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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
79/109

 出口は遠きにありて

  

  

「ミウだ!」

 しずしずと教室を縦断して行く少女を目前にして息を飲んだ。

 濃い緑のタイを結んだ、白いカッターシャツにチェックのスカート姿の銀髪少女。間違いなくミウだ。威厳に満ちた堂々とした態度で着席して黒板に向かう。到底あり得ない光景に俺は凝然とした。


 銀のストレートヘアーが高校の制服に溶け込んでいて、誰よりも美しい。ケミカルガーデンで見つけた直後に感じた気持ちが、今ここでそのまま再現された。


(ミウ! 俺だ。修一だ!)


 強く心で念じてみる。なんとしてでも俺の存在を認識させてやりたかった。この子が俺の記憶との橋渡しをする最後の綱だ。


(頼む。俺を知っていると言ってくれ)


 しかし俺の切願虚しく、彼女はつんとすましていた。

 たまに綺麗に切り揃えた前髪の下から視線をくれるが、それは胡乱な光を帯びており、俺のことを転校生に早速手を出そうとする軟派野郎としか捉えていないみたいだった。


 俺の記憶どおりならミウは仲間だ。無視をかます必要はない。だとしたらやはり俺の幻想だったのか。その証拠に記憶と一部異なる部分がある。それがあのヘアースタイルだ。


 銀の流星にも似たストレートロングヘアーは記憶のとおりなのだが、眉毛の上で前髪を綺麗に切り揃えて、耳の下辺りで段を作ったお姫様カット。妙に似合っていて可愛いが、あの子はこんなヘアースタイルではない。


 加えて、ゴーグルも掛けずに曝け出された青い瞳はバイアイではなかった。

 もっとも異質に感じることは、どのような理由で高三のクラスに編入されたのかだ。ミウは麻衣より年下のはずだから、本来なら高一か中三のクラスへ向かうべきなのだ。色々な点で俺の記憶とは一致しないのは、やはり俺の頭の中で作られた幻想だからかもしれない。



 それにしたって、あまりに鮮明な記憶に自分自身で驚く。あの透明感のある白い肌はミウそのもので、あの子はケミカルガーデンで行き倒れていたところを俺が救助した少女だ。しかも記憶のとおりに、日高ミウと名乗った。なのにあのしらっとした態度はなんだ?


 完全に深い疑惑の井戸に落ちた。もう何が現実でどれが幻想なのか、完璧に判別がつかなくなった。

 机に上半身を伏せて俺は目をつむる。

 麻衣。麻由。柏木さん……。みんな俺の頭が作りだした産物だったのか。


 イウの偽眼帯もリアルだったよな。それからツキノワグマをねじ伏せたガウロパ……。

 タイムトラベルに時間警察? なんだそれ、マジでマンガじゃね?


 どっちが現実的か考えるまでもないだろ。この学校が現実でなかったら何が現実なんだよ。

 と、自分に言い聞かせるが、どうも釈然といかない。

 ミウまでもか……。


「ああ。くそっ! 解らん!」


 カラン……。

 強い焦燥感に駆られて頭を掻きむしった反動で、小さな音を立ててタブレット用のペンが床に落ちた。

 ペンの音よりも俺の発した声に驚いて、クラスメイトが一斉に振り返り、教壇の前では柏木さんが立ち上がった。


「山河くん。解らなくても焦らないで。テストだけが人生じゃないからね。あなたの未来はこれからよ。自分で切り拓いていけばいいわ」

 教室内から嘲笑ともとれる笑いが広がった。


 それって変異体生物の教科を捨てそうになった俺を励ましてくれたのか?

