延岡の海岸(前編)
修一さんの状況を現代組に知らせたのだが、あまりに突拍子もない説明に誰も理解してもらえなかった。でも無事だということを連呼することで納得はしてくれた。
「それではこのあいだから感じておったこの不穏な流れが原因でござるか?」とガウロパが質問し、
「そうだろうな」と横からイウ。
「あなたも感じてたのですか?」
ヤツは真顔でうなずいた。
どこまでも腹が立つ男。
「気付いていて、なぜ黙っていたのです?」
「パスファインダー様を前にして、出しゃばるわけもいかないだろ?」
その、ものの言いかたが腹立たしいのです。
「あなたコミュニケーターも起動しませんね。胸中を探られるのが怖いのでしょ」
的を射たようで、イウはやにわに顔色を変えて憤然とした。
「それはプライバシーの問題だ。コミュニケーターの起動は強制じゃないはずだぜ」
そのとおり。強制ではないけれど深い意識までは読み取れないので、ほとんどのリーパーはそれを承認する。
時間跳躍を繰り返すと、意識だけでなく精神状態まで混乱するのが普通。その状態で言葉での会話は成り立たない。脳波を直接交換することで、元の安定した精神状態に戻すのが常識なのだ。だけどあくまでもそれは強制ではない。それを必要としない精神力のあるリーパーもいる。
「ふんっ」
言い返す言葉が無かったので、わたしは現代組の方へ視線を移動させた。
いつも明るい良子さんの表情には、似つかわしくない不安の色が滲み出ており、双子の姉妹は安らかに眠り続ける修一さんを見つめて消沈していた。
無理も無い。仲間が意識をなくして途方に暮れているのに、肝心の未来組が難解なテクニカルタームを並べたくって、いがみ合うなど無駄なことだ。
案の定、麻由さんが不安を滲ませた白い顔でわたしを覗き込んだ。
「時空修正ってどうなるの?」
「どういう意味ですか?」
続けて麻衣さんが問いかけてきた。
「修一があっちの未来に誘導されてるって言ってたやんか。ようするに時空修正されようとしてるんやろ?」
「簡単に言えばそうなります」
「歴史が変わるって修一から聞いたんだけど。あたしたちどうなるの?」
「想像以上のことが起きます」
「死ぬの……?」
二人の顔から血の気が引くのを感じ取ったので、
「死ぬんじゃありませんから心配しないで……」
とは言ったものの、ここからの説明が難しいのだ。
「歴史が変わるだけですからお二人は……たぶん無事です」
「たぶん……?」
「あ。いや。双子ですのでどちらかが欠けることは……無いかと……」
「事故に遭う歴史が派生すれば欠けることもあるだろ」
と口を挟んで来たイウを思いっきり睨みつけてやった。
ヤツは一歩引き下がり、
「な……なんだよ。こいうことは正直に説明してやるべきなんだ。誤魔化すなんてお前らしくないぜ」
「あなたなんかにお前呼ばわりされたくありません。ったくデリカシーの無い男だわ」
憤慨するわたしを無視して、イウは続けた。
「歴史がどう変わるかなんてのは時空理論を精通した者でさえも予測がつかない。いいほうに転ぶのを希望するなら、未来は明るいと言っとこう。悪いほうへ転がれば……」
「転がれば……?」
麻衣さんの丸い目がイウを捉える。
「お前らは存在しない。川村教授も修一も、何もかもが存在しなかった歴史になることもあり得る。だがそれをお前らは認知できない。よかったろ?」
「な……なにが?」
恐怖に引き攣る麻衣さんへ
「その瞬間、切り替わるだけだ。痛くも痒くもないんだよ」
「もうやめなさい!」
わたしは怒りを露にイウへ向かって叫んだ。
だがこいつは平然と突っ掛ってきた。
「真実を語ってやっただけだ。変な誤解をしないうちに教えておいたほうがいい」
「みなさん、こんな男の言うこと聞かないで。そうならないためにわたしたちリーパーがいるのです」
「拙者も一肌脱ぐ所存じゃ」
「おいおい。オレだけ悪者にするな。オレは可能性を述べただけでそうなるとは言ってねえし、その予兆があれば事前に相手の歴史を逆に変えちまえばいいんだ。そういうのはオレが最も得意と……」
途中で言葉を呑み込むと、イウはあらぬ方向へ顔を背けた。
