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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
84/109

 延岡変異体研究所

  

  

 延岡の海岸で発見した建物を目の当たりにして、わたしたちは大いに困惑した。可能性がゼロではないにしろ、住民が撤退を余儀なくされた九州の大峡谷、その先で見つけた建造物なのだ。調査もせずに素通りできるはずがない。



「むぅ……」

 アストライアーの乗降口から外へ出たわたしは思わず立ち止まって顔をそむけた。タラップを降りた途端、熱風の洗礼を受けたのだ。


 何という気温の高さと異臭だろう。

 心地よい気温で維持される乗り物の中に慣れた体にはちょっと酷だ。ま、心地よいといっても30℃はあるが、ここ(58℃)よりはマシだ。


 空は相変わらずどんよりと濁り、重そうな雲が広がっている。この空を見るぐらいなら、乗り物の天井を眺めて過ごしたほうがどれだけ気が休まるか……1990年代に見た蒼い海と白い雲が懐かしい。

 などと、叙情的なシーンを無理やり思い浮かべて気を落ち着かせようとするわたしは、実のところとてもイライラしていた。


「シャキシャキ歩きなさいよ! んとに……」

 わたしの苛立ちはまもなく頂点に達するだろう。


『ミウ……興奮したらアカンって。こっちまで声が聞こえてくるよ』

 麻衣さんの声が頭の中で響き渡って、慌てて深呼吸をした。興奮すると余計な思考波が漏れて、アストライアーで留守番をする双子へまで、音声に変換されて伝わってしまうようだ。


 見るとガウロパとイウが苦々しい笑みをわたしに向けていた。

 わたしの心の内をコミュニケーターを通して傍受しているんだ。

 ほんとに恥ずかしいですわね。

 でも本気で苛立っていた。


 良子さん! 早くしてっ!


『ミウ? なんか怒ってんの?』

 また向こうに伝わってしまった。


 頭の中に広がってきた麻衣さんの声に恥ずかしくなって、わたしは必死で怒りを鎮めた。

 沈着冷静なわたくしとしたことが……あぁぁ、イライラしますわね!