 ま、図星なので文句は言えないし、親身になって告げてくれたようだし……。


 と、その時。明るい効果音と共に、以前聞いた柏木さんの会話が蘇った。

『私の歴史はこれからだもん。未来は私たちが切り拓くのに決まってるじゃない』

 既視感ではない生々しい記憶だった。


 続いて――。

『わたしたちはあなたたちを正しい未来へ、いや、私が知っている未来へ導くことができます』

 これまでに無い明瞭な光景が脳裏を過ぎる。今度は六高山中で柏木さんと議論を続けるミウの姿だった。


 確かそういうのを時空修正だとミウが言っていた。

 これまでとは異なる流れに過去を変化させると、人が消滅したり記憶が入れ替わったりする……だから元の正しい流れに戻す。

 つまり流れが変わった?

 今がまさにそれだと言えないか?


 答えを導いたかと思ったが、やっぱり(かぶり)を振る。

 いや違う。時間の流れが変わったとしたら記憶が二つになることは無い。まったく異なる経験をするのだから記憶も上書きされる、とこんなことをミウが言っていた。


「あ――っ!」

 そうだ! どうしてそこに気付かなかった、俺!

 時空修正うんぬんよりも、もっとも核心の部分を忘れていた。

 頭の中に広がった暗雲を何かが吹き飛ばし、急激に思考が冴え渡った。


 俺はどこを問題視している?

 そうここだ。俺が問題にするのは、クラスメイトと共通するべき記憶が俺だけ異なる。だから俺の妄想だったと結論付けようとしている。


 だがミウは違うだろ。

 あの子は転校生だ。今日初めてこのクラスにやって来て生徒全員が初対面なのだ。それなのになぜ俺だけがフルネームで彼女の名前を知っている。それは俺の記憶がこのクラスの誰よりも以前からこの子と繋がりがあるからだ。つまりこの子だけは俺の記憶の中に存在する少女なのだ。


 急速に視界が広がった。みるみる胸のつっかえが落ちていく爽快感に浸った。

 俺はこっちの世界の人物ではない。アストライアーでカロンを探して九州を旅する、山河修一で間違いない。



「こらっ!」

 ちっとも痛くない小さな拳骨が俺の頭頂部を直撃した。


「自分で切り拓けとは言ったけど、捨てろとはいってないからね。せめて名前ぐらいは書きなさい」

 可愛いくて怖い顔をした柏木さんが、真横に立って俺を(いまし)めていた。


「柏木さん!」と叫んで、慌てて訂正する。

「すみません、先生。ちょっと考え事をしていました」

「そりゃぁテスト中だもん。考えるのは当たり前よ」


「うはははは。柏木さん、先生が似合ってますよ」

 俺のセリフに教室内が真っ白になった。


 んなもの、知ったこっちゃない。ここは俺の世界ではないのだ。何をしたって関係ない。全身に憑りついていた魑魅魍魎(ちみもうりょう)がいっぺんに拭い去られた気分だ。


 ぺこりと頭を下げ、とりあえず氏名欄にペンを移動させた。

 戸惑いの様子で眺めていた柏木さんは、すんと呼気をして元の優しい笑みに切り替えると、ミウの席へと向かった。


 あの人はどの世界でも同じ人当たりなんだと納得。俺の視線は柏木さんの先に座るミウへ移動した。


 ミウは黙々と答案用紙に取り組み、ペンをサラサラと滑らせていた。その速度が異様に早かった。歩み寄った柏木さんも驚いて、

「あなた……。転校早々で試験なんて気の毒に思っちゃったんだけど……よけいな心配だったわね」


 そして朱唇から溜め息を混ぜた感嘆の声を漏らした。

「すごい……。いいわよ。できたら前に提出して。みんなの邪魔にならないように一階下のエントランスホールで待っていなさい」


 ミウは軽く頭を下げると、前髪を揃えた銀髪をたゆませてすくっと立ち上がった。その目映いばかりの姿へ向けて、クラス全体から羨望の眼差が注がれたが、ミウはそんなことに動じることもなく、堂々とした足取りで答案用紙を提出した。


