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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
85/109

 化けの皮を剥がす

  

  

『ミウぅ! 聞こえる?』

(どうしたんです?)

 いきなり意識の奥で麻衣さんの叫び声が響き渡り、嫌なことを連想したわたしは、ひどく体を強張らせた。

『おかゆを作ってたら、修一の鼻がピクピクすんねん。これって意識が戻るんかな?』

 それはとても嬉しそうな声で、わたしはの気持ちは急速に緩まった。

(空腹作戦が利いてきたのかもしれませんわ。いい兆しですよ、きっと)


『そっちはどないなん?』

(こちらは気持ちの悪い水槽を眺めています)


『変異体の水棲生物なん?』

(そうらしいですわ。牙が上下に長く伸びて自分の瞳を突き刺しそうな獰猛なヤツです)

『ホウライエソやな』

 即行で返ってきた回答に驚く。


(正解ですわ。呆れる知識力ですわね)

『数匹もらって来てぇなぁ』

(ば、バカおっしゃい。こんな怖い生き物、やです!)

『もう。せっかく今晩のおかずにできると思っていたのに……グロテスクな魚は意外と美味しいんやで……知ってた?』

(し、知りません!)

 世界が滅びようともこの双子は生き残る。ええ、きっと繁栄するでしょう。


 わたしは麻衣さんと思考を介して通信し合うため、はたから見ると黙り込んだとしか見えない。またもや良子さんが異様な雰囲気を感じたようで、いや、何やら勘違いして――。

「どうしたの日高さん? この魚欲しいの?」

 それはない。

「だ、だ、誰が……」

 言葉を詰らせる。この人も世界が終わったとしても、別の意味で生きていけるタイプだ。


 たじろぐわたしを良子さんは無遠慮に上から覗き込んでこう言った。

「ね。帰りにお土産に包んでもらおうよ」

「お菓子じゃありません!」


 つい上げた大声が筒抜けたのか、ガチャリと扉が開いて先ほどの女性が顔を出すと無感情な声で忠告する。

「指を近づけないほうがいい。喰われる」


 わたしは手で口を押えて水槽を見遣るが、良子さんはそつなく答える。

「ご忠告ありがとう。でも私もこの道で御飯を食べてますから。そのあたりのことは心得ています」

 その時、女性の背後から背の高い男性がぬっと現れた。本当に唐突で風がすり抜けるみたいにして、女性の肩と扉との隙間を通ると、部屋の中央へ移動した。その動きはまるで実体が無く幽霊だと言ってもいい。


「――っ!」

 足はちゃんと地に着いて歩み寄って来るのだが、あまりに重量感の無い動きで驚かされた。

 でもわたしが息を飲んだ理由はもう一つ。この男性も首に白いマフラーを巻いていたこと。気温の高いケミカルガーデンでそのいでたちは異様すぎる。


 あまりの不気味さに固唾を飲んで、後退りするわたしとは違って良子さんは平気だ。変人ぞろいの大阪研究所、そこの部長を務める貫禄かしら。


「お邪魔しています。大阪変異体研究所から参りました。部長の柏木良子です」

 無警戒のまま丁寧に頭を下げた良子さんは握手を求めて手を出したが、男性はするりと前をなびくように移動すると、表情の無い白い顔で対面のソファにふぁあっと座った。

「あ……」

 良子さんは突き出した手の行き場を求めてしばらく宙を彷徨わせていたが、そのままこっちへ苦笑いを向けると、ポケットへ収めて恥ずかしそうに赤い舌を出した。


「オオサカからですか?」

 抑揚の無い声で応える男性。完全な無反応というわけでもなさそうだ。しかしあまり気持ちのいい感じはしない。


 その男へちらりと視線を向けた良子さんは、気にすることもなくソファに深く腰を落とすのでわたしもその横へ座った。

 真後ろへガウロパとイウが立つ。正面に幽霊みたいな男性が座り、背後に案内をしてくれた白い女性が立っていた。その光景は異様な空気を含んでおり、まさに対峙という感じだ。ただひとり、能天気な良子さんだけが、部屋の隅に並んだ水槽を見てニコニコしていた。


「どうも。お待たせしましたな」

 さらにひとり、ひげを長く伸ばした白衣の老人が入って来た。やはりこの老人もマフラー姿だった。

「所長……」

 と、紹介された老人は女性が引いたソファへ腰を降ろし、

「大阪とは遠いところから……さぞかしお疲れでしょう。ささ。ここの気温はあなた方に合わせておりますゆえ。そのスーツの電源をお切りなっても大丈夫ですぞ」


 あなた方? 自分たちとは違うという意味?