「そうやっていくつの時間規則を侵したのです?」
「ちゃんと元の流れに戻してんだからいいじゃねえか」
「最初に規則を守っていれば、よけいな修正はしなくて済むのです……ったく」
気付くと現代組はそろってポカン顔。初めは恐怖心を面に出していた双子でさえも生気の抜けた表情を浮かべて、言い争うわたしとイウを見つめていた。
「ま、そうならないようにおねがいね。私は未来組に賭けてるんだからさ」
と良子さんが半ば呆れ気味に言い、
「拙者に任せるでござる」
「こ……この男は……」
わたしは無責任な返事をしたガウロパを睨みつけた。
「あう……ひ……姫さま」
とんでもない誤解をしたかもしれないので補足だけはしておく。
「イウはあたかも瞬間に切り替わるような事を言いましたが、74秒の時間差があります」
と言った説明に、
「そしたらその間は歴史が重なり合うじゃない。なら何らかの意思疎通ができるんじゃない?」
科学者、柏木良子。よく頭が切れますこと。
わたしは大きくうなずいて言う。
「74秒のあいだに消え去る歴史から派生する歴史へ情報を流せばそのデータは消えずに残ります。相手が味方であれば志を託すことも可能になります。そしてそっちの時間域から再修正も可能です」
「でもさ。一分ソコソコで意思の疎通は難しいわね」
諦めたのか理解できなかったのか、良子さんは当たり障りのないセリフを並べ、双子は互いにキョトンとした顔の表情を消し去り、話しの矛先を変えた。
「超未来人ってどんな格好してるの?」
と聞いたのは麻由さんで、麻衣さんが続けて言う。
「そやな。違う歴史を歩むんやから、姿かたちも変わるんやろね」
当たらずとも遠からずな質問だったのか、良子さんが凛々しい顔を上げた。
「ほんとだぁ」
ごくんと生唾を呑み込み、
「じゃっさぁー。違う方向へ歪んだ未来の、うんと先に行ったら、とんでもない進化をした人類って……ありなの?」
当然ありなのだが、ここでうなずいていいのか、彼女たち古代人(わたしとは700年もの年の差がある)にはショッキングかもしれないと躊躇していたら、わたしの返事の遅れが肯定したと取られたようで、
「どうしよっか。麻由、麻衣。もしかしたらまったく新しく変異した人類を見られるかもよ」
嬉々とした声を上げて半身をひねる良子さんへ、双子の二人は同時に顔を上げた。
「「うそっ!」」
急激に正気づくとみるみる明るくなり、思っていた反応とは真逆の、好奇に満ちた光が三人の瞳からあふれ出た。怖がらせるどころか、へんな期待を持たせてしまったようだ。
「はぁぁ……」
溜め息が出た。
安堵の吐息ではない。呆れのそれよ。
「どんなふうに変異するか予測を立ててみよっか」
「ウチはね。最初に身長に変化があると思うねん」
「脊椎動物の外的変化はまずす背骨からよね、麻衣」
三人はそれぞれに興奮し合った。
だめだ……。
修一さんの言うとおり、この三人はほんとうに変異体バカだわ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まもなく延岡の海岸が見えてもよさそうなのだけど、朝からの騒動でアストライアーの移動は止まったままだった。
良子さんはPCパッドに集中。川村教授の日誌から何かを探るつもりなのか熱心に読んでいる。双子は修一さんに付きっ切りだし。今のところ発信源となる機器が周囲にある兆しはない。
AIに頼るのはわたしの主義に反するので、あまりしたくないけれど、ここのAIはどこか違う気がする。
「ランさん? 何か異常はありませんか?」
『5キロメートル先で海岸に出ます。その周辺に住居があると推測されます』
「住居? どうしてこの位置から解かるんです……その根拠は?」
『生活環境から漏れる電磁波と同じ周波数帯の渦電流(Eddy current)をボディから検出してます』
「シューマン共鳴じゃないのですか?」
『地球規模の電位より周波数が高く、はるかに弱いものです』
「そんなもの……高電位に邪魔されて測定できませんでしょ?」