 そう。アストライアーから外に出て、たったの50メートルですよ。その50メートルのあいだに良子さんは、

「うれしいぃぃ。ついに九州のこんな奥地まで来たのよ。ほらそこ見てぇー」

 と言うので、何事かと思って視線を向けると、そこにあったのは道路の端にへばりつく黒い苔にしか見えない物。


「これも何かのコロニーよ。何だろうね? 採取ボックス持ってきたからサンプル取るわ」

 とか言ってしゃがみ込むこと数分。やっと立ち上がったかと思うと、

「きゃぁー。これよこれ。樹枝状地衣類、赤実苔(アカミゴケ)の群生だわ」

 枯れた雑草か、ゴミの固まりにしか見えないものに飛んで行ってしまう。その間わたしたちは、気温60℃近いのサウナみたいな場所で待ちぼうけ。

 耐熱スーツのおかげで耐えることはできるが、長居はしたくないのが本音だ。


 それにしても地衣類は菌類と藻類の共生体だとか……良子さんと行動を共にするようになって、へんなウンチクばかりが増えてしょうがない。

 何の役にもたちません。まったく。


 放置されてニコニコするのはガウロパだけで。腹が立って、何回首を絞めてやろうかと思ったことか――。

 いいえ。たとえ本気でわたしが首を絞めたところで、あの男にとってはネクタイを巻かれたぐらいにしか感じないでしょうけどね。



「――そういうワケです。蒸し暑い気温とヘッドクーラーの効き目がおかしいのか、イライラしっぱなしで、やっと入り口の前に立ったところですわ」

 とりあえず50メートル進むまでの事をアストライアーで修一さんの看病をする双子へと報告した。


『あはは。それぐらいですんだんやから、まだマシやって。ウチらも行ってたら、もっと遅なってたんちゃうやろか』


「ほんとに。こんな気味が悪い変異体生物のどこがいいのやら」

『ミウ。イライラするのは変異体のせいやなくて暑さのせいちゃう? ヘッドクーラーの位置が悪いんやで』

 麻衣さんにそう言われて、髪の毛に絡まっていたヘッドクーラーを正しい位置に付け直すと、幾分冷気が強まり、ちょっと力を緩めることができた。


 ふうぅと息を吐いて地面に目をやる――良子さんはだいたいは地面を這いつくばって歩いてますから――と思ったのに、見当たらない。

 気付くと、いつのまにかガウロパを引き連れて門の前で仁王立ちになっていた。筋肉だけが取り柄の男にあんな小さな採取ボックスを持たせて。


 ――あの男。誰の従者か自覚しているのかしら。

 腹が立ったので、大きなお尻を蹴っ飛ばしてやったけど、なんとも感じないようで、それよりイウから吃驚(びっくり)したような視線を受けた。

「わたしとしたことが……」

 はしたない行動にちょっと反省。




「の……べ……お……か……へ……ん……い……」

 プレートに描かれた『延岡変異体研究所』の文字をそのまま読み上げる良子さんへ、

「ここにも『変人』が住んでるんでね」

 わたしとしては、思いっきり嫌味を込めて言ったつもりなのに、

「う~ん。ほんとうねぇ。でもここは聞いたことないなぁ」

 まったく通じていなかった。


「はぁぁぁ」

 脱力感満載だった。


「無駄にでかいな」

 研究所らしからぬ立派な門構えを胡散臭そうに仰ぎ見て、イウが鼻を鳴らす。

「これだけの設備を誇る研究所を先生が知らないって、どういうことだ? 研究者どうしのコミュケーションってのは無いのか?」

 イウは真横に立つ良子さんへ眼帯の顔をひねった。


「月いちの学会と、あとは仲のいい者どおしで情報交換ぐらいかしらね。でも研究所があるのは、福岡、熊本、八代、鹿児島の4箇所ぐらいよ」

 綺麗な指を折りながら数え、しばらく思案するが、思い当たる節は無いらしい。無言のまま再び首を左右に振った。


「ますます怪しいですわね」

「そお?」

 腕を組んで表札を睨むわたしの前を素通りすると、良子さんはこともなげに扉を叩いた


「こんにちわぁ……誰かいますかぁ?」


「ちょ、ちょっと」

 この人の場合、作戦もへったくれもないようだ。思い立ったらすぐ体が動くタイプなのだ。


 しばらくして――。

 カチャリッ

 と鍵の開く音がして扉がわずかに開いた。


 良子さんは、「行くよ」とか言って、ちゃっかり足を踏み入れる。


「そんな。いきなり入って……危険かも」

「大丈夫よ。開けてくれたんだもん。入ってくださいっていう意味よ」

 この人がゴキブリだったら、一番最初に粘着シートへ飛び込むでしょうね。


 せめてもの対策として、わたしはガウロパを先頭に立たせた。こうすれば巨大な防御壁となって、ある程度の危険物は彼が遮蔽してくれる。あのぶ厚い胸板なら、麻衣さんのショットガンでも弾き飛ばすぐらいの頑強さを持つからだ。


 通路を通って入り口の前へ進む。未来組は警戒しつつ歩を進めるのに、良子さんは胸を張って大きく手を振ってしんがりを歩いて来る。どんな神経をしているのだろう。


 海岸沿いはカビ毒が無いという話は本当のようで、毒の侵入を防ぐために設置されるはずのエアーカーテンは無く。高い外気温が侵入するのを防ぐために玄関が二重になっていた。


 小部屋に入ると背後の扉がぱたんと閉まり、閉じ込められたかと思ってひやりとするが、別段何事もなく、装置の切り替わる音の後、冷気が頭上から降りてきて目の前の扉が左右に()いた。