 少し気になるセリフだけど、この老人の口調はまともだ。頭髪は耳周辺にわずかに白髪を残す程度しかなく、代わりに長く白い顎ひげが白衣の襟より下に伸びて、それはとても立派だった。


 この老人と比較すると、後ろの女性と隣の男性はあまりに存在感が薄く異様な雰囲気を醸し出している。それが伝わったのか。

「この二人はほとんど人の住まない九州で長く暮らしておってな。少し精神的に病んでおるのじゃ。だが研究員としての能力は何の欠落もないんじゃが。何か失礼をしたのなら先に謝罪させてくだされ」


 良子さんは明るく手を左右に振った。

「とんでもありません。うちの研究所にもおかしな連中がいっぱいいますから……ね?」

 と、わたしに相槌をを求めるが、それじゃここの人も『おかしなヤツ』って肯定することになる……と言うより、なんでわたしに訊くの?


 あ、そうだ。わたしたちも大阪研究所の所員だということを忘れていたわ。


 咄嗟に答えた。

「この部長もそのうちの一人ですわ」

 指で差され、良子さんは切れ長の目の端を少しピクつかせた。

「日高さんほどでも……」

 くっ、あなたねー。


 悔しいので言い返してやった。

「部長はさっきもこの『ホウライエソ』を欲しそうにしてましたものね」 


 うまい具合に話が得意の方向へ進んだのか。良子さんは瞳を輝かせて話し始めた。

「ここは水棲生物ばかりを研究されてるんですか?」

「そうじゃな。『ワニトカゲギス目』や『ハダカイワシ類』が主じゃ」

「変異体とはわずかに亜種になる生態系を……ですか。この辺りでは珍しい研究ですわね」


「そうかな? ワシはずっとこれ一本じゃから、とりわけ珍しいとは思っておらん」


「研究テーマを教えてもらえません? わたしも参考にさせていただきたくて」

「ほうほう。さすが専門家じゃ。なかなかいいご質問をされる。そこらのインチキ科学雑誌の記者とはだいぶ違うわい」


 老人はテーブルに乱雑に積み上げてあった専門誌へ視線を落とした。

「ワシは変異した深海魚とヒューマノイド生物の研究しておる。あんたは何の研究をしておるのじゃ?」

 老人は平然と長い顎ヒゲを摩り、良子さんはいつまでも雑誌の表紙に目を据えていたが、ついと答える。

「私はカビ毒と生物の変異に関する研究です」


「ほう、立派なもんじゃ。で、後ろの大きな男性も研究員かな?」


 繊細な研究を行う役職にしては、あまりにもガウロパはかけ離れすぎた体格だ。どう誤魔化すべきかと思案を巡らせていると、いきなり良子さんが口火を切った。


「この人は私たちの用心棒なの……」

 屈託の無い明るい表情で、安直、かつストレートな言葉だった。


 なんということを言うのかしら。

 わたしは大いに眉を寄せた。無頓着、無計画にもほどがある。


 呆れかえるわたしを尻目に、良子さんは近くの水槽へ近寄り、(いと)けない仕草でガラスの表面を指で突っつく。

「ほらほら、おいで…」

 その動きに誘われたのか、水槽の奥から顔を出した不気味な魚がガラスのこっちにある白い指に喰らい付こうと、大きな口を開けガラス面に激突。派手に水しぶきを跳ね上げた。


 あまりにグロテスクな姿に圧倒され、かつ、あまりに自由な良子さんの行動を目の当たりにして、今度は呆気にとられた。

「ご……ご存知のように、変異体生物には凶暴になった動物が多いもので、安全を確保するには拙者ぐらいの体格がないと務まらぬのじゃ」

