精神融合
わたしはガウロパに命じて、後部格納庫に簡易ベッドを組ませた。その上に修一さんを寝かせて様子を見るものの、容態に変化は無く、彼は深い眠りに沈んでいた。
「ではこれから精神融合をしますが、何があっても決してわたしを直接覚醒させないでください。精神の一部が修一さんの中に取り残されて、戻ることができなくなります」
「どうしたらいいの?」
心配した良子さんのおどおどした瞳がわたしを見つめていた。この人はとてつもなく頼り甲斐がある面と、とてつもなくあどけない面を持っていて、どちらが仮面なのか、いつも考えさせられてしまう。
それはおいおい調べるとして、今は時間が無いので先を急ごう。
「何かあればガウロパに命じてください。コミュニケーターを通してわたしに伝わります。また、わたしも常にガウロパに報告していますので……」
ぽけーっと、良子さんを見つめ続けるスキンヘッドに、わたしはついつい強い口調になる。
「聞いてますの? ガウロパ!」
彼は慌てて取り繕うと、太い首を前後に振った。
「お任せくだされ」
「ほんとうに大丈夫でしょうね。あなたが手順を間違えたら、わたしも戻れなくなるんですよ」
頼れるのはガウロパだけだ。双子の姉妹は戦闘能力しかないし、イウは信用できない。良子さんはいまいち解からない存在だし――。
何となく不安だったが、ここまで来た以上戻ることはできない。あとはこの乗り物を制御する『ラン』と呼ばれている人工頭脳、AI(Artificial Intelligence)を信じるだけ。
このAIからは現時のモノではない進化を感じるのは正直な感想。この時代にこんな進化したAIがあった事が驚きなの。だからこれに賭けるしかない。
「では始めます。ランさん。あなたにはバイタルモニターを頼みます。危なくなったらガウロパに報告なさい。わたしの言うことが解かりますか?」
『今の会話に使用された言語から、データベースに蓄積された意味を検索し、内容を理解し、意思疎通を図る元の言語に戻すまでの一連のシーケンスは、100パーセント正しく機能しています』
呆れた……何が言いたいのか皆目わからない。
「あなたの会話は回りくどいです。もう少し簡略しなさい」
『はい』
「で? わたしの命令は理解できましたか?」
『はい』
「バイタルに異常を見つけたらガウロパに知らせるのですよ」
『はい』
すがめて天井を見てしまった。今度は簡略のし過ぎだわ。
このAIは賢いのか、バカなのか――あるいは人をからかっているのか、理解に苦しむ。
良子さんから受ける憐憫の眼差しを睨みつけることで弾き飛ばし、わたしはベッドに横たわる修一さんの額に右手の人差し指と中指をそっと近づけた。
双子が不安げに顔を近づけてくるので、安心させようと微笑んでみせる。するとすぐに麻衣さんが反応。
「修一、だいじょうぶやろか?」
「心配ありませんよ」
まろやかに柔らかく返事をするわたしの手を強く握ると、麻由さんが唇を寄せて、
「うまくいきますように……」と祈りをささげてきた。
ほんとうに可愛い子たちだわ。修一さんは幸せ者ですね。
目をつむり、精神を集中させる。思考を遮断し暗闇の中にしばらく沈潜する――やがて、額の辺りに小さな光の球にもにた別の意識が芽生える。さらに集中すると、思考の中でその白い球が大きくなり、意識でコントロールできるまでに成長するのを待つ……。
光球が意識野を抜け出し頭蓋の外にまで広がれば準備万端。あとはゆっくりと腕を通して、指の先から修一さんの額へ浸すように光の球を巡らせる。ゆっくりと、ゆっくり……ゆっくり。目を開ければそこは修一さんの意識が作りあげた世界が広がっているはずだ。
そして――。
「ここは?」
同じつくりの部屋が並んだ通路の片隅に立っているのがわたしだと気付いた。そして目の前に横開きの扉が……。
小窓がついた大きな扉だった。どうやら精神融合が成功して修一さんの意識の中に侵入できたようだ。
「学校みたい?」
同じ制服を着た男女が交互に机を並べて規則正しく列を作るのが小窓から見えた。
ここは教室だわ。
わたしは少し後ろに下がって、扉の上に取り付けられたプレートの文字を見上げる。
『高等学校・三学年』と書かれていた。
教壇付近へ視線を振って思わず身を硬くした。そこに見慣れた人物が立っていたからだ。
「良子さん!?」
いつもの容姿よりさらに胸部が豊かに強調されていたが、確かにあれは柏木良子さんだ。
教壇に立つということは教師のつもり? いや。ここでは教師なのね。
「ここでは、って?」
何か様子がおかしい。わたしは修一さんと精神融合したはずなのに。
「ここ、どこ?」
目まいに近い戸惑いを覚えた。意味不明の現象に息を詰めた。
廊下の先には隣の教室があり、プレートには『二学年』と書かれた文字が見える。さらにその向こうにも同じカタチのプレートが突き出ていて、そして廊下はまだ先へと続いていた。
背後を振り返ると踊り場があり、そこで突き当たり、そこからは上下に続く階段の手すりがターンしている。かなり大きな建物の中だと思われるのだけど。
おかしい。修一さんの精神に侵入したはずなのに、誤って時間跳躍をしたみたいにも感じる。
どこか別の場所に飛んだのかしら?
