。いままでに無いほどの強い意識をコミュニケーターへ込めた。


「ぐっ!」

 大きな刺激を受けて、イウとガウロパが眉間にシワをよせた。

 もちろんコミュニケーターをインプラントしていない良子さんは何も感じない。でもその目はキラキラと輝いてわたしたちを見つめていた。

 やっぱりこの人、頭が切れる! すべてお見通しなのだわ。


 良子さんの作戦は成功だった。連中も側頭部の辺りに手をやって、何かに戸惑うように辺りを窺う。誰が見ても不審な行動だと言える。


 哺乳類とはかけ離れた進化を遂げた魚類なので、我々のコミュニケーターでは意思疎通は図れないものの。最大出力の思考波でけっこうな刺激を与えたようだ。


 良子さんが動いた。老人に向き合うと凛とした声で言い切る。

「今のが何か、お解かりですね」

 平然と尋ねる良子さんに連中はたじろぎ、互いに見つめ合った。


「コミュニケーター。通信インプラントを利用した叫びです。うるさく感じたらごめんなさいね」

「な……なんのことじゃ?」

「うそおっしゃい。今顔をしかめたでしょ。でも聞こえるのは未来組だけ。どうしてあなたたちまで聞こえたの?」


 老人は唇にきゅっと力を掛けて黙り込み、イウが背後から加勢する。

「この時代に、コミュニケーターをインプラントする人間はいないはずだ」

「な、なにを言うんじゃ」

「とぼけるな、この野郎!」

 イウが一歩迫るが、急いで引き留める。

「未来組が口を出すことはなりません! あなたもリーパーなら承知のはず」


 イウは素直に下がった。

「悪い。熱くなっちまった」


 現時の人間以外が手を出すと時空震がさらに悪化することを両者ともに理解しているので、すんなりと聞き入れたが、良子さんは現時の人、容赦しない。感情の赴くまま行動することが許される。彼女はさらに強い語気で迫った。


「私にはコミュニケーターがどんなものか知らないけど、もう一つ言ってあげましょうか?」

「な……なんじゃ!」

 慌てた老人が攻撃的な鋭い視線を向けたが、良子さんはそれを払いのける勢いで捲し立てる。

「私たちが阿蘇から来たと言ったのに、あなた方は地面の断裂のことを一言も出しませんでした。それはなぜ? 普通の方法では私たちの乗り物があの断崖絶壁を越えることは不可能です。まず疑うのが当たり前なのに、何の反応もしなかったのは致命的よ。超未来人さん。この部屋の室温も私たちに合わせてくれてお礼をいいます」


「ふははは」

 一気に形勢逆転した空気を感じ取ったイウが、不敵に笑い出した。

「オレたちのグループリーダーを怒らせちまったんだ。覚悟しろよ」

 わたしも胸がすく思いだ。万歳をして良子さんの後ろから飛び付きたい。連中が醸し出していた好印象を根底から覆すことに成功した。


 良子さんは後ろに立つイウへチラッと微笑みを返して、前にはさらに追い討ちを掛ける。

「川村教授の研究が何かもよく解っていませんでしょ。あなた方と同じ変異体の研究者なの。あれだけの有名人なのに、あなたたちは無反応だった。どう、変異体なんて興味ないんでしょ?」


 老人は深く息を吸ってわたしをギンと睨んだ。連中の敵はあくまでもわたしたち未来組なのだ。

「変異体なんぞ、どうでもよいわ! バイアイごときが!」


 わたしに向かって言い捨てた言葉を聞いて、良子さんが憤然とした。流麗な眉に力を込めて強い口調で言い返す。

「目の色が違うからって関係ないでしょ!」

 老人は彼女に向きなおすと鼻で笑った。

「ふはは。目の色が異なるからそう呼ぶのと違う! 現時と異なる時間を見ることが可能なヤツをそう呼ぶのじゃ!」

「知ってるわよ。私たちの仲間をバカにしないで!」

「その調子ですわ!」

 胸の奥から突き上げてくる歓喜に堪え切れずつい声を出した。イウたちに前に出るなと言っておきながら、わたしとしたことが……。

 そして変化が起きる。部屋から連中の存在感が見る間に薄れていく。時間の流れが正しい方向へ戻り始めたのだ。


 悔し紛れに老人は言い捨てた。

「今回は失敗したが、ソースとなるオブジェクトはオマエらだけではない。ワシら第256ジャンクションはこれで消滅するが、254の時間流はこの時代の官僚と交渉を成功させとる。そちらが成功すればまた復活できるのじゃ!!」

 連中は怒りの表情を露わにすると、生々しい蝋人形みたいに固着した。そして皮膚がみるみる透明になっていく。


「まずいでござる!」

 ガウロパの声で我に返った。

「建物まで消えるぞ!」

 イウの言葉と同時に上がる悲鳴。


「きゃぁぁぁー。ゆ、床が!」


 良子さんの絶叫は、わたしたちが崖から突き出した建築物の中に居たことを思い出させてくれた。

「早く建物の外に! ガウロパ、最短の退路を作りなさい!」

「御意に!!」

 わたしの声よりも先にガウロパが動いた。たぶんコミュニケーターを通じて言葉より先に意識が伝わったようだ。イウを荷物か何かのように小脇に抱えると、肩から壁にぶち当たった。建物は半透明に変移しかけていたが、まだ実体はしっかりしており、大きな音ともに壁に穴が次々と空けられていく。あっという間に出口まで筒抜けになった。


 突然のことに凝固してしまった良子さんの手を引いて、出口へ走ろうとしたが、

「ちょ、ちょっと待って日高さん! 私って高所恐怖症なのよ。足が動かないわ」

「ええっ!」

 すっと床が半透明になり、遙か下に淀んだ海とゴツゴツした岩肌が見えた。高さはゆうに50メートルはある。落ちたらおしまいだ。その恐怖に柏木さんは硬直したのだ。


「きゃぁぁぁあぁぁ」

 甲高い悲鳴とともに、わたしと良子さんが立つ床が完全に消えた。建物の外に出ていたガウロパがちらりと見えたが、一瞬にして上空へと消えた。

  

  

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