 慌てたガウロパが後を継いでフォロー。だがそれは無理の無い説明で、老人は「ほぉぉ」と感嘆の吐息を漏らすと。

「女性だけでは、こんな深部までは来られんからな。腕っ節の強いボディガードがいて心強いじゃろな。羨ましいかぎりじゃ」

 喜んだガウロパが嬉しそうに鼻息を荒げたので、やにわに振り返って睨みつけた。


 疲れる。みんな自由に動き過ぎだ。あいだに入る者の身にもなって欲しい。




 そんな時だった。イウが虚をついた。

「もういいかげんに三文芝居はやめねえか?」


 その瞬間、空気が凍りついた。


「ば、バカ! 何を言いだすのです!」


 突拍子もないセリフを吐いたイウに呆気を取られて、わたしの掛けるゴーグルがずれそうになった。

 正しい歴史を歩む現代組が流れを作って行かなくてはならないのに、こちらが先に動くのは非常にまずい。そうすると未来が変わる可能性が高くなる。

 激しい焦燥感に浸りつつ、良子さんを窺う。だが彼女は水槽の中を覗き込み、泳ぎ回る怪魚に見惚れていた。


 わたしは外れそうになったゴーグルを急いで掛け直すとイウを睨めあげる。

「なに先走ってるのですか、あなた!」

 激しく戒めたがイウは平然として頭を振った。

「心配ない。先生は水槽に夢中だ。それより見てろよ、ヤツら動き出すぜ」


 その言葉のとおり、いままで固く口を閉じていた幽霊男が、ゆらりと腕を上げてイウを指さした。

「それはとても興味深い話だ」


 解けそうになったマフラーを慌てて巻き直した老人が横目で女性に目配せをすると、女は音も無く立ち上がって隣の部屋に通じる扉の前で半身を捻って止まった。


「柏木先生?」

 長々と水槽を覗き込む良子さんに老人が声を掛ける。

「あ、はーい?」

 こっちらの緊迫した空気とは相反してとんでもなくのんびりとした返事だった。


「先ほどのホウライエソじゃが。お持ち帰りくだされ。あちらの部屋に元気なのがおるので助手と一緒に選ぶとよい」

「えぇ! いいの? 大事な研究材料でしょ?」

 老人は長いヒゲを指に絡めながら、

「ふはは。かまわんよ。海へ行けばいくらでもおるから、一匹ぐらいお持ち帰りくだされ」

「うれしい!」

 良子さんは両手を胸の前で握り締め、スキップを踏む小学生のようにリズミカルな足取りで隣の部屋へと消えた。



 ここで良子さんに正体がバレるのは連中にとっても都合が悪いのだろう。上手い理由を考えたものだ。

「――やっぱりな。リーディングソースに聞かれるとまずいんだろ」

 憤然と本心を吐き出すイウに、老人はいきなり平たい口調に豹変する。


「お主らはどこの時間の者だ」

「ふっ。聞いて驚くな!」


「待ちなさい!」

 わたしは喧嘩を吹っ掛けようとするイウを制した。


「なんでぇ……」

 とつぶやくものの素直に後ろに引き下がる。そしてガウロパからコツンと頭を小突かれて、意外にもしゅんとした。

「オマエの勝手な行動が未来を変えてしまうかも知れぬのだ。慎重に言葉を選べ!」


「ほぉ。お主らも時空理論には詳しいようじゃ。かなり未来から来ておるようだな」

「正体を現しましたわね」

 わたしはゴーグルの縁を少し持ち上げ、超視力の焦点をわずかにズラして相手を見据えた。こうするとほんの先ではあるが未来が視える。突発的な行動を取られても事前に分かるのだ。