と想起して、わたしは首を振る。
無意識に跳躍するなんて、生まれたての赤ん坊じゃあるまいし(リーパーの赤ちゃんは往々にしてある)、となると?
急に怖くなった。
(ガウロパ! 聞こえますか!?)
妙な胸騒ぎを覚えて、ひどく思考波を荒げてしまい、
(姫さま! どうかされましたか?)
少し慌て気味のガウロパの声で自重する。
(あ……開始の報告をしようと思っただけです)
(了解し申した。こちらは異常なしです)
いつもの低音のイメージが伝わってきてほっと胸を撫で下ろした。そして尋ねる。
(わたしの実体はそちらに健在ですわね?)
(は?)
我ながらおかしな質問だと思う。実体があるからこそコミュニケーターでガウロパと会話ができるのに。急いで取り繕う。
「いえ何でもありません。これからシーケンスを進めます。修一さんのバイタルはどうですか?」
(はっ、特に変化はありませぬ)
「そうですか。それじゃまた連絡します」
大急ぎで外部との連絡を切った。ガラス越しにこちらへ近づく良子さんの姿を捉えたからだ。
彼女は扉を開けると、いつもとかわらぬ微笑みを浮かべたまま、中からわたしの手を取った。
「心配ないからね。緊張しなくていいわ」
柔らかな手と優しい言葉で促し、息を呑むわたしに優雅な仕草で付き添うと教壇へと誘導する。そして真夏の太陽みたいな眩しい笑顔を生徒たちに向けて、こう言った。
「はーい、こっち注目ぅ! 外国の人よー。すごいっしょ、この銀の髪。綺麗な子でよかったわね、村上くん」
どぉっ、と湧いた笑い声に、わたしはタジタジとなった。
「なにここ? どういうこと?」
良子さんに背を押されて教壇のど真ん中に立たされた。
何をされるのかと身構えていると、彼女の口先が近づき、
「ほらまずは自己紹介でしょ」
と耳元で囁いた。
自己紹介と言われて息を飲む。
「えっ? じゃあ。わたしは転校生ですか?」
思わず口から漏れた台詞に、ふたたび教室内が湧いた。
「おっもしろーい。でもどう見たってピザの宅配には見えないわよ。すっごいねぇ。外国の人にもギャグの精神はあるのね。感心しちゃうわ」
「べ……べつにギャグではありません」
教室の中ほどから女子の手が上がり、
「早く名前を教えてください」
無視する必要は無かったので正直に答える。
「日高ミウです」
おぉぉぉ、とか歓声が上がる。何の歓声だろう。
「ひ……日高さんは、に……日本語がうまいんすね」
言葉を途切れ途切れにする男子生徒へ、呆けた視線を滑らせたわたしは、一瞬にして頬をひきつらせた。その肩越し最後尾から、魂が抜き取られ血の気が引けた眼差しで睨みつけてくる男子生徒を見つけた。
「修一さんだ!」
視線が固定されてしまい、まったく動けなかった。
やはりこれはとてもおかしな現象だ。精神融合に本人の実像が存在すること自体ありえないのだ。
精神融合とは、その人物の意識の中に融け込むことで、同じ視点で意識を共有すること。つまり夢を見る人と同じ視点で眺めるもの。ようするにここが修一さんの精神内なら、わたしは彼と同じ視界を持ち、同じものを一緒に見ることになる。そしておたがい会話を交換し合って深層心理の奥底に眠る潜在意識へと進むものなのに――。
ここでは本人とわたしが独立した存在になっていて、まず修一さんの思考が読み取れない。これだけでもおかしいのに、このリアル感は尋常では無い。まるでドラマに出演するかのような位置関係に配置されて、さらに本人と顔を見合わせるなんて。
「こんなの絶対にあり得ない」
わたしは修一さんと見つめ合ったまま再び息を詰めた。
何よりも不思議なのは、世界像が個々にしっかりと確立されていること。扉の内側には教室が存在しており、大勢の人物には孤立した精神が宿り、机も整然と並べられて、床とは別の物体として形成されていた。
よほど精神修行を積んだ人でも、ここまでしっかりとしたスピリチュアルビジョンを作り出すことは不可能なはず。ほとんどの人は夢の中みたいに、モヤモヤとした抽象的な物体をかろうじて実体化させるのが関の山なの。だからそのカタチや色からその人が受ける圧迫された精神状態を分析するのが精神融合なのに――ここは現実的過ぎる。
「ねぇ……?」
修一さんの精神世界に存在する個々に分離した物体。さらに意思を持ち独立した大勢の人物……あり得ないわ。
「もしもし?」
わたしはさきほどの光景を思い出し、体をぶるりと震わした。
外には階段があって別のフロアーに移動できた。そう。隣にも別の教室があって、それがあまりにリアルなので、怖くなったわたしはガウロパへ連絡したのだ。
こんなに広い範囲に渡る正確なスピリチュアルビジョンは不可能だ。ならば……これは実映像?