 さぁっと射し込む明るい照明が眼に突き刺ささり、目をつむってしまった。

 これも何かの武器かと緊張したのは、わたしとガウロパだけのようで、良子さんはホンキートンクミュージックみたいな明るい声で、「こんにちわー」と手を上げた。

 気付くと、いつのまにか彼女が先頭に立っていた。


 ぼうっとして見惚れるガウロパ。

「何してるのあなた。どんな危険があるかもしれないのに女性を先頭に立たせるなんて、それでもタイムパトローラーですか!」


 コンクリートの柱と変わらない硬度を持つカチカチのふくらはぎを後ろから蹴飛ばしていたら、目の前にひょろっと背の高い白衣姿の女性が現れた。


「うぐっ!」

 音が出るほど、わたしは喉を上下させた。

 病的に白っぽい肌の色をしており、顔はやつれて手足も細く、風貌はまるで骸骨に白衣を着せたようだった。

 そして最も気味が悪いのは、虹彩が異様に大きく瞳孔と同じ黒色のため、黒いガラス玉がはめ込まれたように見える目だ。


 加えて異様なのは、気温の高い空気がまとわりつく環境にもかかわらず、白いマフラーを大きく広げてざっくりと白衣の上から首に巻いている。傷痕でも隠すためなら、それはそれで気の毒なので余り興味深くは見ないでいようとしていたのだが、

 ば……バカ。ガウロパ!

 マジマジと視線を当てる間抜け面を発見。今度はヤツの大きなお尻を思いっきり足蹴にしてやった。

 何だか、わたしのキャラがどんどん変わっていく気がするが……これでいいのかしら。


「ねぇねぇ」

 良子さんが小声でわたしに告げる。

「あなたみたいに綺麗な肌をしてないわね。たぶんカビ毒に侵されてるのよ」

 挨拶もまだなのに、内緒話はまずいでしょう。

 ガウロパのついでに、もう一発、いきたくなる感情を堪えるために深呼吸をする。


 女性は機械的で平坦な声を出した。

「なに?」

 これ以上簡略できない台詞(セリフ)だった。


「わたしたちは……あの」

 大きく滲み出る不気味な感じに言葉を失い体が強張る。

 なのに……。

「初めまして。私は『大阪研究所』の者で、柏木良子です。そしてこの三人は研修生です」

 度胸がいいのか、怖いもの知らずなのか、大人の声に変身した良子さん、頼り甲斐があるのかどうかはさて置いて、とりあえずわたしは、ほっと息を吐く。


「それにしてもこのガウロパが研究生と言うのは、少しおかしくありません?」

 一歩前に出て堂々とする良子さんの肩越しに、小声で尋ねた。


「心配無用。大阪研究所は変人ぞろいなのよ」

 後ろに半面をひねって答える良子さんに、わたしは一秒ほど視線を当てて、納得。

 部長が良子さんですからね。

 そして沈黙――。


 良子さんへ言い返す言葉を探して黙り込んだわたしに、女性は少し眉を動かしただけで小さく会釈を返してきた。

「こっちへ……」

 女性はガリガリの痩せこけた不気味な感じのまま、わたしたちを無言で奥へと誘導。通された部屋はすべての面にコーヒー色の水が張られた水槽が設置されており、それぞれ大量の細かい泡が吹き出す小さな音を奏でていた。


 不穏な空気に耐えきれず尋ねる。

「これは?」

 わたしの疑問に良子さんが答えた。

「海の水よ。ガーデン内の海はこんな色になるのよ」

 女性は良子さんの説明を聞いて、生気のない黒い目玉でうなずくと、

「この色は栄養満点の証。これで食糧難は解消される」

 何となくズレた説明だ。この中に溶け込んだ不純物が食料になるのか、それとも中に何か飼っていてそれが食料になるのか。


 しかも食糧難が解消ってなにかしら?

 良子さんや麻衣さんから食料が足りなくなっているなど聞いたことが無い。


 不健康そうな色の肌をした手で、女性はさらに奥の扉を押し開けると中へ入って行き、わたしたちは簡素なソファーが並んだ応接間に通された。


「所長……呼んでくる……」

 アストライアーのAIの方がまだ品のある物の言いをする、と感じるほど女性の口調には気持ちが入っておらず、淡々としてとても不気味で機械的にさえ感じられた。


 パタリ……

 わたしたちだけが部屋に残され、扉が閉まった。


「なるほどね……」


 外したヘッドクーラーを手に持って、部屋の中をうろつく良子さんを目で追いながら尋ねる。

「どうですか? ここは変異体生物の研究所ですか?」

「そうねー。この感じだと水棲(すいせい)の変異体を研究してるみたいだわね」


 今度は指先でヘッドクーラーをくるくる回しながら、並べられた水槽のひとつを興味深げに注視するその振る舞いは、水の中に指を突っ込もうか迷っている様子。これまでの経緯ならすでに突っ込んだ後のはずだが、こいうことに関してはやけに慎重なんだ。