『マルチスペクトラルスキャンで誤差の範囲を考慮しても、この検査結果は10のマイナス5乗の……』
「もうけっこう。小数点以下を並べるのはよしなさいと言ったでしょ」
『はい……しかし、正しい結果を求められる場合は、従うことができないこともあります』
「な、なによ?」
わたしは動揺した。AIがオペレーターに対して口答えするなんてことは有り得ない。
「ランちゃんは、特別なのよ……」
何がどう特別なのか、それより今の会話をあなたは聞いていたのか、その辺りの説明を一切せずに、そもそもわたしと目を合わすことも無く、そうつぶやくだけで良子さんは再びPCパッドへ目を落としていた。
「はぁぁ……」
何だか釈然といかない気分だわ。
「それで? 特別なランさんは何が言いたいのです?」
質問の仕方がAIに向けるものから大きく外れて、小憎らしい誰かに八つ当たりするみたいになってしまった。
『生活臭のある電磁波をキャッチしています』
「生活臭? 鼻もないくせに」
わたしとしたことが……。なんだか喧嘩腰だった。
『今のは比喩です。理解できませんか?』
「ば、バカにしないで。比喩は人間だけに与えられた高度な表現方法ですわ」
『そうとも限りません』
向こうから良子さんがクスクス笑う声が聞こえてきたので、慌てて取り繕う。
「今は比喩について論議する場合ではありません。それでどんな電磁波をキャッチしているんですか?」
『住居から漏れるあらゆる電磁波です。電化製品、照明器具、それらのインダクタンスノイズをキャッチしています』
「つまり?」
『その規模から想定して、その住居には数人が生活していると結論付けられます』
結論付けちゃったわ。なに様かしら、このAI。
どっちらにしても人が住むだけで、じゅうぶんに怪しい。
「良子さん。ここらあたりには人がいないんじゃぁありませんの?」
PCパッドの画面から端正な顔をゆっくり離し、『栞』キーを押した良子さんは、澄んだ瞳をわたしへと向けた。
「うーん。まったくのゼロではないわね。研究者がいることもあるわ。現に川村教授は九州各地に簡易だけど研究所を持っていたし……他の研究者も入り込んでる可能性は捨てられない」
「あの亀裂はどうやって越えて来るんだ?」
懐疑的な戸惑いも混ぜて尋ねるイウへ、良子さんは明るい口調で応える。
「そりゃ陸以外、空からでも海からでも来れるでしょ。私たちは陸しか手段が無かったから、あんな掟破りみたいな方法でクリアできたけど……さ」
ここでつまらないことを言い合っていても仕方が無い。
「とりあえずそこへ行ってみましょう」
「そうね。修一くんの脳を操ってる仕組みがわかるかもね」
良子さんは自慢げに耳に掛かる黒髪を払うと、PCパッドの電源を落した。
はぁ?
「なぜ、そこが超未来人の拠点だと言い切れるんですの?」
「だって見てよ。ガウさんがそこが拠点だと言ってるみたいだもの」
と言って、愉快そうに笑ってスキンヘッドへわたしの視線を誘った。
ガウロパは潤ました瞳をキラキラさせて、遠足前夜の小学生と同じ顔をしてキャノピーの外を見つめていた。
(表情を消しなさい……このバカ!)
わたしはコミュニケーターの出力を目一杯上げて思考波で一喝。
ガウロパは瞬間丸くした目をわたしからさっと逸らし、逃げるように今度は頭上に浮かぶインスペクタ画面へ目線を飛ばした。
この男はいつもそうだ。綺麗な女性の前では虚勢を張って失敗ばかりする。そのくせ、わたしの前では平然とするのが歯がゆい。
(あなたは時間警察でありながら、かつわたしのガーディアンでもあるのですよ。未来の出来事を事前に、それも現代組に知られることは、時空を歪めることになるのです。解かってるのですか! 本当に情けない)
(も……申し訳ありません)
(ったく……)
わたしの怒りはなかなか収まらなかった。このままコミュニケーターでこんこんと説教をしてやろうかしらと、大きな肩を睨みつけていると、
「まぁまぁ。あなたも大変かもしれないけど、ガウさんも悪気はないんだから……ね?」
良子さんから憐憫の眼差しを貰い、ようやく気を静めることができた。
ほんと、疲れるわ。