まさか?
「ちょっと日高さん!」
「えっ?」
「趣味とか、出身地を告げなくていいの?」
覗き込んできた良子さんに肩を揺らされてびっくりした。そのおかげで思考が中断できた。ずっと修一さんと見つめ合っていたようだ。
わたしと修一さんを交互に見比べて、良子さんが首を捻る。
「ね? 二人知り合いなの?」
知り合いには違いないがこのシチュエーションで正直に答えるのは不適切だ。彼の思考を乱してしまう。かと言って何と答えればいいの?
何か答えなくてはいけないと思うものの、焦りだした気分が払拭できなかった。修一さんも同じ気持ちなのだろう。鋭い視線を刺してくる。
(姫さま。修一どのの心拍数が上がっておると、ラン助どのが申しておるでござる)
ガウロパの声にようやく体の力を抜くことができた。あまりのことに我を忘れていた。
(原因は分かっています。もう少し静観していてください)
(了解しました)
しかしここはなに? 修一さんの意識の中だとということを忘れるほど、わたしはこの世界にのめり込んでいた。それほどにここがリアルなのだ。
「……日高さん、ってば!」
良子さんは再三わたしを呼んでいたようだった。ビックリ顔を曝け出し、その異様な雰囲気に教室内がしんと沈んでいた。
急に疎外感を感じ、
「以上ですわ。何も言うことはございません」
慌てたわたしは、ついキツイ口調になってしまった。
余計に凍りつく生徒たち――。
ちょっとまずいことをしたかも。わたしの推測が外れてここが修一さんの精神が作ったものだとしたら、生徒たちはそれぞれ彼の潜在意識の奥底で繋がる因子のはず。その部分を刺激したことになる……これ以上彼にショックを与えてはまずい。
再び、沈思黙考に落ちるわたしの背を急いで押すと、
「えっと。席を準備するまで、あの一番後ろの……誰の席だっけ」
と困った顔をする良子さんに女子の助けが入る。
「真由美です……」
「そ、そ。今日はお休みだから、とりあえずあそこに座って……」
再び静まり返った教室からは、尖った槍みたいな視線が痛くわたしの全身を刺してきた。かなりの違和感を与えてしまったみたい。何とかして緊張を解かなければいけない。
机の並んだ通路を歩むわたしの膝頭に、掛けてあった鞄が当たり、軽い音を立てて床に落ちた。
「失礼……」
それを拾い上げて、持ち主にできるだけ明るい会釈をして渡した。
「い……いや。こっちが悪いっす。こんなところにぶら下げていて……」
喉をゴクリと上下させて、ふっくらとした男子が立ち上がって深々と頭を下げた、ついでに額を自分の机でごんっとぶつけた。
彼の仕草があまりに滑稽だったので、わたしは顔をほころばせた。
瞬時に教室内の緊張が解け、小さな笑い声が広まった。
それから急激に解け込み出し、そこらじゅうから質問が飛び交う。
「外国って、どこから来たの?」
「ねぇ。日高さん。その髪の毛本物?」
意外にこのクラスの人たちはミーハーが多そうだ。
「綺麗ねぇ」
とか女子が囁き出す。
「こちらから見れば、黒髪のほうが断然美しいですわよ」
わたしの問いに対する答えが返る前に、教壇で良子さんが手を大きく叩いた。
「はいぃー。私語はやめて。では、いよいよお待ちかねのテストだかんね!」
前の方で広がるブーイングを背中で受け止めながら、言われた席に着く。あいだに男子と女子を一名ずつ挟んだ左向こうに修一さんが、ずっと視線を逸らすことなくわたしを見つめていた。
その瞳はひどく怯えており助けを求めているのは明確だった。しかし、もしここがわたしの思う世界ではなく、修一さんの作り上げた精神世界なら、うかつな行動はできない。彼にとってわたしは異物。その異物が人の思考を乱すなんてことは、精神融合のもっとも危険で侵してはいけないことなのだ。
修一さんには気の毒だが、もう少し様子を見るしかない、と決断してわたしは思考波をコミュニケータへ集中させた。
(ガウロパ。修一さんのバイタルはどうですか?)
(はっ、おおむね安定しておりますが、ラン助どのの分析よりますと、不安を抱えており、心の奥で何かを思い悩んでいるそうでござる)
(AIのクセに人間の深層心理まで理解できるのですか?)
(よく解かりませぬが、このマシン、ただモノではござらんですぞ)
ふんと鼻で息を吐くと、わたしは教壇へ目を向けた。真横から修一さんの取りすがるような視線を痛く感じたが、ここは無視することにした。
次回は再び視点が修一に戻ります。