「あなたたちの分極層は何番目ですか?」

「ほぉ。ジャンクションが層を成すということも知っておるのか。ほぉほぉ。ならそのバイアイは本物か」

「過去から未来までが見える超視力……」

 幽霊みたいな動きで老人の隣に座る男が立ち上がる。それを見てガウロパが身構えた。


「やめなさい。この人たちは危害を加える気はありません」

「なるほど。ワシらの未来を見て言うようじゃ。便利なもんじゃな、そのバイアイは」

 老人は楽しそうな声を上げて、わたしへ視線を合わせてきた。


「わたしの能力を過小評価しないで頂きたいですわね。それによるとあなたの未来は時空震の先には見えませんわ。本流からだいぶ離れてるみたいですね」

 はったりだった。時空震が迫り、数十分先の未来でさえ、わたしの目では視ることはできない。


 しかし老人は憤懣をこめた声でうめいた。

「ということは、オマエらが本流の時間項だというのか!」

「あぁ、そうだ!」

 勝手に大声を上げるイウをわたしはもう一度睨め上げた。

 イウはニタリと笑ってから黙り込み、再び後ろに引き下がる。


 なんて嫌なヤツ。自分の思い通りの方向へ話を誘導しようとしてるわ。ほんとにやりにくくて仕方が無い。


 だが老人は不敵な笑みをわたしへと向けると攻撃的な視線を挿し込み、強気の笑みを作った。

「ふっ、リーディングソースのガーディアン気取りか。だがな、よく聞けリーパーども。ソースの気持ちがこっちになびいてるからこそ、我らがここに存在するんじゃ」


 その言葉に間違いは無い。時空震は未来を決めるルーレットみたいなもの。現時の段階ではすべてが時間項にあてはまっており、あとはリーディングソース、つまりここにいる現代組が分極したもう一つの未来に失望、あるいは否定をしない限り、このまま時間の流れはそちらへ沿ってしまう。


 不思議に感じるかも知れないが、時の流れは感情によって分岐していくことが多々あるのだ。例えば子孫繁栄の系図は、男女の感情が大きく左右するのは説明する必要もないだろう。感情の無い機械は命じられたものしか生まないが、豊かな感情を持つ人類は無限のものを生み出すのである。



 これではっきりした。修一さんの精神内へ好感を滲みこませる未来の映像を流し込でいるのはこの連中だ。そして柏木さんの心も掴もうと躍起なのだ。


 そうなってしまってはとてもまずい。ジャンクションが複雑になることを意味する。

 もとの未来に戻すには、敵対する世界を現代組が心の底から拒否をし、何とかして抵抗しなければならない。そのためには良子さんの真ん前で奴らの正体を暴く必要がある。しかも自然にだ。こちらが口を出したり手助けをしたりすると、必ず歪んだ未来へ進んでしまう。あくまでも現時の時間域の人物が自分たちの感情で進むことが望ましい。



 良子さんがいない場面では、激情を剥き出しにしてわたしたちは攻撃した。

「オマエらは洗脳しようとしてるだけじゃねえか!」

 食って掛かるイウにわたしも加わる。

「そうです。修一さんに好印象を与えようと誇張した未来を見せています」

「はっ! そんなことはしとらんわ!」

「ウソおっしゃい。体型だけでなく、個人との関係がかなり食い違ってました」

「そんなことは知るか! 我々はそのままの実映像を流したまでじゃ。別の分極世界が関与しておるんじゃないのか? そこまで責任は持てぬわ!」

 ぞんざいに言い放つと、老人はふんと鼻で息を抜いた。


「いくつの世界が関与してんだ?」

 訝るイウに、わたしが代わって継げる。

「あなたはまだ答えておられませんわね。どのジャンクションから来たのです?」

「ふっ、言っても無駄じゃろうが……第256ジャンクションじゃ」


「そんなに分岐するんですの?」

「何を慌てておる。時空震が織り込む世界は2の正の倍数で増える。今回のは大規模じゃから、原因の分岐は、これぐらいはあたりまえじゃ。細かいのを含めると24ビット量はあるじゃろな」

「1600万以上ですか!」

「まぁ重大なヤツは数千じゃがな。我々の世界はその中の256番目じゃ」

「大崩落じゃねえか……」

 イウにも信じられないのであろう。途中から声のトーンが半音ほど上擦らせると、良子さんが居なくなった椅子に尻を落とした。


「マジかよ……いったい何が起きたんだ……」


 肩を落とすイウを横目で睨みつつ、わたしは続ける。

「深さは何年? あ、いや何百年です?」

「ワシらは、120万年先から来た」


「なっ!」


 瞬時に息が詰まり、未来組が硬直。

「あり得ません……」

 わたしの喉からかろうじて声が出た。

  

  

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