「そりゃそうでしょ。何を飼ってるのか分からないのに指を近づけるのはバカのやることよ」

 変異体に関するときだけ注意深くなる良子さんを、呆れと感心が入り混じった気分で嘆息していると、わたしの意識へコミュニケーターからのコンタクトが届いた。


(だけどよぉ。この気分の悪さはこの建物の中からだぜ)

 初めて感じるガウロパからでは無い、異質の思考波に驚いてイウへ視線をやる。

(めずらしいですわね。あなたがコミュニケーターを同期させるなんて)

(まぁな。会話ぐらいはしてやってもいいぜ。ただしオレの深層心理を読もうなんてするなよ。それだけは絶対に許さねえからな)

(ふん。あなたになんて何の興味もありませんわ)


「――ねぇ?」

 忽然と、細い指先で肩を突かれて我に返った。良子さんだ。

「どしたの日高さん。イウと睨み合って……。喧嘩でもしたの?」


 素早く息を吸って首を振る。

「なんでもありません。社交辞令ですわ」

 わたしの漏らした適当な返答に、

「未来の人って変ね」

 マジで受け取ったようだ。理解できない、という顔をして彼女は肩をすくめた。


 あなただけには言われたくない、と反撃しようかと思ったが、隣でガウロパがおどおどした目で覗き見てきたので、これ以上興奮しないように気持ちを抑えた。わたしの思考を傍受しようと意識を集中させていたからだ。


 コミュニケーターの電源を切ろうかとも考えたが、イウに起動しておけと言った手前、いらぬ思考が漏れるのを嫌って、わたし自身がそれを停止させることは立場上できない。でも良子さんに誤解されたままでも困るので、

「いいですか。我々未来の人間はコミュニケーターと呼ばれる物を……」

 良子さんは笑った目のまま、わたしの言葉を遮った。

「冗談よ。インプラントでしょ。思考波の通信機で会話してんのよね」


「そ、そうです……。知ってるなら、なぜへんなところでボケるのです?」


 良子さんは、ふふっ、と微笑んで耳の下を押さえる。

「コメカミのとこ押さえて起動させることも知ってるわよ」

 さすがに研究者だ。洞察力はずば抜けてよい。いままでたいした説明もしていないのに、ちゃんと見抜いていた。わたしは逆に良子さんを瞠目して言葉を失う。


「あっ、ほら見て……」

 もう興味が別の場所に移っていた。子猫とたいして変わらない性格だ。


 良子さんは目の前の水槽の中を指さして言う。

「出てくるわよ、見ててね」

 釣られて水槽を見ると、黒く濁った奥から、ぬん、と飼われていた生物がガラス面に近づきその容貌を見せた。それはあまりに怪異な姿だった。


蓬莱(ホウライ)エソね」

 息を飲んで凝視するわたしの肩口から良子さんの説明が入った。


 さすがに詳しい。こうなると太刀打ちできない。

「珍しいんですの?」

 わたしの質問に柏木さんは、「深海魚なの……」と言ってから、

「昔はね……」と言葉を閉じ、再び呼気をしてから、

「今はね。変異して平気で浅瀬にも顔を出すわ。でもこの形相でしょ。ちょっと引いちゃうのよね」


 たまにガラス面に曝け出す魚影の外見はとりわけグロテスクだ。丸くギョロっと飛び出た大きな目玉。尖った歯と数本の長く湾曲した牙を上下の顎から突き出し、大きく口を開けてそれをクロスさせた形相は、悪魔の魚とでも言うしか表現のしようが無い。


「すごいでしょ……。でもその子、口を閉められないのよ」

「えっ、どういう意味ですか?」

「ほらよく見て。口を閉めると下あごの長い歯が、目に刺さっちゃうのよ」

「あり得ない進化ですわね……」

 良子さんの説明のとおり、湾曲して尖った牙の先端は自分の目玉に向かって曲線を描いていた。

「その代わり、喰い付かれたら、絶対に離れないからね」

 うぅぅぅ、怖い。想像して寒気がした。

  

  

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