 教室の扉をくぐる際に、ミウは銀髪を翻して俺へと視線を寄こした――ような気がした。


 それは俺の思い過ごしでしかなかった。ミウは無表情で何の意思表示も見せずに教室を出て行った。

「すげぇ。マジで解答できたんだ」

 村上の称賛混じりの声に同調して、他からも溜め息が漏れる。

 それをぼんやり見つめながら、俺は別のことを考えていた。


 ここが別の時間流だとしたら、元の場所にどうやって戻ればいいんだ? というより、俺はどこからここへ紛れ込んだのだろう。確か麻衣に夜中に起こされてミウの亡霊が出たとか聞かされて……そうか、ミウだ。やっぱりミウがここの鍵となっている。


 俺も後を追うべく、白紙の答案用紙を乱暴に握って立ち上がり、足早に教壇へ向かった。後ろから「諦めたな」と嘲笑めいた村上のつぶやく声が聞こえたが無視した。


 自分の答案用紙をミウの綺麗な字に重ねると、エントランスホールへと駆け下りる。

 ミウの答案用紙は全問解答してあった。正解かどうかは別にしてもすげえヤツだと、ちょっと嘆息するものの、俺の足はホールへ続く階段を急いでいた。



「いた……」

 ミウはホールの隅にある長椅子に腰掛けていた。照明に銀の髪が煌いて、まるで西洋風の人形が飾られているようだった。

 俺に気付いたミウは眉をひそめるが、無視して、つんとそっぽを向いた。


「よっ、早いなお前。変異体生物は得意なのか?」

「それほどでも……」

 他人を見る目をして応えるミウ。その横顔へ笑いかける。


「へへ。俺は白紙だ」


 ミウは小さく目を見開き、

「変異体生物は嫌いなのですか? こんなに早く退席してもったいない」

「いいんだよ。それより気になることがあるんだ」

 ミウは再びつんと尖った鼻先を横に向けた。わざとらしく無関心を装う仕草がますます怪しい。


「訊きたいことがある」

「なに?」

 ミウはビクッと肩を震わした。そしてゆっくりと見開いた目がこちらに旋回した。


「タイムリーパーのお前が、なぜここに現れたんだ?」


 俺の問い掛けにミウは短く息を飲み、寸刻後、表情がみるみる緩んできた。

「しゅ、修一さん……」

 温かみを増した面持に変化すると、そろえた前髪を振り乱して立ち上がる。揺らいだ甘い風が俺の頬を撫でて通った。


「転校生のくせに、どうして俺の名前を知ってんだ? クラスメイトからは『山河』としか呼ばれていなかったぞ。お前、いったい何を隠してる?」

「修一さん!」

 高揚した頬を赤らめて、いきなりミウが抱き付いてきた。彼女の銀髪が俺の背中にまでなびいてくる。


「お、おいっ!」

 ちょっと焦った。

 俺たち以外にまだ解答がすんだ生徒はおらず、他のクラスも授業中なのでホールには誰もいなかったが、どうしたんだミウ。

 毅然として居丈高く常に冷静なお前が、感情に流された行動を取るなんて、おかしいだろ。


「ちょ、ちょ。ミウ……ば、バカ」

「良かった。精神障害でもなんでもない……これではっきりした」

 俺の胸に顔を埋めて声を震わすミウ。


 芳しい香りにうっとりするものの、ミウの虚を突く行動には焦りまくりさ。


「うふふふ」

 急いで俺の胸から顔を引き離したミウは、薄ら笑い浮かべて澄んだ目を向けた。

「こんなところを麻衣さんや麻由さんに見られたら、ショットガンとライフルを突きつけられますわね。わたしの命はどうなることやら……うふふ」


「麻由を知ってるのか!」

 思わず周囲に響く声が飛び出たが気にしていられない。


 ミウは力強くうなずいた。

「川村家の姉妹は麻衣さんと麻由さんで成り立っています」


 一気に肩の力が抜けて腰砕けになった。

 そのとおりさ。麻由は実在する。ナニワの川村姉妹もガーデンハンターも全部実在するんだ。

 ずっと重く圧し掛かってきた精神的過負荷から開放され、全身から緊張が解けていくと俺は長椅子に尻を落とした。すると安穏とする気持ちに続けて、笑いが込み上げてきた。


「うははは。ここにあいつらが乗り込んで来たら、スクールジャックをしちまうぞ」

「あははは。ガウロパも呼んで暴れさせましょうか?」


 ガウロパも健在だ。となると――、

「ミウ。ここは別の世界か?」

 俺の脳裏に浮かんだ数々の懸案事項の中でも最重要案件だ。


 ミウはとびっきりの笑顔で応えた。

「はい、そのとおりです」


「あー。よかった。俺の記憶に間違いはなかったんだ」


「もう大丈夫です」

 と告げると、彼女は銀髪をかき上げた。照明を艶かしく光らせたカタチのいい耳が現れ、その上辺りを指で押さえ、きりっとした表情とともに目をつむって独りごちを始めた。


「ガウロパ。意識の実体像を見つけました。修一さんはご無事です……はい……そう、麻衣さんたちにもご報告しなさい。安心するでしょう……ええ……そう……よかった」

「誰と話してるんだ? 近くにガウロパがいるのか?」

 ミウはもとの爽やかな笑顔に戻り、コクリとうなずいた。


「あなたのバイタルも安定しました。それとこの精神映像が発生した原因もはっきりしました」


「バイタル? 精神映像?」

 何を言ってるのかさっぱりだ。まぁこいつらの場合、だいたいにおいてこれで日常だからな。


「時間がありません。手短に話します。質問は時間の無駄なのでしないで」

 俺は黙って顎をうなずかせるものの、居丈高な態度がとても懐かしく、また笑いがこみ上げる。上機嫌になった俺はもう一度深く長椅子に座って足を組んだ。


「うはははは。いいぞいいぞ。それでなくちゃ、お前じゃない」


 微笑んだミウは、ちょこんと俺の隣に腰を据えると、早口に説明を始める。

「まず、この世界は意識の中に作られた現実の世界です」

「意識の中?」

 いきなり質問したくなったが、ミウの真剣な瞳に黙り込む。


「そしてこれは、アストライアーの外部から何らかの方法で、あなたの意識の中に送り込んでくる、分岐した未来の実映像ですわ」

「どうやって?」

 質問するなと言われたに、勝手に声が出てしまった。


「それはこれから調査します……」


 ミウは、俺の唇に柔らかい人差し指をそっと当てた。それまでの真剣な表情を少し悪戯っぽい笑みに変え、

「でも、必ずわたしが元の世界に戻して差し上げますから。今しばらく、この世界をお楽しみください」

 さらに妙なオマケの微笑みまでくれた。

「……ふふふ」

 そして毅然と天井へ向かって叫ぶ。

「帰ります、ガウロパ。準備なさい」


 寸刻ほどミウは静止。すぐに覚醒。

 ガウロパが何かおかしなことを言ったのだろう、ミウは、ふふっと鼻で笑うと、

「そうですね。『帰る』と言ったのは失言です。わたしとしたことが、つい口が滑りました。それほどここがリアルなんです」


 ミウは転校生として現れたときとは比べ物にならないほどの明るい表情を全身からたぎらすと、ついっと立ち上がった。

「ええ。ガウロパ……。説明は後で。では覚醒します。準備を頼みますよ」

 二人の交信が終わったようで、ミウは空を仰ぎ、釣られて俺も見上げるが学校の天井があるだけ。


「おい、どこへ?」

 どこへ帰るんだ、という俺の質問は誰も居なくなったホールを響いており、それを答えるべくミウの姿は俺の前から忽然と消えていた。


「この世界を楽しむ……って? 嫌だ早く元に戻りたい」

  

  

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